> 新玉の 春来にけりな 今朝よりも かすみぞそむる ひさかたの空
宣長が19歳の時に、最初に詠んだ歌。
ちょっと検索してみると、いろんなことがわかる。
「春来にけりな」という歌は無い。
普通は「春は来にけり」と言うところだがなぜ「春来にけりな」?
> 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
やはりこれの影響か。
「来にけりな」であれば後鳥羽院
> 昨日まで かかる露やは 袖に置く 秋来にけりな あかつきの風
或いは寂連の
> 吹く風も 松の響きも 波の音も 秋来にけりな 住吉の浜
がある。
いずれも「秋来にけりな」の形。
いずれにしてもあまり事例は多くない。
「あらたまの」は普通は「年」にかかるが「春」も無くはない。
「今朝よりも」これもあまり用例はない。初出は凡河内躬恒
> 七夕の 飽かで別れし 今朝よりも 夜さへ飽かぬ 我はまされり
普通は「春立ちぬ」などというところだが、「春来にけり」「春は来にけり」も少なくはない。
「かすみぞそむる」これも用例がない。まあ、普通ならば「かすみそめたる」などとやるところだ。
「ひさかたの空」これもなくはないが用例は少ない。
初出は西行の
> うき世とも 思ひとほさじ 押し返し 月の澄みける ひさかたの空
であるらしい。
これらは主に新古今時代の歌だが、新古今やその他の勅撰集に出ているわけでもない。
宣長はどうやって和歌を勉強したのであろうか。
もう少しほかの宣長の初期の歌に当たってみる必要がありそうだ。
> 今朝よりや 春は来ぬらむ あらたまの 年たちかへり かすむ空かな
似てる歌を探してみた。
これは二条為世。まあ、普通の歌人の歌だわな。
そうだなあ。私なら、もとを活かして
> あらたまの 春は来にけり あしたより かすみそむらむ ひさかたの空
或いは
> あらたまの 年のたちぬる あしたより
などと直すだろうか。
いずれにせよ私はこんな歌は詠まないけど。