科学者に宗教家が多いのは分かる気がする。
科学は虚構を排除しなくてはならない。
そうすると精神的な支えがなくなって不安になる。
20世紀の科学は科学と虚構がうまくバランスを取っていたが、
今の科学は殺伐とした事実だけ。
それに耐えられなければ宗教に頼るかもしれん。
職業上では虚構を排除しつつ私生活では虚構世界に浸る。
それで精神的な安定を得ているのでないか。
ということは、科学は宗教と表裏一体なのかもしれんし、
それを混同すると似非科学やSFになるのかもしれん。
あるいは進んでオタクとなり、精神的に安定するのかも。
「理系」「文系」「男性」「女性」という区別は社会的なものであって、
生物学的には虚構だと久しく言われてきたが、
実は何かの生物学的事実を反映したものだろう。
試しに「理系男大学」というものを作ってみれば、
その大学は自然とオタが集まり、今の工学部のような大学になるに違いない。
ならば最初から「理系男大学」というものを作った方が話がはやいし効率も良いのでないか。
ただしそれではいかにも灰色なのでそこのとこをうまく工夫してやると、
かつての工学部を超える何かが作れるのでないか。
Cosmos by Carl Sagan を見てて思うに、
今の世代が科学離れを起こしたのはまさに科学が若者から夢や希望を奪ったせいだと言う気がする。
1970年代と今の人間は、すでにそうとう精神構造に変化が生まれてきている。
20世紀の人間は今から見れば夢想の世界に生きていた。
今よりもずっとバーチャルな世界に住んでいた。
バーチャルと今言っているのはデジタルな仮想世界と言う意味に限らず、
宗教とかイデオロギーとかファンタジーとかそういう人間の脳の中にしか存在しえない世界を言う。
おそらくは古い世代ほど迷信深く、
人はバーチャルに依存して生きてきた。
1970年代の人たちは火星人がほんとに居ると思っていた。
スターウォーズの世界など、
今の人たちは架空のファンタジーだと割り切って楽しんでいるが、
おそらく当時の人たちは地球の隣の金星や火星にも、
宇宙全体にああいう宇宙人たちがわんさと棲んでいると信じ切っていて、
それでああいうものを作ったのだと思う。
その夢想を破壊したのは科学そのものであるしNASAだと思う。
NASAの観測結果は面白いけれども難しくなりすぎた。
一般の人々には何の関心もない。
アメリカの納税者も、「火星人が居ないならNASAに金をかける必要などない」
と思っているのでないか。
今は科学離れが進んでいるというが、
科学なんてそもそも普通の人間には面白くもなんともないこと。
20世紀の科学が夢を見すぎていただけなんじゃないか。
その名残が今のえせ科学だよな。
20世紀科学の残像なんだよ。
話を戻すと、
昔信心深いおばあちゃんたちが毎日仏壇を拝んでいたのと、
今若者がMMORPGにはまるのはまったく同じ理由だということがわかる。
今も昔も人々は仮想世界のファンタジーを切望しているのだ。
科学がその役目を果たしていた時代もあった。20世紀がそうだった。
人々の関心を集めるには空想や夢想の余地を残してやる必要がある。
ならば「理系男大学」がどんなものになるか。
たぶん秋葉原みたいなもんがそうなんだろうな。