華冑会。三島由紀夫について

私は三島由紀夫の著作をすべて読んだわけでもなくまたこれから読破してみようという気力もおそらくないのだが、今のところのざっくりとした予想を書いてみようと思う。
三島由紀夫の家系というのは平民出身の官僚だ。彼の父、平岡梓は開成中学から旧制一高、東大法学部に進んでいる。平民に与えられたごく普通のエリートコースだ。しかし三島由紀夫はなぜか学習院から東大へ行く道をとった。
彼の最初の長編『盗賊』は副題に「華冑会の一挿話」とあるが、つまり華族社会のことを彼は書きたかったのである。彼は官僚の息子だし学習院にいたから、平民の中でももっとも華族階級に近いところにいて彼らを観察しえた。そのいわば、上流階級のスキャンダラスな暴露話を書きたくて仕方なかったらしい。
この『盗賊』は川端康成に絶賛されたらしいがほとんど反響がなかった。実際長くて退屈な話である。三島由紀夫にとってはしかしこの長く退屈な話を書く必要があったしこの体裁でなければ華族のアンニュイな暮らしは表現できないのだ。またそこを川端康成は高く評価したが同時に世間に受け入れられなさそうなことを惜しみもしたのだろう。
私は、『仮面の告白』ではなくこの『盗賊』にこそ、三島由紀夫のすべてのエッセンスがすでに内包されていると思う。
『仮面の告白』は自分自身を描いた私小説と言える。当時としてはセンセーショナルな内容だったから、たちまち世間に認知されるに至った。しかしながらこれもまた長くて退屈な話には違いない。
『金閣寺』に至っては単に金閣寺を焼いた男というこれまたセンセーショナルな話題を小説にしたというにすぎず、まあ、一般受けはするかもしれないし、外国人にも面白がられるかもしれないが、しかしやはり、退屈で長い話に過ぎない、とも言える。
その他の小説はおおむね売れっ子作家になったあとの頼まれ仕事のようなものだろう。いちいち読むほどの価値があるものがそれほどあろうか。
で、三島由紀夫は死を覚悟した。そこでもう一度、「華冑会」の話を書いてみたくなったのではないか。自分が死ぬ前に、自分が売れる前に書いた小説をもう一度リメイクして、広く読んでみてもらいたくなったのではないか。『豊饒の海』、特にその第一部『春の雪』は『盗賊』に題材が酷似している。そしてこの『春の雪』こそは、私が見た限り、三島由紀夫の作品の中ではとりわけ面白いのである。
作家が最初に書いた長編小説ほど、作家自身がほんとうに書きたかった作品に違いない。その上彼はそれを再び書いて彼の最後の作品にした。よっぽど書きたくて仕方なかった。よっぽど人に読ませたかった。よっぽど後世に残したかったのだ。
三島由紀夫はほんとうは何を書きたかったのか。
三島由紀夫は自決にあたって輪廻転生を信じたくなったのだろう。だから『豊饒の海』はああいう構成になった。しかしながら、彼がほんとに書きたかったのは、彼がほんとうに愛してやまなかったのは、「華冑会」の退廃した世界、もはや二度とよみがえることのない虚構の世界だったのではないか。ああいう世界は奈良時代にも、平安時代にも、鎌倉時代にも、室町時代にも、江戸時代にもなかった。日露戦争の勝利から第二次大戦の敗北まで、わずか40年ばかりしか存在しなかった。彼の文体、彼の文章の美しさというのはその世界を描くときにもっともしっくりとくる。なぜなら三島由紀夫が彼の青春時代に憧れてやまなかった世界だから。彼そのものが作られた世界だから。
この華族というものは明治政府が生んだ虚構社会だ。人工的に作られたフィクションの世界だ。そして彼はもともとその外の世界の人だ。しかしながら、いや、だからこそ、外側から、マジマジと、その世界を客観的に観察し得た。もし彼が最初から華族だったらあんな屈折した小説を書くはずがなかった。中にいた人ならその虚構に最初から気づいてしらけてしまうだろう。だがその「華冑会」の外にいて、いわばセレブに憧れるマニアであったから、あんな小説が書けたのである。
おそらく彼が守りたかったのは天皇ではなく華冑会なのだ。
明治政府が作り上げた戦前の皇室制度というものが華冑会を作った。その制度が失われれば華冑会もまた失われる。だから天皇は人間宣言などしてはならなかったのだ。「華冑会」がよみがえらなければ生きていても意味が無い。そうも思ったかもしれない。
彼にどうして天皇などというものが理解し得ようか。天皇の実態を想像し得ようか。彼に見えていたのは、目の前の現実であったのは華冑会だったのだから。

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