梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件

慶応四年、「神仏判然令」。
明治三年、「陰陽寮」廃止。
明治四年、廻国聖(山伏?)、普化宗(虚無僧)廃止。
明治五年、修験道廃止令、修験者(山伏)を天台宗か真言宗に帰属させる。
明治六年、梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件

「梓巫」は「あずさみこ」と読むらしい。「梓巫子」とも。「市子」(いちこ)は梓巫女にほぼ同じ。歩き巫女

梁塵秘抄

我が子は十余になりぬらん 巫(こうなぎ)してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むと いかに海人(あまびと)集うらん まだしとて 問いみ問わずみなぶるらん いとおしや

梓巫女梓弓を鳴らす。

「憑祈祷」これはそのまんまか。

憑依。鎮魂帰神。神懸かり。『英霊の声』川崎君。

口寄せ」陰陽師が寄り人に物の怪を憑依させて口走らせること。筆記するのは「お筆先」みたいなものか。「神おろし」トランス。エクスタシー。入神、脱魂、恍惚、三昧、法悦。

「孤下ケ」(きつねさげ)。「狐憑き」「稲荷下げ」

イタコ
ユタ
霊媒
降霊術
交霊術
ネクロマンシー

明治初年の民間宗教禁止令

まー、普通に禁止されて当然だと思う。民間信仰から国家神道へ集約、ってことですかね。

万歳

[半七捕物帳 三河万歳](http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/997_14994.html)
に屋敷万歳や町万歳、出入り万歳、乞食万歳、
などという言葉が出てくるが、
普通の国語辞典や古語辞典を見ても意味が通じない。
ネットを検索してみると、
正月に武家屋敷や町屋などを回って、悪鬼を祓い福をもたらす芸のようなもの、
千秋万歳というのが正式らしい。

[コトバンク](http://kotobank.jp/)

> まんざい【万歳】

> 民俗芸能。祝福芸,門付芸の一つ。正月に家々の座敷や門口で予祝の祝言を述べたてるもので,〈千秋万歳(せんずまんざい)〉の末流と考えられる。平安時代後期成立の《新猿楽記》には〈千秋万歳之酒禱〉と見え,千秋万歳はこのころすでに職能として存在していたと思われる。鎌倉時代以降には宮中をはじめ寺社,武家などの権門を訪れるようになり,室町時代の中ごろには一般の民家にも門付してまわるようになった(《臥雲日件録》)。

> せんずまんざい【千秋万歳】

>〈せんじゅまんざい〉とも読む。正月の祝福芸能の一つ。また,それを業とする者をさす場合もある。鎌倉期では《明月記》《勘仲記》などにその参入の記事がみえる。《名語記》によると散所法師が初子の日に家々を訪ねて行う祝言芸で,それによって禄物を得たという。室町期に入ると,声聞師が正月に禁裏(5日),公方邸(7日)をはじめ,諸家に赴いて,千秋万歳を演じ,曲舞を舞った記録が多い。

岩波古語辞典

> 年の初め、家々を訪れて、家門・寿命の長久を祝い、歌舞を演じて回った下級の法師・陰陽師。

> 今日万歳参啓、祝言、退出。

> 一種の乞食輩、歳首に人家に到り祝言を歌ふ、世に之を万歳と号す

万歳はマンザイとも読み、漫才に通じるという。
もともと漫才は正月にやるおめでたい芸能だったのかもしれず、
今の正月三ヶ日のテレビ番組にその痕跡があるといえるのかもしれない。

尾張万歳というものもあるらしく、三河万歳とか、もともとあの辺りから回ってくる渡り芸人的なもの、
もしかすると熱田神宮や伊勢神宮なんかに属する祝(はふり)や巫女(かむなぎ)などの渡りの神職とか、山伏などと関係するものなのかもしれない。

『半七捕物帳』は関東大震災以前に書かれた時代小説なので(※連載後半は違う)、東京にも江戸の町並みがほぼそのまま残っていただろうし、
作者の岡本綺堂も、江戸時代の生き証人から直接話を聞くことができたのだろう。
江戸時代のことをうだうだ書いている私にとっては、当時の江戸の雰囲気が感じられる、非常に貴重なものだ。
明治維新からまだ50年弱しかたってない。
彼にとっての江戸は、私にとっての昭和30年代みたいなものなわけだ。

野村胡堂は、文藝春秋から「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され、『銭形平次』を書いたという。
昭和の戦前戦後に渡って書かれたものだ。
『新選組始末記』は昭和の初め。
『鬼平犯科帳』ともなると完全に戦後だ。
このへんになるともうあまり役に立たない。
永井荷風の作も、役に立つような立たないような。

もっと江戸や明治の小説をきちんと読まねばな。

> 「どうだ、半七。けさの行き倒れは、何者だと思う。あんな因果者を抱えているのをみると、香具師やしの仲間かな」と、弥兵衛は云った。

> 「さあ、手のひらの硬い工合ぐあいがどうも才蔵じゃねえかと思いますが……」

> 「むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄が合わねえじゃあねえか」

> 「ごもっともです」と、半七も考えていた。「しかし旦那の前ですが、その平仄の合わねえところに何か旨味があるんじゃありますまいか。ともかくもちっと洗いあげてみましょう」

「平仄が合わない」こんな使い方するんだな。

才蔵。

> 雑芸人の名称。千秋万歳や万歳はふつう2人一組で演じられ,一方を太夫,一方を才蔵と称する。
万歳は太夫と才蔵の掛合が基本で,太夫は烏帽子,直垂(または素襖)姿,才蔵は投頭巾(大黒頭巾)に裁着姿が一般的である。シテ役の太夫は扇子を持って千代万歳の祝言を言い立て,才蔵はワキ役で太夫の語りの間をぬって相槌を打ち,鼓を打ち鳴らし,囃したり,歌ったりしながらモドキの役割と滑稽な三枚目を演じる。

> 正月の万歳に小鼓を打ちながら大夫の相手をして人を笑わせる役

> 才蔵は飲みかねまじき面っ付

「やあぽんぽんの才蔵」とは、よくわからんが、要するに太鼓叩きの芸人、とでもいう意味か。

悪質な香具師に因果者師というのがいて、身障者を見世物にして、
「親の因果が子に報い」などとやったらしい。
なので、香具師が子供を抱えて行き倒れしたなら平仄が合う、太鼓持ちだとちとおかしい、そう言いたいわけだ。
で実際この子供は生まれつき犬歯が生えた鬼っ子で・・・。
なんかむずいな。

まとめのまとめ

まとめをまとめとく。

[やまもといちろう「いい加減にしろハゲ」 岩崎夏海「金もらわなければ作品作れないというやつがクリエイター名乗るのは…」](http://togetter.com/li/483849)

[古本じゃなく新刊を買ってほしいなぁと漫画家が呟いたら、何故か叩かれた](http://togetter.com/li/338917)

ていうか、こういうのって反論がどうとか、どちらが正しいかでなくって、つい突っ込みたくなるネタなんだろうなあ。

生前売れなかった作家もいるしな。
ジョン・ロック、モディリアーニ、ゴッホ、中島敦、いくらでもいる。
北大路魯山人だっていまkindleで売れているのは無料本だからだよね。
たとえ売れなくても死後残ってくれれば良い、というのも執筆動機の一つ。
もひとつは、今の仕事を定年退職まで惰性で続けたくない。
そのため別の収入が欲しい。ただそれだけ。

不知所終堂

kdp で割と改版する方なんだが、
アマゾン見てると、「出版社」を書かないと、版も表示されないような気がするんで、
とりあえず出版社名を決めようと思い、
「不知所終堂」
とすることにした。
読みは、フチショシュウドウ、かな。
ややこしい名前だ。
不知所終堂店主こと田中久三ということでよろしく。

google play books なんだが、これで出版しようとするとかなりややこしいようだ。
ペンネームで著者紹介なんかを入れようと思うと、
まず、
google+ でペンネームのアカウントを作らねばならぬようだ。
それから google books に epub かなんかでコンテンツをアップロードして、
「Google ブックス パートナー プログラム」というものに登録して、
あとは kdp みたいな感じに値段きめて、
レビューされて、
掲載されるという段取りのようだ。

正直めんどくさい。
それに kdp セレクトみたいなキャンペーンもないようだから、
たぶん出版しても埋もれてしまう。

また google play と amazon の両方で出版すると
kdp セレクトから外れて印税も半分になるしキャンペーンもできなくなる。

どうもねえ、今のところ kdp だけにしておくのがいいんじゃないかねえ。

PC で読んでるとどうしても流し読みしてしまうからアラに気付きにくい。
kindle だと一度に読める文字数が少ないから、自然と精読することになり、
誤字脱字に気付きやすい。
同じ文章でもまったく印象が変わってしまうから困る。

google play books

android のスマホで小説読んでる人がいたから見せてもらったのだが、どうみても kindle アプリではない。
google play トップにはいきなり書籍というボタンがあり、そこからいろいろ小説が読めるようになっている。
で、sony xperia で試してみたら、どうやら google play books という google 純正の電子書籍リーダー。

google には kdp のようなもんはないからここで自分の小説を売るわけにはいかん。
だが、google play books は今後ものすごく流行るような気がする。
なぜってスマホだろうがタブレットだろうがいきなり本が読めちゃう。
kindleアプリは自分で探してこなきゃインストールされないが、
google play books ならほとんど自動的にインストールされちゃう。
そこには青空文庫のタダの小説もあり、
ついでに有料の小説を買う人もいるだろう。

iphone や ipad は廃れると思う。
主流はタブレットではなくスマホ、それも android。
タブレットを持ち歩いている人を見たことない。
いやたまには見かけるが電子書籍専用端末もってるやつは皆無。
皆無と断言できるくらい皆無。
これはね、もう勝負ついたんじゃないかと。

誰か私をフツーの幸せにして

私小説か自伝のようなものかと思ったら、すごくまともでびっくりした。
ちゃんとタネがある。
文章や構成をいじってくれるプロの編集がついている。
よくある自己啓発本だってことが最後まで読むとわかる。
いやしかしこれは普通に楽しめる本だと思うよ。

ヒストリエとか

KDP をやり始めて、おぼろげではあるが、読者がいて、他にどういう傾向の本を読んでいて、
どんな感想を持っているのかが、わかるようになった。
パブーの頃はPVとダウンロード数とコメントしかないのだが、
コメントはほとんどもらえなかった。
第三者の意見というのがほとんどまったくわからなかった。

でまあ、今は『川越素描』の無料キャンペーンをやっているのだけど、
いっそのこと『エウメネス』を無料キャンペーンにしようと思ったが、
せっかく有料で買ってくれた人がいるのにすぐに無料にしては失礼な気がするので後回しにするが、
他に広報手段もない私としては、定期的にすべての本を無料キャンペーンしようと思っている。

『川越素描』はもともと、現代のストーリーと過去のストーリーが並行する話にしたくて、
現代の話から歴史の話に誘導した方が読者がその世界に入っていきやすいだろうと思ってそうしたわけだが、
こういうのは普通タイムスリップというSF仕掛けになっているのだが、私はそういう手垢の付いた手法はいやだったのと、
『千夜一夜物語』的な入れ子になった劇中劇が書いてみたかったので、
実験的にあんなぐあいになったのである。

今から読んでみるとあまり読みやすくない。
というか無駄にストーリーを複雑にしてしまっている感もある。
しろうと向けでは決して無い。普通の小説を読み飽きた人なら面白いと感じるかもしれない、という程度。
最初にプロットだけ決めて書き始めたら膨大な量になってしまった。
考えながら書いていったという意味ではまさに『素描』かもしれない。
『素描』というよりは『実験作品』、かな。

またジャンルを間違えてしまったが自分では変更できない。
「世界史」ではない。
「日本史」だ。
KDPの中の人にお願いしなきゃいけないのだろうか。

山崎菜摘というキャラにしても無理があると思う。
所詮こんな女性はいないと思うのだ。
文学少女といっても扇毬恵くらいにしておくべきだと思う。
仁科世津子の方がまだ現実的かなと思う。

今なら歴史初心者向けに書くなら全然違う書き方をすると思う。
多少構想はある。
たとえば歴史好きな男とパワースポット好きな女がどうしたこうしたとか。
歴史蘊蓄が大嫌いな京都の舞妓さんとか。
歌物語的百人一首とか。
ようはまあ、初心者は知識が限られていてその外の広がりを知らない。
まずは誰もが知っている知識でもって興味を持たせて、どんどんその外まで連れ出さなくてはならない。
知識が増えて世界が広がるほど歴史は面白くなる。
そのおもしろさを体験させたいわけである。
そうすると入り口は正門がよい。
いきなり勝手口から入れようとしてはダメ。

『アルプスの少女デーテ』『司書夢譚』なども入れ子構造、多重構造の話になっている。
『セルジューク戦記』なんかも、時系列だが西欧、東欧、中近東、中東の話が並列しててややこしい。
そういう複雑な構造をした話を書くのに凝ったこともあったが、
ここらへんで新規読者を獲得するのはたぶん無理だろうと今では思ってる。
もっとシンプルな話の方が良い。

『エウメネス』はたまたま実在する『ヒストリエ』という漫画とネタがかぶったのだけど、
キャッチーな主人公を使った小説というのも、やはり読者を誘導するには必要な気がしてきた。
坂本龍馬とか土方歳三なんかの話は絶対書かんけどな。

『ヒストリエ』の主人公がなぜエウメネスなのか、ということを考えてみるに、
たぶん、アレクサンドロスをそのまんま主人公にしてはあまりに破天荒でなんでもありのキャラになってしまうし、
特にファンタジー仕立てにするとコントロール不能になりかねん。
キャラとしても手垢が付きすぎている。
自由にいじれるキャラがほしい。
そこでアレクサンドロスの後継者の将軍たちの誰かを主人公にしようとした。
エウメネスは前半生が不明なのでキャラを造りやすいから、
アレクサンドロスと出会うまでのいろんな話をこしらえて、
ペルシャ征服の話も書いて、
そのあとの継承者戦争も書こう、ということだろう。
そうすると10年くらいの連載になってもおかしくない。
むしろ、長期連載するためにエウメネスを主人公にしたのだろうと思う。

私の場合もやはりアレクサンドロス大王ものを書きたかった。
一番興味があったのは王妃ラオクスナカ(ロクサナ)がペルシャの王女だったということと、
アレクサンドロスがスーサで合同結婚式をやったということ。
なぜ王は自分がペルシャ人と結婚するだけでなく将軍たちにもペルシャ人と結婚させたのか。
もひとつはゲドロシアの話が面白いと思ったからで、
それらを組み合わせて短く簡潔にまとめようと思った。
つまり最初からコンセプトも尺もヤマもオチもまえふりも、全部決めてから書き始めて、そのとおりに書いたたわけで、
『川越素描』の頃からするとだいぶ進歩している、と自分では思っている。
内容が、というより、執筆の仕方が、という意味だけど。

私は一人称で書くことが好きなのだが、それはあきらかに FPS の影響であり、
日本の私小説の影響ではあり得ない。
つまり「自分」とか「実体験」を描きたいのではない。
「自分」の見たモノをありのまま読者に追体験させたいからではない(ただし『安藤レイ』は途中までは実体験なのだが、これは個人的な入院日記のように見せかけて、だんだんSFミステリーのようにしていくという実験。『紫峰軒』はモノローグ、一人語りだといわれても仕方ないかもしれないがもちろんフィクションである)。
自分が作り出すフィクションの世界の中に読者を完全に埋め込みたいから、
immersive な感じ(※没入感。バーチャルリアリティ用語です)を出したいから一人称にしているに過ぎない。
さらに『アルプスの少女デーテ』『巨鐘を撞く者』では一人称視点が次々に切り替わっていく。
プレイヤー変更あるいはジョブチェンジとも言えるし、ルポルタージュ形式とも言える。
実際、『巨鐘を撞く者』は子母沢寛『新選組始末記』を真似たものである。

エウメネスはアレクサンドロスを描くための三人称視点として選んだ。
つまり TPS 的な手法でアレクサンドロスを描きたかった。
一番王に近い視点に読者をおいて、王の実像を描きたかった。
歴史上伝説上の王、超人的な英雄、現人神的なもの、ではなく、
目の前に実在し、今まさに生きていて、会話できる、等身大で生身の王、というものを。
これはつまり NPC (Non playable character) 的な表現だと思っている。
アレクサンドロスを観察しているエウメネス、という構図。二人称視点、とも言えるかもしれない。

だいたい私は学者か詩人か芸術家、技術者を主人公にすることが多い。
さらに彼らを視点として王とか将軍を描く。
アレクサンドロスに対するエウメネス、
北条時行に対する宗良親王、
明治天皇に対する高崎正風、
ナポレオン三世に対するアルムおじさん、
サンジャルに対するオマル・ハイヤーム、などなど。
まったくそうではない小説を書くこともあるが、自身が学者であり詩人であると思っているので、
その方が自分を歴史の中に投映しやすいし、
従って小説を書きやすい。
というより、そっちの方向にプロットが流れやすい。
読者もまたそうであるとは思わないがそうしないとそもそも小説が書けない。

『ヒストリエ』もまたエウメネスに感情移入させたいのだろう。
あれはしかし古代ギリシャを舞台としたファンタジーものだから、
そういうものが好きな著者がそういうものが好きな読者をひっぱっていけばそれでいい。

ちなみに『ヒストリエ』を直接読んだわけでなく、
いろいろ調べてそんなんだろうなと思っただけである。
私の話というのは、古代ギリシャ史と言うより、
古代アジア史とかペルシャ史とかヘレニズムとでもいうもので、
テイストは全然違うと思う。
少なくとも西欧視点ではない。

歌学

今の時代にも、西洋古典音楽の作曲家というのはいるわけで、
ピタゴラスがとかバロックとか楽典がとか和声とか対位法がとか学んだ上で、
それらを克服して、現代音楽、前衛音楽を作曲したりするわけだが、

和歌を詠むにも、
そういう古典から順々に積み重ねていき、
その精華として現代的前衛的な和歌を詠むということはあってしかるべきだが、
そういう歌人は現代には一人もいないように思われる。
そういう教育手法もなければ研究者もいない。
研究と実作ということを少なくとも宣長の時代までは普通にやっていた。
今はただ昔はこんな和歌がありましたという学者がいて、
歌人は歌人で好き勝手に詠んでいる。

後村上天皇の歌が京極派の影響を受けているのは間違いないと思うが、
南朝は京極派ではなく二条派だということになっている。
後村上天皇の周囲、というか、南朝の歌集には、京極派的な歌を詠む人は、
後村上天皇以外にいない。
彼がたまたま突然変異なのか、京極派を独学したかと思ったのだが、
何かミッシングリンクのようなものがあるんじゃないかと思う。

仁和寺

久しぶりに仁和寺を訪れたのだが、
明治の初めころにほとんど焼失してしまい、
明治42年頃に再建された建物がほとんどであるという。
明治42年というのは日露戦争の後だから、国力にもずいぶん余裕が出来た。

仁和寺というのは、
むろん大昔から続いているわけだが、
実質的には明治の建造物であって、明治維新と日露戦争を記念するモニュメントであって、
そういう意味では明治神宮や、戦前の明治宮殿に類するものだろう。
平安神宮や京都御所もそうだろう。
そう思ってみないとわけわからん。
仁和寺を、京都にあるあまたの寺の中の一つだと思って眺めても何も見えてはこない。
寺院なのに仏教色が非常に少ないのも明治という時代だからだ。
ただ歴代門跡の位牌が置いてある場所だけが仏教的聖域。
いわば、普通の住宅の中に一部屋だけある仏間のようなもの。
それ以外の場所は、たぶん皇族が京都に滞在するときに実際に利用した住居だったのではないか。

京都という町自体が、その多くが、日露戦争による国力伸長後に、
国家権力の象徴として整備されたのだと思う。
そういう意味では極めて人工的な都市だ。
天然自然に平安朝から続いたものではない。
もし明治という時代がなければ、京都は多くの地方都市の中の一つに過ぎなかったのではなかろうか。

これに対して知恩院などは完全に日本仏教の総本山的な存在なのよね。

二条城は、江戸城が失われた今、一般人も見学できるという意味で非常に貴重な建物だと思った。

愛国百人一首

[愛国百人一首](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96)
というものがあって、
斎藤茂吉が
[愛國百人一首評釋](http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/46880_40531.html)
というものを書いているのだが、
どう見ても、愛国の歌とは思えないものまで混ざっている。
たとえば香川景樹

> ひとかたに靡きそろひて花すすき風吹く時ぞみだれざりける

これは単に自然の情景を詠んだ写生の歌であり、どこが愛国なのかと。

> 作者は、かういふ光景に目を留めて、感動したことは一首の歌調によつてうかがふことが出來る。

ススキが風に一方に靡いた光景に、景樹は感動したんだろうな、と言っている。
たぶん、感動したから詠んだというより、目の前の光景をありのまま描写したかったのではなかろうか。

> 作者は專門歌人だから、あらはに寓意を出すといふやうなことはせぬが、この一首は、大事に當つて心みだれず、動搖せず、同心一體となるべき自然の道理を暗示し象徴するものとして、このたび百首の一つ選ばれたのであつた。

この解釈があまりにもおかしい。
なわけないだろうと思う。
別に国の機関がこれを愛国だと決めたからといって民間の歌人までそう解釈しなくて良いのではなかろうか。
ていうか、斎藤茂吉が国に頼まれて選んだとしたら、なんというアホだろうかと思う。
時代が時代だけに、彼個人の責任にするのは酷かもしれんが。

> 香川景樹は、すなはち桂園派の元祖で、天保十四年七十六歳で歿した有名な歌人である。生涯古今集を手本とし、貫之を目標として勉強した。多くの門下を養成し、著書に桂園一枝、同拾遺、古今集正義、新學異見、土佐日記創見等がある。この歌は、桂園一枝、秋歌に、「薄隨風」といふ題で載つてゐる。

まあ、通りいっぺんの紹介だわな。
ていうか、香川景樹ほど「愛国」な歌を詠まない人はないと思う。単に有名人だから挙げただけなんじゃあるまいか。

> 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

この実朝の歌にしても、後鳥羽院に対して幕府と朝廷に二股かけてるわけじゃありません、誓っているだけであり、
実朝と後鳥羽院は親戚関係でもあるのだから、
これくらいのことは言うだろうし、
愛国というには少し違うのではないか。

> 大宮の内まで聞ゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び聲

これを

> まことに盛んでおめでたいことでございます、といふ意が言外にこもつてゐる

と解釈するのは、不可能ではないが、かなり強引だ。
江戸後期以降の愛国の歌ばかりではバランスが悪いからと愛国的な古歌などを見繕った、
それも万葉時代の武人が詠んだ露骨な歌というよりやや雅な歌を意図的に選んだのだろう、と思うが、
おかしすぎる。
まあ、戦時中の斎藤茂吉がおかしくてもなんの不思議もないのだが。

> 男山今日の行幸の畏きも命あればぞをろがみにける

これは江戸末期の大隈言道の歌。
孝明天皇が石清水八幡宮に行幸したときの歌だろう。明らかに北畠親房の

> 男山昔のみゆき思ふにもかざしし春の花ぞ忘れぬ

の本歌取りなわけだが、元の歌はまあまあとして、大隈言道の歌は、どうみても佳作とは言いがたい。
なんとかならなかったのか。
大隈言道最晩年七十歳くらいの歌だから「命あればぞ」となるのだろうが、
それはわかるが、だがそこまでの歌だと思うんだよなあ。

私ならもっと違う歌を百選ぶと思うがなあ。
幕末より前のでも、いくらでもあるのに、と思う。
たとえば上の北畠親房の歌は入れてもいい。
宗良親王の

> 君のため世のため何か惜しからむ捨てて甲斐ある命なりせば

は当然入れるべき。

なんかね、戦争で和歌が亡びたのではないと思うな。
こういう戦時中のお抱え歌人たちの歌の目利きがひどすぎた。
あと、民間人もそれに踊らされて盛んに愛国的な和歌を詠んだが、逆にそれがいけなかった。
民間人が世の中の流行に流され、熱病に罹ったように、わけもわからずそんな歌を詠んではいけない。

戦後、和歌は軍国主義といっしょくたにされ、プロパガンダとみなされ、
オーストリア人やドイツ人が作詞作曲した軍歌と同様な運命をたどった。
本来ならばドイツ音楽というのはそれなりに価値のあるものだと思うし、
今聞いてもそんな悪くない。
だが戦後封印されてしまった。

戦後の日本酒の運命にも似ているな。
まがい物が氾濫した結果、古き良きものまでいっしょくたに嫌われてしまう。