風邪気味

> 寝覚めして起き出でもせでつらつらときのふのことを思ひ出だしつ

送別会ということを

> いくたりかまたあひも見む思ふどちつどひて人を送り出だせば

岩波書店には近世和歌集と近世歌文集(上・下)の二つがある。
ややまぎらわしい。
しかも内容が一部かぶってるようだ。

ふと、逆接ということを考えたのだが、
AなれどもBなり、AなりBなれども、BなりAなれども、BなれどもAなり、
と、和歌ならば倒置や配置換えで同じことを四通りに表現できる。
もちろんそれぞれ微妙にニュアンスは違うが。
しかし俳句には難しい。

春は立てども雪ふれり、春はたてり雪はふれども、雪はふれり春は立てども、雪は降れども春は立てり、
など。
どれでもいいじゃん、とも思う。
しかし、文字数と、五七調と七五調のどっちにしようかとか、
あとは思い入れしだいではどれか一つに限りなく収束する。
「春は立てども雪はふれり」では雪が降ったほうがメインで、
「雪は降れども春は立てり」では春が立ったほうが感動のメイン、だわな。
またこれを倒置して
「雪は降れり春は立てども」ではさらに雪が降ったことを強調し、
「春は立てり雪は降れども」では春が立ったことを強調している。
しかしだ、和歌の場合には、倒置して先に出したから必ずしもそれを強調しているばかりではなく、
逆に歌の最後に配置したことでじらして歌全体を緊張させる効果がある。
も一つは、上の句と下の句の対比の効果というものがある。
こういうことをうだうだ考えるのが和歌を詠むということだが、
宣長のような平淡な歌詠みでもそういう技巧は凝らすものだが、
しつこいが、俳句にはそんなことはあまりない。

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