小野篁は菅原道真と同様に和歌も漢詩もうまかった人ということになっているのだが、
漢詩人というには詩がそれほど残っていない。
たとえば、頼山陽なら一冊の詩集になるくらい大量に詩を作っているし、
当時も菅原道真や嵯峨天皇は大量に詩を残している。
歌人というのも、貫之や業平ならやはり歌集を残しているから、
歌人といえるだろうが、
一つか二つしか残ってなかったり実は本人の作かすらわからんのもあり、
そういうのを何の検証もせずただ歌人とか詩人とかいうのはおかしいのではないか。
小野篁の詩は少ない。
わかる範囲で片付けていく。
> 和從弟內史見寄兼示二弟
従弟の内記に和して、寄りて見るに、二人の弟に兼ねて示す
内史は内記で官職、従弟はいとこだわな。二弟は二人の弟という意味だろうな。
> 世時應未肯尋常 昨日青林今帶黃 不得灰身隨舊主 唯當剔髪事空王
世時はまさにいまだ尋常を肯んぜず、
昨日の青林は今、黄を帯ぶ。
灰身は旧主に随(したが)ふをえず、
ただまさに髪を剔(けづ)り空王に事(つか)ふ。
旧主、空王が具体的に誰を言うはわからんが
(嵯峨天皇と文徳天皇とか、いくらでも解釈はできるが)、
なんかの漢詩の言い回しを使っただけだと思う。
灰身というのはなんかもういろいろ疲れてぼろぼろになった私、とかそんな意味。
> 承聞堂上增羸病 見說家中絕米粮 眼血和流腸絞斷 期聲音盡叫蒼蒼
承り聞く、堂上では羸病増し、
見説く、家中、米粮絶ゆと。
眼血、流るに和し、腸、絞り断つ。
声、音尽きて、蒼々と叫ばんと期す。
和流、というのは兄弟いとこどうしでもらい泣きするという意味か。
つかまあ、少ないよね、関連書籍が。
ネットで検索してもあまり出てこない。
図書館で探し出しても解釈がついてなかったり。