heidi 1-1-7

“Ich möchte nur wissen”, sagte die Barbel forschend, “was der Alte auf dem Gewissen hat, dass er solche Augen macht und so mutterseelenallein da droben auf der Alm bleibt und sich fast nie blicken lässt. Man sagt allerhand von ihm; du weißt doch gewiss auch etwas davon, von deiner Schwester, nicht, Dete?”

「私はただ知りたいの、」バルベルは知りたげに言った、「あの老人は、何に負い目を感じて、あんな目つきをして、たった一人でアルムの中に引きこもって、滅多に人前に姿を現さないのかね。彼についてみんないろんな噂をするが、あんたもきっとそのわけを、あんたの姉さんから聞いたんじゃないかね、デーテ。」

“Freilich, aber ich rede nicht; wenn er’s hörte, so käme ich schön an!”

「ええもちろん。でも、私は話さないわよ。もしそれが彼の耳に入ったら、私が大変なとばっちりを受けるからね。」


was auf dem Gewissen haben あることに責任がある

so käme ich schön an! わかりにくい。できる限り直訳してみた。

heidi 1-1-6

“Ich möchte nicht das Kind sein!”, rief die Barbel mit abwehrender Gebärde aus. “Es weiß ja kein Mensch, was mit dem Alten da oben ist! Mit keinem Menschen will er etwas zu tun haben, jahraus, jahrein setzt er keinen Fuß in eine Kirche, und wenn er mit seinem dicken Stock im Jahr einmal herunterkommt, so weicht ihm alles aus und muss sich vor ihm fürchten. Mit seinen dicken grauen Augenbrauen und dem furchtbaren Bart sieht er auch aus wie ein alter Heide und Indianer, dass man froh ist, wenn man ihm nicht allein begegnet.”

「私なら、あの子の立場にはなりたくないね、」バルベルはまっぴらごめんという身振りで叫んだ。「あの山の上に住んでいる得体の知れない男は、誰とも関わりを持とうとしないし、もう何年も教会に足を踏み入れもしないし、一年に一度ばかり、太い杖をついて山から下りてきてはみんな恐れをなして姿を隠してしまう。あの太い灰色の眉毛ともじゃもじゃした髭はまるで異教徒かインド人のようで、たった一人で彼と遭遇しないことを喜ばない人はいないわ。」

“Und wenn auch”, sagte Dete trotzig, “er ist der Großvater und muss für das Kind sorgen, er wird ihm wohl nichts tun, sonst hat er’s zu verantworten, nicht ich.”

「そうだとしてそれがどうだというの、」デーテは開き直って言った、「彼は祖父であの子の面倒をみなきゃいけないのよ。彼はあの子にまったく何もしてやらないかもしれない。でもその責任を負うのは彼よ。私ではなくて。」


heidi 1-1-5

“Das kann er nicht, er ist der Großvater, er muss etwas tun, ich habe das Kind bis jetzt gehabt, und das kann ich dir schon sagen, Barbel, dass ich einen Platz, wie ich ihn jetzt haben kann, nicht dahinten lasse um des Kindes willen; jetzt soll der Großvater das Seinige tun.”

「そんなこと彼にできっこないわよ、彼はあの子の祖父なのよ、彼にはやらなきゃならないことがある。私はこれまであの子を養育してきたのよ、バルベル。だから、今私が得ようとしている仕事を、あの子のために、諦めたくないって、私には言う権利があるはずよ。今はあの子の祖父がやるべきことをやるときよ。」

“Ja, wenn der wäre wie andere Leute, dann schon”, bestätigte die kleine Barbel eifrig; “aber du kennst ja den. Was wird der mit einem Kinde anfangen und dann noch einem so kleinen! Das hält’s nicht aus bei ihm! Aber wo willst du denn hin?”

「そうね、彼が普通の人だったら、きっとそうでしょうね、」バルベルはむきになって言い張った、「でも、あなた、あの人がどんな人か知ってるでしょう。彼があの子にどんなことをするか。あんなちっちゃな子に!あの子はおじいさんに耐えられないわよ!で、それであんたはどこに行こうっての?」

“Nach Frankfurt”, erklärte Dete, “da bekomm ich einen extraguten Dienst. Die Herrschaft war schon im vorigen Sommer unten im Bad, ich habe ihre Zimmer auf meinem Gang gehabt und sie besorgt, und schon damals wollten sie mich mitnehmen, aber ich konnte nicht fortkommen, und jetzt sind sie wieder da und wollen mich mitnehmen, und ich will auch gehen, da kannst du sicher sein.”

「フランクフルトよ、」デーテは答えた、「私はそこでとても良い待遇の仕事をもらうの。そこのご主人様は去年の夏に温泉にいらして、私はその方の部屋を担当しお世話したの。その方はその時すでに私に一緒にきてほしがったのだけど私はここを離れることができなかった。そして今その方がまたいらして、私を連れて行きたがっていて、私も行きたいの。ねえあなた、わかるでしょ。」

heidi-1-1-4

Jetzt trat eine breite gutmütig aussehende Frau aus der Tür und gesellte sich zu den beiden. Das Kind war aufgestanden und wanderte nun hinter den zwei alten Bekannten her, die sofort in ein lebhaftes Gespräch gerieten über allerlei Bewohner des ‘Dörfli’ und vieler umherliegender Behausungen.

そこへ、恰幅の良い気のよさそうな見た目の女が戸から出てきて、二人に加わった。女の子は立ち上がって、デルフリやその周辺の住人らについてありとあらゆることをかしましく喋り始めた二人の女たちの後をついて歩き始めた。

“Aber wohin willst du eigentlich mit dem Kinde, Dete?”, fragte jetzt die neu Hinzugekommene. “Es wird wohl deiner Schwester Kind sein, das hinterlassene.”

「でもさ、その子をいったいどこに連れて行こうってんだい、デーテ?」新しく加わった女が訊いた。「その子はあんたの姉さんの子だろ。一人っきり残された。」

“Das ist es”, erwiderte Dete, “ich will mit ihm hinauf zum Öhi, es muss dort bleiben.”

「そうよ、」デーテは答えた、「私はこの子をおじさんのところへ連れて行くの。この子はあそこにいるべきだわ。」

“Was, beim Alm-Öhi soll das Kind bleiben? Du bist, denk ich, nicht recht bei Verstand, Dete! Wie kannst du so etwas tun! Der Alte wird dich aber schon heimschicken mit deinem Vorhaben!”

「なんだって。その子をアルムおじさんのところに置いていくって?あんたちょっとおかしくなったんじゃないの、デーテ!どうしてあんたはそんなことができるんだい!でもあの老人はきっとあんたと一緒にその子を家に送り返すだろうよ!」


Der Alte wird dich aber schon heimschicken mit deinem Vorhaben! 意味通じにくい。直訳すれば「その老人はきっとあんたをその計画とともに家に送り返すだろう。」

project gutenberg の英訳:

The old man, however, will soon send you and your proposal packing off home again!

The old man, however, will soon send you both packing off home again!

I am sure the old man will show you the door and won’t even listen to what you say.

heidi 1-1-3

Die Angeredete stand still; sofort machte sich das Kind von ihrer Hand los und setzte sich auf den Boden.

その言葉に娘は立ち止まった。するとすぐに女の子は娘の手を振りほどいて地面に座り込んだ。

“Bist du müde, Heidi?”, fragte die Begleiterin.

「疲れたの、ハイディ?」娘は尋ねた。

“Nein, es ist mir heiß”, entgegnete das Kind.

「ううん。暑いの。」女の子は答えた。

“Wir sind jetzt gleich oben, du musst dich nur noch ein wenig anstrengen und große Schritte nehmen, dann sind wir in einer Stunde oben”, ermunterte die Gefährtin.

「私たちはすぐに上まで行かなきゃならないの。おまえはもう少し辛抱してしっかり歩いてね。そしたらあと一時間で上に着くから。」娘は連れの女の子を励ました。

heidi 1-1-2

Auf diesem schmalen Bergpfade stieg am hellen, sonnigen Junimorgen ein großes, kräftig aussehendes Mädchen dieses Berglandes hinan, ein Kind an der Hand führend, dessen Wangen so glühend waren, dass sie selbst die sonnverbrannte, völlig braune Haut des Kindes flammend rot durchleuchteten. Es war auch kein Wunder: Das Kind war trotz der heißen Junisonne so verpackt, als hätte es sich eines bitteren Frostes zu erwehren. Das kleine Mädchen mochte kaum fünf Jahre zählen; was aber seine natürliche Gestalt war, konnte man nicht ersehen, denn es hatte sichtlich zwei, wenn nicht drei Kleider übereinander angezogen und drüberhin ein großes, rotes Baumwolltuch um und um gebunden, so dass die kleine Person eine völlig formlose Figur darstellte, die, in zwei schwere, mit Nägeln beschlagene Bergschuhe gesteckt, sich heiß und mühsam den Berg hinaufarbeitete. Eine Stunde vom Tal aufwärts mochten die beiden gestiegen sein, als sie zu dem Weiler kamen, der auf halber Höhe der Alm liegt und ‘im Dörfli’ heißt. Hier wurden die Wandernden fast von jedem Hause aus angerufen, einmal vom Fenster, einmal von einer Haustür und einmal vom Wege her, denn das Mädchen war in seinem Heimatort angelangt. Es machte aber nirgends Halt, sondern erwiderte alle zugerufenen Grüße und Fragen im Vorbeigehen, ohne still zu stehen, bis es am Ende des Weilers bei dem letzten der zerstreuten Häuschen angelangt war. Hier rief es aus einer Tür: “Wart einen Augenblick, Dete, ich komme mit, wenn du weiter hinaufgehst.”

細い山道をたどって、晴れた六月の朝、この山に生まれ育った背の高い娘が、一人の女の子の手を引いて登っている。女の子の頬は、すっかり日に焼けた茶色の肌を通して真っ赤になるほどほてっている。暑い六月の日差しにもかかわらず、女の子は寒さを耐え忍ぶためのように、厳重に厚着させられている。その子はまだ五才になるかならないかくらいだったが、二着も三着も重ね着した上に、赤い木綿の布を巻き付けられていたので、実際にはどのような体型をしているのかわからぬほどで、その上、鋲を打った重たい登山靴を履いていた。二人は谷間から一時間余りも登って牧草地の中腹、アルムにある「デルフリ」と呼ばれる集落に着いた。ここで二人の訪問者は、道ばたや、窓や戸の中から、いちいち村人らに声をかけられた。というのはここはその娘の生まれ故郷だったからだ。娘は立ち止まらずいちいち挨拶に返事をしながら、家並みがまばらになった集落のはずれまで来た。ここで誰かが戸口の奥から声をかけた。「ちょっと待ってよ、デーテ。あんたがもっと上までいくんなら私がいっしょについていくからさ。」

heidi 1-1-1

Zum Alm-Öhi hinauf

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen. Wo der Fußweg anfängt, beginnt bald Heideland mit dem kurzen Gras und den kräftigen Bergkräutern dem Kommenden entgegenzuduften, denn der Fußweg geht steil und direkt zu den Alpen hinauf.

アルムおじさんの山小屋へ登る

気さくな村人らが住むマイエンフェルトから一本の杣道が木立の多い緑野を抜けて、雄大な渓谷を見下ろす丘の麓まで伸びている。その道をたどり始めるとすぐに、たけの低い草や野生の山草が生い茂る藪からかぐわしい香りがただよってきて、さらにその道はまっすぐに険しいアルプスの上まで続いている。


zu は場所へ、hinauf は上へという意味だからそのニュアンスを出すには意訳するしかないか。

kräftig は強い、というより、たくましい、野生の、という意味だろう。

Bergkräuter、Kraut には薬草、香草、香辛料となる草、つまりハーブという意味もあるが、ただの葉、あるいはキャベツの意味もある。ここでは単に山草と訳した。

作者ヨハンナにとって、マイエンフェルトは土地勘のある場所ではなかったはずだ。鉄道が通り、駅が出来、ふるくからある修道院の湯治場が開発されてラガーツ温泉という保養所ができて、それでヨハンナはチューリッヒから汽車に乗ってマイエンフェルトに訪れることになった。そうして初めてヨハンナはこの地で小説を書くために現地の人たちから取材をした。そういう意味で、この freundlich は、普通の田舎の村や町がよそものに対して「閉鎖的」で「親しみにくい」のに対して、マイエンフェルトやラガーツ温泉が、「観光客」であるヨハンナにとって、「開放的」で「親しみやすい」、というような意味合いであったはずだ。このようなニュアンスの差はヨハンナが書いた他の小説の冒頭と比較してみればもっとわかりやすいと思う。ここでは無難に「気さくな村人らが住む」と訳してみた。そんな気さくな村人の典型がデーテやバルベルだというわけだ。

ヨハンナはみずからファンタジーを好んで書く人ではなく(そのような需要やリクエストは多かったに違いないが)、その描写はいつも克明で具体的でリアルだが、翻訳の段階で多くは「夢の国」「子供の楽園」スイスというファンタジー要素が付加されてしまっているように思われる。

鬼平犯科帳24巻読了

とうとう鬼平犯科帳を全部読み終えたので何か感想を書こうと思うが、これがまたけっこう難しい。

第23巻から「荒神のお夏」という同性愛の盗賊の頭が出てきて、それまでの路線からちょっとはみ出していて、あれっと思った。マンネリ気味になったので新しいキャラを入れて無理矢理新しい展開を作り出そうとしているようにもみえた。

お夏は火付盗賊改の密偵となっているおまさを気に入り、おまさもお夏の妖しい魅力に抗しきれてない。おまさらの活躍でお夏一味の押し込みは失敗するが、お夏だけはなぜか逃げ延びる。

おまさはお夏がおまさを殺しに来るのだろうと思っているが、お夏はおまさが密偵であることに気づいておらず、ただおまさを見つけ出して一緒に暮らしたいと考えている。お夏はおまさを連れてくるよう、知り合いの盗賊、三河の定右衛門なる者に依頼するが、彼の一味の中にはおまさが密偵であることに気づいている者がいて、おまさをお夏の所へ連れて行く前に始末しようと考えている。

ここで定右衛門一味は神谷勝平という浪人を雇っておまさを誘拐するが、神谷はおまさやお夏に同情的で、おまさの危難を救ってやろうと考えている。

という辺りまできて作者死去のため、この「誘拐」という長編は中断している。

この続きがどうなるかというと大筋としては定右衛門一味は例によって火付盗賊改によって捕らえられおまさは救い出される、ということになろう。ただこの、荒神のお夏なるキャラはこの鬼平犯科帳では明らかに浮いていて、いかにも唐突に出てきた感じで、このキャラをいまさら池波正太郎が縦横に使いこなすとは、ちょっと考えにくいのだが、もしこの話をもっと引っ張るつもりならば、おまさがお夏に連れ去られて二人とも姿をくらますとか、そういうオチにして続編につなげるなどするかもしれない。お夏とおまさは二人組の女盗賊となって京都辺りを荒らし回り長谷川平蔵が京都に乗り込んでなんとかかんとか。

でも鬼平犯科帳はおそらく長谷川平蔵がなんかとんでもないことをやらかして罷免になるところで終わるだろうから、なんかメインのキャラが何人か死んで(おまさとか木村忠吾とかお熊とか?)それで引責辞任ってあたりがおとしどころではあるまいか。

こうしてちょっと書いてみて気づいたが、この鬼平犯科帳について何か書こうとするとまずそのあらすじを紹介するだけで一苦労で、これに自分なりの解釈を加えてみるというのはそんなに簡単なことではない。ざっとネットを検索してみても、そんなややこしいことをやっている人はほとんどいないようだ。鬼平犯科帳はテレビドラマにもなり漫画にもなり、役者や漫画家も複数いて、原作は一応あるにはあるんだけど、原作をじっくり分析しようという人はいないように思う。

私は自分でも小説を書くので、原作からどのように映像化されるのか、そのときどんなふうに脚色されるのかってことに非常に興味がある。それでドラマも漫画もそれなりに見てみたんだが、やはり原作が一番面白い、良い原作を書く以上に面白いことはないと思うのは、私がやはり小説を自分で書く人間だからかもしれない。

あほなAIにあほなマーケティング

最近、エウメネスの売り上げが落ちてきているのだがこれにはいろいろ思い当たるふしがある。

私の小説の中でエウメネスだけが割と読まれていた。それほどの収益にはならないが、売れ続けているということで、書き続けよう、完結させようという気にさせてくれた。

なぜエウメネスだけが売れ他は売れないかというからくりにはもうとっくに気づいている。「ヒストリエ」というマンガがあり、その主人公がエウメネスで、エウメネスについてもっと知りたいという人がネットかアマゾンで検索すると割と上位に私の小説がでてきて、それで読まれていたというわけだ。私がエウメネスを書いたのはいつだったかこまかなことはすぐには思い出せないが、エウメネス1をkindleで出したのは2013年。つまりkindleが始まってすぐに出したわけだが、この頃はエウメネスに関して書かれた書物はほぼなかったから、自然と私の小説が読まれることになったわけだ。

私は別に「ヒストリエ」を意識して、ましてやそのマーケティングに乗っかろうと思って「エウメネス」を書いたわけではない。逆に、なぜ「エウメネス」だけ売れるのか調べていて「ヒストリエ」の存在、というか内容を知ったのである。「ヒストリエ」がなければ私の小説が読まれているはずがない。内心忸怩たる思いはありつつ、しかしもしかしたらごく一部の人は私の小説を愛好してくれているかもしれない、「ヒストリエ」をきっかけに私の小説を知るきっかけになってくれたら、というつもりで書き続けていた。

しかしながら最近は最初から「ヒストリエ」を意識してエウメネスを書籍化したものがたくさん出てくるようになり、まとめサイトもでき、自然と私の小説が検索上位に上がってくることはなくなった。そりゃそうだとおもう。私の『エウメネス』は書きも書いたり。50万字を超える大長編になってしまった。エウメネスとは何かってことをただ手っ取り早く知りたい人が読むようなものではない。

しかも最近はアホのAIまで出てきてネットに散らかっているいろんな情報を適当にまぜあわせそれっぽい文章にしてアップロードし、それをまた後発のAIが学習して、さらに意味不明な記事を書き散らかす。インターネットというものがでてきてまだ30年くらいしかたってないのにインターネットはここまで荒廃した。

だから私が今後やるべきことはそんなけちな了見の「あほなまとめサイト」「あほな書籍」「あほなAI」と真逆のことをして、今度こそほんとの読者を獲得するってことだと思っている。

「エウメネス」は最初「メガス・バスィレウス」、つまり「大王」というタイトルで、誰が主人公というわけでなく、エウメネスに相当する人物の名は「ニコクラテス」という名前で、ニコクラテスとアレクサンドロス大王が対話する三人称小説だった。なんでニコクラテスという名前だったかといえば、たぶん、アテナイでありふれた名前だったからだろう。なんでエウメネスに変えたかと言えば、アレクサンドロス大王について、も少し詳しく調べて、ニコクラテスという架空の人物、しかもアテナイ人ではなくて、マケドニア人の誰か、もしくは、王が王太子だったときからの側近を一通り調べて、秘書官となったエウメネスが一番私の趣味に合ったからだと思う。なんでエウメネスの一人称小説にしたかというとたまたまその頃、一人称小説を書くのに凝っていて、今もほぼ一人称で私は書くのだけど、王のそばでいつも王を見ている、ごく平凡な人を仮の主人公(視点)にし、読者をエウメネスに感情移入させることによって、実質的な主人公(視られる対象)である王を客観的に描きたかった。

つまりこの小説は、実質的には、王を描く三人称視点の小説なんだが、そこに読者の依り代となり、読者の目や耳の代わりとなるエウメネスがいて、読者の視点は完全にエウメネスの内側に置かれていて、読者はエウメネスというカメラを通じて王を観察する。そういう体裁上、これは一人称小説になっているわけで、必ずしも主人公の体験を主観的に描いている小説(たとえば私の小説で言えば安藤レイとか)とか私小説というわけではない。

エウメネスは剣客でもなければ妖術使いでもない。王もそう。私はそういうものには興味無いし書く気にもなれないし、そういうものが好きな人を読者に持ちたいとも思わない。歴史というものが、過去から未来へ、必然的に進展していく。私はそういう歴史小説が書きたいわけで、そこに魔法とか奇跡とか宗教を持ち込むと、じゃあなんでもアリじゃん、作者の好きな方向にいかようにも話をもってけるじゃんてことになり、歴史にならんのだよ。