Johanna Spyri

ハイジは

> 1880年に出版された前半部分 Heidi’s Lehr und Wanderjahre (元祖ハイジ)

> 1881年に出版された後半部分 Heidi kann brauchen,was es gelernt hat (ハイジ続編)

に分かれており、
元祖ハイジの著者は

> Von der Verfasserin von “Ein Blätt auf Vrony’s Grab”

つまり、「フローニの墓に一言」の作者としか記されていないのに、
ハイジ続編は Johanna Spyri という実名で書かれている。
普通は元祖ハイジが非常に売れて人気が出たので匿名をやめてハイジ続編から実名を使ったのだと考えられている。
あるいはこの時点でシュピリは商業主義に転向したのだと。

しかし実はそうではない。
最初に実名で書いたのは 1880年の Im Rhonethal (ローヌの谷で)である。
Im Rhonthal で Johanna Spyri は

> Verfasserin von “Verschollen, nicht vergessen”

つまり、1879年に出版された Verschollen, nicht vergessen(失踪したが忘れられてはいない人)の作者であると紹介されている。

また、1880年に出版された Aus unserem Lande (私たちの土地から。Daheim und wieder draussen と Wie es in Wildhausen zugehtの2編を収録)では、単に Johanna Spyri と著者名が記されているだけである。

Im Rhonethal はチラ見しただけだが、やはり病気の子供が死ぬ話である。
なぜこの作品からシュピリは実名を明かしたのだろうか。

Verschollen, nicht vergessen には、

> Ein Erlebniß, meinen guten Freundinnen, den jungen Mädchen

と副題がある。
「meinen guten Freundinnen」「den jungen Mädchen」いずれも明らかに3格であるから、
「私の良き友に、また若い娘たちに語りたい一つの経験」
というような意味だろう。
おそらくこれも童話ではなさそうだ。
いや小説ですらなく、実話かドキュメンタリーだったはずだ。

1878年に書いた Heimatlos は明らかに童話である。
しかし、1879年に書いた Verschollen, nicht vergessen や、1880年に書いた Im Rhonetal は童話ではなかった。
もし童話であれば誰かが邦訳したにちがいない。

シュピリがほぼ完全な童話作家となったのは1881年からということになり、
それ以前から実名で作品を書いていた、
ということについては少し考察が必要だ。

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