歳暮
> かくばかり住み良き山の奥にだに年は止まらで暮れてゆくらむ
> 隠れ家はいつも心の静かにて年の暮れとも思はれぬかな
> 世のわざに心騒がぬ隠れ家は年の暮れとていとなみもなし
> ふりまさる老いのしるしかこぞよりも今年は惜しき年の暮れかな
> いたづらに月よ花よと明け暮れて暮れ行く年のほどもはかなし
> よそに聞く年のおはりのいとなみに人もとひ来ぬ宿のさびしさ
> いたづらに雪をもめでし年の暮れこれぞ積もらば老いとなるべき
今年三十五歳也
> 年暮れて過ぎし半ばのほどなさを思へば近き七十の春
35才の年の暮れに70才は近いなどと言うのはどうしたことか。
山家雪
> 人待ちし心も消えて山里は道もなきほどつもるしら雪
> 都にもけふは積もらむ山里は軒端をかけて埋む白雪
> 問はるべき道絶えはてし白雪に春のみをまつ山の下庵
しみじみとした良い歌ではないか。
比べるのは気の毒だが勝海舟よりは数倍良い。
式子内親王の歌だと言っても間違う人はいるだろう。
宣長の歌を批判する人に試してみたいものだ。
> 四十あまり五ツの年もはや暮れてけふはむつきとなりにけるかも
これは(笑)。
しかし46才(数えで)の本居宣長の新年が目に浮かぶようだ。
その翌年の新年:
> あらたまる心の春ののどけさよふりし頭の雪もけぬべし
白髪を気にしているようだ。
> いほりしてもる田の稲も色づきぬ今いくかあらば刈らむとすらむ
なかなか良い。
明治天皇の歌にも似るが、やはりどこかひと味違う。
年の暮れに詠める:
> 何くれと春のいそぎにまぎれては惜しむ間もなく年ぞ暮れゆく
> ちりぢりに夕暮れ帰る市人のわかれをけふは年のわかれ路
秋夕
> 賑はへる里のけぶりもなかなかによそめはさびし秋の夕暮れ
寄塵述懐
> 思ひたつことはたゆまじちりひぢも積もれば山のかひもある世に
漁火連浪
> 海人の住む里近しとはしらなみの夜さへ見ゆる漁り火のかげ
さくら
> さくらなきこまもろこしの国人は春とて何に心やるらむ
> 世の中はやよひながらに年を経ていつもさくらの盛りともがな
> いかばかり憂き世なりとも桜花咲きて散らずばものは思はじ
> ひたすらにたれ憂きものと歎くらむ春は桜の花も見る世を
> うぐひすのこゑ聞きそむるあしたより待たるるものはさくらなりけり
> 山里の人のたよりもはつ花を待つに待たるるきさらぎのころ
> 待ち侘びて咲かぬ日頃を恨むかないつとは花の契らざりしを
> 春風よ心にまかす花ならば咲かぬ桜もはや誘はなむ
> 桜花たづねて深く入る山のかひありげなる雲の色かな
これは良い。
> 咲かぬ間の思ひ寝に見しならひにはこれも夢かとたどる初花
> 散ることもまづやとかつは歎くかなときがうれしき初桜花
> 帰らばや高嶺の桜飽かねどもふもとの花も暮れ果てぬ間に
これも良い。
> 夜もなほ夢路にだにと見しけふの花染め衣かへしてぞ寝る
> なかなかに月も無き夜は桜ばな定かにぞ見る思ひ寝の夢
月が無い夜は花を夢に定かに見る、という意味。
> 吹くも憂し吹かねば月の霞む夜を思ひわづらふ花の春風
> 照りもせぬ春の月夜の山桜花のおぼろぞしくものもなき
> 咲き続くさくらの中に花ならぬ松めづらしきみよし野の山
> いくへともしら雲ふかき吉野山おくある花も咲きやしぬらむ
> たぐひなき花とはかねて聞きしかどさらに驚くみ吉野の山
どんだけすごいのかと。
> 見わたせば花よりほかの色も無し桜に埋むみ吉野の山
> いづれかを花とは分けてながめましなべて桜のみ吉野の山
> 暮れぬともなほ分け見ばや山桜月夜よし野の花の盛りは
> ほどもなし花散るまでは吉野山捨てぬ憂き世も捨ててこそ見め
> 咲く花に絶えてあらしの吹かぬ間ぞ春の心はのどけかりける
> 散るこそは盛りなりけれ山ざくら空吹く風も花になりつつ
硯
> 墨筆も紙も昔のそれならで変はらむ友は硯なりけり
そりゃそうだわな。