ラガーツ温泉2

まだ、しつこく調べている。
源泉の温度が36.5℃。
ラガーツからプフェファースまで、約2km。
源泉の渓谷までは、まだもう少しあるはず。
今はどうか知らないが、ラガーツ温泉がひらかれたときには、
木の樋でお湯を引いていたというから、まあ、そのパイプがどのくらい太かったか、
どのくらい保温できたかは知らないが、冬場などはそうとう冷えただろう。
せいぜい30℃とか25℃くらいではなかろうか。

ネットでラガーツ温泉に実際にはいったという人の話など読むと、やはりぬるいらしい。
ぬるくてかつ水着ではいると。
ふーむ。

てかね、ラガーツ温泉は源泉掛け流しなのか、源泉だけど沸かしているのかとか、
沸かして濾過して消毒して循環させているのかとか、
効用はとか、成分はとか、
そんなことが書きたくなるじゃないですか。
でも、源泉掛け流しなのに沸かしとか書いたら怒られるじゃないですか。
だから一応ちゃんと調べようかと思って。

それから、ハイジがプフェファース村で預けられたウルゼルばあさんという人は、
耳が遠くて、ハイジを部屋に閉じ込めておく意地悪ばあさんのように描写されている。
アニメの中の描写もなんかそんな感じ。
だが、プフェファースには修道院があって、ラガーツには子持ちの女性もたくさんいただろうから、
想像するに、修道院には組織的な保育所のようなものが作られていたのではなかろうか、と思うのだ。
その方が自然な感じなんで、そんな記述にして見た、どうよ。

それから、デーテの一人語りをバーで隣り合わせてた男が聞く、という形にしてみた。
ちょっとアダルトな雰囲気。
私の書く他の小説にだいぶ似てきた。
ていうか、『[デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196/)』を読むと私の書く小説がどんなものか、さらっと読めてわかりやすいと思う。
たぶん初心者向けに、一番読みやすいと思う。
『デーテ』を通して面白く読めた人は、私の他の小説も、面白く読める可能性がある。リトマス試験紙みたいなものだと思う。
『デーテ』もかなり屈折しているけど(笑)、他よりは読みやすいだろう。
いわば、ファンタジーというか童話の物語を、どろどろの人情話にしてしまっているのだから。
そういう他人の著作の裏設定を暴露するような小説を書くというのは、趣味悪いよな。ファンの神経を逆なでするというか。
逆に喜ぶファンもいるかもしれんが。
そういう私自身が『ハイジ』の大ファンだからこれを書いたってことは、これを読んだ人なら疑う人はいるまい。

私の作品はというと、作中作、劇中劇というややこしい入れ子構造を使っていることが多い。
作中作は『濹東綺譚』や『千夜一夜物語』などに使われている手法。
私の場合は特に、現代小説の中に歴史小説を埋め込むために使うことが多い。
つまり、なんでそんなことをするかというと、読者を歴史の世界にいきなり連れ込むのは難しいと思ったから、全体を普通の学園モノや恋愛モノを偽装してみたのだが、
意図は伝わってたかな。

あとは歴史や地理や政治の蘊蓄がちりばめられている。
最初に地理や歴史の説明から入るのは常套手段。
なんでそんなことするかと言われても困る。それが私の趣味だからだ。

『スース』まで書いてみて、戻って『デーテ』をはじめて自分なりにアレンジできたというか、
アレンジしすぎて似通ってしまったというべきか。
いくつも書いてみてだんだん自分のスタイルがわかったというか。

ラガーツ温泉

相変わらず、『[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196/page/358837)』を手直ししているのだが、
ラガーツ温泉について調べていると、面白いことがわかった。
スイスに鉄道が出来たのが 1845年で、おそらくラガーツ温泉というのは、鉄道がマイエンフェルトまで通ってから開発されたのじゃないかと思ったら、
やはりその通りで、もともとは山奥の秘湯だったのを、1840年に初めて里までパイプラインで引いてきて、
1870年くらいに世界初の温水プールなど作ったりしたのである。

だから、デーテがラガーツ温泉に仲居として働き始めたとき、ラガーツは保養地としてできたばっかりだった、ということなのである。

いやあ、ちゃんと調べてみないと知らないことって多いよなあ。
たまたまなのかもしれないが、
シュプリは、ナポリで傭兵とかラガーツ温泉とか、割と当時の流行りの、キャッチーな話題を盛り込んでいた可能性があるよね。

アルプスの少女デーテ加筆

[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)を全面的に書き替えた。
スイスの傭兵について調べてたら面白くて。
スイス傭兵は1874年に禁止されるのだが、アルプスの少女ハイジが書かれたのは1880年。
アルム叔父さんがナポリで傭兵になったというのは、おそらく、イタリア統一戦争前の、両シチリア王国時代の頃の話だと思われるが、
両シチリア王国は赤シャツ隊のガリバルディに滅ぼされる。
アルム叔父さんはどこの国の傭兵だったのか。
シチリア王国か。ローマ教皇か、オーストリアか。それともサルディーニャ、或いはガリバルディに雇われていたのか。
答えは無い。ヨハンナ・シュプリは裏設定として知っていただろうけど、今日それを知る機会はない。
勝手に色々と作り話が作れるのだけど、とりあえず無難にローマ教皇軍に雇われたことにしておいた。

ハイジが書かれた年は1880年、物語の中で、ハイジは10才くらいまでなるから、仮にハイジの生まれた年を1870年としよう。
するとデーテの生まれた年はそれより21年前で1850年くらい。
アルム叔父さんはデーテよりも25才くらいは年上だろう。すると、生まれた年は1825年くらい。
シチリア王国が滅亡したのは1860年。アルム叔父さんは35才。トビアスは15才くらい、デーテは10才ということになる。
ちょっと年を食ってる感じだが、この年にデルフリに流れ着いたとして、そんなに設定としてはおかしくないけど、
できればみんなもう少し若いくらいが、設定としてはちょうど良い。

アルム叔父さんは、大工の仕事もやるのだが、それは傭兵時代に工兵だったから、という設定にしてみた。どうよ。

スイスに鉄道ができたのも、1845年から。フランクフルトからマイエンフェルトまで鉄道路線が敷設されたのも、
デーテが生まれてすぐくらいではなかったか。
ドイツ帝国が統一されたのは、1871年。そういうあわただしい感じを付加してみた。
ともかく原作とはだいぶ雰囲気変わったと思う。

肝臓と蛋白質

なんかしらんところで肝臓に負担かけてたらやだなと思い調べてみるのだが、
プロテインは消化に手間がかかるから肝臓に負担をかける、
などと書いてあるかと思うと、
シジミには良質の蛋白質が含まれているから良いなどとかかれていて、
結局蛋白質は摂ったほうがいいのか摂らない方が良いのか、
摂るとしたらどのようにとりゃいいのか、ってことがさっぱりわからない。

普通に考えれば、蛋白質は肝臓を含めて体自体を作るものだから、摂った方が良いに決まってる。
問題はどのくらい積極的に取るのか。
それとも取り過ぎると毒なのか、
体を作る材料としてふんだんに取るべきか、
それとも体調を整える程度に適度にとるべきか、
その辺の加減が問題なのだろう。
まともな説明をあまり見たことがないが、結局病院食のような偏らない当たり障りない食事が良いということか。

Chronographia Book 7

エウドキアの話は[クロノグラフィア第七巻](http://www.fordham.edu/halsall/basis/psellus-chrono07.asp)に出てくる。

> On this occasion he entrusted all his duties to his wife, Eudocia. In his opinion, she was the wisest woman of her time and he thought that no one was better qualified to educate his sons and daughters.

結構長いな。冊子印刷してじっくりと読むか。
英語版 wikipedia のソースに相当するのだろうが、今更 wikipedia の記述とそんなに差がないことを祈る。

エウドキアの叔父

久しぶりのエウドキア・マクレンボリティサのネタ。

紛らわしいがエウドキアにはミカエルという叔父が一人いて、それと別に、叔父のように親しかったミカエルという歴史家がいる。

本当の叔父は総司教ミカエル一世ケールラリオス。ケールラリオスはエウドキアの母方の家系。
エウドキアの母の弟もしくは兄だったろうと思われる。

歴史家のミカエルは、エウドキアから、叔父と親しまれていた、ミカエル・プセロス。Michael Psellos。
プセロスというのは、口ごもるという意味らしい。そのあだ名はなんとなく控えめで人付き合いが苦手そうな印象だ。

皇帝コーンスタンティノス九世モノマコスのとき宮廷に出仕する。
政治を嫌って1054年にオリンポス修道院に入る。
モノマコスが死去すると女帝テオドラに呼び戻される。
この女帝テオドラというのは、エウドキアなんかよりずっと話題性のある人らしい。
で、皇帝が1年か2年くらいでおおぜいめまぐるしく交代し、マケドニア朝からドゥカス朝に代わると、
コーンスタンティノス10世ドゥカス(エウドキアの夫)にそのまま政治顧問として仕え、
さらにローマノス4世やミカエル7世にも個人教師のような立場で仕える。

プセロスは当時もっとも学識のある人と見なされていたらしい、プラトンくらいに。
クロノグラフィアという書を残した。
直訳すれば、年代記ってとこか。
彼が史料を残さなければ、エウドキアというマイナーな女帝の話はほとんど後世に残らなかっただろう。
それどころかバスィレイオス二世や女帝テオドラ、ドゥカス朝やローマノスやマラズギルト戦役の話も残らなかったのに違いない。

『セルジューク戦記』に出てくるエウドキアの叔父のルカスはこの二人のミカエルが合わさったような人物として出てくる。

『セルジューク戦記』では、エウドキアは、父母が離婚し、孤児となって修道院に入れられて、叔父ルカスの養子になって、
貧しく育てられる、という話になっているがこれはまったくのフィクションである。
もし叔父の養子になっていたら、彼女の名前は、エウドキア・ケールラリオサとなっていただろう。
たぶん彼女はマクレンボリティサ家の貴族の娘であり、コーンスタンティノスとの結婚が初婚だとすれば、
貴族故に晩婚だったのだろうと考えるしかない。
きっとプセロスの書を読めばもっと詳しいことが書いてあるのだろうけど、
と思ったら[クロノグラフィアのオンライン版](http://www.fordham.edu/halsall/basis/psellus-chronographia.asp)があった。
うーむ。これ読むのかぁ。

セバストポリスの戦い

またまた wikipedia を読んでいてメモ。
[セバストポリスの戦い](http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sebastopolis)
というものが、ユスティニアヌス二世の時代の東ローマとウマイヤ朝の間であったらしいが、
このセバストポリスというのは今のクリミア半島のセバストーポリではなくて、アナトリアのキリキア辺りにあった都市らしい。

[ユスティニアヌス二世](http://en.wikipedia.org/wiki/Justinian_II)は鼻をそがれて
[ケルソネソス](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9)
に流刑になったそうだが、このケルソネソスというのが今のセバストーポリに当たるようだ。
ケルソネソスは古代ギリシャの頃からのギリシャ人の植民都市で、
長らく直接民主制の地方自治都市として残った、らしいのだが、
いつの間にか東ローマ領になっているのはつまり、アテネやスパルタなどがローマ帝国に飲み込まれていってそのまんまということか。

ケルソネソスは僻遠の地なので、流刑地としてよく使われたとか。

追放するとき鼻をそいだのは、
ローマ皇帝に即位するときに五体満足であるというのが不文律になっており、
ユスティニアヌス二世が再び皇帝に復位しないように、という意味らしい。
目をつぶしたり、耳輪をつけるのも似たような意味なのかもしれない。

禁酒二ヶ月

7月5日に入院したのだから、それからちょうど二ヶ月が経った。
二ヶ月も禁酒するのがこれほど辛いか、とも思うし、なんだたかがこの程度かとも思う。

私の場合は、朝起きて夕方までコーヒーをたてつづけに飲み、
夕方からは酒を飲む。カフェインとアルコールで常に肝臓をフル稼働させている状態で、
何年も毎日そんな状態だったから、心臓に負担がかかって心筋症になったのだろうと思うのだ。

うーむ。カフェインもアルコールも取らないひとはγ-gtpが限りなく0に近づくという。
ほんとかいな。
一度やってみるか。

おや、ほうじ茶はカフェイン少ないかと思ったらそうでもなさそうだ。
新芽を多く使うものほどカフェインは多く、
新芽を多く含む緑茶を焙じてつくったほうじ茶はカフェインが多いそうだ。
麦茶かそば茶にしたほうが良いかなあ。
コーヒーもほうじ茶も烏龍茶も買い置きがたくさんあるのだが。

縦書きReader

kindle や ipad などは、日本語の縦書きには永遠に対応してくれなさそうだ。
となると ePub もパブーも縦書きには対応しないだろう。
ソニー Reader は縦書きをサポートしているのだが、はて、ソニーは個人出版に門戸を開放しているようには見えない。
漢字圏最大人口の中国も、もはや縦書きにはこだわってないように思えるし。
難しいかなあ。
たぶん HTML レベルで縦書きがサポートされない限り、無理なんじゃなかろうか。
誰か標準化がんばれ(誰に言っている?)

「濹」という字を林述斎や鳥居耀蔵らが勝手に作って「濫用」していたのはちょうど天保の改革の頃、
大塩平八郎の乱の頃だった。彼ら父子が勝手に使っていただけで、鳥居耀蔵が配流になってからは、
誰も使っていなかったのを、幕末維新の頃になって成島柳北が詩文などに使うようになり、
明治初期にやや流行った、つまり他の人(おそらくは柳北が興した出版関係の人たち)も使うことがあったが、
柳北が死んだ明治17年以後は忘れられてしまった。
それを永井荷風が、昭和の226事件の頃にわざわざ復活させた。

漢詩や漢文では「隅田川」などとは書かない。「墨水」「墨江」などと書く。
荻生徂徠は「澄江」と書いたなどと『濹東綺譚』にはある。
墨にさんずいをつけて「濹」とすれば一字で隅田川を表せて詩文的には非常に便利だ。
たとえば「濹上」は隅田川のほとり、「濹東」は隅田川の東岸の地、となる。

こういうことは漢詩にはよくある。淀川を「澱水」と書いたり、大阪城を浪華の城として「華城」と書いたり、
江戸城を「江城」、江戸を「江都」と書いたり、箱根を「函嶺」と書くようなもの。
こういう趣味は現代にはほとんど伝わってない。
江戸時代の漢詩など高校漢文では扱わないしな。

こういう文芸趣味は特に旗本の儒者に流行ったのだろう。
それを永井荷風がむりやり小説のタイトルとして復活させた。

> 寺島町五丁目から六七丁目にわたった狭斜の地は、白髯橋の東方四五町のところに在る。即ち墨田堤の東北に在るので、濹上となすには少し遠すぎるような気がした。依ってわたくしはこれを濹東と呼ぶことにしたのである。濹東綺譚はその初め稿を脱した時、直ちに地名を取って「玉の井雙紙」と題したのであるが、後に聊か思うところがあって、今の世には縁遠い濹字を用いて、殊更に風雅をよそおわせたのである。

という説明もあるので、ただ、「濹」という字をタイトルに使ってみたかっただけではなさそうだけど。

武総相接墨水流 武総 相い接して 墨水流れ
江都西方仰富嶽 江都 西の方(かた) 富嶽を仰ぐ
曾駐徳川八万騎 曾て駐す 徳川(とくせん)八万騎
今唯看是作夷郷 今唯看る 是れ夷郷と作(な)れるを

相変わらず、まったく押韻してない、めちゃくちゃな漢詩。そのうちこそっと直そう。

さらに思うのだが、永井荷風はたくさん小説を書いているはずなのだが、なぜこの『濹東綺譚』だけが、
後世にももてはやされ映画化もされたのだろう。
ふーむ。なんとなくだが、戦後の大衆映画に、ちょうどふさわしい内容だったからだろうかなあ。
戦前の深川とか向島とか、玉ノ井とか、そういう焼けてしまった風俗の世界への郷愁というか。
ついでに昔書いた[『濹東綺譚』感想文](/?p=7424)(笑)。