霊元院御製集

霊元院御製集を読んだのだが、
時代の順序がばらばらで、肝心の正徳年間の歌は七夕の歌が七つしかない。
歌の分量は多いけれども、おそらくは公式の場とか、あるいはたまたま書記がいて、
死後に残ったものをとりあえず一つにまとめたという感じだ。
ひとつの私家集を作ろうとした形跡は皆無だな。

歌はまあなんというか無難。
面白いものもある。

参考までに後水尾院御製集もちらっと見たが、こちらも似たり寄ったりで、しかもさらに量が多い。
思うに天皇とか院などは公式の場で和歌を詠む機会が多かっただろうから、自然とこのように蓄積したのではないか。
そう、特によくできた歌をえり抜いたとかそのような意図が感じられない。

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