肺の調子

また肺に水をためてしまった。
肺に水がたまるのは一瞬。
それがほぼ完全に抜けるのに五日か一週間くらいかかることがほぼわかった。
だいたいどんな状況で肺静脈に圧力をかけてしまい、水が肺にたまるのか、
わかってきた。それを回避して、
肺に水をためないように。用心して生きていく。
できれば心臓をも少し鍛えて、肺静脈に負担をかけないような心臓にしていきたいものだ。

肺から完全に水が抜ける前に、運動をすると心臓に負担をかけるので危険だ。
逆に抜けてしまうと、かなりきつい運動をしても、心臓の鼓動はさほど増えない。

スース2

[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)の続編
[スース2](http://p.booklog.jp/book/27939)をほぼ書き終えた。
『スース』はけっこうダウンロードもPVも多くて、そのうち『超ヒモ理論I』を超えそうな勢いだ。
なぜかはわからないが、それで励まされて、続編を書いてしまったのだが、
しかし思うに、この『スース2』みたいな話を喜ぶ読者というのがどのくらいいるものなのだろうか。
そもそも『スース』がなぜこんなに読まれているのかもわからん。

だいたいパブーというところは、ただ小説を公開しただけでは埋もれてしまうだけのはずだが、
いったいどこからどうみつけてきて、『スース』までたどり着くのか。
単に「女子大生」とかでググって来ているだけなのか。
謎だ。

それから

> ぼんやりして、少時(しばらく)、赤ん坊の頭(あたま)程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当(あ)てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈(みやく)を聴(き)いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確(たしか)に打つてゐた。彼は胸に手を当(あ)てた儘、此鼓動の下に、温(あたた)かい紅(くれなゐ)の血潮の緩く流れる様(さま)を想像して見た。是が命(いのち)であると考へた。自分は今流れる命(いのち)を掌(てのひら)で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌(てのひら)に応(こた)へる、時計の針に似た響(ひゞき)は、自分を死(し)に誘(いざな)ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生(い)きてゐられたなら、――血を盛(も)る袋(ふくろ)が、時(とき)を盛(も)る袋(ふくろ)の用を兼ねなかつたなら、如何(いか)に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生(せい)を味はひ得るだらう。けれども――代助(だいすけ)は覚えず悚(ぞつ)とした。彼は血潮(ちしほ)によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生(い)きたがる男である。彼は時々(とき/″\)寐(ね)ながら、左の乳(ちゝ)の下(した)に手を置いて、もし、此所(こゝ)を鉄槌(かなづち)で一つ撲(どや)されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。

夏目漱石『それから』の冒頭部分だが、まあまさに今、そんな心境だわな。
漱石が42才頃の作品。うーむ。

侍従

徳川家康が30才から33才まで、従五位上で侍従という官職についているのだが、
なんだよそれ。
戦国から江戸時代までの官職とか気が狂いそうになる。
そうでもないですか。
だって家康が侍従だよ 。
文官で天皇の側近の侍従だよ。あり得んなあ。
これはつまり、応仁の乱以後の足利幕府が、官位官職を勝手に、無意味に、機械的に割り当てるようになったからだろうな。
嗚呼、律令国家。

出勤

おそるおそる、電車とバスを乗り継いで出勤してみたわけだが、
用心して歩いたせいで、腹が張ってくるほどではなかった。およそセーフ。
ただし上り坂は休憩しながらのぼり、階段はエレベータを使った。
木曜、金曜辺りは、朝起きて、いきなり肺がごぼごぼ言ってたわけだから、
特に木曜日はひどかったが、
それに比べるとかなり改善したと言える。
今日は、さほど、息苦しくもない。
まったく常人の暮らしではないが、今日くらいなら、常人に混じって暮らすことはできそうだ。
このままだんだん腹が張らなくなり、さくさく歩けるようになれば良いのだけど。

こうしてみると、たぶん、火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、何か急性の原因があったとみるべきだろう。
かなり特定してきた。

漢籍由来の熟語

相変わらず『日本外史』巻19辺りを読んでいるのだが、
「塗一敗地」(一敗地にまみれる)「尚何足畏哉」(なおなんぞおそるるにたらんや)「衆寡不敵」(衆寡敵せず)などの、
どう考えても頼山陽が自分で考えたのではない言い回しが出てくる。
「塗一敗地」は『史記』、「尚何足畏哉」は『孟子』らしい。
「衆寡不敵」は『魏志』。
「何足畏」は現代の中文で「死何足畏」など、これはたぶん宗教関係の言い回しだと思うが、
頻出する。
「西洋文明なんぞ恐るるに足らんや」とは福沢諭吉の『学問のすすめ』。

しかしたまには「鎧袖一触」のように、『日本外史』に初出の言い回しもあって、いろいろ難しい。

左心室

全身に血を送るのは左心室だ。高血圧は左心室に負担をかける。
長年の高血圧で左心室に負担をかけ続けると、左心室は肥大するが、左心室の容積自体は減ってしまう。
左心室のポンプとしての機能が衰えると、その手前の肺静脈の圧力が増大して、肺水腫が起きる。
また、足などがむくむ。

怖えええ。
とりあえず、塩分を摂らないようにし、酒をやめて、血圧を下げないと。

そうか、心臓の右側と左側で、左側が少し弱っているわけだ。
酸素がたくさん必要になると、血流もたくさん必要になる。
右と左が同じだけ動けば良いが、そうでないときは、右と左の間の肺で血流が滞って、
この部分だけ血圧が異様に高くなり、肺へ水が浸透してしまう。
しかし安静にしていれば血圧が下がるから、
逆に肺から血管に水が移動するというわけか。

何となく、一年くらい前からそんな予兆はあった気がするわ。
心臓に関するいろんな不安が一つにつながってきた気がする。

思うに多少の圧力差くらいでは、毛細血管から肺へ血が流れ出たりしないのではないか。
なんかのきっかけで一部が破れている状態なのではなかろうか。
それでこないだ水曜辺りから急に具合が悪くなったのでは。
普通、毛細血管の損傷などすぐに修復するんじゃないか。
とにかく、しばらく、極力心臓に負担をかけないように。