歌よみに与ふる書

投稿者: | 2010年1月4日

歌よみに与ふる書

> おほせの如く、近来和歌は一向に振ひ申さず候。正直に申し候へば万葉以来、実朝以来、一向に振ひ申さず候。

わろす。

> 実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。
あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ申さず候。
とにかくに第一流の歌人と存じ候。

実朝はすごいとは思うが、そこまですごいかな。

> 古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤りなるべく、
北条氏を憚りて韜晦せし人か、
さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。

北条氏を憚るというのもあるか知らんが、実朝は奇抜すぎるよな。
あと、万葉調を露骨に模倣したりとか。

> 実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚びざる処、
例のものずき連中や死に歌よみの公卿たちととても同日には論じがたく、

わろす。
ものずき連中とは古今、死に歌よみとは新古今以後、ということだろう。

> 真淵は力を極めて実朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。
真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて、他の半面を知らざりし故に之有るべく候。

ふーん。

再び歌よみに与ふる書

> 貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集にこれ有り候。

わろす。

> 三年の恋一朝にさめて見れば、あんな意気地のない女に今までばかされてをつた事かと、くやしくも腹立たしくあいなり候。

わろす。

> それも十年か二十年の事ならともかくも、二百年たつても三百年たつてもその糟粕を嘗めてをる不見識には驚き入り候。
何代集の彼ン代集のと申しても、皆古今の糟粕の糟粕の糟粕の糟粕ばかりにござ候。

正岡子規面白いな。

>『古今集』以後にては新古今ややすぐれたりと相見え候。
古今よりも善き歌を見かけ申し候。
しかしその善き歌と申すも指折りて数へるほどの事に之あり候。

ふーん。

> 定家といふ人は上手か下手か訳の分らぬ人にて、

わろす。

> 新古今の撰定を見れば少しは訳の分つてゐるのかと思へば、自分の歌にはろくな者これ無く

わろす。
確かにそうだ。
定家の歌で面白いものはほとんど全くない。

> 門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致し候。
いつの代如何なる技芸にても歌の格、画の格などといふやうな格がきまつたら最早進歩致すまじく候。

そうだそうだ。

三たび歌よみに与ふる書

> 歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またとこれ無く候。

わろす。

> 歌よみのいふ事を聞き候へば和歌ほど善き者は他になき由いつでも誇り申し候へども、
歌よみは歌より外の者は何も知らぬ故に、

わろす。

> 歌が一番善きやうにうぬぼれ候次第にこれ有り候。
彼らは歌に最も近き俳句すら少しも解せず、十七字でさへあれば川柳も俳句も同じと思ふほどの、
のんきさ加減なれば、まして支那の詩を研究するでもなく、
西洋には詩といふものがあるやらないやらそれも分らぬ文盲浅学
まして小説や院本も、和歌と同じく文学といふ者に属すと聞かば、定めて目を剥いて驚き申すべく候。

ふーん。
まあ、子規の立場からしたらそうだよな。
だが子規のおかげで和歌も俳句も何もかも混同する輩が出てきて収集つかなくなったのも事実だ罠。

四~七たび歌よみに与ふる書

略。

八たび歌よみに与ふる書

> 悪き歌といひ善き歌といふも、四つや五つばかりを挙げたりとて、愚意を尽すべくも候はねど、なきにはまさりてんといささかつらね申し候。
先づ『金槐和歌集』などより始め申さんか。

>> もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原

> この歌の趣味は誰しも面白しと思ふべく、またかくの如き趣向が和歌には極めて珍しき事も知らぬ者はあるまじく、またこの歌が強き歌なる事も分りをり候へども、この種の句法がほとんどこの歌に限るほどの特色をなしをるとは知らぬ人ぞ多く候べき。
普通に歌は「なり」「けり」「らん」「かな」「けれ」などの如き助辞を以て斡旋せらるるにて名詞の少きが常なるに、
この歌に限りては名詞極めて多く「てにをは」は「の」の字三、「に」の字一、二個の動詞も現在になり(動詞の最(もっとも)短き形)をり候。
かくの如く必要なる材料を以て充実したる歌は実に少く候。

> 実朝一方にはこの万葉を擬し、一方にはかくの如く破天荒の歌をなす、その力量実に測るべからざる者これ有り候。

ふーむ。
これは困ったな・・・。
実朝の真作じゃないよね、これは。
せめて例えは金塊集から出そうよ。
金塊集から始めようかなんて言ってるわけだから。
[追記](/?p=2082)参照。

> また晴を祈る歌に

>> 時によりすぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまへ

> といふがあり、恐らくは世人の好まざる所と存候へども、こは生(わたし)の好きで好きでたまらぬ歌に御座候。

えぇぇぇ。
これは別にどうでも良いと思うのだが。
いやマジでどうでも良い歌。

> また

>> 物いはぬよものけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

> の如き何も別にめづらしき趣向もなく候へども、一気呵成の処かへつて真心を現して余りあり候。

まあ、これは賛成する。

九たび歌よみに与ふる書

> 一々に論ぜんもうるさければただ二、三首を挙げ置きて『金槐集』以外に移り候べく候。

>> 山は裂け海はあせなん世なりとも君にふた心われあらめやも

>> 箱根路をわが越え来れば伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ

>> 世の中はつねにもがもななぎさ漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも

>> 大海のいそもとどろによする波われてくだけてさけて散るかも

> 箱根路の歌極めて面白けれども、かかる想は古今に通じたる想なれば、実朝がこれを作りたりとて驚くにも足らず、ただ「世の中は」の歌の如く、古意古調なる者が万葉以後において、しかも華麗を競ふたる新古今時代において作られたる技倆には、驚かざるを得ざる訳にて、実朝の造詣の深き今更申すも愚かに御座候。大海の歌実朝のはじめたる句法にや候はん。

ああ、そうですか。

以下略。

ううーん。

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