フローニ他

知り合いに
『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』を読んでもらい、いろいろ感想を聞いたので書いてみる。

私はこの本ではできるだけふりがなをふらないつもりでいた。
というのは『定家』ではふりがなのおかげで校正でひどい目にあったからだ。
『定家』は illustrator で版組されていて、ふりがなもすべて手作業で(しかも書き終えた後で追加で)ふってたので間違いが半端なかった。
『シュピリ』は in Design で組み版されているのでそういう間違いはまったくなかったのだが。

また、もともと原作が若者向けのわかりやすい話であったはずだから、わざわざルビをふらなきゃならないような難しい単語や言い回しは(少なくとも本文中は)使わないようにしようと思った(しかし童話のような文体にする気はなかった)。

難しくて読めない単語があったというから聞いてみるとそれは「敬虔」だった。
なるほどこれは確かに子供には読めない。
調べて見るともとの単語は fromm であったり religiös であったりする。
「信心深い」とか「信仰心の厚い」などと訳するべきだったかもしれない。
ただ「敬虔」のほうがドイツの敬虔主義的なキリスト教の信仰を表すにはふさわしい気もする。

いずれにしても、『定家』では最初の数ページでギブアップした人も、今回「シュピリ」は、本文は最後まで読めてくれたようで、多少堅苦しい言い回しはあったようだが、誰でも読める本になってると思う。
普通の翻訳ものに比べて解説が異様に長くてこ難しいのは訳者の趣味なので勘弁してもらいたい。
ドイツ語の引用が多いのはドイツ語をひけらかしたいとか厳密を期したというより、むしろ訳者が自分の訳に自信がないからだ。
私にしてみれば、ゲーテの詩集が原文の引用なしであんなに出ていることの方が不思議だ。
小説ならそんな必要はないかもしれんが。
確かに私もドイツ語なら原文が多少気になるが、アラブ語やロシア語の原文をいちいち引用されては迷惑な気もする。
普通翻訳というのはそんなものだろう。

「フローニの墓に一言」をkindleで出版したのは2014年1月のことだった。
ここでは、ハインリヒ・ロイトホルトがアルムおじさんのモデルである、などと書いているがこれは間違いだ。
「若い頃」に出てくるヨハネスがハインリヒ・ロイトホルトをモデルにしたものであるとすれば、ロイトホルトは「怖い大工」ではなく、少年の頃からふにゃっとした詩人タイプであったはずだ。

「ハイディ」は処女作「フローニ」を土台として構築されたメルヒェンであると考えてほぼ間違いなかろうと私は今も考えている。その考えは2014年以降、他の初期作品も訳し終えてみて変わってない。
「ハイディ」はヨハンナの他の子供向け作品と比べると宗教色が濃厚である。
初期作品よりはずっと薄められているが、例えば1878年に出た Am Silser- und am Gardasee 《小さなバイオリンひき》(ジルス湖とガルダ湖のほとりで)、Wie Wiseli’s Weg gefunden wird 《ヴィーゼリの幸福》(ヴィーゼリの道はどうやって見つかるか)などの作品が完全な童話として構成されている(ただし主人公は片親だったり孤児だったり、家が貧乏だったりして不幸な子供のことが多い)のに対して、ハイディには暗い死の影が落ちている。
それはやはり、生涯童話作家になりきれなかったヨハンナが、フローニを下敷きにハイディを書いたからだと思われるのだ。
「ハイディ」を書いた動機は、ハイディという少女を描きたかったというよりも、フローニを不幸に死なせてしまったアルムおじさんの魂を救済するため、またフローニという不幸な娘の霊を慰めるために、ハイディという、ある意味聖なる少女をアルムおじさんのもとに遣わしたいという衝動であったのに違いない(というより、書いているうちどうしてもそっちのほうに話がひっぱられていった)。
つまりフローニの夫を悔い改めさせることによってフローニの物語を完結させたかったのだと思えるのである。ここでハイディは牧師役でもあるし、天使役でもある。
フローニを弔うという意味でやはりハイディはフローニの続編とみなしてよいと思うのだ。
ヨハンナは単に宗教的な作品を書きたかったのではない。おそらくは実在のモデルに基づくフローニという人を哀れんだゆえに宗教的になってしまった。
しかしフローニの話から書き始めるともう話が複雑でかつ暗くなってしまって児童文学にはならない。ハイディを児童文学として書きたかったヨハンナは、その代わりに、ハイディの母アーデルハイトや父トビアス、そしてアルムおじさんについてのなにやら思わせぶりな噂話をデーテに語らせている。
そして読む人が読めばわかるような仕掛けがしてあるのではなかろうか。
ハイディの続編、クララが山に来て立つという部分は明らかに当初の執筆動機から逸脱している。しかしながらクララが立たないことにはハイディは成り立たないことになってしまった。
ハイディが世界に通じる一個の仮想物語(メルヒェン)になり得たのは、そうしたいという出版社の意図と助言があったからだろう。ヨハンナ自身の意志もあったかもしれないが。

「フローニ」を読まねば「ハイディ」はわからんよということに多くの人がだんだんに気付くに違いない。

「彼らの誰も忘れない」に出てくるロベルトとザラの関係は、アルムおじさんとハイディの関係に近いかもしれない。

ある人は頭からどんどん読んでしまったが、またある人は、時代背景が難しくてなかなか読めないといって進まない、らしい。
確かに、たとえばグリム童話で、継母に森に捨てられた兄妹が魔女に騙されるという話、これなどは時代背景などいらない。
そういう(現実世界とは切り離された架空の)世界観の中にさっくりと読者を連れ込めれば良い。
アニメの「ハイジ」もまた同様な手法を採っている。
19世紀末のスイスの時代背景やドイツ文芸事情なんてものをいちいちアニメを見る子供にわからせてはいられない。
ヨハンナはゲーテファンだったからゲーテの話から始めます、という悠長なことは言ってられない。

ズイヨーはハリウッドやディズニーの手法を取り入れたのだと私は思う。
アメリカは歴史が短く文化が貧困な国だから、ヨーロッパから盛んに原作を輸入して、アメリカンにアレンジして、実写化し、アニメ化した。
ヨーロッパの歴史的伝統的でドリーミーな要素をよりこってりと濃縮し、一方ヨーロッパ固有の暗くて重い宗教観をそぎ落とすという脚色手法を取り入れた。
キリスト教を絡めるとイスラム諸国に売れなくなるなどとズイヨーの会長は言っているようだが
高橋茂人,日本におけるテレビCMとTVアニメの草創期を語る(TCJからズイヨーへの歴史)、

> イデオロギーは,みなそれぞれ違う。それを出すべきではないと思う。「ハイジ」には深層に流れているものがある。それはキリスト教思想なんだ。しかしそれを正面きっては出せない。世界に広く作品を売ろうとするなら,キリスト教のほかイスラム教の国もあり,例えば中近東では売れなくなってしまう。

高橋茂人が当初からそこまでワールドワイドにアニメを売ろうとしていたとは考えにくい。
ヨーロッパの市場はそれなりに大きいから、ヨーロッパ人に受けるようにキリスト教的な要素を盛り込もう、という戦略もあり得たはずだ。

ハイディをヨハンナの作品群の中の一つに戻す。
ヨハンナを当時のドイツ文学界の中の作者の一人に戻す。
そして当時のスイス、ドイツ文芸界、ドイツ語圏の社会情勢の中で、では、ヨハンナとは、ハイディとは何だったのかということを示してみせたことになっただろうか。
いろんな本を効率良く読もうという忙しい人は、本をいちいち頭から読んだりしない。
その概略だけさらっと知りたいと思うだろう。
解説から読み始めるかもしれない。
ところがそういう読み方をする人にはこの本は時代背景が難しすぎてなかなか読めない、ということになる。そりゃそうかもしれない。
私もそんなに簡単に読める本を書いたつもりはない。
しかしできるだけいろんな人に読んでもらいたい。
だからこんな本になった。

ロッテンマイヤーはスイスの少女に聖なる幻想を持つ人だった。
一方デーテやハイディは生の、野生のスイス娘だった。
デーテ対ロッテンマイヤー、あるいはハイディ対ロッテンマイヤーのやりとりは、もしかするとヨハンナと編集者の間のものであったかもしれない。
つまりロッテンマイヤーみたいな潔癖でかつスイスに幻想を抱いているドイツ女がいて、編集者として、もっとこんな風なストーリーにしましょうよ、などとヨハンナに提言する。
ヨハンナはそれに対して半信半疑に従ったり抵抗したりする。
もしかすると、ヨハンナの多くのかなり退屈な童話群というのは、Gotha Friedrich Andreas Perthes にいたロッテンマイヤー女史みたいな人の要望に沿ったもので、ハイディはそんな編集者への反発を反映したものかもしれない。
などと空想するのは楽しい。

短篇小説講義

筒井康隆の『短篇小説講義』だが、私が最近読んだ「小説の書き方」の本の中では一番わかりやすくて面白かった。小説の新人賞というのは最近ではみなだいたい短篇であって、
それはつまり応募者がたくさんいるから、あんまり長いの書いてこられたら迷惑だというのもあるのだろう。作家としての才能の有無を見るだけならば名刺代わりの短篇でも良いではないかということじゃないか。

文学部唯野教授も短篇を書いている。それと平行してこの『短篇小説講義』を筒井康隆は書いたわけだ。『文学部唯野教授』は岩波書店だし、『短篇小説講義』は岩波新書だし、
『短篇小説講義』に出てくる短篇のサンプルはみな岩波文庫だ。そして筒井康隆が『短篇小説講義』を書いた直接のきっかけは岩波新書の『短篇小説礼讃』(阿部昭 1986)を読み、自らも短編小説についてエッセイを書いたからだという。

筒井康隆はいろんな批評家からの批評やら、直木賞を逃したことやらに腹を立てて『大いなる助走』(1979)を書いて『文学部唯野教授』はその続編みたいなもんだ。そして自分でも文芸論や文芸批評論を書いてみたくなった、のだと思う。

でまあ、私はあまり小説を読まない人で(笑)、日本文学もだが欧米文学は特に読まないので、チェーホフとかトーマスマンとかゴーリキーとかの簡潔な紹介をしてもらったのはありがたかったし、ディケンズ、ホフマン、ビアスはなかなか興味深く読んだ。でまあいろんな古典的サンプルを紹介してその結論というのは、良い小説とはまだ手垢の付いてないアイディアとか文体で書かれたものだというものであって、そりゃそうなんだろうが、
たぶん新人賞を取るのにはあんまり役に立たない話だわな。新人賞なんてものはとびきり有能で上質なライターの素質がある人、つまり作家としての商品価値のある人が取るもんじゃないのか。或いはなんらかの話題性(タレント性)がある人とか。ほんとに novel なものを書く人(そういう人は往々にして商業的に成功するとは限らない)にほんとに出版社が新人賞を与えるなんて私には信じられない。

高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』

もちろん、小説が嫌いな小説家はいないはずです(たぶん)。

さて。 私が小説家かどうかはひとまずおいて、 私はどちらかと言えば小説が好きだから小説を書いているわけではない。 私は最初は画家になりたかった。 それから歌人になりたいとも思った。 画家と歌人ではそもそも飯を食えないし、 才能を判断される基準が曖昧としか言いようがないし、 ともかく食うための仕事をしないわけにはいかないので、 私はなんとか論文を書く仕事についた。 論文を書くのは楽しいけれどむなしくもある。 世界でおそらく私の論文を楽しく読んでいる人は三人くらいしかいない。 死んでからときどき見つけて読んでくれる人がいるかもしれない。 それでも良いと思ったが、あるときから論文を書くのがばかばかしくなってやめた。

歌人になるにはおそらく新聞とかの歌壇で評価されねばならないのだろう。 まっぴらごめんだ。 そういう仲間になる気はない。

それで私は自分が詠んだ歌を小説の中に紛れ込ませる方法を考えついた。 和歌の本を買って読んでくれる人よりも小説の本を買って読んでくれる人のほうがはるかに多い。 それで本がたまたま当たったら、そこに載ってる歌に気付いてくれる人が出てくるかもしれない。 ともかく読まれないことには、私の歌を世の中の人に知らしめることはできない。 それで私は『日本外史』などを読んでやっと日本史というものに興味が出てきた頃だった(『日本外史』は明らかに小説ではないわな)。 私は日本史などというローカルな歴史にはもともと興味がなかった。 世界史ばかりおもしろがって読んでいた。 ところが『日本外史』という武家の通史を読んでみて、 承久の乱とか南北朝とか室町なんていう時代がけっこう味があって面白いなってことに気付いた。 おそらく世界史を知っていたからこそ南北朝みたいな話に興味が持てたのだと思う。 歴史小説の中に自然にとけこむような歌の詠み方を私はすでに習得していた。 完璧な大和言葉で和歌を詠む訓練をした。 そうしたらだんだんと本居宣長や上田秋成なんかの国学者の気持ちがわかってきた。そうしてまず歴史小説から入っていったのだが、この歴史小説というやつも新人賞なんかで募集しているところは少ない。無いことはないらしいが、たぶん私の書くようなものは求められてない。それで新人賞に応募するために現代小説らしきものを書き始めた。というのがおおよその流れだったと思う。

それでもともと世界史は好きだったから、和歌とは離れて世界史の歴史小説も書き始めたのだが、それでも最初は主人公がオマル・ハイヤームのものを書いた。彼の詩に興味があったからだ。ここでも関心はどちらかと言えば歴史であり、詩であって、小説ではなかった。私はいまだに自分がどういう小説を書けば良いのか良くわかってない。むしろいまなお人に読まれて自分が書けるものがあるならそれを見つけたいと思っている。

短い詩と、それより長い詩、この二つは、明らかに詩です。

しかし、なぜ、詩なのか、説明してくれ、といわれると、それは難しい。改行してあるから詩、というわけではないし、韻を踏んでいるから、リズムがあるから、繰り返しがあるから、詩だ、ということにはならないのです。

わたしは、詩、という確固たるものがあって、それに向かっているから、詩なんだ、とういう説明が一番正確なのではないか、と思っています。

谷川俊太郎の詩は、私もなぜこれが詩なのか、うまく説明できない。というより、私は谷川俊太郎という人のどこが良いのかわからない(つまりまったく評価していない)。彼を評価するくらいなら、私は江戸時代までの歌人や詩人を評価したほうがずっとましだと思う。私にはいろいろな意味で現代文学の良さがわからない。現代自由詩がなぜ詩であって小説ではないのか。そんなことをいくら説明しようと試みてもムダだと思う。いろんな人がそれを説明しようとしてきた。丸谷才一も『日本語のために』で似たようなことを書いていた。一度は納得した気になっていたが、和歌を学び、漢詩を学び、ペルシャのルバイを学び、ドイツ詩を学んで、ますますわからなくなった。「王様の耳はロバの耳」と同じことだ。誰も、現代詩が詩じゃない、って怖くて言えないだけなんじゃないのか。私はこれまで和歌を中心にいろんな詩を学んできた。だから私は(少なくとも日本の)現代詩は詩じゃないって言う資格があると思っている。

(もっと正確にいうと「岩波文庫」に入っているような)文学史に名を残すような文豪たちの本が、どんどん絶版になっていることをご存じでしょうか。

現代の読者は、そんな古い名作より、生きのいい現代の作品の方を好んでいます。

いつの時代もそうかと思うが、 一番小説を読むのは中学生から高校生くらいの子供だろう。 或いは一般大衆はドラマを好む。 彼らには歴史がわからない。 義経信長秀吉家康龍馬。そういう加工された歴史しかわからない。 古典はそういうマジョリティに消費される娯楽作品にはなれない。 岩波文庫を見ればわかる。 逆に年を取ると歴史がわかってくるから古典が読みたくなる。 そういう人たちの需要のために今も岩波文庫はあるといえる。 ただそれだけのことだと思う。

読者は保守的です。読者は「楽しませてくれ」という権利を持つ王さまです。その、読者の楽しみのほとんどは「再演」の楽しみ、いままで楽しいと思えたものと同じものを読む喜び、確実に楽しめる喜びです。そして、作者はその王さまのいうことを聞く家来 ― それが、いまの小説の悲しい現実です。

そりゃそうだ。 そんなことは物書きならみんな知ってる。 知らないことを知る喜びなど読者にはない。 彼らは自分が中学や高校でならった古典をおさらいしてやると喜ぶ。 そうでないことは理解できない。

小林秀雄 全作品

日本でもっとも高名な批評家である彼の文章は、批評の世界では、まねしつくされましたが、小説としてまねする人は意外と少ないようです。活用するべきでしょう。

文体を真似たひとはいるのかもしれないが、小林秀雄を真似て成功した人がいるとは思えない。私は小林秀雄のすべてはわからないが、自分の得意分野、たとえば『本居宣長』『実朝』などは理解できたつもりである。それで小林秀雄のような文章を書きたい誘惑に駆られたこともあるが、そんなことしたら誰もついてきてくれないと思う。 彼が、誰も気付いてないことを気付く本物の批評家であることは間違いないと思う。でも、彼の文章を読んで、誰も気付いてないことに最初に気付いた人であることに気付く人はおそらく皆無だ。みんな何が書かれているかわからずに読んでいる。 小林秀雄は非常に不親切な文章を書く人で、かつ文章のクオリティにものすごくムラがあって、大半はわけのわからないことをただぐだぐだ書いているだけで、たまにすごいことがぽろっと書いてあったりする。 小林秀雄だからああいう文章が許されるのだ。 そして彼は、読者が結局誰も自分の文章を理解してないってことに気付いていて、それでどんどん不親切になっていったのだ。丁寧に親切に書いても、不親切に書いても、どっちにしたって理解されないし、理解してくれる人はどんなに不親切に書いても理解してくれるんなら、親切に書く努力がばかばかしくなる。 そう、少なくとも彼が宣長について書いていることのかなりの部分は、別に難しいことじゃない。読み取ろうという気があって読めばわかるようには書いてある。

Ich möchte nicht das Kind sein!

Ich möchte nicht das Kind sein!

直訳すれば、「私はあの子供でありたくない」だろうか。敢えて英訳すれば

I might not be that child!

とでもなろうか。で、英語版では

I am glad I am not the child!

「私があの子供でなくて良かった」。

矢川澄子訳は

あの子の身にもなってごらんよ!

となっている。なるほど。

旧作

久しぶりにエウメネスを読んでみたのだが、比較的新しい作品なんでたかをくくっていたのだが、すでに相当古びてしまっていて驚いた。新作を書いたり旧作をリメイクしたりするうちに自分の文体というものがどんどん変わっていく。たくさん書けば書くほど変化する。一年もして昔書いた物を読むと他人の文章のように感じる。そもそも乗りが今と違う。自分が書いたものによって自分自身が変わっていく。そりゃそうだわな。書くという行為によって自分は変わる。自分と作品は相対的なもので、自分が作品を作るように作品が自分を作る。どうしたらよかろうか。

ポントスとボスポロス

へレースポントスにポントスは固有名詞なんじゃないかと書いたのだが、 昔黒海にはポントス王国というものがあったようだ。 またアゾフ海からクリミア半島あたりにボスポロス王国があった。 イスタンブルの海峡をボスポラスというのだが、どういうつながりがあるのだろうか。

wikipedia

ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えるが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放った。そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされる。

bous βοῦς ‘ox’ + poros πόρος ‘means of passing a river, ford, ferry’, thus meaning ‘ox-ford’,

よくわかんねえ。 英語の ox-ford と同じとか言ってる。

また、ポントスというギリシャ神話の海の神がいるようだ。

クリミアという地名はロシア語で、ギリシャ語ではタウリカというようだ。 またケルソネソスという言い方もある。 c.f. パンティカパイオン、スキュタイ。

へレースポントス

『エウドキア』に「ヘーレスポントス」と書いていたのは「へレースポントス」の間違いだった。 修正せねばならない(※追記 より正確にはヘッレースポントスだろう)。 へレースポントスは海峡に名付けられた名ではなく、あの細長い海に付けられた名のようである。意味はずばり「ギリシャの海」。ヘラス、ヘレニズム、ヘレニカなどはすべてギリシャ人が自分らの国や言語のことを言う言葉だ。つまりへレースポントスという名は、ギリシャ人にとって非常に重大な意味を持っている。

黒海は単にポントスと呼ばれたらしい。ポントスとへレースポントスの間の海がプロポンティスだが、これはポントスの手前の海と解釈できる。へレースポントスからプロポンティスを経てポントスに入る、というニュアンスがそこにはある。っと細かく言えば、ボスポラス海峡は紛れもなく海峡である。プロポンティス海は海である。そして、へレースポントス海峡は、海峡ではなくて、古代ギリシャ人の感覚では、へレースポントス海と呼ぶべきだろう。

ではエーゲ海はなんと呼ばれていたかというと、この海はエーゲオペラーゴあるいはアルキペラーゴと言って、ポントスではない。ギリシャ語で「海」をペラーゴといったりポントスと言ったりするわけだが、もとは両方とも固有名詞であったか。あるいはポントスだけが固有名詞だったか。どういう使い分けか、よく分からない。ギリシャ人がいつから自分たちのことをヘラスとかヘレニカと言い出したのだろうか。その中心的な部族や土地はどこだったのだろう。

いやはや。しかし、昔書いたものを手直しすることの大変さと言ったら。

西行秘伝レビュー

『西行秘伝』にレビュー を書いてくださった方がいて、 その方が書いた他のレビューも読ませていただいたが、 日本史の専門家の方というよりは一般の読者のようにお見受けしました。

非常に的確なご指摘で、感謝しております。 「確かな歴史観に裏打ちされた良質なフィクション」とは私には最高の褒め言葉です。 「歴史に基づかないいいかげんなドキュメンタリー」の逆ということですよね。

私自身は理系なので歴史の高等教育を受けたわけではなくて独学なのだけど (古文と漢文はIIまでやったけど)、 ごく普通の読者が一気に読めてしまったというのに驚いている。 もちろん私も誰にも読めないような難解な話を書くつもりはなく、 「読んで楽しくためになる」ものを書いているつもりだけど、 たぶん一般読者には読めないのだろうなと尻込みしていた。 たとえば和歌や古文に特に現代語訳を付けてないところがあって、 高校古文II程度の学力があれば普通に読めるとは思うが、 世の中そんな人ばかりではないはず。

『将軍家の仲人』なども読めない人とさらっと読んでしまうひとがいる。 読める人のために信じるように書けばよいということだと思った。

追記: 今ちょっと読み返してみたのだが、 最後の、後白河院に頼朝が謁見するあたりが、かなりわかりにくい。 もう少しなんとかしなきゃならないなと思う。 まあ、これはこれで、このまま放置するという手もあるのだが。

陽成天皇暴君説

陽成天皇が暴君だったかどうか、判断するのは難しい。同時代資料としては『日本三代実録』があるが、これには大したことは書かれてないようだ。ぼかして記述してあるというが、陽成天皇に不利な部分がぼかしてあるのか、有利なことがぼかされているのか、どちらとも解釈できる。

私はおそらく、『日本三代実録』は、宇多上皇が編纂させたものであり、藤原時平の関与はさほどなかったように思う。つまり事実が淡々と書かれているだけであって、暴君というのは隠されたというよりは、もともとなかっただけじゃないかと思う。

それでまあ、状況証拠だけから言えば、清和天皇を子供の頃から面倒見てきたのは藤原基経・高子兄妹なわけだが、清和天皇の皇子・皇女の数というのは、成人してから死ぬまでの間がほんの短いことを考えると、異常なまでに多い。子供が生まれてないケースを考えれば、そうとう多くの女性に手をつけているはずである。天皇の場合、養育費や扶養の費用を天皇自身が負担するわけではなく、女性の親族が負担するわけだが、それにしてもあれだけ遊ぶには膨大な金がかかっただろうと思う。どうように膨大な時間もかかった。政治なんかやってらんない。

天皇のお小遣いを出したのは当然基経なわけだが、すべては、基経・高子としては清和天皇が子供を産んで高子が国母つまり皇太后になるための投資なわけである。つまり皇太子貞明が即位してくれないことには、元手が回収できない。大損なわけである。おそらく実務は摂政である基経がこなしたのだろう。どういう実務だったかは知らないが、律令国家というものが今の法治国家のように法律だけ決めれば官僚組織によって自動的に動く、はずもない。いまの法治国家ですら裏で賄賂が横行するのだから、平安時代に理想的な律令国家があったとするほうがおかしい。となると、全権を委任された基経はありとあらゆる手段を使って日本全国から税金を集め、官僚を搾取し、私有地を開墾し、寄進を募る。そのお金で主君を養い、その遊興費を捻出し、面倒みてあげて、その代わりに自分の懐にもしこたま金を入れる。すべては必要経費に計上。そうやってひたすら金と権力の日々を送る。一方、天皇は外を出歩いてひたすら愛人を作ってきままにくらしている。

ある日とつぜん、清和天皇は言ったかもしれない、基経、おまえもういいわ、俺成人したから全部自分でやる。あるいはこういったかもしれない。高子、俺兄さん(惟喬親王)に譲位して隠居するわ。俺の子供、まだ若すぎるから、後は兄さんに頼む。

いずれにしても基経・高子には許されない話である。これまで一生けんめいにがんばってきたことがすべて無駄になる。特に高子としては、自分の息子を即位させる、ただそれだけのためにしんぼうしてきたのに、今更他人に譲位されちゃこまると。

ま、そんなわけで清和天皇に非があったかどうかしらんが、彼はひどい死に方をした。
兄の惟喬親王もまた、悲惨な末路に。

ところが高子の子・陽成天皇も基経・高子をないがしろにしただろうね。もう成人したから摂政いらんわ、とか、藤原氏の女御なんかいらんわ。そう言った可能性が高い。基経出仕拒否の時期が元服以後で、また女御・后に基経の関係者がいない。陽成天皇ってもしかするとけっこう男気あふれる名君だったのかもしれんが、それは基経・高子には許容できないことだった。今までいくらおまえに金貢いできたと思っているの。どうしてもそうなる。

言い方はいろいろできるがだいたいそういうことだったろうと思う。

嵯峨天皇、清和天皇、陽成天皇と、コントロール不可能な天皇が続いたのだろうと思う。天皇何もしない。陽成天皇が藤原氏を切って親政をしていたら。外戚の紀氏とかがうまく仕事をした可能性もあるが、どっちかと言えば、いきなり国家破綻したかもしれん。しかしまあ、藤原氏に任せても遅かれ早かれ律令制は崩壊したんだけどね。

誰かが何かしないといけないのだが、その仕事を一手に引き受けたのが藤原冬嗣、良房、基経。ある意味、頼朝、頼家、実朝のころの北条氏に似たような立場だっただろう。うまみがなくちゃやってられないという気持ちはあったと思う。

仁明天皇、文徳天皇なんかは割とまとも、コントロールしやすい天皇だったと思う。
そういう系統で光孝天皇が選ばれたのではなかろうか。

人斬り鉤月斎

「人斬り鉤月斎」というものを書いているのだが、またどこかの新人賞に応募すると思う。百枚ぎりぎりくらい。

タイトルどおり普通の剣豪小説、時代小説のたぐいなのだが、自分的に剣豪小説書くのはすごく珍しい。たぶん初めて。書いてみるとわかるが、普通の陳腐な剣豪小説と差別化するのが難しいってのと、膨大な過去の蓄積があるから、やっぱどうしてもそれと比較されるのでやはり書くのがむずかしい。同じことか。これ普通の剣豪小説とどこが違うのとか言われそうで怖い。

自分なりに分析すると、戦前の菊池寛あたりの剣豪小説というのは古き良き体制的な剣豪小説であるが、戦後はそれを否定した反体制的、つまり、幕府とか主君というものに反抗するとか、庶民の目線でとか、個人主義的なとか、そんな剣豪小説が流行った。

しかし今の自分にとってはそういう反体制的な匂いのする剣豪小説というものがすでに、鼻もちならん説教臭のする陳腐な話なのであって、その否定、つまり、反反体制的、みたいな。しかし、反反体制的だからといって体制的でも戦前的でもないみたいな。あれ、なんかポストモダンってもしかしてこんな話なのかな。ポストポストモダン、みたいなもんかな。まあともかく、既存の戦後民主主義的テレビドラマ的時代小説を破壊したくて書いてみました(笑)これまで、時代小説というか歴史小説みたいなの書いて、チャンバラが出てこないのはそういうのに反発感じてたからだと思う。

三月末までにもう一本くらい書けそうな気がしてきた。