定家母

定家の父は俊成、母の実名は不詳だが、『新勅撰集』には定家母として出てくる。
『新勅撰集』は定家が一人で編纂した勅撰集だが、それに実の母の歌が一つだけ出てくる。

> 定家、少将になり侍りて、月明き夜、喜び申し侍りけるを見侍りて、明日につかはしける 権中納言定家母

> 三笠山道踏み初めし月影に今ぞ心の闇は晴れぬる

なんとも言いようのない、陳腐な歌だなあ。
それを載せる定家も定家だわ。息子が出世して喜ぶ母の歌。
なんだかなあ。
孝行息子だな。
どうしても載せたかったんだな。
でもそれ以上は、載せるに載せられなかったんだな。ものがものだけに。
『新古今集』には、母と父とがやりとりした歌が載っている。

> 女につかはしける    皇太后宮大夫俊成

> よしさらばのちの世とだにたのめおけつらさにたへぬ身ともこそなれ

> 返し 藤原定家朝臣母

> たのめおかむたださばかりを契りにて憂き世の中を夢になしてよ

うーん。まあ、普通かな。
『新古今集』定家が母の死に際して詠んだ歌

> 母身まかりにける秋、野分けしける日、もと住み侍りける所にまかりて 藤原定家朝臣

> たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふるやどの秋風

同じく俊成の歌

> 定家朝臣の母身まかりて後、秋の頃、墓所近き堂に泊まりて詠める 皇太后宮大夫俊成

> 稀にくる夜半もかなしき松風を絶えずや苔の下に聞くらむ

うーむ。

定家母は美福門院に仕えて、女房名が加賀だったから、
美福門院加賀とも呼ばれるという。
待賢門院堀河とか上西門院兵衛とかそんな感じの呼び名だわな。
五条局とも呼ばれたというがなぜか。
ともかくも勅撰集には「定家母」という名で出てくるわけだ、たった二首、しかも、身内ネタばっか(笑)。

待賢門院は後白河天皇の母、上西門院は後白河天皇の実姉。
上西門院は待賢門院からその華やかなサロンを引き継いだ。
どちらも女流歌人がたくさんいる。
ところが待賢門院のライバルである美福門院には歌人は、皆無ではないが、
ほとんどまったく居ないと思っていたが、定家の母がいたので意外だったのだ。
しかし定家母は、やはり大した歌人ではなさそうだな。
勅撰集などに残っている歌が少なすぎる。

[マザコン定家](http://d.hatena.ne.jp/tmk141/20080530/p2)。
なるほど。

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