エウメネス6を久しぶりにいじった

何度も書いていることだがほぼ1年ぐらい、ある新作をずーっと書いている。半信半疑、ほんとに出版されるかどうかわからないまま、たぶん出版されるだろうというつもりで書き続けている。1ヶ月くらいでだいたい書き終えたのだが、そのあともずーっと推敲したり書き換えたり削ったり書き足したりしてその推敲を最優先にしてきた。もちろん私もただの暇人ではない。のんびり執筆活動に没頭できる身分ではない。なので、kdpの作品はほとんどいじっていなかった。

しかしひさしぶりにエウメネス6をいじってみた。

いやー。どうなのかねこれは。とっちらかっているよね。わざとそういうふうに書いているからというのもあるが。これを読める人はいるのかね。書いた自分が読んでも疲れるのに他人が読んだらどうなのかね。

エウメネスは、1は、誰が読んでもだいたい読めるように書いたと思う。

2から3も、途中が少し退屈かもしれないが、読めなくはないと思う。

しかし4、5、6はどうかな。1、2、3 が読めた人のためにおまけで書いたものなので、すごく読みにくいと思う。自分としても読みやすさより、いろいろ実験したいことをしている感じのもの。

普通の小説はこんなに読みにくくないと思う。たとえば鬼平犯科帳なんかは一応全部一続きの長編ではあるが、その中にもいくつか短編があり中編があり長編があってそれらがくみあわさって続きがあっている。前や後ろの話を知らない、もしくは忘れていても、部分的に読んで読めなくはないから読みやすいというのはある。

しかしエウメネスはそうではない。しかも時系列にはなってない。全編頭の中に入っていないとわからない内容になっている。タランティーノ作品、例えばパルプ・フィクションやレザボア・ドッグスに似ている。キル・ビルは少し違う。キル・ビルも時系列にはなってないが話が割と切り分けられていて、それぞれの部分のアクションシーンをみれば楽しめるようになっている。

鬼平も登場人物は多いが、エウメネスはめちゃくちゃ多い。中には私が勝手に作った人物もいるがだいたいはみんな歴史上に実在する人物で、私としては必要があって仕方なく出していて、削れるものなら削りたいが削れなくてでてきてるから説明して読者に理解してもらわなくてはならない。

たぶん私は自分がどこまでのものを書けるか試すためにエウメネス6を書いている。それを人が読めるかどうかってことはほとんど考慮してない。そして私自身まだ全然エウメネス6を書ききれてない。自分自身に課した課題のようになっている。自分自身去年書いたものを読むと荒い。雑だ。他人はどうかしらないが私には推敲は絶対に必要。推敲をしていくことによって自分の文章を書く能力を高めることもできるように思う。うん、推敲は大事。私はもともと雑な文章を書く人間だと思う。だからそれを矯正するためにも推敲は大事。ものすごく有能な編集者がいて勝手に直してくれるのでもかまわないが、あいにく私はすべて一人で書いている。

ジーロフトでエウメネスとアルトニスが新婚生活を始める。二人とも10代で出会い、アレクサンドロスの遠征に巻き込まれて、30過ぎでやっと結婚した、という設定だ。それだけでもかなりひねくれた設定だなと自分でも思う。しかもそこにアマストリーという女の子がからんできて三角関係になっている。けっこうえぐい設定だなと自分でも思う。

アルトニスには父アルタバゾスがいて、弟のファルナバゾスがいる。アルタバゾスは海賊であり総督でもある。そういう有力者の一族の閨閥に組み込まれたエウメネス(歴史的にも実際にそういう立場の人だったはずだ)。そういう日常生活ももっと描き込みたいのだが、そういうことをしているとこの話はもっとどんどんと込み入って、ぱっつんぱっつんに膨らんで、まったく全然違う印象の作品になっていくだろう。

結局、私にとって理想の小説とはなにか、それを自分で書いてみよう、そういう実験作品みたいなものになりつつある。

私ははじめこの小説を、「王とはなにか」ということをテーマに書き始めた。私はもともと天皇とはなにかということをずっと考えていた。もっと一般化して王とはなにかということを、日本に限らず、過去にさかのぼって、世界史的に考えてみようと思った。もっとも王らしい王とはアレクサンドロスなのではないかと思い、彼を書くことにしたが、主観視点と三人称視点を両立させるために、アレクサンドロスの側近を仮の主役にすることにした。読者を仮の主役に感情移入させることによってアレクサンドロスをよく観察させて、没入感をだそうというただそれだけの設定だったのだが、長編にする時点でその仮の主役、つまりエウメネス個人のことをことこまかに書くことになった。もともと私はエウメネスにはなんの関心もなかったが、書いてみるとそれなりに書きがいのあるキャラだ。書記官、学者という設定が、私に合っている。新井白石や、大塩平八郎を主人公にするのと同じ感覚だ。

アマストリーという王女も面白い人で、彼女を描くこともまた、「王とはなにか」「王族とはなにか」というテーマに沿ったものになっていると思っている。

ともかくエウメネスを書き切るにはあと十年はかかると思う。

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