結婚式

シャイニングを、原文と和訳を見比べながら読んでいるのだが、なかなか面白い。これによると、キリスト教徒の伝統的な結婚式では、神父(牧師)が新婦の父親に

Who giveth this woman?

と尋ねて、それに

I do.

と答えるらしいんだが、つまりこれは女は父の持ち物から夫の持ち物となるという、完全な家父長制の、というかゲルマン法に基づく儀式であって、「バージンロード」というからには処女の娘を夫となる男のところへ連れて行くのは父でなくてはならず、従って新婦の母親はいなくてもよいし、新郎の父もいなくてよいことになる。

この箇所、和訳では「この男にめあわすために、この女を渡すのは誰か?」「われこれを行なう」となっていてしかも傍点までふってある。日本でも昔は教会でこういうふうなセリフを使ったのかもしれない。そのまま訳しちゃわけわかんないから略さずに言うセリフを探し、さらにそれを古風な和訳に置き換えたのだろう。翻訳者の苦労がわかるね。

シャイニング

『鬼平』全巻を読み終えたので今度は『シャイニング』を読み始めた。思うに私が読む小説というのはたいてい映画かドラマの原作になったものだ。それを映画なんかと見比べながら読む。『ソラリス』『ハイディ』なんかもそうだ。それはつまり、私自身に、鑑賞したり消費したりするだけではなく、自分も創作したいという願望があるからだと思う。映画やアニメ、ドラマ、ゲームなんかは一人では絶対作れない。お金を集めてくる人、監督する人、編集する人、素材を作る人なんかが要る。小説なら自分一人の一存で作ることが出来る。だから私はもっぱら小説を書いている。他の作品を参考にしたり、それらの作品がどのように脚色され、原作としてどういう扱いを受けているのかってことに興味があるのだ。

鬼平犯科帳24巻読了

とうとう鬼平犯科帳を全部読み終えたので何か感想を書こうと思うが、これがまたけっこう難しい。

第23巻から「荒神のお夏」という同性愛の盗賊の頭が出てきて、それまでの路線からちょっとはみ出していて、あれっと思った。マンネリ気味になったので新しいキャラを入れて無理矢理新しい展開を作り出そうとしているようにもみえた。

お夏は火付盗賊改の密偵となっているおまさを気に入り、おまさもお夏の妖しい魅力に抗しきれてない。おまさらの活躍でお夏一味の押し込みは失敗するが、お夏だけはなぜか逃げ延びる。

おまさはお夏がおまさを殺しに来るのだろうと思っているが、お夏はおまさが密偵であることに気づいておらず、ただおまさを見つけ出して一緒に暮らしたいと考えている。お夏はおまさを連れてくるよう、知り合いの盗賊、三河の定右衛門なる者に依頼するが、彼の一味の中にはおまさが密偵であることに気づいている者がいて、おまさをお夏の所へ連れて行く前に始末しようと考えている。

ここで定右衛門一味は神谷勝平という浪人を雇っておまさを誘拐するが、神谷はおまさやお夏に同情的で、おまさの危難を救ってやろうと考えている。

という辺りまできて作者死去のため、この「誘拐」という長編は中断している。

この続きがどうなるかというと大筋としては定右衛門一味は例によって火付盗賊改によって捕らえられおまさは救い出される、ということになろう。ただこの、荒神のお夏なるキャラはこの鬼平犯科帳では明らかに浮いていて、いかにも唐突に出てきた感じで、このキャラをいまさら池波正太郎が縦横に使いこなすとは、ちょっと考えにくいのだが、もしこの話をもっと引っ張るつもりならば、おまさがお夏に連れ去られて二人とも姿をくらますとか、そういうオチにして続編につなげるなどするかもしれない。お夏とおまさは二人組の女盗賊となって京都辺りを荒らし回り長谷川平蔵が京都に乗り込んでなんとかかんとか。

でも鬼平犯科帳はおそらく長谷川平蔵がなんかとんでもないことをやらかして罷免になるところで終わるだろうから、なんかメインのキャラが何人か死んで(おまさとか木村忠吾とかお熊とか?)それで引責辞任ってあたりがおとしどころではあるまいか。

こうしてちょっと書いてみて気づいたが、この鬼平犯科帳について何か書こうとするとまずそのあらすじを紹介するだけで一苦労で、これに自分なりの解釈を加えてみるというのはそんなに簡単なことではない。ざっとネットを検索してみても、そんなややこしいことをやっている人はほとんどいないようだ。鬼平犯科帳はテレビドラマにもなり漫画にもなり、役者や漫画家も複数いて、原作は一応あるにはあるんだけど、原作をじっくり分析しようという人はいないように思う。

私は自分でも小説を書くので、原作からどのように映像化されるのか、そのときどんなふうに脚色されるのかってことに非常に興味がある。それでドラマも漫画もそれなりに見てみたんだが、やはり原作が一番面白い、良い原作を書く以上に面白いことはないと思うのは、私がやはり小説を自分で書く人間だからかもしれない。

目安箱とか玉くしげとか

落とし文とか捨て文というものを制度化した目安箱ってのがあったはずだよね。で、ちょっと調べれば、天明の飢饉のとき、松平定信が諸藩や民間人からも献策を推奨し、宣長も『玉くしげ』『秘本玉くしげ』などを紀伊藩主徳川治貞に献上した、くらいのことはすぐにわかるはず。

徳川幕府が人民に施した善政などない、江戸時代は暗黒時代だったっていうネガティブキャンペーンを薩長が文部省なんかを使って長年にわたって繰り広げたせいで、ネトウヨはとかくこうした間違った歴史観をもっている。

定信の父は田安宗武、宗武の父は徳川吉宗で、もとは紀州藩主だった。宗武は賀茂真淵に国学を学び、定信もおそらく国学的な雰囲気の中で成長したはずで、そうなると徳川宗家の開祖家康がとんでもなくむちゃくちゃな宗教観・思想の持ち主だってことは、定信もわかっていたはず。

ところが定信は朱子学を信奉する教条主義者だってことになってしまった。そんなはずないだろ。定信の著作をみれば明らか。尊号一件の扱い方にしても、彼が完成させた大政委任論にしろ、定信が、賀茂真淵や本居宣長らのような、国学者的な尊王家であるのは明らかだ。

ネトウヨの無知蒙昧を正すのでなくそれを煽って部数を稼ごうなどという輩が愛国者と言えるだろうか。

世界最強バルチック艦隊

笑。