太田道灌

松崎哲久「名歌で読む日本の歴史」を読んでいるのだが、太田道灌の歌:

> 露おかぬかたもありけり夕立の空より広き武蔵野の原

確かに関東平野は夕立が降る箇所もあれば降らぬ箇所もあるだろう。

> わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る

江戸城のようす。
今ならわかる、太田道灌のレベルの高さ。
本物の武士で、ここまでの完成度の歌を詠んだ人として非常に貴重だと思う。

足利義政の歌:

> 何ごとも夢まぼろしと思ひ知る身には憂ひもよろこびもなし

うーむ。なんかすごい歌だな。
昔は有名だったのだろうか。

素戔嗚尊から坂本龍馬の歌まで載せているので仕方ないのかもしれんが、どうしても全体にちぐはぐな感じがする。
後醍醐天皇の

> 都だに寂しかりしを雲はれぬ吉野の奥のさみだれのころ

だとか、式子内親王の

> 花は散りてその色となくながむればむなしき空にはるさめぞふる

を取り上げているところを見ると、なかなかの眼識かとも思われるが、
式子の歌「花は、咲けば散る。爛漫たる美しさを誇った桜も、時が経てば必ず散るという理が、中世の歌人たちの心をとらえたのである」
という解釈はどうもおかしくないか。
これはまあ、「桜の花が散ったあとの彩りのない、どんよりとした空を眺めていると、やはりいろどりもなく春雨が降っている」
とでも言うような、桜の花が散る前と対比した、色彩のとぼしい、
盛りを過ぎた春の日のものうさけだるさのようなものをうまく歌ったものではないか。
さらに言えば、定家の「かげもなし」ではないが、
無彩色の美、水墨画のような色のない世界の美を(本来の色あざやかな光景と対比させながら)歌ったものだと思うのだけど。
つまり映像的な色彩感覚にうったえる歌だと思うのよね。
また、後醍醐天皇の歌は1337年の事だと言うが、後醍醐天皇が吉野に居たのは
1336年11月から1339年9月までなのだが、
38年か39年かもしれないということはあり得ないのか。
実朝や静御前の歌などはどうもへんてこだし、坂本龍馬の歌もそれらしくない:

> 人心きのふのけふと変はる世に独りなげきのます鏡かな

仮にこれが坂本龍馬の真作だとしても、わざわざ載せるに値するだろうか。
というか坂本龍馬の歌にわざわざ取り上げるほどの価値があるか。
思うに坂本龍馬の歌は、吉田松陰か孝明天皇辺りのかなり露骨な本歌取りである可能性が非常に高いと思う。
偽作の可能性が高いがその場合どこかの和歌をちょっとかじった小利口なやつが、
いくつかの歌を適当に見繕っていかにも龍馬が詠みようなそんな歌をこしらえたという感じ。
実朝、静御前、神武天皇の歌などもだいたい同じことで、
もともと歌人でもない人が詠んだ歌はそうとうに疑ってかかるべきで、
そういうものをただフィーリングだけで取り上げるのはどうかと思う。
もっと、きちんとした歌人の、ほぼ間違いない真作だけを扱ってほしいものだ。
武田信玄や豊臣秀吉の歌も確かに歴史談義の枕話にするにはちょうど良いあんばいかもしれんが、
歌としてはちとひどすぎる。
後水尾天皇:

> 葦原やしげらばしげれおのがままとても道ある世とは思はず

なるほど面白いがもう少しこの辺はふくらまして書いて欲しいところだ。
田安宗武:

> 涼しくも降り来る雨か夏山の繁き木の間に露のたばしる

うーむ。

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