損益分岐点(取らぬ狸のなんとやら)

またどうでも良いことをうだうだ書くわけだが、
ぼちぼち売れてたりするといろいろ考える。
KDPで1000部くらい売れれば、趣味というか同人活動としては上出来だと思うが、一冊250円印税70%で売ったとして、
17万5千円。
小遣いにはなるが出版だけで飯を食っていくことはできないわけです。

1万部売れれば175万円。
まあ、田舎の親の実家に一人暮らしならなんとかなるレベルか。
でも毎年コンスタントに1万部売れればの話だがね。
副業には十分になる罠。
1日に3冊売らなきゃ。けっこうきびしいなあ(笑)

5万部売れれば、875万円。
これなら食える。
家族もなんとか養えるかも。
でも毎年5万部ずつ、自分が死ぬまで、子供が成人するまで売るってことは相当な売れっ子だよね?

とか計算してみると印税だけで食えるというのはよっぽどの売れっ子なわけだ。
たとえ印税70%だとしてもだ。
印税10%だと KDP の7倍売らにゃならんよ。
つまり、毎年毎年 35万部も売らにゃならん。
けっこう厳しい。それは難しいと思う。
余生40年あるとして、トータルで1400万部も売らにゃならん。
普通にあり得ん。
なんかねもう。

要するに内容が面白いかどうかはさておいて、
10万部とか100万部とか売らなきゃ儲けは出ない。
出版社で編集とかマーケティングとか取り次ぎとかやってれば。
損益分岐点を超えさえすれば飯が食える。
超えなきゃ食えない。
世の中つまるところただそれだけ。

営業さんとか編集さんとか美術さんとか装丁さんとか取り次ぎ小売り、倉庫、印刷所。
税理士や弁護士さんや行政書士。
マネージャーやアシスタント。
作家と役割分担した方が良いに決まってる。
投資した分返ってくりゃ、実はなんでもいい。
でもな、作家デビューできなきゃそもそも意味ないわけで。
で、たぶん私がつっこみたいところは絶対売れ筋ではない。
いろんな人を巻き込めば損益分岐点超えられない。
しょうがないから一人でやるしかない。
DTPだってそうでしょう。
もともとそうだったでしょう。
で、一応できちゃう人はいるわけで、世界中にはそれこそ出版業界にかかわってない人の方がかかわっている人よりずっとおおいわけで、
そのうちのほんの一握りでも業界抜きで成功しちゃったら世の中変わらざるを得ない。
自分が成功しなくてもきっと誰かが成功する。

少量生産で採算がとれる。
無料キャンペーンとか誰でも利用できる広報手段でそれなりに読んでもらえる。
で、それで目立った人はそれなりに評価されて、
作家活動とは微妙に次元の違う仕事を切り分けられて、
編集さんがついたり美術さんがついたり、営業さんがついて、
そうしてほんとうのメジャーになれる。
そうこなくちゃ、わざわざ KDP やる意味ない。
インディーズだってそうじゃん。

今 KDP やって目立ってる人、そこそこ売れている人はもとは紙の本の世界にいた人で、電子もやっている。
それじゃあ世の中変わったとは言えない。
書く人も読む人もみんな最初から電子な時代が来てやっと変わったといえる。
そんな時代は、いつになるかしらんが、必ず来る。

KDPでなんとか食えるということになれば見えてくる世界がまるで違ってくる。
食えないとなれば今までと世界は何も違わない。

あー、つまり、商業作品作りたくないわけではない。
売ることを前提に作りたくない、というわけでもない。
今の流通にのらない、なじまないなら自分でやりましょというだけ。
現在の出版システムに適応できる人はそうすりゃいいだけ。
社会に適応せず媚びも売らずに自分の本を売りたいだけ(笑)

『将軍家の仲人』無料キャンペーン

KDP で定期メンテナンスというのをやったせいだと思うのだが、
この作業自体はアメリカ太平洋標準時で夜中の10:00から11:00という短いものらしいのだが、
その前後に処理が溜まるらしくて、KDP 激重。
予期せぬエラーがでまくる。
フラストレーション溜まる。

それで今度は『将軍家の仲人』無料キャンペーン中。
90日に5日、無料キャンペーンできるから、18作品そろえてりゃ、いつもどれかをキャンペーンできることになる。

『超ヒモ理論』と『スース』を合冊したのを出す。
もともと山崎菜摘名義でパブーに無料公開していたもの。
もう準備はできている。
初の短編集ってことで、話ごとにセクションとか入れたかったのだが、
うまくいったりいかなかったり。よくわかんねー。
一太郎がもっと epub との親和性を高めてくれたらいいのに。
つかね、一太郎のユーザインターフェイスってさ、
GUI以前からのものが割と混ざってるよね。
マウスで選択して右クリックメニューでとかそういう操作があんまりないんだ。
開始位置をクリックとかそんなのが多い。
なんじゃそりゃって。
DRMは短編なので外す予定。

知り合いにマックユーザーが居て、美術関係のミステリー小説を書こうとしているらしい。
アートミステリー?
だけどマック版一太郎がないから epub 出力どうしようとか言ってる。
マックユーザーで一太郎使いそうな人って、いそうにないよな。
そもそも一太郎ユーザーって何、みたいな。
黒田清輝が面白いらしいですよ?
薩摩藩士で貴族院議員。洋画家で東京美術学校教授って辺りが。
うむ。たしかになんか面白そうだな。
ネタ的には十分面白そうなんで後は文章力構成力だわな。
コンセプトだけで読みたい気がしてきた。

つかね、epub 専用エディタがあればいいだけなのよね。
ちょっとしたマークアップがあればいいだけなんだがね。
ルビとセクション。
それで縦書きできればいいのよ。
あと、改ページ、字下げ、上寄せ下寄せ、傍線、箇条書きはいるかな。
とにかくめっちゃシンプルなテキストエディター欲しいわな。
も少し epub が普及すれば誰かががフリーソフトで出すと思う。
そんな難しいものであるはずがない。
プレインテキストエディタで html でタグうちして出力でもいいんだがね。
epub コンバータがお利口さんならね。
いや、それでもね、一太郎って和文打つにはそれなりに使いやすいんでね。
一太郎がやってくれるんならそれでもいいんだが。

『アルプスの少女デーテ』と『セルジューク戦記』はパブーに残そうと思ってる。
kindleでも同時に出すかもしれんが。
その場合、『セルジューク戦記』は、パブーでは100円、kindle では99円にすると思う。
つまりパブーの印税は70%。kindle は印税35%。
『デーテ』はもうこのまんま無料にしとくつもり。
そうすると、アマゾンがちゃんと見付けてくれれば、kindleでも『デーテ』は無料になるはず。

『将軍家の仲人』は実はけっこう書き足してあるのよね。
宮将軍辺りのところが。
堀田正俊は綱吉と幸仁親王のどちらが次期将軍となるか、
というところで重要な役割を演じ、結局綱吉をサポートした功績で大老にしてもらったのだが、
宮将軍を望んだのは実は家綱。
幸仁親王は後西院の皇子なので、実は天皇に即位することもあり得た。
幸仁親王が家康の血を引いているかどうかはグレー。
まあ、小説だからどっちでもありっちゃありだが、赤の他人の宮様に将軍になってもらう、
という話が、いきなり持ち上がるのには何か裏話があってもおかしくないわな。

幸仁親王の祖父にあたる後水尾院は、根っからの武家嫌いなんで、幸仁親王が天皇に即位するのも将軍になるのも嫌がった。
そこで後水尾院は堀田正俊を通じて綱吉を将軍にし、
後西院を弟の霊元天皇に譲位させることによって、家康の子孫を天皇にするのも回避した。
このことによって正俊は綱吉と後水尾院の二人に恩を売るが、
後西院、幸仁親王、そして家綱恩顧の家臣に恨まれることになり、
稲葉正休の私怨という形で殿中で暗殺される。
稲葉も口封じに消される。
いずれにせよ、綱吉と正俊は当時あまりに近すぎて、他の老中には邪魔な存在だっただろうから、
正俊の暗殺は稲葉一人の仕業ではない、黒幕は老中たち、綱吉もあらかじめ知ってたと考えるのが自然だろ。

こういう陰謀事件は町人が浄瑠璃や歌舞伎なんかにしちゃうと絶対弾圧されちゃう。
うやむやにされちゃって歴史的にもなんか知名度低い。
一方赤穂浪士事件なんかは裏がない、すかっとした、突発的事故だったから、町人がおもしろおかしく話題にしても、
幕府は放置していた、それであんなに大流行した、
実際にはそんな大した話じゃない、と言えるのではなかろうか。

そもそも、後西院の兄の後光明天皇の急な崩御もあやしい。
後水尾天皇もなんかめっちゃあやしい人だし。
幕府と朝廷の間に当時いろんな陰謀があったのではなかろうか。
とまあ、めちゃめちゃおどろおどろしい話になってしまった。
もともとそんなふうにしたてるつもりはなかったのだが、
思いついたらつい書きたくなるもんです。

吉野南朝

南朝の都は吉野城、つまり吉野山の金峯山寺にあったかと漠然と思っていたが、実はもっと南の奥吉野、天川村の天川弁財天社あたりなのだった。飛鳥時代の吉野宮というのは東の方、吉野川をさかのぼって菜摘とか宮滝とか言われる所にあった。

思うに、金峯山寺というところは確かに修験者の拠点ではあったかもしれないが、城とするにさほど適した場所ではないように思う。千早城や赤坂城にしても同じ。天川村というのはものすごい山奥だ。こんなところに入り込まれたらとても攻めがたかっただろうと思う。

平仄

漢詩を作ったり、漢詩作成支援ソフトなど作ったりしているので、
気になるのだが、
通常「平仄」という言葉は、
「平仄が合わない」とか「平仄を合わせる」という言い方をすると思う。

で会議に出ていて気になったのだが、
規約の言葉遣いを整合させることを「平仄合わせで」とか「平仄が合う」とか「平仄を直す」とか「平仄を正す」などというのが、
気になった。
また、Aである、ただしBの場合Cである、とかいうような複雑な規約を矛盾無く作ろうとすることも
「平仄を合わせる」とかいうようである。

いきおい、規則の条文を整えること全般を「平仄を合わせる」などと言っていて、
会議の途中「平仄」という言葉を聞くたびにびくりとする。

で、自分がどういう使い方をしているか気になって調べてみたら、
「平仄や押韻は適当なようだ」
「平仄はちょっとおかしいが、韻は一応踏んでるようだ」
「意味によって平仄が変わる漢字をなんとかしたい」
「平仄がいまいち」
「平仄はいい加減」
「押韻も平仄も割とちゃんとしている」
「平仄はやや乱調かと思うが、ちゃんと押韻している」
「平仄は完全とは言えない」
「平仄はやかましく言わない」
「押韻も平仄もきちんとしている」
「押韻も対句も平仄もほぼ完璧」
「平仄がなんだか変だ」
「平仄も押韻もめちゃくちゃ」
「平仄を守っている」
「平仄はでたらめ」
「押韻や平仄などが厳密に守られた詩」
などという言い方をしている。

「平仄があってない」
「平仄と押韻のあうように考えればよろしい」
「平仄を合わせる」
などと言っていることもある。

毛沢東の詩で
「竜虎盤踞」を「虎踞龍盤」としたり、
「天地翻覆」を「天翻地覆」としたりしているのは、
二六対、二四不同などのルールを守るため、字を入れ替えているのであって、
私はこういうのは好きじゃないのであまりやらないが
(「砂石」を「石砂」にしたり、「片雲」を「雲片」にしたりとか、あまり露骨にならない程度にはやることがある)、
「平仄を合わせる」
の原義は「文字の配列を入れ替えて音韻規則に合うようにする」
ということだろうと思う。

でまあ、
私の中では、
「平仄が合わない」というのは「つじつまが合わない」、
「平仄を合わせる」というのは「つまらぬ小手先のルールにこだわる、体裁にこだわる」という、いずれにせよネガティブな意味があって、
「校正する」とか「推敲する」のようなポジティブな意味に使われると違和感があるのだろう。
推敲、も作詩に由来する言葉だが。
あるいは漢詩を作ったこともない人が、安易に「AをBとすれば平仄が合う」などと言っているのがいやなのだろう。

どうも、法律関連のジャーゴンで「平仄」と言うことがあるのかなと思い、
検索してみると、はたして

> 規定と平仄をとった文言修正

> 規則第4条の改正に平仄を合わせ

> 財務諸表等規則に平仄を合わせるべき

などとあるから、たぶん法人本部とか法務部ではよく使われている言葉なのだろうな。
うー。
「整合をとる」という意味で「平仄をとる」とは言ってほしくないかもなあ。
「Aに整合させる」という意味で「Aに平仄を合わせる」という言い方もなんか間違ってる気がする。

追記:
ネットからも少し例文を拾ってきた。

> 規制行政庁と全体的に取り入れ方針については平仄をとりながら対応していくということになるのではないかと思っております。

> 若干報告書案内での平仄合わせで記入しましたところが、

> この中で「安全性の妥当性」という表現を使っておりますので、これと平仄を合わせて「安全性の妥当性について判断する」という形で記載の平仄を合わさせていただいております。

> 法務省の規則案にも登載しておる文書でございますので、平仄合わせで登載をしております。

つまりAという基準となる条文がすでにあって、あたらにBという報告書等を作るときなどに、
Aとの平仄合わせでBにこれこれという記載をする、などというらしい。

変な本

なんていうか、ウィキペディア読んでるとずいぶん変なこと書いてるなあと思うし、
履歴みてその利用者のページとか見ると、
そいつも「変なこと書いているな」とか書いているし、
自分もブログに同じようなことを書いてるし、つまりは同じような人間なんだなと思うと嫌になる。
アマゾンの書評とか読んでるとなんかむちゃくちゃ書いてるやつもいるし、
そもそも書店で売ってる本とか図書館の本にもずいぶんへんなことかいてあるし。
ていうか図書館の本のほとんどすべての本は変なことが書いてある。
本屋に売られている本が変なのはまあしかたないとしても、
こんなことで大丈夫なんだろうかと思うが大丈夫なわけはない。
しかし世の中というものはこんなものなのだから仕方ないし、
要するに紙の本だろうと電子書籍だろうとウィキペディアだろうとみんな変。
それを読んだり書いたりしている自分も同様に変なやつなのだから困る。

黄門さまと犬公方

『黄門さまと犬公方』というのを読んだのだが、
アマゾンの書評にはかなり辛辣なことを書かれているようだ。

普通にさらっと読めばいいんじゃないですか。
水戸黄門と徳川綱吉、無理矢理おいしいとこ取りした感じは否めないけど。
たぶん国文とか日本史とかの研究をしている人なら、うちらが入手するのが困難な一次資料とかじっくり読む機会があると思うんですよ。
私みたいに適当にそこらの図書館やウィキペディアで調べたんじゃない。
そこがうらやましい。

ただ、情報が少ないぶん、うちらは、主にウィキペディアだが、
状況証拠を広く少しずつ集めて、
たぶんこうだったんじゃなかろうかって、
あたりをつけて小説にするわけ。

当時の記録というのは、その記録を残した人の都合で書かれているのは当たり前なわけで、
一次資料で貴重ではあるが、そのまんまでは使い物にならない。
ウィキペディアだった誰か知らんやつの勝手な思い込みで書かれているわけで。
昔も今も書かれたものというのは、まったく信用できない。
いろんな立場の人が書いた史料とか一般的な史実とかとつきあわせることでなんかわかってくる。
やってることは私とだいたい同じだなと思った。

籤引きの真相

それはまあそうと義持は、子の義量が死んでも次期征夷大将軍を決めず、
空位のままほっといて、自分が死ぬときにも後継者の指命を拒否した、
というのは、普通に考えれば、もう足利宗家から将軍ださなくてもいいじゃん、
事実今も幕府は問題なく動いてるし、
すでに幕府は守護連合みたいなもんで、将軍とか飾りだからいらないんじゃね、とか、
守護が衆議して決めればいいんじゃね、とか、
そんなことを考えていたんじゃないかと思う。
江戸時代の徳川宗家みたいに是が非でも将軍職は世襲しますよみたいな気分はなかったのではなかろうか。

江戸時代の幕臣とか譜代大名らはみんな徳川幕府によりかかって、
運命共同体みたいになっていたが、
室町時代は守護の連合体みたいなもんで独立性が高いから、
必ずしもみんなで一生懸命足利家をもり立てようという感じではない。
日野とかの一部の公家が足利宗家に執着してただけなんじゃないかと思える。
江戸時代の感覚で室町時代を見ても雰囲気わからんと思う。

で、
三宝院門跡の満済というのが義持の護持僧で一番の側近、
籤引きで定めることを決めたのは畠山満家であって、
この二人が仕組んだいかさま籤ではなかろうかということについて、
「籤引き将軍足利義教」に若干詳しい考察があるのだが、
思うに、黒幕は義持の正室で義量の生母である、日野栄子。
そしてその日野家当主義資であったろう、と考えるのが自然だ。
日野家は義満の正室と継室を出している。
足利将軍家の内情に一番詳しくかつ親密な関係だったはずだ。
四人の候補を見るに、一番の年長は義円(義教)。出自も比較的まっとうだ。
他の三人は母親の得体がしれない。
また、日野義資はおそらく義円が青蓮院門跡であったころの世話役であったと思われる
(いやそもそも、義円にあたりをつけていたからこそ世話役を買ってでたのだろう)。
義資は義円に、自分の妹・宗子を正室にするならば将軍にしてやろうと義円にもちかける。
籤で義円が選ばれるとすかさず彼を日野邸に連れ込み(1428)、
元服が済むと宗子を正室に送り込む。
こうして、義量の血統が絶えても、日野家は足利家の外戚のまま存続することを得た。

ところが、将軍となった義教は日野がじゃまで仕方ないから、
正親町三条家の尹子という女を正室にすると勝手に宣言(1431)、
宗子は離縁され、その代償に宗子の妹の重子が側室になる。
重子は義勝(1434)、義政(1436)、義視(1439)を産む。
十分男子が生まれ、もはや義教が不要になった日野家は、
正室正親町三条氏が嫡男を生まないうちに、赤松満祐をそそのかして
(或いは、義教が次に粛清するのはおまえだ、とか脅しをかけて)義教を討たせ(1441)、
義勝に将軍を継がせる(1442)。
義勝は早世してしまったので、
義政を跡継ぎにして(1449)、日野富子を正室にすえる(1455)。

という具合だったと考えるとすんなりいくではないか。
まさに仁義なき戦い室町編(笑)。
足利家が日野家にがんじがらめにされていくのが目に見えるようだ。

つまり、籤引きなんて単なるいかさま、嘘っぱちだ、と言いたいわけなのだが。

義教が足利宗家を継いでもすぐには将軍宣下がなされなかったというのは、
義量が死んで長いこと空位だったから、別に義教が将軍にならなくてもいいんじゃね、
くらいの雰囲気だったのではなかろうか。
鎌倉公方の足利持氏が代わりに将軍宣下されるんじゃないか、
という可能性があったとは思えないなあ。
日野家としては義教くんが将軍になってくれないとただの守護の中の一人みたいになって困るから、
いろいろ運動したんだろうなあ。
そんくらいじゃないのか。

よも

「よも」は昔は普通に使われていた言葉で、たぶん、
「四(よ)」と「面(おも)」がつながった言葉だ。
岩波古語辞典には「も」は方向を現す、ともあるが、「おも」の「お」が欠落した形、とも。
「お」が欠落したというより、「田の面(たのも)」とかも、
「たのおも」が母音連続で一母音になっただけだろうと思われる。

「四面八面(よもやも)」とも言い、そこから「四方山(よもやま)」となった、らしい。

四方の海、四方の浦、四方の山、四方の山風、四方の山河、四方の山の端、四方の紅葉、四方の梢、
四方の山辺、
四方の木の葉、
四方の木枯らし、四方の花、四方の桜、四方の草木、四方の木下、
四方の空、四方の嵐、四方の国、四方の諸人、などなど。

まれに四方のあはれ、とか。これはひねりすぎでは。

ますらを

「ますらを」というのはもともとは大夫、丈夫、とか、立派な男子、勇ましい男子、という意味であった。朝廷の官僚を言ったこともある。そのほか、
「ますらたけを」とか「ますらがみ」とか「ますらをのこ」とか。
だが、古今時代になると、「漁夫」「猟師」「農夫」のことを言うようになり、
さらに新古今時代では「賤男」という意味に使われるようになる。
非常にネガティブなイメージになっていく。

「ますらを」は現代では「復権」しているとはいえ、
たとえば平安時代から江戸時代くらいの歴史小説に出てくる和歌に「ますらを」
などと使うのは問題がある。
「もののふ」などとするのが無難だろう。

たとえば太田道灌の客将で歌人の木戸孝範が江古田原の戦いで

> ますらをや えごたのぬまに すむとりの はねよりかろき いのちなりけり

というのを詠んだことにしたのが、これはやはり「もののふ」にすべきであろうと思う。

江戸の役人事情

予想したのと全然違ってドロドロした話で、
江戸時代の幕臣ってすげー腐敗してたんだなあとか、
まあ、勝海舟とか大塩平八郎とか子母沢寛とかの話をさらに生々しくした感じで、
興味深く読んだ。
しかし怖いのでたぶん自分はネタにはしないと思う。

> 時の風評をそのまま書きて虚実区々なれば取るべからず

まあまさにそうだろう。
ゴシップというかスキャンダルというかなあ。
悪代官とか悪徳商人とかそういう時代小説に使い回されてるようなネタだなあ。

「非役の小普請」、または「禄ある浪人」、つまり、無役で最下層の御家人の話とか。

なんか素性のわからん浪人がどこかで本でを儲けて、
金貸しをしながら「与力」株を買う。
美人局などしていて与力をクビになり再び浪人に。
しかし今度は金を返せない旗本の弟が出奔していなくなってたので、
その弟になりすまし、
別の旗本の養子となって、
その養父を隠居させて自ら押しも押されもせぬ旗本直参となる、
とか実におどろおどろしい話。
それが松平定信が部下に調べされた事件簿「よしの冊子」というのに書かれているというのが、なかなかよく出来た話である。

ところがこういう偽の実子、
「入れ子」というのは旗本ではよくある話でいちいち摘発しないというのがまたすごい。大丈夫か徳川幕府。
鳥羽伏見の戦いで負けるはずだ。

「甲州は葡萄(武道)の成り下がり」(笑)
幕府の直轄領なのに甲斐一国一揆とかあったしな。

> 勝海舟の父子吉の『夢酔独言』の読者ならご記憶のむきもあると思う。

とあるが、実際勝子吉の『夢酔独言』くらいは読んでないと、こむつかしいだけでおもしろさのわからぬ本だと思う。