南朝の都は吉野城、つまり吉野山の金峯山寺にあったかと漠然と思っていたが、実はもっと南の奥吉野、天川村の天川弁財天社あたりなのだった。飛鳥時代の吉野宮というのは東の方、吉野川をさかのぼって菜摘とか宮滝とか言われる所にあった。
思うに、金峯山寺というところは確かに修験者の拠点ではあったかもしれないが、城とするにさほど適した場所ではないように思う。千早城や赤坂城にしても同じ。天川村というのはものすごい山奥だ。こんなところに入り込まれたらとても攻めがたかっただろうと思う。
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