加納諸平

万葉調の雄大な自然を歌う叙景歌が多いようだが、あまり感心しない。
たぶん私はもともとこのジャンルが好きではないのだと思う。
佐佐木信綱辺りを連想してしまうからだろう。
「柿園」というのは景樹の「桂園」に対抗するつもりか。
幕末における真淵派の正統という位置づけか。

> 世の中はかなしかりけり世の中の何かかなしきしづのをにして

この「かなし」は「悲し」ではなく「愛し」と解すべきだと思うが、
まあ両方なのかもしれない。ただ悲しいと言いたいのではあるまい。
実朝の

> 世の中はつねにもがもななぎさ漕ぐあまのをぶねの綱手かなし

の本歌取りと考えるべきだろう。
何しろ百人一首の歌だからまずこれが思い浮かぶのではないかと思うのだが。
「世の中ってとてもいとしいものだよなあ。しかし、取るに足らぬ卑しい身分の男のくせに、
世の中がたまらなくいとしいなどと詩人のようなことを考えている、のはいかがなものか」、
という近現代の文学青年にありがちな心情ではなかろうか。
しかし小野篁

> かずならばかからましやは世の中にいとかなしきしづのをだまき

のようなもっと似た歌もあり、なんともいえんね。
たださらっと読んで見るに、「しづのをだからかなしい」と言っているのではなく、
「よのなかはかなしい」という自分の世界認識に対して、
しかし「この私は取るに足らない者のくせになぜかなしいとおもうのか」と反問、自問自答しているのであるし、
実朝の本歌取りとすれば
「この私は実朝のようなりっぱな貴人・歌人でもないのになぜ世の中はかなしいなどと偉そうなことをいうのか」
というふうに解釈できる。
世では自分のことをわざへりくだって、
つまり権門や堂上家に対抗意識をもって自らを「しづのを」という例が多いのであり、
本当の貧乏人が自らを「しづのを」と言って歎くケースは極めてまれだと思う。

> ますらをが打ちもかへさぬ山陰のはたとせ何に過ぐし来つらん

面白い序詞。
念のため説明すると、「ますらをが打ちもかへさぬ山陰の」までは「はた(畑)」を導くための序詞で、
しかも「はた(畑)」は「はたとせ(二十年)」をかけている。
21才のときにこれを詠んだとすれば正岡子規よりははるかに歌の才能はあったというべきだろう。
ますらを(農夫)が畑を打ち返す、というのは新古今的な叙景といえる。

はりあうつもりはないが、私が同じ年頃に同じ心境を詠んだ歌

> とりがなくあづまの国にくれたけの世に出でむとてふたとせ経たり

「とりがなく」「くれたけの」はいずれも枕詞、「あづまの国」とは東京のこと、
出世しようと上京して二年が経った、という意味。
東京に出て二年というのだから、21才か22才頃、学部三年生の時に詠んだと思う。

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