引き続き、氷川清話。
明治31年3月2日、徳川慶喜が宮中に参内した。
つまりかつて自分があるじだった場所で臣下として明治天皇に拝謁した。
日清戦争も終わり、明治政府も安定してきてやっと実現したということだろう。
翌日、慶喜は勝海舟宅を訪れ、そのときのことを詠んだ歌:
> 鎌倉にもとゐ開きしその末をまろかにむすぶ今日にもあるかな
説明も要らぬくらいだが、頼朝から慶喜までの長きにわたった武家政権が、
確かにこの日に円満に決着がついたのだった。
> 結ぶうへにいやはりつめし厚氷春のめぐみに融けて跡なき
歌のできはまあ良いとも悪いともいいようのない勝海舟らしいものだが、
実に重みがある。
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