勅撰和歌集その2

新古今和歌集をざっと読んでみて思ったのだが、
勅撰和歌集を編纂するには、
まず勅撰を言い出す天皇か上皇、
和歌を愛好する近しい皇族数名、
その中の一人か二人は非常に優れた歌人、
後は勅撰・編纂作業を任せうる数名の公家、
これらの条件が揃わないと成立しない。

新古今で言うと後鳥羽上皇の歌はこれみな自薦と言ってよく、
式子内親王は身内(おば)である。
俊成、定家、西行など最近の流行歌を合わせ、
あとは古歌で適当に埋めればできてしまう。

新勅撰も新葉も似たようにしてできた感じである。
特に新葉はもう身内だけでさくっと作った感じ。
新古今以降はもう天皇・上皇を中心にして完全に閉じたコミュニティの作品でしょ。
そのコミュニティすら維持できなくなったのかな。

応仁の乱より後はもうこの必要最小限のメンバーも集まらなくなったのだろう。
コアメンバーとしては10人くらいで作ろうと思えば作れるはずだが。

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