梅雨入り直前というところかなあ。
世の中では江戸時代の夫婦同姓と養子縁組をごっちゃにしている、あるいは、ごっちゃにしたがっている人が多いように思う。たとえば、婿取りをして、婿が養子縁組によって姓を変えて、夫婦同姓になる、ということはあったと思う。医者とか、芸能の家の場合には特に多かったようだ。本居宣長も明らかに、婿入りで京都の医者になるのを狙っていた。
婿取りとは要するに女系相続のことだから、漢民族や、ゲルマン法に基づく西ヨーロッパではなかったが、東ヨーロッパや古くギリシャ、ローマでも、或いは東ローマ帝国でも、女系相続というものはごく普通におこなわれていた。しかしふつうそれは夫婦同姓とは言わない。養子縁組だ。
嫁入りにしても、夫婦になると同時に妻が養子縁組して夫と同じ姓になることは、あったのかもしれない。或いはそこまで民間では厳密に姓というものが考えられていなかったか、そもそも姓というものを持たない人もいたかもしれない。
しかし武家や公家は違う。徳川氏に藤原氏が嫁入りしても、嫁は藤原氏のままだったはずだ。徳川氏に皇女が嫁入りするときだって、皇女は皇族のままで、徳川氏になるわけではない。天皇に藤原氏の娘が入内しても、皇族になるわけではなく、藤原氏のままだ。
あるいは、商家の屋号というものが実質的に姓の機能をもっていたから夫婦同姓だといいたがる人もいるようだ。
いろいろ民間の制度はあったかもしれないが、原則として日本は江戸時代まで夫婦別姓だった、というのが歴史的事実だろ。違うんなら違うという理屈が知りたい。
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