日本国紀

今更ブログでいろいろ書きたいことがあるわけでなく、また、酔った勢いでツイッターであれこれ書くのももうやめようと思っているのだが、本は売りたいと思っている。だから本の宣伝になるようなことはしたいと思っている。あと、ツイッターで書き散らしたことも、ある程度こちらでまとめ読みできるようにしておこうという気持ちがある。

『日本国紀』の初版が出たときは、私も買ってみて読んで、Shin Hori氏や、桜ういろう氏、事務カリー氏らと競っていろいろアラを探したりしたのは楽しい思い出だ。私は単なるうっかりミスとか、Wikipediaの引用なんかにはさほど興味はなかったのだ。誰だって本を書けば間違いの一つや二つはあるよ。それは改訂版出すときに直せば良い。著者の芸風というか、ビジネスモデルに文句言っても仕方ないしそういう辺りにのめり込む趣味は無い(ってあたりがワイが左翼とは違うところか)。

問題はその間違い方にあるわけで、間違う背景に、非常にいびつな、偏った、よく調べもせずに決めつけたような歴史観があるのが気に障ったわけだ。たとえばヨーロッパ諸国はみな君主国というのはおかしいわけで、古代には共和制アテナイや共和制ローマなどがあったわけだし、中世、近世、近代にも共和国はあった。「重箱の隅」の「驚くほど小さなミス」というより、歴史事実から知見を得ようとせず、逆に自分の主義主張趣味を歴史に当てはめようとする態度が気に入らなかったわけでしょ。

確かにこういう重箱の隅突きなども面白がってやったわけだが、これなども、大学生が適当にレポート書くというのとは訳が違う、物書きとして、本を出版する人間がこういう孫引きをしてはならんというところに憤っているわけですよ。参考文献があるなら書くべきだし、単なる歴史読み物だから参考文献は付けないというならそう断るべきだし、「本当の歴史」などと謳うべきじゃないだろってことを、多くの物書きや研究者が指摘しているのに、それに気づかないふりをしている。本物の歴史なんて言われちゃこちらも反論せざるを得んだろ。「葬り去ろう」というより、自分らのいる領分から「排除」したい、区別したいという気持ちはある。ああいう本が世の中の一部の人たちでちやほやされるのはもう仕方ないと諦めている。

カスタマーレビューと星

ブログ整理ついでに昔書いた小説の一覧を作ったりしてカスタマーレビューなど見てみると、『江ノ島合戦』などは散々なありさまで、『潜入捜査官マリナ』とか『妻が僕を選んだ理由』なども星は1から5までばらけているというかランダムに分布しているようにも見える。

『江ノ島合戦』は江ノ島という名がついてるから、戦国時代に江ノ島辺りでわーわー戦争があったんじゃろうというつもりで読むとそんなふうな内容になってない。非常につまらないので、腹が立って1を付けているんじゃなかろうか。史実の江ノ島合戦というのは、太田道灌が少年の頃に初陣で戦ったというそれだけのもので、そんなに大きな戦いでもなかったし、記録も残ってない。だからあることないこと話を膨らませて派手なチャンバラをやらせればそりゃ読者受けは良いかもしれないが、あいにく私はそういう小説が書けない。

戦史的に言えば、足利将軍家の本家義教が分家の鎌倉公方を滅ぼし、その分家を復興しようとして息子が鎌倉に入って、最初の一悶着を起こした、それが江ノ島合戦。その火種は後に享徳の乱を引き起こし、さらに長尾景春の乱をおこしたわけで、この一連の戦いにすべて勝利した太田道灌が、主君上杉に暗殺され、これが後北条氏の勃興を誘発するのだから、太田道灌という人を知るにはまずその起点となる重要な出来事ではある。

でも、小説を読む人は、少なくともその大多数は、そんな小難しいことなんてどうでもよく、ただ読んで面白けりゃいいのに違いない。もともと小難しそうなタイトルの小説にはそもそも星がほとんどついてない。多くの人が読んでああ面白いと評判になるような小説も多少は書かねばならん、小説を読んでもらうためには話題にならなきゃならんとは思っていても、なかなかそういうものは書けない。また、たとえ書いたとしてもどうせ読まれやしないだろうなともう諦めている。ここのブログをせいぜい整理して、読まれるかどうかはともかく、私ですらどんな小説をどんな形で書いたかもう忘れかけているから、私の作品が一度にざっと見渡せるようにはしておきたい。

事件物の雑味

鬼平犯科帳全24巻中第21巻辺りまで読んだのだが、だんだんに雑味が増えてきたように思える。コロンボ全69話を3分の2くらいまで見たときにも同じような気持ちになった。最初の頃は、話も面白く、濃くて、殺人事件とか強盗というネタを扱っていながら、時にユーモアも交えてあり、爽快感もある。しかしだんだんと話がドロドロと陰鬱になってきて、リアリティはあるんだろうが、読んでて気持ち悪くなってくる。犯罪なんだから気持ち悪いのは当たり前で、それを敢えてエンターテインメントに仕立ててあるのだが、つい生のどろどろした部分が、濾過されないままに出てくるという感じか。惣菜の刺身を買ってくれば良いのに、サクを買ってきて自分で切ってみると中に寄生虫がいて食欲を失うような感じと言えば良いか。ウィキペディアなんかも、普通に読んでる分には良いが、底の底までデータをさらって分析しようとすると、気持ち悪い、読まなきゃよかったようなことまで読まされてしまう。

シリーズものとはそうしたものなのかもしれないが、原作者や演出家も、やりたいことはもう大抵やり尽くしてしまって、無理に新作を作ろうという気は失ってしまって、しかし続きを出せばそこそこ売れるとわかっていれば、周りから言われてどうしても続けなくてはならない。あまり使いたくない、一度ボツにしたネタなども使ったりするのだろうか。

ブログ村

夏目書房新社の復旧を手伝ってあげて、いつまでも私が管理者でいるつもりはなくて、立ち上がったら他の人に管理を任せたいとは思っているが、今はほとんど私がやっている状態で、ついでにここのブログ(はかもなきことのこと)を復活させたりもし、ブログ村のランキングなんぞにも参加したりしたのだが、サブカテゴリーで11位とか15位くらいになるのはそんな難しくないのだろうか。おそらく過去記事へのアクセスでこれだけランクが上がってるのだろうが。少し頑張って毎日更新したらけっこうな順位まで行けるような気もする。というか今や主戦場は twitter か youtube だろうから、ブログ界隈で目立ってどうするのかという気もする。

ブログ村みたいなサービスってほかにはないのかな。

でもなんか世の中に対して文句言ってもどうせ何も変わらないし、ブログ書くだけ無駄な気もするんだよね。だから、書きたいときに、主に備忘録代わりに書くってことになると思うんだ、私の場合。

ガーミン

sony に ipod が致命傷を与えたように、カシオに対してまず Apple Watch が、続いてガーミンという謎の会社が脅威になりつつある。
ガーミンは中華のパチものかと思ってたらアメリカの割とまともな会社らしい。
なるほど smart watch がソーラー発電で、日に当てさえすりゃ付けっぱなしでも動き続けるわけか。
理屈ではそうかもしれんが、自衛隊員もガーミンを最近は買っていると聞いてちょっと驚いた。ほんとだろうか。
ずっと心拍を計測し続けてくれてしかも電池が切れないというような時計が出てくれれば私も買っても良いと思うのだが。

ていうかカシオはそういう分野で新製品を出してくれないのだろうか。

googleも匙を投げた

近頃はwebで何か調べ物しようと思っても出てくるのは誰が書いたかもわからんようなアフィリエイト目的のまとめサイトばかりで、どれを読んでも似たり寄ったりで、結局役に立つことはわからない。
さらに AI が適当に書いたまとめサイトも出てきてこれもなんの役にも立たず当てにもならない。
web検索は死んだと思うし、googleももうこの状況には匙を投げたのではなかろうか。

googleという会社の将来性もあやしいもんだ。最近はもう、何をやれば良いのかわかんなくなってきてるんじゃないか。
検索エンジン最適化、SEO とかなんとか言って、要するにいかに google をだますか、それにいかに google が対処するかって戦い、実に不毛だ。そこに最近出てきた AI。馬鹿馬鹿しくてやってらんないよね。

読めば読むほどわからなくなる本居宣長

『神社発信』という雑誌の vol.3 (2018年3月発行) から vol.8 (2019年4月発行) まで「読めば読むほどわからなくなる本居宣長」という記事を連載していた。私はこれを複数の人に読んでもらい、感想を聞くことができたのだが、表題の通り「読めば読むほどわからなくなる」というか「読んでも何が書かれているのかよくわからない」と言われた。別に難しいことを書こうと思ったわけではない。一般に宣長は難しいと考えられているが実は簡単なのだけど、宣長は誤解されていて、それら先入観を捨てないと宣長は理解できない。彼を読み解くにはそれなりの準備と時間と手間をかける必要があるから辛抱してついてきてね、途中で宣長100%わかったと思ってもそれは勘違いだから気を付けてね、という程度の意味合いだった。

よくわからない文章を書く人にはさまざまなタイプがあると思う。ハイデッガーとかヴィトゲンシュタインとか?あれも彼らの思想背景を理解しドイツ語の原文で読めば(つまりドイツ語のこまかなニュアンスがわかるネイティブスピーカー並の感性があれば)読めるのかもしれん。
小林秀雄などはいわゆる「悪文」タイプで、感覚的に思いついたことをあれこれ書いていて、文章もうまいのだろうけど、結局何が言いたいのかわからない、言いたいことはあるらしいがまったく根拠が示されてない、なんとなくそれっぽい雰囲気だけの、従って読んだ後に何も残らない。そういうたぐいの文章だと思う。たぶん小林秀雄の文章というものはBGM代わりに朗読かなにかしてもらえば良い気持ちになる、という程度のものだろう。しかしそういう彼にも一定のファンがついてて、そういう文章を愛でるのだ。白洲正子がまさにそういうファンの一人で、しかし彼女は、小林秀雄晩年のライフワーク『本居宣長』に関しては、全然面白くないと、本人を前にそう言っている。私はまったく逆で、私にとって小林秀雄の『本居宣長』以外の文章はちんぷんかんぷんで何を言いたいのかさっぱりわからないのだが、『本居宣長』に関してはちゃんと時間をかけて取材もしてるし、他の人が指摘しなかったような新しい知見があちこちに見られるのだ。誤解を恐れず言えば小林秀雄はもともと「文系的」な文章を書く人だったが、『本居宣長』に至って初めて「理系的」な、中身のある、明確な主張のある文章を書いた、いや、書こうと努力したのだと私には思える。

人をわかったような気にさせる文章を書くのはたやすい。逆に、わかったような気になっている人にわからせる文章を書くのは難しい。

小林秀雄の『本居宣長』はまず彼が宣長の墓参りをするところから始まる。町中の寺にある仏式の墓と、山奥にある神道式の墓だ。この二つの墓の対比がまさに宣長なのであり、導入であり、つかみなのであり、つまり、宣長という人の二面性というか多面性を如実に表す象徴でもある。小林秀雄らしい文芸的なイントロダクションでもあり、同時に極めて示唆に富んだ問題提起でありインスピレーション(霊感、直感)なのだ。少なくとも私にはそう思えた。
小林秀雄も最初はとりあえず取材の手始めに、墓参りでもするかというくらいの気持ちだったのかもしれないが、現地を訪れてやはり何かの霊感を得たのだろうと思う。
しかし普通の人がみれば、なんだ、わざわざ松坂まで墓参りしに行ったのか、で終わりなのだと思う。
私も一度目はそう思ったかもしれない。しかし何度か読むうちにこのイントロダクションに重大な意味があるように思えてくるのだ。
なぜ仏式と神式二つの墓があるかといえば宣長は若い頃は仏教が大好きで、のちに国学者になってもその趣味は消しがたかったからだし、
あるいは徳川家康が仏教を奨励してたから、人は嫌でも寺に墓を作らなくてはならなかったからでもある。
宣長はまず寺で葬式を済ませたあと遺体を山の墓に運ぶよう遺言した。なるほどいかにも宣長らしい。
しかしふつうは、はいはい墓参り墓参り、でそれ以上読むのをやめる。
小林秀雄の『本居宣長』を何度も何度も熟読する人はいない。たいていは最初をちらっと見て読むのをやめてしまう。
なぜかと言うに人は自分が読みたい宣長を読もうとするからだ。小林秀雄がそれ以外の宣長について語ろうとしても、頭の中には入っていかない。

途中、中だるみというか、冗長な回もあると言えばあるが、50回も100回も連載しようとなればそういう、過去に遡った事実の羅列に過ぎない「仕込み」の回がどうしても必要になる。私も連載をやってみて気づいた。面白い回を書くにはしばらくつまらない回を書かねばならぬけれど、それなりの緊張感を持続しつつときどき、おーっと思わせるような明察を披露したりするのだ。
小林秀雄の『本居宣長』に挫折した人は多いと思う。連載はもっと長くてそれを縮めてああなったというから、連載をリアルタイムで読んでいた白洲正子にとっては、まさにつまらなかったのだろう。

『読めば読むほどわからなくなる本居宣長』に関して言えば、連載の話が来ていきなり原稿を書き始めたので初めは何について書こうかなと考えながら書いていた。A4版の全ページカラーの雑誌なので文字ばかり並べてはもったいないと思ったから、国会図書館のデジタルライブラリーから浮世絵なんかをできるだけ探してきて載せようと考えた。1回目と2回目はそんなふうに書いた。書きながら、幕末の薩長から見た宣長と、徳川の幕臣から見た宣長とは全然違うんだなってことに気づいた。
宣長は町人から取り立てられて紀州の家臣になった。つまり侍になった。尾張藩士にも弟子がたくさんいて、つまり、紀州と尾張の徳川家には一目置かれる存在だったし、宣長の「みよさし論」は、同時代の松平定信にも大きな影響を与えた。武士としての宣長、幕臣としての宣長という視点が欠落している。もちろんそのことに気づいて研究している人はいるのだが、世間には知られていない。
小林秀雄も気づいてはいたのだろうがそこについてはあまり掘り下げてない。
なので代わりに私が書いてやろうと思った。
宣長は松平定信に天明の飢饉の対処方法について献策した。定信は表立って宣長の意見を聞いたわけではないが、たぶん大いに参考にしただろうし、紀州・尾張の幕臣たちには宣長の思想が深く浸透していった。宣長は積極的に幕政に関与しようとした。もし定信が受け入れていれば宣長はもっと積極的に、活発に政治的発言をしただろうと思う。

とそういうことを連載していくうちに書いていこうと思い、とりあえずじっくり仕込みから入ろうと思ったのだが、本論を述べる前に連載は8回で打ち切りになった(神社発信が休刊になったから)。
で、人に聞くと、最初の1回目と2回目くらいは面白かったが、それからつまらなくなったと言われた。
人の見方というものはそうしたものなのだなと思った。
私も小林秀雄の轍を踏んだのだった。

『虚構の歌人 藤原定家』にしても、難しすぎると言われる。確かに私が読んでもそうだ。特に最初から通して読もうとしたときなど。だが、ときどき思い出して、一つの箇所をじっくり読み直してみるとけっこうするどいこと書いてるなと思えたりする。
『エウメネス』も加筆修正を繰り返していくうちにだんだん読みにくくなってしまった。自分で読んでても読みにくいんだから他人はもっとそうだろうと思う。
もちろん私の文章には私からみてもまだまだ推敲が足りてない、考察やサーベイが浅い、と思われるところがあるが、では推敲し、考察し、サーベイを加えれば加えるほどに今度は非常に読むのがつらい文章になっていく。これはどうにもしがたい。

夏目漱石はある意味で幸せだった。最初、我が輩は猫であるとか三四郎のようなわかりやすい小説で読者を獲得し、だんだんに難しいものを書くようになったが読者は我慢してついてきてくれた。ただ漱石が作った漢詩は誰も評価してはくれなかったが。別の意味では、漱石もまた、『晩鐘』『落ち穂拾い』を描いたミレーのように、あるいは若い頃に『ゴッホの手紙』を書いた小林秀雄のように、自分が良いと思う作品を他人が評価してくれない典型なのかもしれない。

AIによる盗作

ハリウッドでは脚本家が「AIに脚本を書かせるな」と訴えてデモやストライキを起こしているらしい。非常に興味深い話だ。きっとあのプロデューサーなら「AIが勝手に学習したのでしりませーん」とかしらばっくれるに違いない。ということだろう。脚本家は常に自分のネタがパクられることを恐れているのだ。もちろん単に仕事が減るのが嫌なのかもしれないが、ならばAIには決して書けない面白いシナリオを書かないとね。

実を言えば私も『安藤レイ』という小説を書いて某新人賞に応募し、まもなくして『安堂ロイド』というテレビドラマが出たりもしたのだ。
『安藤レイ』だが私が46才で入院してたとき書いたもので、たぶん2010年くらいに応募して一次予選通過後落ちたからpubooに公開したのが2011年11月25日、しかしここにはもはや痕跡しか残っておらず、kindle で公開したのは 2013年、つまり kdp が 2013年から始まったのでそちらに移したというわけ。
今pubooを見ると、私がとっくの昔に出版停止にした『歌詠みに与ふる物語』『濹西綺譚』『セルジューク戦記』『帝都春暦』あるいは『トゥエンティ・トゥエンティ』などがでてきてとても懐かしいというか恥ずかしい気もする。『濹西綺譚』と『潜入捜査官マリナ』は同じ世界観でできていて、『マリナ』に出てくる工藤はもとはといえば『濹西綺譚』の登場人物である。また『エウドキア』『海賊王ロジェール』は『セルジューク戦記』の一部をリメイクした作品なのだ、というような話を今してもしかたないのだが。

『安藤レイ』と『安堂ロイド』に関していえばどちらもアンドロイドが出てくるという以外は似ても似つかぬ内容なのだが、脚本なんてものは似たりよったりで、まねたとかまねないという話はしょっちゅうあるんだと思う。そういうものに巻き込まれないためにはまず新人賞なんかには応募せずいきなり kdp で出すとか(笑)、きちんとブログや出版物などで証拠を残すなどということが大事だと思う。twitter でも(アカウント凍結されたりしない限り)十分証拠にはなると思う。

それで最近思ったのは、良経が式子と兼実の子、兼実は式子を養っていて、定家は九条家の家司であったから、連絡係になっていたという説なのだが、これは私が思いついて『虚構の歌人』に書いたのが2015年。式子が死んだのが1201年、良経が死んだのが1206年、兼実が死んだのが1207年、そして定家が死んだのが1241年。真相を知っているはずの関係者らが全員死んで800年もの間、こういう学説を唱えた人はどうやら一人もいなかったらしい。

式子は父後白河院から大炊御門殿を遺領として受けていたが、すでに兼実が院にこの屋敷を借りて使用していたために、式子は後見人の吉田経房の屋敷にしばらく住んでいたが、兼実が関白を辞めると大炊御門殿に移り住んだとある。
兼実の息子良経が式子に言い訳めいた

> ふるさとの 春を忘れぬ 八重桜 これや見し世に かはらざるらむ

という歌を詠んで贈ったのも兼実が大炊御門殿を横領して式子を住ませなかった時期であるとされる。
定家は九条家の家司であったが、また式子の姉の家司のような仕事もしていたらしい。

思うに、もし良経が式子の子であるとすればそれは決して外に漏らしてはならない話であり、兼実と式子が親しいという噂もあってはならないことだ。むしろ式子が後白河から相続した家を兼実が横取りしたというような、摂家の横暴、悲劇の内親王ともいえる噂が広まるほうが好ましかっただろう。
しかしそれら「兼実と式子が対立する構図」も、兼実が隠し妻式子を内々で養っていたと考えればすべて説明がつくのである。何しろ加茂斎院の懐妊などとは大罪(軽くて斎院号剥奪?)であり大スキャンダルだ。絶対世に知られてはいけなかった。皇族や藤原氏の間でもきつく緘口令が敷かれていただろう。
そもそも伊勢斎宮や賀茂斎院といえ皇女といえど生身の女である。あんなに歴代たくさんの斎宮斎院がいて密通の一つもなかったはずがない。『伊勢物語』はこの際おいといて、実際露見した例もある(済子女王など)。

それでまあ話は戻るのだが、AIがネットに散らかってるブログを学習して自分の学説をこしらえるとしたら、私としては逆に、ブログに自分の説を書いて、それをAIに学習させることによって、この式子が兼実の愛人であり、良経が隠し子であったという説を世の中に広めることができるのではなかろうか。そしてその学説が広まった頃合いで、いやいやその説はもともと2015年に書いた私の著作が初出であって、AIが勝手に学習して使っているのですよ、と言えるのではないか。
私の学説など誰も広めてくれないが(今更そちらの学会に入っても相手にされないだろう)AIならやってくれるかもしれん。
やはり私の仕事は人間ではなく、先入観もないAIが先に評価してくれるのではないかなあ。

アジトで不要不急の仕事

連休は例のアジトに引きこもって、非日常な暮らしを楽しんでいる。このアジトの場所についてあまり詳しいことを今は書きたくないが、北関東にはありがちなごく普通の町である。世の中ではいわゆる盆正月とか連休という頃合いは逆に、人ごみや出費を避けて普段やらないようなことをやる。
部屋掃除くらいしか気が乗らないので、あとはブックマークの整理など、不要不急なことをやっている。
この google chrome のブックマークというやつなんだが、いろんな場所で使っていて同期してるとどんどん壊れていく。ぐしゃぐしゃになってしまうので、最近はブックマーク(とそのほかの一部)だけ同期をやめてしまった。google ともあろうものがなんて頭悪いんだろう。で、そのぐしゃぐしゃになったブックマークを手で直している。まったく急ぎの仕事ではないが整理しておくととても便利。

『虚構の歌人』や、本居宣長の連載を書いていた頃の私には今と比べて時間がいくらでもあったと言ってよい。あの頃は給料をもらいつつ実際には自分のライフワークとしてこれらの執筆活動をしていたようなものだった。給料泥棒のように聞こえるかもしれないが、私の同僚にはそうした仕事の仕方をする人はざらにいるので、特に避難される筋合いのものではなかろう。
しかしながらこの3年間、コロナのせいでほんとうにひどい目にあった。私は5年前にある役職についてその仕事に6年間縛られることになった。3年目からあのバカ騒ぎが始まって、私はあのバカげた病気のせいで会議に謀殺されることになった。まったく無意味な会議だった。
covid-19 の前には covid-18があり covid-17があり悠久の昔からこのウィルス性肺炎というものはあったし、covid-19 のあとには covid-20 があり、covid-21がありcovid-22があり、今年はcovid-23があって、これからも未来永劫ウィルス性肺炎というものはあるのである。人類がまったく無菌状態の世界で暮らすようにならない限り。人類はずっと細菌やウィルスと免疫系を構成して生きているものなのだ。
そんな当たり前なことがわからずただ対策という名のバカ騒ぎで時間を空費した。
世の中もおかしいが私にたまたま割り当てられた役職もバカげたものだった。しかしながらこの仕事をとにもかくにも担ったことで、私は多少、自分の執筆活動について罪滅ぼしをしたような気になっている。
4月になってあのあほらしいコロナ対策会議というものもなくなり、私はやっと3年前のゆとりある気分を取り戻しつつある。そう私はこんなに自由だったんだ、あの頃はと思える。そしてこの役職も今年1年で終わりなので、いくらなんでも今よりもっと忙しい仕事を振られることはなかろうと思っている。
世の中にはこういう役職についてどんどん仕事や会議が降ってくるのを喜び楽しむ人もいるかもしれないが、私はなにかものを書いていたり、プログラミングしてたりするほうが楽しいたちなので、会議にはなんの喜びも感じない。というのは少し言い過ぎかもしれない。無意味な議題をできるだけ避けて、有意義な議題にできるだけ集中し、参加者の意見をできるだけ取り上げて、私の後任者に仕事を引き継ぐ、それに多少のやりがいを感じないわけではない。そしてできればこの体験を小説にでもできたら、その小説がいつか正当な評価を受けてくれたらうれしいと思っている。

『虚構の歌人』に関していえば、あれはあの時の私にしか書けなかった記念碑的な作品だと思っている。稚拙さ、未熟さも含めて、ああいう一冊の書籍という形で作品を残せたのはたいへんありがたかった。その機会を与えてくれた人のために今、夏目書房新社のwordpress仕事を手伝ってあげて(こことか)、ついでに私のこのブログも復活させたのである。