甲府勝手小普請

甲府藩藩主は家綱・綱吉時代には松平綱重と、その息子の綱豊であったが、
綱豊が綱吉の跡継ぎ家宣となったために甲府は没収されて綱吉の寵臣柳沢に与えられた。
家宣が将軍になり、柳沢吉保は失脚したが、そのまんま甲府藩主だったが、
吉宗の代、というより、吉保の子供の代に転封され、甲府藩十五万石は幕府直轄に戻された。
長男吉里は大和国郡山藩十五万石に移され、その弟らにも一万石が与えられたというから、
懲罰的な転封ではなく実質加増だった、とも言える。

いずれにしても江戸周辺は幕府直轄か旗本の料地になって、たいていは代官が治めていた。
司馬遼太郎『燃えよ剣』では、農民が武装して剣法の修業も勝手し放題だったために、
近藤勇や土方歳三のような農民上がりの武士が出てきた、と言っているが、
ともかく関東近辺は、国定忠治みたいな、武士階級ではないが長脇差しを指した、
農民なんだか無宿人なんだか渡世人なんだかのような連中の温床になっていた。
江戸後期の旗本というのは根っからの怠け者で、無為無能で事なかれ主義なので、ろくに取り締まりもしなかった、と思われる。

ウィキペディアの「甲府勤番」に「甲府勝手小普請」というのが出てくる。

> 老中松平定信が主導した寛政の改革においては不良幕臣対策として甲府勝手小普請が併設される。慶応2年(1868年)8月5日には甲府勤番支配の上位に甲府城代が設置され、同年12月15日には甲府町奉行が再び設置され、甲府勤番の機能は城代、小普請組、町奉行に分割された。

> 甲府勤番は元禄年間に増加し幕府財政を圧迫していた旗本・御家人対策として開始されているが、旗本日記などには不良旗本を懲罰的に左遷したとする「山流し」のイメージがあり、「勤番士日記」にも勤番士の不良旗本の処罰事件が散見されている。
勤番士の綱紀粛正のため半年に一度は武芸見分が実施されており、寛政8年(1796年)には勤番支配近藤政明(淡路守)、永見為貞(伊予守)により甲府学問所が創設され、享和3年(1803年)には林述斎から「徽典館」と命名され昌平坂学問所の分校となった。

でまあ、「山ながし」とか「勝手小普請」というのが「窓際族」とか「左遷」とかのイメージに結びついて、
一生懸命出世街道を目指して頑張ったのに田舎に左遷されたとか閑職に回されたとか、
そんな戦後日本のサラリーマン社会をそのまんま江戸時代の武家社会に投映したような時代小説(気持ち悪くてあまり好きなジャンルではない)に使われることが多いように思われるが、
事実はもっとやばいものだっただろう。
博打や借金踏み倒しでとうとう懲戒処分を受け、飼い殺しにされた不良浪人、という表現が当たっていよう。
江戸で手に負えない乱暴者を甲府なんてところに追いやったのだから、虎を野に放つ、という言い方の方が近かろう。
源為朝を九州に追放するようなもんだ。
甲府の治安はそうとう悪かったに違いない。
だからこそ「甲斐一国一揆(天保騒動)」のようなことが起きたのではないか。
関東の無宿人、渡世人らと、勝手小普請が主犯。
いわゆる百姓一揆とか、飢饉による打ち壊しというのとはかなり違ったんじゃないかと思う。

> 吟味では無宿人の頭取をはじめとする500人(130人あまりが無宿人)以上のが捕縛され、酒食や炊き出しを提供した有徳人や村々の騒動関与者も厳しく追及され、頭取ら9人が死罪、37人が遠島となり、関与者を出した村々には過料銭が科せられたほか、三分代官も処罰されている。

もし不良浪人が主犯であればそれは幕府の恥であるから、あまり表には出さず、無宿人のせいにする、
もしくは小普請であったがすでに処分されていたから無宿人か浪人だった、ということにしたのではなかろうか。

> 多摩地域では天保騒動を契機として、豪農層を中心に自衛手段としての農村剣術が活発化している。

これはねえ、順序が多少入れ違っているんじゃないのかなあ。
「勝手小普請」「無法地帯」「農村剣術」というものが流行していたので、
そいつらが臨界点に達して暴走し、
甲斐一国一揆が起き、甲斐一国一揆を参考にして大塩平八郎の乱が起きたんだよ。
幕府とか旗本が弛緩し腐敗してたのが根本的な原因だと思うな。

舞殿

『吾妻鏡』文治2年4月8日

> 二品並びに御台所鶴岡宮に御参り。次いでを以て静女を廻廊に召し出さる。
これ舞曲を施せしむべきに依ってなり。この事去る比仰せらるるの処、病痾の由を申し参らず。
身の不肖に於いては、左右に能わずと雖も、豫州の妾として、忽ち掲焉の砌に出るの條、
頗る恥辱の由、日来内々これを渋り申すと雖も、彼はすでに天下の名仁なり。
適々参向し、帰洛近くに在り。その芸を見ざれば無念の由、
御台所頻りに以て勧め申せしめ給うの間これを召さる。偏に大菩薩の冥感に備うべきの旨仰せらると。
近日ただ別緒の愁い有り。更に舞曲の業無きの由、座に臨み猶固辞す。
然れども貴命再三に及ぶの間、なまじいに白雪の袖を廻らし、黄竹の歌を発す。
左衛門の尉祐経鼓たり。これ数代勇士の家に生まれ、楯戟の基を継ぐと雖も、一臈上日の職を歴て、
自ら歌吹曲に携わるが故なり。この役に候すか。畠山の次郎重忠銅拍子たり。
静先ず歌を吟じ出して云く、

> よしの山みねのしら雪ふみ分ていりにし人のあとそ恋しき

> 次いで別物曲を歌うの後、また和歌を吟じて云く、

> しつやしつしつのをたまきくり返しむかしをいまになすよしもかな

> 誠にこれ社壇の壮観、梁塵殆ど動くべし。上下皆興感を催す。二品仰せて云く、
八幡宮の宝前に於いて芸を施すの時、尤も関東万歳を祝うべきの処、聞こし食す所を憚らず、
反逆の義経を慕い、別曲を歌うこと奇怪と。御台所報じ申されて云く、君流人として豆州に坐し給うの比、
吾に於いて芳契有りと雖も、北條殿時宣を怖れ、潜かにこれを引き籠めらる。
而るに猶君に和順し、暗夜に迷い深雨を凌ぎ君の所に到る。
また石橋の戦場に出で給うの時、独り伊豆山に残留す。君の存亡を知らず、日夜消魂す。
その愁いを論ずれば、今の静の心の如し、豫州多年の好を忘れ恋慕せざれば、貞女の姿に非ず。
形に外の風情を寄せ、動きに中の露膽を謝す。尤も幽玄と謂うべし。枉げて賞翫し給うべしと。
時に御憤りを休むと。小時御衣(卯花重)を簾外に押し出す。
これを纏頭せらると。

「静女を廻廊に召し出さる。これ舞曲を施せしむべきに依ってなり。」
とあるが、廊下で踊ったわけはない。廊下跡に舞殿が作られたというのも変。
しかも今、鶴岡八幡宮には回廊らしきものはないのだから、
当時と今ではかなり構造が違っていたと考えなくてはならない。

回廊というのは普通、拝殿と正門の間にぐるりと巡らし中庭を囲った廊下であるはずだ。
「八幡宮の宝前に於いて芸を施す」とあるから、これは、明治神宮で横綱が土俵入りするように、
静御前は回廊の真ん中の広場で踊ったはずである。
頼朝に見せるために踊ったのではない。少なくとも、形式的には、神前で舞を奉納したのである。

石清水八幡宮は、回廊の中心の広場に仮設舞台が設けられることがあるようだ。
屋根は無い。
おそらくこういうところで、雅楽のような形で伴奏付で舞ったのではなかろうか。

今の鶴岡八幡宮の石段を上がったところにある本宮では、そのような広い中庭を作るような場所はない。
であれば、やはり、石段を下りたところに拝殿、門、回廊があったと考えるべきではないか。
つまり、昔は上宮と若宮(下宮)が直列になっていて、
下宮というのはつまり拝殿のことであり、
拝殿から石段が伸びた上に本殿、正殿、つまり上宮が位置していたのではないかと思う。

でまあなんでそんなことをうだうだ言うかといえば、
『将軍放浪記』で、

> 段葛を進み朱塗りの鳥居を二つ三つくぐると、参道を遮るように舞殿が設けられている。白木造りの吹きさらし、檜皮葺の屋根はあるが壁はない。まるでこの、屋根と四本の柱と舞台で切り取られた空虚な空間が、鶴岡八幡宮の神聖なる中心、本殿であるかのようだ。

などと書いてしまったからだ。
小説はフィクションであるから、舞殿というものも、作者の心象風景でかまわないと思うのだが、
いろいろ調べてみると、今、舞殿とか下拝殿などというものは、おおよそ参道を塞ぐ形であることが多いが、いかにも邪魔である。
昔からこんな配置であったはずはないのではないかと思う。
昔は仮設だったのではないか。
それがだんだんめんどくさいので常設になり、
一番目立つところにあるから華美にもなり、
スポンサーの提灯なんかをぶら下げるようにもなった。

だいたい舞殿の柱は四本というのは少ない。六本、十二本、もっとたくさん、というのもある。
四隅に一本ずつ、四本というのは相撲の土俵とか、能舞台のイメージだと思う。
薪能などは仮設舞台の四隅に柱を立ててしめ縄を引き回すようだが、
だいたいこういうイメージ。
神の依り代となる空間、みたいな。

でまあ、1333年、北条高時が鎌倉で死んだときに舞殿があったかと言えば、
たぶんなかったのだけど、
何度も言うがこれは作者の心象風景ってことでひとつよしなに。

京都

なぜか二泊三日で京都旅行してきた。

京都は、歩行者が散歩しやすい、歩きやすい町だなと思った。
電柱や電線が無いのも良い。
歩行喫煙者も割と少ない。
日本全国、京都のようになれば良いと思う。
もちろん京都が完璧とは言いがたいけど、モデルケースにはなるだろう。

新宿なんかも歩行者が歩きやすいようにできているんだよな。

逆に田舎の狭苦しい道の歩きにくさは異常だわな。
車道しかないから、交通量多いところはもう歩行者は歩かない前提。

鎌倉も少し似てるかもしれん。
でも鎌倉の人の多さは異常。
京都も日によって場所によってはそうかもしれんが、
鎌倉はもう、どこもかしこも混んでてやばい。

なぜか東山のあたりに泊まった。
地下鉄東西線東山駅出たすぐに古川町商店街という狭苦しいアーケードがあって、割と和めた。
地元の人しか飲みに来なさそうな雰囲気を醸し出していたのだが、知恩院から東山駅への抜け道になってるので、
観光客のほうがたくさん来ると言っていた。

祇園とか先斗町とか歩き回ったが、入りたいと思える店がなかったのだが、
鴨川沿いに、日本酒バーとドミトリー(バックパッカーとかが泊まるような相部屋の宿)を兼ねた店があって、
そこのマスターが「モヒカン娘」を知っててびっくりした。
中野にマチダヤという酒屋があるのだが、そこと知り合いだと言う。
世間は狭いものだなあと思った。
「モヒカン娘」というのはつまり、青森の三浦酒造という、
「豊盃」という銘柄の酒をつくっているところに作ってもらった、
マチダヤのオリジナルブランド、ということらしい。
「豊盃」もあったので飲ませてもらったが、だいたい同じ味だと思う。

最近やっと本醸造と純米の味の違いがわかってきたような気がする。
一口飲んでまずいなと思った本醸造でも飲んでるうちにうまく感じてくる。それが困る。

足利氏

メモ。

治承五年二月一日『吾妻鏡』

> 足利の三郎義兼北條殿の息女を嫁す

足利義兼と北条政子の妹・時子が結婚した、ということを指すらしい。

ウィキペディアには、政子と時子は同母姉妹である、と書かれているのだが、
『日本外史』源氏後記北条氏によれば、
時政には女子が11名もいて、そのうち政子は長女、
次女は後妻の牧氏(牧の方)と書かれている。
だから異母姉妹なのではなかろうかと思うが、
『日本外史』が何に基づいて書いているか不明。

政子は美人で次女は不美人、などと書かれているがこの次女というのが時子なのだろうか。
時政の妻には他に伊東、足立が知られる。
北条と伊東はともに伊豆における平氏の家臣であったから婚姻してもおかしくない。
政子は伊東の血を引くということか。

義兼は義純、義助、義氏を産むが、時子の子は義氏のみ。
義純と義助はたぶん時子と義兼が結婚する前に生まれたのであろう。
時子が正室で義氏が嫡男、ということになっている。
義純は畠山氏となり義助は桃井氏となる。
義氏の妻は北条泰時の娘。
畠山義純の継室は時政の娘というから、政子や時子の姉妹なのだろう。
桃井義助には子がいたから妻がいるはずだが、誰かよくわからん。やはり北条氏か。

でまあ、足利氏が大きくなったのは承久の乱のときで、かつ北条氏の娘を娶ったからであろう。
本来北関東出の足利氏が三河に住むようになったのは、
承久の乱のあと義氏が三河国守護(地頭?)となったからで、
義氏は泰時の娘が産んだ泰氏を嫡子としたが、庶出の長氏を三河に住ませて、
ここから吉良氏や今川氏が分かれた。

北条氏は足利氏以上の大族であったはずだが、足利氏と入れ替わりに、北条氏も名越氏もほとんど絶えてしまったのだろうか。
不思議だ。

坊門

坊門信清は後鳥羽院の外祖父。
息子忠信は後鳥羽院の寵臣。
実朝の妻は坊門信子、忠信の妹。
つまり、実朝は信清の婿、忠信の義理の弟。
後鳥羽天皇の女房・坊門局は後鳥羽院の女房。ともに隠岐に渡り、院の死後、京都に戻る。
坊門局は道助入道親王、頼仁親王、嘉陽門院礼子内親王を産む。
道助入道親王は後鳥羽院と礼子内親王の戒師。
礼子内親王は歴代最後の賀茂斎院。式子内親王の四代後。

実朝と後鳥羽院、つまり、実朝と朝廷の間にいたのが坊門ということだわな。
ふーむ。

親王宣下と元服

後醍醐天皇の諡号は生前に本人がつけたというが、
村上天皇は醍醐天皇の皇子なので、
後醍醐天皇の次は後村上天皇になったのだろうか。
朱雀天皇も醍醐天皇の皇子だが、後朱雀天皇は平安時代にすでにいたわけだ。

建武の新政というが、初代神武天皇まで戻ろうというよりは、
醍醐・村上帝の時代の延喜・天暦の治を目指したのかもしれん。

後村上天皇の経歴が実はよくわかってなかった。
1328年9月生まれらしい。年は間違いなさそうだが、月日が曖昧。
1333年建武の新政。
1334年5月、奥州多賀城において親王宣下、
1336年3月、比叡山において元服、三品陸奥太守に叙任、とあるのだが、
調べてみると親王宣下とは幼名を捨てて「憲良」という諱を付けることで、
元服は大人になったという儀式で、大人の髪型、服装に改め、幼名を捨てて大人の名前にする儀式。
だが、おそらく天皇家では、幼い時、元服前に皇太子になったり親王になったり天皇になったりしなきゃならないこともあるから、
元服と親王宣下が分かれたのだろうか。
異様にややこしい。

わざわざ奥州まで下向して親王宣下されておきながら、実際に三品という官位、陸奥太守という官職をもらったのは元服の時、というのもよくわかんない。
そういうもんですか、としか言いようがない。
ともかく、親王宣下というのは、大人になることでもなく官位官職をもらうことでもない、
幼い頃に、親王として生きるか、単なる皇子として生きていくのか、決めること、
つまり、天皇家の家庭の事情で決まることなのだろう。

そんな細かいことまでこだわるべきだろうか。

北畠顕家は1333年に従三位陸奥守になっているので、
憲良親王が陸奥太守になる3年も前だ。
まあそんだけ憲良親王が幼かった、そのためのタイムラグが生じただけで、
建武の新政当初から、憲良親王を陸奥太守、顕家が陸奥守とする予定だった、ということだ。

そこまでこだわるか。
大筋のストーリーにはあまり影響はないけどな。

憲良親王には同母兄の成良親王と恒良親王がある。
母はいずれも阿野廉子。阿野氏は頼朝の父源義朝の血筋に当たる。

成良親王は1326年生まれで1333年親王宣下。
1334年、関東に下向して四品上野太守。
憲良親王とほぼ同じ時期とみてよい。

1335年7月、中先代の乱。
成良親王は足利直義とともに鎌倉を逃れて上洛。
8月、征夷大将軍となるが、
翌1336年2月解任。
11月、北朝第2代光明天皇の皇太子となるが12月に廃される。
北朝第3代崇光天皇が立太子されるのが1348年。同年光明天皇から譲位される。
実質的には光厳院が院政を行ったらしい。
1336年から1348年まで、北朝には皇太子がいなかったということでよろしいか。

成良親王は南朝なのにずっと足利氏に捕らえられていた、ということらしいんだが、詳しいことがまるでわからん。

恒良親王は1324年生まれ。
1334年立太子。
いつ親王宣下されたかわからん。立太子と同時か。
1336年越前金ヶ崎の戦いに敗れ、京都に送られて 1338年に死去したことになっているが不明。

1339年に憲良親王が立太子してその直後に後醍醐天皇崩御。後村上天皇即位。
どうもこのあたり、あとからつじつま合わせをしたような感じがする。

世界史

なぜエウメネスだけ(少ないが)売れるのか。
パブーでも(少しながら)売れたのはセルジューク戦記くらいだしな。
世界史を書けばいいわけ、私は。
ていうかそれ以外無料にして、
「エウメネス」とか「セルジューク戦記」とかで売って、
そっちの方の新作をどんどん書けばいいのかしら。

キャラのせいかな。
他の小説が、あまりにもキャラがマイナーだからかな。
そうかもしれんな。

キャラクターグッズ

KDPで『超ヒモ理論』ってやつだけレビューが終わらない。
後から追加したやつの方が先に出版されている。
たぶん、深い理由はなくて、
ちょうどKDPの調子が悪かったときに登録したせいだと思う。

その他可能性としては、superstring theory ってキーワードで物理関係のレビューに回されて差し戻しとかくらってるとか。
別にどんなタイトルでもいいよね?

『墨西綺譚』。
初めて書いた現代小説。
練習作品のつもりだったが今読むとディテイルの部分で割と笑える。
自分の作品を忘れたころに読み返すのが面白いと感じる性格なのだと思う、自分。
少しめりはりつけて再出版。
これを書いたころは永井荷風なんてまったく読んでなかった。
成島柳北も為永春水も。
このタイトルの小説書いた後で勉強し始めた。

『将軍放浪記』。
これは事実上、一番最初に書いた小説。
やはりかなり加筆修正削除して再出版。

それはそうと某玩具売り場にいったら、
おもちゃというよりはほとんど全てがキャラクターグッズでワロタ。
なんなのそれ。
おもちゃかそれ。
プラモのガンプラばっかだし。

たとえばジャイロとか地球ゴマとかもそのまんまじゃ売ってない。
アニメのキャラクターと抱き合わせで売られている。
まあ、キャラ使えば企画も通りやすい or 資金回収しやすいんだろうな。
ロボットアニメにしろ戦隊アニメにしろキャラで制作費回収してるんだろな。

マーケティングって恐ろしいよな。
そのマーケティングに乗っかって、不本意ながらロボットアニメ作って、ガンダムみたいに後世に残るコンテンツが出る。

キャラクターグッズ売れんとコンテンツ制作は採算とれんということかな。
病んでるなと思うが、しかし人間の脳がそれだけキャラというものが好きなのだろう。
だからゆるキャラとかわらわら出てくる。
キャラ様々。
一発当てるとでかいもんな、くまモンとか。

主体性がないとかいうが、もしすべての人に主体性があったりしたら、社会は一つの方向にまとまって動いていかない。
一つの方向に暴走することはよろしくないとしても、
まるで方向性がないのもよろしくない。
そういうわけで社会にはある一定の割合で主体性のない人が含まれる。
その割合というのはかなり高い。
そういう人たちが多数派を占めていないと社会は成り立たないし、新規事業も立ち上がらないし、従って社会の進化もない気がする。
ある特定の主体性のあるひとが社会を変えていく、というよりは、
社会はある一定の割合で規格外の人間を生み出して、社会に変化を与えようとするのだろう。

日本の電子書籍

[マンガ抜きに、電子書籍は制覇できない](http://toyokeizai.net/articles/-/11724?page=5)

> おそらく、ベゾス氏が期待しているのは、出版社提供の電子書籍の売り上げからマージンを得るビジネスではない。本命は、アメリカで成功した「キンドル・ダイレクト・パブリッシング」だろう。すでに、アメリカではここからミリオンセラーを出す作家が誕生している。

今、kindleがどうしたこうしたと言っている人のほとんどは、ずっと昔から出版業界にいる人だと思うのだが、
既存業界が、アマゾンにマージンを取られつつ、収益を上げられるとはとても思えない。
既存の紙媒体のコンテンツを電子化する手間。
けっこうやばいと思う。

たとえば私はできるだけ本は買いたくないから図書館で借りてくる。
しかし中には、電子書籍として新たに金を払っても買いたいものもある。
たとえば岩波文庫『日本外史』とか。
丸谷才一『後鳥羽院』とか。

『後鳥羽院』文庫化されたよね。
丸谷才一が死んだからかな。
でも kindle 版が出ない。
kindle 版で丸谷才一検索してもほとんどみつからない。

既存の出版社がまるごと kindleに本を出せば多少賑わうだろうね。
それは kindleにとっては良いことだ。
でもそういうことは今後もないんじゃないか。
kindle だけだと誰も幸せになれない。
kdp で個人が直接出版する時代が来ないと。
長い年月と、ノウハウの蓄積が必要だ。

出版業界以外の人で kindle が、といっているのは一部のプロの作家と一部の同人作家。
私はそのどちらでもない、たぶん。
非常な孤独を感じる。

最初から電子書籍にできる形で入稿すればよい。
最初から電子書籍でも出力できるワープロにすればよい。
しかし未だにたいしたワープロはない。一太郎ですら。
シェアという意味では microsoft word が正式対応してくれないとどもこもならんと思う。

アマゾンは正しいし、アメリカの先行事例のようであるべきだ。
英語だと読者が数十億いるからミリオンセラーが出てきてもおかしくない。
kdp やるならほんとは英語で書くべきなんだろうね。
日本語では読者は一億人くらいしかいない。
どうするよ。
死ぬ気で英語の小説読んで、自分でも英語で一から小説書いてみるか?
ていうか日本史にしろ世界史にしろ英語で書いた方が絶対売れるのは、言うまでもなくわかっている。
さらにいえば、別に日本人だけに読んでもらいたいとも思ってないし、日本人向けに書いた内容でもない。
いやしかしね、自分の書く英語が世界に通用するようなもんじゃないことは、自分で知ってる。

> 日本の電子書籍市場は、昨年時点で629億円。そのうちの約8割がエロ系漫画を中心とした漫画コンテンツだ。この市場は日本独特のガラケーによってできあがったものだが、キンドルは漫画を読む端末としては優れていない。

確かにガラケーはエロ漫画端末としては優れてただろうね。
そういう需要もあるだろうが、
活字を読みたい人ってそんなに少ないのかね。
みんなが漫画、それもエロ漫画を読みたいかね。

kdp というメディアには kdp に適したコンテンツを作ればいいだけじゃね。
既存のメディアや業界のことをあれこれ言っても仕方ないと思うんだけど。

[電子書店はみな赤字?](http://mayer.jp.net/?p=1678)

で、日本の弱小電子書籍が軒並み撤退する。
全部 DRM で保護されているから、読めなくなる。
なんなんだよそれは。
また、PC-98 や MZ の歴史を繰り返すのかね、日本は。
あほか。
ていうかソニーはどういうつもりで電子書籍始めたのだろうね。
とりあえずかね。

紙の本と KDP と同人誌

[KDPと、本屋と同人誌即売会の境目が無くなった空間](http://colorfullife.hatenablog.com/entry/2013/03/24/091039)

> 「同人誌即売会で”個人が作った本”を買って読む」という同人誌特有の楽しみ方(読書体験)が、KDP本にあるかないか。

ええっと。
いやそれはないです。
少なくとも私にはない。
同人誌買いに行かないし、自分。

あなたがいて私がいて、私の本があります、とかそんな売り方したいんじゃないし。
他の人はどうか知らんが。

本屋は本屋です。

同人誌は KDP と似てる。
同人作家の中には KDP 的なものを志向するする人、つまり、ごく即物的に、ネットで勝手に自分が書いたものを通販出来ればそれで良い、
と思う人もいるかもしれん。
同人誌とかうざいが KDP なら対面販売する必要もないし、とか思う。それが私。

即売会で偶然面白い本に出会う、ということを私はしない。
その場にいかなければ買えないとか出会えないというようなことを求めてない。
少なくとも今までの人生でそんなことしたいとまだ思ったことがない。
MMORPG とかもやらん。
やるとしたらもっぱらシングルプレイヤーのゲーム。
アマチュア無線も免許は取らされたが好きになれんかった。
関係あるかどうかしれんが。

ネットは24時間365日いつでもどこでも買える。アマゾンがキンドルやめない限り、絶版もない。
電子書籍は何十年も何百年も残る。
私が死んだあとも私の著書は残る。
もしかしたら私が死んだあとに人気出るかもしれん。
だから KDP やっとる。