著者不在読者万能

私の小説の中では「エウメネス」「エウドキア」がよく売れている方なのだが、
比較的マイナーなはずのエウドキアが売れている理由がよくわからなかった。
だがオタクの世界では、エウメネスほどではないにせよ、エウドキアはよく知られたキャラであり、
エウドキアがどんな人であったか知るために(もしかすると二次創作のための設定資料として)ポチる人が多いのではないか。
私以外の全然別の人が全然別の話を書いても同じくらいには売れたのではないか。
とすれば私という書き手は不要であり、不在であり、存在するのは読者だけということになる。
私が書かなくてはならない必然性がない。

本を売るということは、それを買う読者がいるということであり、
ようは読者万能ということである。
同じ事はすべてに言える。
政治家にしろ君主にしろ、近代・現代は国民万能時代だからどうしてもそうなる。
売れっ子ライターやアルファブロガーなどみんなそうだ。
ツイッターではそういうよく読まれる人のことは、なんと呼ばれているのだろか。

私は話の中で登場人物を死なせるのが嫌いだ。
もちろん歴史小説では死ぬが、それはその人が死ぬことが歴史的に確定しているからだ。
私が勝手にこしらえた人物を殺すのは忍びない。
ほとんど唯一の例外は墨西綺譚に出てくる乾長吉だが、墨西綺譚は今は非公開にしている。

石原慎太郎、村上龍、山田詠美、村上春樹などの流れをみると、
読者はあきらかに暴力やセックスを求めている。
ラノベにすらその傾向はある。
ミステリー・ホラー小説もつまるところ人が殺されるからおもしろがって読むのだ。
人が死なないミステリーなどほとんど見向きもされないだろう。

私の場合、男女が恋愛関係に至る過程を書くことはあっても、恋愛関係そのもの、つまり情事を書くことはほとんどないが、
それも一般読者には不満だろう。

村上春樹から暴力やセックスを差し引いたらあんなに売れると思うかね?

砂丘

最近になってミュートとリストという機能をおぼえて、割とほんきでツイッターを使い始めた。

小説を書いて公開していて思うことだが、
こういうコミュニティは閉じていて、
一定以上の読者を獲得するのは難しい。
いろんなコミュニティを渡り歩くのは有効ではあるが、
結局いつかは頭打ちになる。
ツイッターはいろんな人たちがいるからコミュニティが閉じてないというか、コミュニティが非常に広い。
そういう世界で地道に人をフォローし、人からフォローされることは、
いわゆる名刺を配る的な営業のようなもので、
やってみる価値はあるんじゃないかと思い始めた。
Adwords なんか広告使う気にはあまりなれない。
現在やっと2000の壁超えたばかりくらいだが、2000フォローしているうち1000くらいはミュートしてると思う。
ミュートしているのは営業とボットが多いだろう。
ミュートしてないけどそもそもあまりツイートしない人もいるから、
素で読んでるのは500くらいか。
それでも多い。

リストもかなり使っていて、
こちらはどうせフォロー返ししてくれなさそうなw有名人や政府機関なんかが多い。
ボットもフォロー返ししてくれなさそうなのはリスト。

すべてのリストを公開しているわけではない。

一度やっと二桁くらいリツイートされたことがあり、
はあ、こんなことリツイートするんだなあと感心した。

世の中にはプロと素人と、その中間にいてプロになろうとしている連中がいるのだと思っていたのだが、
小説家になろうなんかを読んでると、なかなかプロに匹敵する素人はいない。
おやなかなか面白いなと思い著者名で検索してみると本出版してたりするのだが、
あーさすがにプロだなと思い出版社を確認するとどうやら自費出版らしい。
それじゃkidle本と変わらん。
ブロガーなんかは割と中間層が厚いように思うが、作家はなんか中間層がほとんどいない気がする。

[砂丘](http://ncode.syosetu.com/n4642ce/)
はわりと本気で書いた短編だが、
こういうのを子供向けのラノベとか転生ものがはやりの「なろう」に載せるのは嫌がらせみたいなもんだろう。
「なろう」見てて思うのは、いきなり超能力とかファンタジー出してくるリアリティ完全放棄なものか、
それただの実話だろうみたいなリアリティはあるがフィクション性が希薄なもの。
非リアルとリアルの中間くらいにフィクションというものはあるべきで、
そのチューニングが創作活動だと思うんだが、
良質なフィクションというものが「なろう」にはほとんどない。
それだけフィクションをこしらえるってことは難しいんだよなといまさらながら思う。

良くあるパターンは、
私の名前はなんとかです、年はいくつで身長はいくつ、髪の毛の色はとかキャラの紹介から入るやつとか、
なんだよそれとか思う。
それただの設定資料だろと。
あと自分の知ってる居酒屋でああしたこうしたとか。見たまま聞いたまま体験したままを書いてて起承転結のないやつ。
起承転結はあったほうがよい。起承転結にかわるなにかオチがあればなおよい。
しかし何も無いやつはただの日記かエッセイであり小説じゃないだろと思う。
ていうかそんなのはブログに書けよと思う。
だからブログは素人にも書きやすいんだろうけど。

プロットも、面白いなと思ったら、よく考えるとテレビドラマなんかで使い回されてるようなもので、
途中で連載放棄してたりしてすごくなえる。
携帯でちまちまと長編小説書いているやつとかいるのだが、
なんだよそれ自己満足?とかしか思えないものばかりだ。

私は自分と同じような小説を書く人を探している。
でもなかなか見つけられなくて困っている。
もしかしたらそんな人は存在しないのだろうか。
同時並行して私の小説を面白いと感じてくれる人を探している。
そういう人たちに私の小説が目に触れる方法を探している、というべきか。

安倍総理の一手

今回のアレの騒動や成り行きを見てて思うに、安倍総理は基本的には正しい判断をしたと思う。
さすがに安保闘争で辛酸を嘗めた岸総理の外孫だけのことはあり、
左翼の生態をよく知っている。
本人はともかくとしてブレインはそうとう優秀だ。

きちんと国民投票して改憲するのが筋だというのは正論だ。
しかし世の中には、戦後民主主義思想に呪縛された「悪意無き左翼」もたくさんいる。
とりあえず解釈の変更によって、集団的自衛権を実効化してみる。
そうすると最初はわあわあ騒ぐかもしれんが、結局以前となんの違いもないってことがわかる。
そこで洗脳が解けて普通になる人もたくさんいるだろう。
マスコミのほうが実はおかしいんじゃないかとやっと気付く人も出てくるかもしれない。
そうした目で見ると、
世の中には常軌を逸した左翼がいっぱいいるな、
なんか日本社会の中に異常な集団がいて、
自分らに都合の良いようにコントロールしようとしてるな、
民主主義って大義名分のもとに、ってことにも気付くかも知れない。
ものの見分けがつくようになり、自分の頭で考えるようになるかもしれない。

安倍の弱腰をみて、
やっぱり改憲しようという機運も高まるだろう。

戦後民主主義というのは70年近くかけてこじらせた病気なので、徐々に治療しなくてはならない。
左翼を切り崩し、考える機会を与え、味方を増やしたという意味で、今回の安倍総理の一手は実に巧妙だった。

[ウィキペディア「夢」](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2#.E7.A5.9E.E7.B5.8C.E7.94.9F.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.A4.A2.E3.81.AE.E7.90.86.E8.A7.A3)
にも、

> 夢を見る理由については現在のところ不明である。

などと書かれているのだが、
どうも夢というのは、
外部からの感覚が遮断された状態の脳の活動そのものではないか。
私たちは夢というものを寝ている間に見る不思議な演劇のようなものだと考えがちだ。

睡眠というものは、脳を休ませるためのものというよりも、
身体や、視覚や聴覚などの感覚器官を休ませるものだとしよう。
眠ると脳は感覚が遮断される。
脳もまた眠るが、身体よりも先に脳は目を覚ましてしまう。
外部からの刺激がまったくない状態の脳は幻覚を見る。
それが夢である。

外界を見たり、音を聞いたり、他人と話をしたり、食事をしたりすることによって、
脳は情報を得て、外界や他者に対して反応しなくてはならない。
外から得られるバイアスによって人は、いや、動物というものは、正常に行動できる。
というよりも、バイアスのもとに行動が最適化されるように進化し、淘汰されている。
外界からの刺激がない場合の脳の働きは定義されてない(する必要がない)から、
幻覚となり、夢となる。

人も動物も無重力ではうまく動き回ることができないが、
重力下では歩いたり座ったり寝転んだりすることができる。
それと同じだ。
凧は糸が切れると制御不能になる。
糸というバイアスがあるからこそ凧は安定して浮かんでいられる。

外界からの刺激がない状態では脳はうまく動くことができず、
浮遊し、くるくる回って飛んでいってしまう。
それが夢なのだ。
動物の見る夢もそれで説明つくのではないか。

つまり、人工知能とか人工の自我とか、
自我エンジン、意識エンジンというものが発明されたとしよう。
外部からの刺激がまったく無い状態で、それはただ空回りするしかない。
それが夢だ。
逆に言えば、
人工知能を作りたければまず無入力状態で夢を見る機能を持たせなければならない。
そこに外部から刺激を与えることによって反応するように仕込む。
意識というものはただそれだけなのではないか。
夢にも、それ以上の意味もそれ以下の意味もないのではないか。
だから、クラウドの中に人工知能だけが存在していても役に立たない。
それはただクラウドの中を浮遊しているだけだ。
人工知能は個体の中に入れてやり、目を付け耳を付け手足を付けて、
自己存続のモチベーションを与えてやらないと、知能として成立しないのではないか。

で、夢というものがそういうものだとして、
では夢から小説のネタができるか。
うーん。場合によっては偶然できるかもしれない。

ある種の薬物は感覚を狂わせたり遮断したりするのかもしれない。
だから脳は幻覚を見る。
脳が麻痺したり興奮したりするから幻覚を見るのではないのかもしれない。
脳とはもともとそうしたものなのだ。

作御歌

古事記の読み下しというのはいったいだれがどうやってきめたのか、よくわからんのだが、
「作御歌」は「みうたよみしたまふ」と訓じているようである。

思うのだが、「御」を頭に付けて敬う用法は漢語にはなくて、
本来は「統御」「還御」などのように、
動詞の後に付けて天子の行いであることを示したもののようである。
だから、「作御歌」を「御歌ヲ作ル」と訓むのはおそらく間違いで、
「歌ヲ作御ス」すなわち「歌を詠みたまふ」と訓むべきではなかろうか。

万葉集にも動詞を伴わず「御歌」とあるところもあるが、
これは「歌を御す」つまり「歌をよみたまふ」と訓じるべきではないか。
それが和語の「みうた」とか「おほみうた」などと混同されて、
「御」に「み」とか「おほみ」とか転じて「おん」「お」などの訓に使われたのではなかろうか。
中国人はトイレで「御婦人」という文字を見て「婦人を御す」のかとびっくりするそうだ。
「御名御璽」も漢語では意味が通らない。

「作」もややこしい語であり、「つくる」とも「なす」とも「なる」とも読む。
従って「作歌」を「うたをよむ」と訓じてもおかしくない。
そもそも古今集の時代には歌を作るという言い方はなかった。
かならず、歌を詠むと言った。
奈良時代もそうだったと考えるのが自然だ。

ちなみに「詠」は「永い」「言」と書くように、
漢語の本来の意味は、声を長く引っ張って言うことをいう。

傘松道詠

道元歌集

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり

おし鳥や かもめともまた 見へわかぬ 立てる波間に うき沈むかな

水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されども道は わすれざりけり

世の中に まことの人や なかるらむ かぎりも見へぬ 大空の色

春風に ほころびにけり 桃の花 枝葉にのこる うたがひもなし

聞くままに また心なき 身にしあらば おのれなりけり 軒の玉水

濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光とぞなる

冬草も 見へぬ雪野の しらざきは おのが姿に 身をかくしけり

峯の色 渓の響きも みなながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と

草の庵に 立ちても居ても 祈ること 我より先に 人をわたさむ

山深み 峯にも尾にも こゑたてて けふもくれぬと 日ぐらしぞなく

都には 紅葉しぬらむ おく山は 夕べも今朝も あられ降りけり

夏冬の さかひもわかぬ 越のやま 降るしら雪も なる雷も

梓弓 春の嵐に 咲きぬらむ 峯にも尾にも 花匂ひけり

あし引の 山鳥の尾の 長きよの やみぢへだてて くらしけるかな

心とて 人に見すべき 色ぞなき ただ露霜の むすぶのみして

心なき 草木も秋は 凋むなり 目に見たる人 愁ひざらめや

大空に 心の月を ながむるも やみにまよひて 色にめてけり

春風に 我がことの葉の ちりけるを 花の歌とや 人の見るらむ

愚かなる 我は仏に ならずとも 衆生を渡す 僧の身ならむ

山のはの ほのめくよひの 月影に 光もうすく とぶほたるかな

花紅葉 冬の白雪 見しことも おもへば悔し 色にめてけり

朝日待つ 草葉の露の ほどなきに いそぎな立ちそ 野辺の秋風

世の中は いかにたとへむ 水鳥の はしふる露に やとる月影

また見むと おもひし時の 秋だにも 今宵の月に ねられやはする

全体的に普通。あまり説教臭くない。

最初の歌が一番有名らしいがあまり感心しない。

目には青葉 山郭公 初松魚

を思わせる。江戸時代の俳人山口素堂の句というが、道元の影響を受けていたかいなかったか。

「色にめてけり」がよくわからん。「色に愛でけり」ではあるまい。「色に見えてけり」ではあるまいか。俊成の歌に、

たかさごの をのへのさくら みしことも おもへばかなし いろにめてけり

とある。慈円のようにつまらなくもないが、俊成や西行にははるかに及ばない。

都には 紅葉しぬらむ おく山は 夕べも今朝も あられ降りけり

これが少し面白い。道元より後の人だが、宗良親王に

都にも しぐれやすらむ 越路には 雪こそ冬の はじめなりけれ

がある。道元と宗良親王には接点がある。「将軍放浪記」に書いたとおりだが、越後、越中と放浪し越前の新田・名越氏らを頼った宗良親王が、永平寺に立ち寄ったかどうかまではわからぬが、道元の境遇を自分と重ね合わせて詠んだ歌であっただろうと思う。も少し調べてみると、道元の三十才年長で藤原範宗という人がいて、

都だに 夜寒になりぬ いかばかり 越の山人 ころもうつらむ

とあるが、道元はこの歌を本歌としたのではなかったか。

夏冬の さかひもわかぬ 越のやま 降るしら雪も なる雷も

これと先の「都には」の二つは、奥越前永平寺の暮らしを偲ばせる秀歌と言ってよい。

北条時頼が道元を鎌倉に招いたのだが道元は越州に帰ってしまった。鎌倉時代からの禅宗の寺はたいてい臨済宗で、曹洞宗の寺は戦国以後のものしかないようだ。

見しやいつ

正徹

> 見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり

なかなか巧んだ歌である。
「春の夢覚むるともなく夏はきにけり」
まさに今の季節をうまく言い表しているなあと思う。
「見しやいつ」
もなかなか斬新な言い回しだなと思って検索してみると、
どうも明日香雅経が最初らしい。

> あきはただ かれぬるかさは みちしばの しばしのあとと みしやいつまで

「かれぬるかさは」は「枯れぬる風葉」で合っているだろうか。

初句切れで反語または疑問というのは小野篁以来よく使われる形だが、
「見しやいつ」は「冬の御歌の中に」後伏見院御製

> みしやいつぞ とよのあかりの そのかみも おもかげとほき くものうへのつき

が最初か。
典型的な京極派だよね?
後伏見院が京極派かどうか明記されてはいないが、
父の伏見院も弟の花園院も京極派だから当然京極派だわな。
字余りだがちゃんと母音の連続という規則で回避しているのが見事といえば言える。

正徹にはもう一つあり、

> 見しやいつ 心とけつる うづみびに 春のねぶりの 冬の夜の夢

こちらはあまりに狙いすぎてていやみだなあ。
ていうか正徹が京極派をまねているというのが、不思議な気もするし、
全然当たり前な気もする。

> 秋の風 立てるやいづこ みそぎせし 昨日も涼し 四方の川浪

「立てるやいづこ」これも同工異曲か。

> 春霞 たてるやいづこ みよしのの よしのの山に 雪はふりつつ

古今集詠み人知らずの歌。
うーん。
正徹よく勉強して、本歌取りしてる感じだわな。
そこらへんは定家に近い。

一休は正徹の弟子で、正徹物語下巻「清巌茶話」は一休が正徹の言葉を聞き書きしたというがほんとかね。
正徹物語を読む限り正徹がかなりの変人で乱暴者であったのは間違いないのだが、
このころの臨済宗の僧というのはみんなそんな感じであったろうか。

釣月耕雲と禁葷食

相変わらず「山居」が良く読まれているのだが、
それでいろいろ人とも話をしてみて、
果たして道元は魚を釣って食ったのか、ということを、
もすこし突き詰めて考えてみる必要があるなと思った。

道元の時代、親鸞も日蓮も末法無戒を主張し、肉食を禁じなかった。
一休も、また、済顛も肉を食べた。
道元だけがどうして食べなかったと言えるだろうか。
我々は道元を今の永平寺のイメージでとらえるから、肉など食べたはずがないと思う。
しかし、当時中国でも日本でも、
僧侶が肉を食べてはいけないという規範はなかったのではなかろうか。

どうも[禁葷食](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E8%91%B7%E9%A3%9F)
など読むと、
中国仏教における菜食主義というのは、道教の影響によるものではないか。
というのは、肉だけでなく、ニンニクやニラなどの臭みの強い植物を食べないというのは、
中国の神仙思想から来ているように思えるからである。
カレーとスパイスの国インドでニンニクを食べないはずがない。

宋の時代には新仏教のようなものが生まれただろう。
日本にだけ新たに鎌倉仏教が出てきたのでなく宋の影響。
インドから伝来したナイーブな大乗仏教と中国古来の道教が習合して、
独自の中国仏教というものが出来てきた。
私は武漢の五百羅漢寺というところで精進料理を食べたことがあるのだが
(寺の中にわざわざ観光客向けのレストランがある)、
あの、野菜を使って卵や肉にそっくりの食材を作るというのはやはり道教的発想であり、
中国の寺というのは孔子廟のような廟堂と極めて雰囲気が似ていると思う。
ともかくそういう中国土着の信仰と混淆した仏教を刷新して、
仏陀の教義の本質に迫ろうとしたのが当時の新しい仏教であったはずで、
その祖を達磨に求め禅宗という形で現れてきたはずであり、
そのリーダーシップを取ったのが臨済や済顛らの「風狂」な禅僧たちであり、
道元は曹洞宗だけども、やはり臨済らの影響を受けたはずだ。
日蓮や親鸞や法然もそういう新しい仏教の影響を受けたはずだ。
そして禅宗は中国では廃れてなくなってしまい、
今の中国の仏教を観察してもそのような痕跡はないのである。
曹洞宗や臨済宗というものがもともとどんなものだったかは実はよくわからんとしか言いようがないのではないか。
日本は中国の文化が無くなってからも何百年も残るところだから、
むしろ日本の禅宗を見た方が当時の中国の雰囲気はわかるかもしれん。

原始仏教でももともと肉食は禁じられておらず、
インド土着の宗派の多くが菜食主義に固執したのに対して、
仏教は中庸を唱えた。

ただまあ釣りというのは直接的な殺生に相当するから道元がそこまでやったとは考えにくい。
そもそも「釣月耕雲」とは道元ではなく済顛の言葉なのだから。
「釣」を「鈎(かぎ)」と見て、
「鈎月」は月夜に刈り取りをすること、
「耕雲」は山上の畑を耕すこと、かと解釈してみたこともあるのだが、
済顛の詩にはっきり「釣月」とあるからにはもともと
「川面に浮かぶ月影を釣る」「月夜に魚を釣る」という意味だったとしかいいようがない。

そもそも道元が済顛のような「瘋癲漢」の詩からこのような文言を引用したこと自体が問題である。
道元は済顛を尊敬していたとしか思えない。
そう思って読むと、
「山居」の詩のそれ以外の部分はごく普通な日本人が作りそうな詩文である。
「釣月耕雲」だけが異様な雰囲気を持っている。

済顛は中国では日本の一休さんのようにテレビドラマ化されてけっこうな評判らしい。

でまあ、私のブログで良く読まれているのが
臨済関連の「裏柳生口伝」と
済顛関連の「山居」
なのは単なる偶然ではないのかもしれん。
誰なんだ読みに来ているのは(どうも中国から来ているのではないか。
最近中国語のスパム多いし)。
ちなみに私が書いた「超ヒモ理論」はよく知られてないと思うが仏教小説なので、
ついでに宣伝しておく。

ところで臨済という人は、
というか臨済の知り合いの禅宗の僧侶たちはみなやたらと人を殴ったらしいのだが、
それが今の禅宗では、座禅を組んでるときの警策となったのか。
警策自体は江戸時代以来らしいが、
それより前はもっと厳しい体罰があったかもしれんじゃないか。
そもそも僧兵を武装解除したのは信長だしな。

皇室は日本の役に立たない

[石原慎太郎、衝撃発言「皇室は日本の役に立たない」「皇居にお辞儀するのはバカ」](http://biz-journal.jp/2014/03/post_4279.html)
によれば、石原慎太郎が

> 皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも立たなかった。

> 石原氏は戦時中、父親から「天皇陛下がいるから皇居に向かって頭を下げろ」と言われた際、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。バカじゃないか、と思ったね」と語っている。

などと発言しているそうだが、
特に驚くに当たらない。
全然衝撃ではない。
むしろ日本の歴史をきちんと学んだ結果だと思う。
政治家は歴史を知り、冷徹でなくてはならないが、
石原慎太郎はそのうえに正直だというだけだ。

私もつい最近
[皇族をなぜ敬わなくてはならないのか、 なぜ敬わなくてもよいのかという問題は、 自明ではない。](/?p=16146)
と書いたばかりだった。
無批判に皇室を敬うのは左翼に利するだけだ。

幕末維新で天皇が必要とされたのは、日本が分権社会で、
藩がばらばらに人民を治めていたからだが、
同じことはイタリアとドイツにも言えた。
小国が分立していてイギリスやフランス、オーストリア、ロシアなどの大国に対して不利。
産業革命が有効に機能するには大きな国内市場と強力な中央政府が必要で、
そのためにはイタリア人はイタリアという国を、
ドイツ人はドイツという国民国家を必要とした。
国家統一のためイタリア王、ドイツ王というものを必要とした。
イタリアもドイツも日本より先に国民国家に移行していた。
小国分裂状態だった日本がイタリアやドイツをまねしたのは当たり前であり、
その際日本人全体の君主として天皇が必要だった。

しかしながら今やイタリア王もドイツ王もいない。
近代国家の君主としてのイタリア王やドイツ王は、もはや必要では無く、
共和国になればそれで足りるからである。

イタリア王といってももとをたどればサヴォイア公であり、ドイツ王といってもプロイセン公兼ブランデンブルク辺境伯である。
ヨーロッパの一諸侯に過ぎない。イタリア全土、ドイツ全土に君臨していたわけではない。
そこが天皇とは違う。
近代君主としての役割を終えた今、天皇はどうあるべきかということになるが、
その答えはやはり自明ではない。
石原慎太郎やホリエモンのようにもう要らないとは私は考えたくない。

漫画貧乏

佐藤秀峰「漫画貧乏」はキンドル版ならば無料で読めるのだが、
例によって
[漫画 on Web](http://mangaonweb.com/)の広報的なものであり、漫画 on Webでも無料で読めるものである。

前半部分の漫画はすでにどこかで読んだことがあった。
後半の文章はかなり長いが一応読んでみた。

NHKのアナウンサーも最初はNHKというショバでNHKという看板を背負って、
認知度を上げていく。
売れっ子になればNHKを辞めてフリーランスになるわけだが、
そこには何らかの「仁義」「年季奉公」的な制度があるのだろう。
プロ野球選手もそうだ。
フリーになるのは何かやりかたがあるようでないようで、
興味がないので詳しく調べようとも思わないが、
何か円満退社するだんどりというものがあるのだろう。

私の知る限りアニメのプロダクションなどは、最初は正社員もしくは正社員に近い待遇だが、
正社員のままではいつまでも給料は上がらない。
契約社員になっていくつかのプロダクションを掛け持ちした方が儲かるということになり、
さらにはフリーランスになったり起業したりして、
人や金を使う側に回るとやっと飯を食い家を建て家族を養えるようになるそうだ。
デザイン事務所も個人経営の小さなところが多い。

アニメもデザインもだいたいは美大出の仕事であり、
美大出身の人間しかいない業界はこんなふうになりがちである。
佐藤秀峰も武蔵美の出だわな。
だが、新聞業界や出版業界は違う。
一流大学出のエリートが牛耳っている。
政治家になろうか実業家になろうかという同輩がうようよいるなかで、
たまたま文学が好きで、
出版業界に入ってくる。
だが漫画家はそうではない。たいてい学歴は無い。
漫画家はアイドルタレントに似ている。
本人に実力があるかどうかは大した問題ではない。
ある種の愛嬌と個性があればそれでいい。
業界に取り込まれて、がんじがらめにされて、
足抜けできなくされる。
同じクリエイティブな職種でも、
そこがアニメーターやデザイナーとは根本的に違うところだ。

アニメーターの劣悪な労働環境を考えるとどちらが良いとも言えない。
どちらも悪いとしかいいようがないが、
ともかく、
佐藤秀峰はそういう地雷をどんどん踏みつけていった。
彼は学閥エリートの社会と、
美大という自由な世界のちょうど中間点にいた。
でまあ、この漫画貧乏を読んでいると、
出版業には、出版業界にはやはり関わらぬ方がよいと思う。
他人に恩を売るのも売られるのもまっぴらごめんだ。

作品そのものより名前を売りたいとか名を残したいというのならともかく、
クリエイティブな仕事をしていればよいというだけなら、
どこかの小さなデザイン事務所でちらしや名刺のデザインしてたほうがましだろう。

漫画 on Webは偉大な試みだったがたぶんそんなには売れないだろう。
彼はいろんな新人漫画家の参加を期待していたようだが、
そんなに良い人材はうまく集まってこない。
けっきょく佐藤秀峰一人のウェブサイトになってしまい、
それ以上に広がらない。
[電脳マヴォ](http://mavo.takekuma.jp/)のほうがまだましかもしれない。
竹熊健太郎は佐藤秀峰のやり方を良く観察してあのようなサイトを立ち上げた。
良い新人が集まっているかどうかわからんが、
少なくとも多様性はある。

キンドルの良いところは個人作家の多様性があることだと思う。
誰でも小説を書いて出版することができる。
大半はつまらんが中には良いものが含まれる可能性がある。
出版社や編集者にいじられることなく。
意外性や偶発性がある。
もちろん胴元のアマゾンの意向には逆らえないが。

佐藤秀峰のデビュー前の作品は絵は下手くそだが、それなりにストーリーは面白い。
もしブラよろでブレイクしなければ、
ああいう地味でアシスタントも使えない下手な絵の面白い漫画をこつこつ書き続ける、
味のある貧乏漫画家になったのではなかろうか。

他人の力を借りようとすればたかられる。
他人とつるもうとすれば身動きとれなくなる。
そういうことはできるだけしないつもりでいる。