思うに、夏目漱石が最初に作品を発表したのは朝日新聞であり、森鴎外は読売新聞だ(追記: 漱石が最初に小説を発表したのはホトトギス、明治38年。鴎外が小説に関する論文もしくは戯曲の翻訳を発表するようになったのは読売新聞で明治22年、最初の小説『舞姫』を発表したのは国民之友)。司馬遼太郎ももとはと言えば産経新聞の社員。このように、新聞社関係の人間は、カギ括弧の終わりの句読点を省く傾向がある。
一方、永井荷風や中島敦らが最初に活動したのは文芸誌か同人誌であろう。
新聞社では活字を節約するために、句読点の省略ということをやった可能性が高い。せこいが年間で0.何パーセントか、コストを削減できたに違いない。逆に文芸誌や同人誌などは、たかだか句読点の一つや二つ省いたからと言って、採算がどうこうなるというわけではなかっただろう。学者の文章というのも、やはり、句読点を省かなかったのに違いない。
子母沢寛も松本清張ももとはといえば新聞社の人間である。そして、新聞社というは、影響力が大きいものであって、そのために句読点が省かれるようになった、また、みながそれを真似するようになった。
そんな気がする。
もしそうだとすれば、今の時代に句読点をいちいち省略するのは、ばかげたことだと思う。
『墨東綺譚』を読むに、やはり句点は省かれていない。「そうか。」「今晩。」「ご存じ。」など、短い会話文でも、かならず、省略しない。短くても改行する場合が多いが、いつもではない。朝日新聞に掲載されているが、永井荷風は当時すでに文豪だったから、句読点を削られるようなしうちはなかったのに違いない。やはり、初期の頃の執筆の癖というものが、その後もずっと残り、途中で変わることはない、と考えるのが自然だろうよ。
追記。文芸作品に限れば句読点を省くか省かないかなどということは些細なことかもしれないが、新聞に掲載するのは文芸だけではないから、活字の節約ということは大きな意味がかつてはあったに違いない。文体も簡潔にし、改行もできるだけしない、などということがあったかもしれない。
『墨東綺譚』は最初私家版だったらしい。