文字無き時代の淘汰圧

土屋文明も柳宗悦も、万葉集は歌人ではなく名も無い庶民が歌を詠んでいたのが良い、古代の詠み人知らずの歌のほうが後世の名のある歌人の歌より良いなどという。柳宗悦はまた沖縄の和歌のようにやはり無名の民謡のような歌のほうがよいという。しかし文字が無かった古代に残った歌というものは相当な淘汰圧がかかったはずであり、人から人へ口から口に伝えられるうちに最初に詠んだ人の歌とは似ても似つかぬほどに改変されてしまったはずだ。古代の詠み人知らずの歌というものはそうした淘汰改変の結果わずかに残った、つまり、選りに選って選抜され推敲された歌なのだから、良いのは当然なのである。ただの素人の歌がそのまんま残ったものではない。梁塵秘抄や平家物語のように自然発生的に生まれた文芸作品においても同様のことがいえるだろう。

だが現代の新聞歌壇のようなものは、素人が詠んで投稿し選者がきまぐれで選んだだけだから、だれが詠もうとそのまま文字になって残り、駄作は永遠に駄作のままなのである。

素人が自由に思ったことをそのまま歌に詠めば良いなどいうのが自然主義とか万葉調とかアララギとかいうのかしらんが、そんなのはまったく嘘だ。今の歌壇に一番近いのは万葉の詠み人知らずの時代ではなく、現代歌人が嫌っている、淘汰圧というものがほとんどかかっていなかった室町中期の続新古今集時代だろう。しかし続新古今集とても、素人がただ勝手に詠み散らかしただけの歌を採るなどという暴挙には出なかったはずだが。斎藤茂吉は良い歌人だが下手な歌人でもある。笑点の大喜利で落語家が良いことを言うこともあればつまらないことを言うこともある。あれと同じだ。だから、一般人が茂吉を見ていると歌なんてものはなんでもいいんだなとしか思えまい。ここまで混乱させておいて誰が責任を取り収拾するのか。

もっと削らなくてはならない

『関白戦記』辺りはまああれはあれで良いと思うのだが、『エウメネス』はもっと削らなくてはならない。kindleの悪いところは書こうと思えばいくらでも書けてしまうことで、そうすると私の場合なんでもかんでも書けるものは書いちゃおうとするから読みにくくなる。

まず読みやすさを優先して削るところは削るし、読みやすさを優先して冗長にすべきところはくどくど書くべきなのだ。削るところというのはつまり単なる説明をしているところだ。何とかという人の名前とか要するに単なるキャラクター設定の紹介なんかは削らなきゃ駄目だ。どういうキャラクターかということはストーリーを追っていくうちに自然とわかるようにしなきゃダメだ。街の説明、部族の説明。みんなそう。歴史小説ではとにかく固有名詞が多くなりすぎる。そこをなんとかしなきゃダメだ。

冗長に書くべきところというのは逆で、デタラメでも嘘でもいいから想像で街の雰囲気とか、ただ道を歩いているだけの場面とか、なにかの経験を使ってもいいから、だらだらと書く。こういうのをなんというのだろうか。埋め草とでもいおうか。筋に関係ない、日常のとりとめもないことを適当に挟むと物語っぽくなる。説明っぽさが薄まる。

ブログに戻る その2

ブログに戻るの続きなのだが、最近は本を書いてたりとか(出版はされるだろうがいつになるかはわからない)、給料をもらっている方の仕事が忙しかったりとか、そもそもブログを書くことに意味を見いだせてなかったからずっと放置していた。レンタルサーバーも解約し、ここのサイトもハテナブログ辺りに置きっぱなしにしていたと思う。

レンタルサーバーは入金が無いといきなりこの世から消滅してしまう。死んだ後にも何か書き残しておきたいという目的にはまったくむいていない。だから個人で借りているレンタルサーバーよりかはハテナブログにでも書いておいたほうがまだ後まで残る可能性が高い。ハテナが将来つぶれても、archive.org あたりが断片でも残してくれている可能性がある。

archive.org aug 2009 などみると、このサイトは当時「亦不知其所終」というタイトルだったってことがわかる。うん。「はかもなきこと」はもっと昔から書いてた「ウェブ日記」のタイトルだったはずだ。はてなブログのほうは「不確定申告」というタイトルだった。こちらも一応残しておこう。

kindleに書いたのものも残ってくれるだろう。amazonがたとえ潰れたとしてもあれだけのコンテンツが無に帰するということはないはずだ。にしても、後世に書いたものを遺したいという希望はなんと曖昧で不確かなものだろうか。たぶんこういう考えを私が早くからもっていたのは内村鑑三の『後世への最大遺物』を読んだせいだと思うが、はなから書いたものは後に残るという前提でものを考えてしまうが、内村鑑三が書いたものが残ったのだって、たまたま世の中が文明開化して、彼はそれなりに有名になったから残っているだけのことであり、また、書き残しはしたものの、ほとんど誰の目にも触れないゴミくずになる可能性も大いにあるわけだ。

それでもやはりブログを書こうと思うのは、本はもちろん良いのだが、本には書ききれないこともある。書いては削り書いては削りするからその削りしろのもって行き場がない。この削りしろの量というのは馬鹿にならないし、削ってしまうともうどこにも書けないと思うと思い切って削ることができず、そのためらいが文章を読みにくくしてしまう。だから削るものはどんどん削らなくてはならない。で、とりあえずメモ程度に書いておくものが必要で、それにはブログがちょうど良い。削りしろといえば小林秀雄の『本居宣長』なんてまさに削りしろ無しに思いついたことをそのまんま全部書いているようなもので、本人はあれでもだいぶ整理したというから、もともとの文章はもっとダラダラと冗長なんだろうな。そういう文章を読むのも時には楽しいが、調べ物しているときなんかにはどこに書いてあるかすぐ出てこないから困る。

SNSにあいそがつきたというのもある。もうSNSには書きたくない。それとほぼ同じ理由で、もしマスコミに何か書けと言われても書きたくはない。どっちも同じだ。ああいうところに書くのはもうやめにしたい。自分のペースで自分の書きたいことだけを書こう。

archive.org だけど、おそらく金儲けのためだと思うが、トップページからいくら検索しても自分のサイトはでてこない。直接save page now というページに行くのが良いと思われる。

このブログは昔 markdown記法で書いていたのだが、今は最新のwordpressの記法にそろえようとしている。古いやつはリンクが無効になっていたり、改行があちこち入っていたりするので、そのうちちゃんと直しつつ文章も手直ししようかとは思っている。

heidi 1-3-3

Nun ging es lustig die Alm hinan. Der Wind hatte in der Nacht das letzte Wölkchen weggeblasen; dunkelblau schaute der Himmel von allen Seiten hernieder, und mittendrauf stand die leuchtende Sonne und schimmerte auf die grüne Alp, und alle die blauen und gelben Blümchen darauf machten ihre Kelche auf und schauten ihr fröhlich entgegen. Heidi sprang hierhin und dorthin und jauchzte vor Freude, denn da waren ganze Trüppchen feiner, roter Himmelsschlüsselchen beieinander, und dort schimmerte es ganz blau von den schönen Enzianen, und überall lachten und nickten die zartblätterigen, goldenen Cystusröschen in der Sonne. Vor Entzücken über all die flimmernden winkenden Blümchen vergaß Heidi sogar die Geißen und auch den Peter. Es sprang ganze Strecken voran und dann auf die Seite, denn dort funkelte es rot und da gelb und lockte Heidi auf alle Seiten. Und überall brach Heidi ganze Scharen von den Blumen und packte sie in sein Schürzchen ein, denn es wollte sie alle mit heimnehmen und ins Heu stecken in seiner Schlafkammer, dass es dort werde wie hier draußen. – So hatte der Peter heut nach allen Seiten zu gucken, und seine kugelrunden Augen, die nicht besonders schnell hin und her gingen, hatten mehr Arbeit, als der Peter gut bewältigen konnte, denn die Geißen machten es wie das Heidi: Sie liefen auch dahin und dorthin, und er musste überallhin pfeifen und rufen und seine Rute schwingen, um wieder alle die Verlaufenen zusammenzutreiben.

そこでその子は喜びいさんでアルムに登った。夜中に吹いた風が小さな雲まで全部吹き飛ばして、空は一面深い青色で、その真ん中にお日様が笑っていて、緑のアルプを輝かせていた。小さな青や黄色の花が花冠をもたげ、楽しげだった。ハイディはあちこち飛び跳ねて、お日様の下、あるところにはすてきな赤いサクラソウの群生を見つけ、また真っ青なリンドウの茂みを見つけたり、またあるところでは柔らかい葉を茂らせた黄色いスミレをみつけ、そのたびに喜びの声を上げた。キラキラと輝いて手招きする花々を渡り歩いているうちにハイディはすっかりペーターや山羊たちのことを忘れてしまった。辺り一面に咲く黄色や赤の花がその子を魅惑した。ハイディはそれらの花々をいちいち摘んで自分のエプロンの中に詰めた。家に持って帰り、干し草のベッドの上にまいて、色とりどりの花で飾ろうと思ったからだ。ペーターは辺りを注意深く見張ったが、その目はあまりすばやく動けない。山羊たちもハイディとおなじようにあちこち動き回るので、彼は鞭を振り、口笛を吹き、大声で叫んで、それらの山羊たちをとりまとめ引き連れていくのにてんてこまいだった。


Kelch ワイングラスのように台と足がついたコップ。ここでは花冠と訳した。

Himmelsschlüsselchen。Echte Schlüsselblume、Wiesen-Primel、Frühlings-Schlüsselblume、Wiesen-Schlüsselblume、Arznei-Schlüsselblume などさまざまな名前がある。Himmelsschlüssel を直訳すれば「天国の鍵」。英語では primula、日本語ではサクラソウと訳すのが無難か。

Enzian は英語でGentiana。リンドウと訳せばよいか。

Cystusröschen = Cistus + Ros (バラ) + chen (小さな)。Cistus にはゴジアオイ、あるいはニンニチバナなどの名があるが、バラなのかもしれない。英語では Cistus または rock-rose。「みやまきんぽうげ」と訳した例もあるが、あまり品種にこだわることには意味は無いと思い、ここでは無難にスミレと訳した。

ヨハンナの作品にはしばしばこのようにたくさんの植物の名が出てくる。

シラカバ(Birke)。
イチジク(Feige)。
レモン(Zitrone)。
百合(Lilie)。
バラ(Rose)。
スミレ(Veilchen)。
忘れな草(Vergißmeinnicht)。
サクラソウ(Schlüsselblume)。英語ではcowslip (ウシスベリ)などと呼ばれるが、ぴったりの和名はない。
梨(Birne)、梨の木(Birnbaum)。
トネリコ(Esche)。セイヨウトネリコとも。英語では Ash tree。
銀盃花(Myrte)。ギンバイカ。
月桂樹(Lorbeer)。ゲッケイジュ。
モミ(Tanne)。
赤松(Föhre)。Kiefer、 Waldkiefer、ヨーロッパアカマツとも。単にマツと訳してもよかったかもしれない。
蔦(Epheu)。
麦の穂(Halm)。穀物の茎のことだが、「麦の穂」と意訳する。
麦畑(Kornfeld)。直訳すれば「穀物の畑」。
カーネーション(Nelke)。ナデシコ科の植物。
ローズマリー(Rosmarin)。
ツルニチニチソウ(Immergrün)。直訳すれば「常緑」。
イチゴ(Erdbeer, Beer)。時に「野イチゴ」とも訳した。
ハシバミ(Hasel)。セイヨウハシバミとも。落葉低木。種子はヘーゼルナッツ (Hazelnut) と呼ばれてケーキなどに使われる。
シナノキ(Linde)。ボダイジュと訳されることもあるが別種。
トウヒ(Fichte)。ドイツマツ、ドイツトウヒ、ヨーロッパトウヒなどとも呼ばれる。シュヴァルツヴァルト(黒い森)やアルプスなどに生える。高い針葉樹。モミの木に似て、クリスマスツリーに使われる。
サフラン(Zeitlose)。和名はイヌサフラン。秋のクロッカス、芝生のサフラン、などとも呼ばれる。クロッカスは早春に咲き、サフランは秋に咲く。作中では特に厳密に区別する必要はないと考えて、サフランと訳した。
ブナ(Buche)。
カシ(Eiche)。ブナ科のカシやナラの総称。英語ではOak。

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»Wo bist du schon wieder, Heidi?«, rief er jetzt mit ziemlich grimmiger Stimme.

「またしても君はどこへいっちまったんだ、ハイディ?」彼はちょっと腹を立てたような声で叫んだ。

»Da«, tönte es von irgendwoher zurück. Sehen konnte Peter niemand, denn Heidi saß am Boden hinter einem Hügelchen, das dicht mit duftenden Prünellen besät war; da war die ganze Luft umher so mit Wohlgeruch erfüllt, dass Heidi noch nie so Liebliches eingeatmet hatte. Es setzte sich in die Blumen hinein und zog den Duft in vollen Zügen ein.

「ここよ、」どこかからそんな声がした。ペーターには誰も見えなかった。ハイディは香りの高いスモモが茂る小高い丘の裏側に座っていたのだ。そこはまだハイディが嗅いだこともないようなかぐわしい空気に満ちていた。その子は花々の中に座って思い切り匂いを吸い込んでいた。

»Komm nach!«, rief der Peter wieder. »Du musst nicht über die Felsen hinunterfallen, der Öhi hat’s verboten.«

「こっちにおいで!」ペーターはまた叫んだ。「君は岩から落っこちないよう用心しなきゃダメだ。おじさんがダメだって言ったんだ。」

»Wo sind die Felsen?«, fragte Heidi zurück, bewegte sich aber nicht von der Stelle, denn der süße Duft strömte mit jedem Windhauch dem Kinde lieblicher entgegen.

「岩はどこにあるの?」ハイディは聞き返した。しかし、一息ごとにかぐわしい香りが漂ってくるので、その子はその場から動こうとはしなかった。

»Dort oben, ganz oben, wir haben noch weit, drum komm jetzt! Und oben am höchsten sitzt der alte Raubvogel und krächzt.«

「上のほうさ、もっとずっと上だ。僕らはもっと先まで行かなきゃならないんだ!その山のてっぺんには年を取った猛禽がギャーギャー鳴いているんだ。」

Das half. Augenblicklich sprang Heidi in die Höhe und rannte mit seiner Schürze voller Blumen dem Peter zu.

その説明でハイディは一瞬で飛び起きて、エプロンを花で満たしたままペーターのところへ駆けていった。


Prünellen は、Kriechen-Pflaume、英語で plum、学名で Prunus、和名で大雑把に李(すもも)という種の、数多くある俗名の一つであるという。

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»Jetzt hast genug«, sagte dieser, als sie wieder zusammen weiterkletterten; »sonst bleibst du immer stecken, und wenn du alle nimmst, hat’s morgen keine mehr.« Der letzte Grund leuchtete Heidi ein, und dann hatte es die Schürze schon so angefüllt, dass da wenig Platz mehr gewesen wäre, und morgen mussten auch noch da sein. So zog es nun mit dem Peter weiter, und die Geißen gingen nun alle geregelter, denn sie rochen die guten Kräuter von dem hohen Weideplatz schon von fern und strebten nun ohne Aufenthalt dahin. Der Weideplatz, wo Peter gewöhnlich Halt machte mit seinen Geißen und sein Quartier für den Tag aufschlug, lag am Fuße der hohen Felsen, die, erst noch von Gebüsch und Tannen bedeckt, zuletzt ganz kahl und schroff zum Himmel hinaufragen. An der einen Seite der Alp ziehen sich Felsenklüfte weit hinunter und der Großvater hatte Recht, davor zu warnen. Als nun dieser Punkt der Höhe erreicht war, nahm Peter seinen Sack ab und legte ihn sorgfältig in eine kleine Vertiefung des Bodens hinein, denn der Wind kam manchmal in starken Stößen dahergefahren, und den kannte Peter und wollte seine kostbare Habe nicht den Berg hinunterrollen sehen; dann streckte er sich lang und breit auf den sonnigen Weideboden hin, denn er musste sich nun von der Anstrengung des Steigens erholen.

「それだけ集めればもう十分だろ、」連れだって歩きながらペーターは言った、「いい加減にしないと牧場にたどり着けないよ、それに、今日全部取ってしまったら明日の分がなくなっちまうだろ。」それもそうかとハイディは納得した。エプロンはもう花でいっぱいでこれ以上入りきらないし、明日また集めることもできるのだ。ペーターがさらに先へ進むと、高原の牧場からかぐわしい牧草の香りが漂ってきたので、山羊たちは立ち止まることなくどんどん先へ進んだ。ペーターがいつも山羊たちをとどめてしばらく放牧させている牧場は高い岩場の麓にあり、そこははじめ薮やもみの木に覆われて、空に近づくにつれてだんだんにまばらになっていく。アルプの片側は岩の深い割れ目になっていて、おじいさんが警告したことは正しかった。この高さまで登ってくるとペーターは自分の袋を時折吹いてくる強い風が彼の大事な荷物を山の谷底まで吹き飛ばしてしまわないように、地面の窪みに注意深く押し込んだ。彼はそれから地面の上に寝転がって手足を思い切り伸ばし、登山で疲れた体を休めた。

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Heidi hatte unterdessen sein Schürzchen losgemacht und schön fest zusammengerollt mit den Blumen darin zum Proviantsack in die Vertiefung hineingelegt, und nun setzte es sich neben den ausgestreckten Peter hin und schaute um sich. Das Tal lag weit unten im vollen Morgenglanz; vor sich sah Heidi ein großes, weites Schneefeld sich erheben, hoch in den dunkelblauen Himmel hinauf, und links davon stand eine ungeheure Felsenmasse, und zu jeder Seite derselben ragte ein hoher Felsenturm kahl und zackig in die Bläue hinauf und schaute von dort oben ganz ernsthaft auf das Heidi nieder. Das Kind saß mäuschenstill da und schaute ringsum, und weit umher war eine große, tiefe Stille; nur ganz sanft und leise ging der Wind über die zarten, blauen Glockenblümchen und die goldnen, strahlenden Cystusröschen, die überall herumstanden auf ihren dünnen Stängelchen und leise und fröhlich hin und her nickten. Der Peter war entschlafen nach seiner Anstrengung, und die Geißen kletterten oben an den Büschen umher. Dem Heidi war es so schön zumute, wie in seinem Leben noch nie. Es trank das goldene Sonnenlicht, die frischen Lüfte, den zarten Blumenduft in sich ein und begehrte gar nichts mehr, als so dazubleiben immerzu. So verging eine gute Zeit und Heidi hatte so oft und so lange zu den hohen Bergstöcken drüben aufgeschaut, dass es nun war, als hätten sie alle auch Gesichter bekommen und schauten ganz bekannt zu ihm hernieder, so wie gute Freunde.

一方、ハイディはエプロンを外し、中に詰めていた花を巻きこんで、きちんとしばり、ペーターの袋に他の荷物とともに入れて、地面の窪みに戻した。それからペーターの隣に座って辺りを見回すと、眼下に谷間は朝の輝きに満ちており、目の前には、深い青空にむかって大きく広い雪山がそびえ立ち、左手には巨大な岩がそそり立っていて、その頂はいずれもむき出しの、のこぎりの歯のような岩肌の、天空に伸びる岩の塔のようで、それらがみな、ハイディを興味深そうに見下ろしていた。その子は鼠の子のように黙って座っていて、辺りを見回した。辺りは全くの静寂に包まれていた。あちらこちらに咲いている繊細な青いツリガネソウや黄金色に輝くスミレに心地よい優しい風が吹いてきて、細い茎を静かに、楽しげに揺らしていた。ペーターは苦労の後で眠りに落ち、山羊たちは辺りのやぶで草を食べていた。ハイディは今までの人生の中で一番の幸福を感じた。その子は黄金色の日差しの中で新鮮な空気や、繊細な花の香りを吸い込み、この幸せが永遠に続けば良いのにと思った。そんなふうにその子はとても良い時間を過ごした。そして高い山々を何度も見上げて、それらの一つ一つに顔があって、親しげに、自分の良い友を見るように見下ろしているように感じた。


mäuschenstill = Maus + chen + still 鼠の子のように静かに

Glockenblümchen = Glockenblüm + chen。学名 Campanula、英名 Bellflower。英名にちなんでツリガネソウと訳した。

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»Willst mit auf die Weide?«, fragte der Großvater. Das war dem Heidi eben recht, es hüpfte hoch auf vor Freude.

「おまえも上の牧場まで行きたいか?」おじいさんは尋ねた。もちろんそれはハイディの望むところだった。その子は喜びのあまり飛び上がった。

»Aber erst waschen und sauber sein, sonst lacht einen die Sonne aus, wenn sie so schön glänzt da droben und sieht, dass du schwarz bist; sieh, dort ist’s für dich gerichtet.« Der Großvater zeigte auf einen großen Zuber voll Wasser, der vor der Tür in der Sonne stand. Heidi sprang hin und patschte und rieb, bis es ganz glänzend war. Unterdessen ging der Großvater in die Hütte hinein und rief dem Peter zu: »Komm hierher, Geißengeneral, und bring deinen Habersack mit.« Verwundert folgte Peter dem Ruf und streckte sein Säcklein hin, in dem er sein mageres Mittagessen bei sich trug.

「しかしその前に、体をきれいに洗いなさい。そうしないと、お日様は、とても美しく輝いているのに、おまえが真っ黒けなのをみて、笑うだろうよ。見なさい、そこにお前のために用意しておいた。」おじいさんは戸の前に置いてある水で満たされた桶を指さした。ハイディは飛び上がり、水をぱちゃぱちゃさせて体中きれいになるまでこすった。その間おじいさんは小屋に入ってペーターを呼んだ。「お前の袋をもって、こっちに来い、山羊の大将。」ペーターは呼ばれて驚き、自分の粗末な弁当を入れた袋を手に後に続いた。

»Mach auf«, befahl der Alte und steckte nun ein großes Stück Brot und ein ebenso großes Stück Käse hinein. Der Peter machte vor Erstaunen seine runden Augen so weit auf als nur möglich, denn die beiden Stücke waren wohl doppelt so groß wie die zwei, die er als eignes Mittagsmahl drinnen hatte.

「開けろ、」老人は命じて大きなパンの塊と、同じくらい大きなチーズの塊を袋に入れた。ペーターは驚いて目を開けるだけ見開いた。それは自分が昼に食べるよりどちらも二倍くらい大きかったからだ。

»So, nun kommt noch das Schüsselchen hinein«, fuhr der Öhi fort, »denn das Kind kann nicht trinken wie du, nur so von der Geiß weg, es kennt das nicht. Du melkst ihm zwei Schüsselchen voll zu Mittag, denn das Kind geht mit dir und bleibt bei dir, bis du wieder herunterkommst; gib Acht, dass es nicht über die Felsen hinunterfällt, hörst du?« –

「そうだな、お椀も入れておいてやろう、」おじさんはつけたした。「あの子はおまえみたいに飲むことはできないからな。あの子は山羊とはどういう生き物か知らんのだから、近づけないようにしろよ。あの子にはお椀に二杯のミルクを昼飯時に与えろ。あの子はおまえと一緒に行き、おまえが降りてくるまで一緒にいるから、岩からあの子が落ちないように、おまえが気を付けて見張っておくんだぞ。わかったな?」

Nun kam Heidi hereingelaufen. »Kann mich die Sonne jetzt nicht auslachen, Großvater?«, fragte es angelegentlich. Es hatte sich mit dem groben Tuch, das der Großvater neben dem Wasserzuber aufgehängt hatte, Gesicht, Hals und Arme in seinem Schrecken vor der Sonne so erstaunlich gerieben, dass es krebsrot vor dem Großvater stand. Er lachte ein wenig.

ハイディが中に走ってきた。「もうお日様は私を見て笑わないかしら、おじいさん?」その子は不安げに尋ねた。お日様が恐ろしくて、その子はおじいさんが桶の隣にかけておいた粗布で一生懸命顔や首や腕をこすったので、肌が真っ赤になっていた。おじいさんはちょっと笑った。

»Nein, nun hat sie nichts zu lachen«, bestätigte er. »Aber weißt was? Am Abend, wenn du heimkommst, da gehst du noch ganz hinein in den Zuber, wie ein Fisch; denn wenn man geht wie die Geißen, da bekommt man schwarze Füße. Jetzt könnt ihr ausziehen.«

「いや、もう笑うことはないだろうよ、」彼は請け負った。「しかし、夕方お前が家に帰ってきたら、今度は魚のように全身を桶に浸して洗わなきゃならんよ。なぜならおまえが山羊のように歩けば、お前の足はまっ黒になってしまうからな。さあ、もう行っていいよ。」


Willst mit auf die Weide? これは、略さずに書けば Willst du mit ihnen auf die Weide gehen? おまえはあいつらと一緒に上の牧場まで登るか、となるか。

einen großen Zuber この Zuber は「手桶」と訳されることもあるようだが、ハイディが魚のように全身入れるくらいの大きな桶なのだろう。

angelegentlich 熱心に、痛切に、或いは一大事であるかのように、とでも訳すか。

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Auf der Weide

牧場で

Heidi erwachte am frühen Morgen an einem lauten Pfiff, und als es die Augen aufschlug, kam ein goldener Schein durch das runde Loch hereingeflossen auf sein Lager und auf das Heu daneben, dass alles golden leuchtete ringsherum. Heidi schaute erstaunt um sich und wusste durchaus nicht, wo es war. Aber nun hörte es draußen des Großvaters tiefe Stimme, und jetzt kam ihm alles in den Sinn: Woher es gekommen war und dass es nun auf der Alm beim Großvater sei, nicht mehr bei der alten Ursel, die fast nichts mehr hörte und meistens fror, so dass sie immer am Küchenfenster oder am Stubenofen gesessen hatte, wo dann auch Heidi hatte verweilen müssen oder doch ganz in der Nähe, damit die Alte sehen konnte, wo es war, weil sie es nicht hören konnte. Da war es dem Heidi manchmal zu eng drinnen, und es wäre lieber hinausgelaufen. So war es sehr froh, als es in der neuen Behausung erwachte und sich erinnerte, wie viel Neues es gestern gesehen hatte und was es heute wieder alles sehen könnte, vor allem das Schwänli und das Bärli. Heidi sprang eilig aus seinem Bett und hatte in wenig Minuten alles wieder angelegt, was es gestern getragen hatte, denn es war sehr wenig. Nun stieg es die Leiter hinunter und sprang vor die Hütte hinaus. Da stand schon der Geißenpeter mit seiner Schar, und der Großvater brachte eben Schwänli und Bärli aus dem Stall herbei, dass sie sich der Gesellschaft anschlossen. Heidi lief ihm entgegen, um ihm und den Geißen guten Tag zu sagen.

ハイディは朝早く、大きな口笛の音に目を覚ました。目を開くと丸い明かり窓から黄金の光がベッドや傍らの干し草の上に差し込んで、すべてが黄金色に光っていた。ハイディは驚いてあたりを見回し、自分がいったいどこにいるのかわからなかった。だがおじいさんの太く低い声が外から聞こえてくると、ハイディはすべてを思い出した。自分がどこから来て、おじいさんと山の上の牧場に住んでいて、もうウルゼルばあさんのところに預けられてはいないということを。そのおばあさんはほとんど耳が聞こえず寒がりでいつも調理場の窓か居間の暖炉のそばにいて、耳が聞こえないから、ハイディがどこにいるか目でみてわかるようにその子をいつも自分の目の届く範囲にいさせた。ハイディにとってそこはあまりにも狭苦しすぎて、しばしば外に飛び出してしまいたくなった。なので、その子は新しい家で目を覚まし、昨日どれほどたくさんの新しいことを経験し、今日もまた見ることができるということが、特にシュヴェンリとベルリに会えることがとてもうれしかった。ハイディは急いでベッドから飛び起きて、昨日着ていた服に着替えたが、大して着込むわけではないので数分で済んだ。それからその子はハシゴを急いで駆け下りて、小屋の前へ飛び出した。そこにはペーターが山羊の群れを連れてきていて、ちょうどおじいさんがシュヴェンリとベルリを家畜小屋から連れ出してペーターに預けるところだった。ハイディはペーターと彼の山羊たちのところへ行き、挨拶した。

デーテ 15. 姪の出戻り

 ある日いきなり朝早くゼーゼマンさんから呼び出しがあって、これはハイディが何事かしでかしたかと、お叱りがあるのかと思い、あわてて訪ねて行ったら、「ハイディが山が恋しくてホームシックのあまり夢遊病になってしまった」と言われたのよ。ハイディも姉のアーデルハイトと同じ夢遊病の気があったということなのかしら。

 最初は、フランクフルトで白パンを買って一日で山に帰るなんて駄々をこねていたけど、案外ハイディもクララと一緒に町の暮らしに慣れて楽しんでいるとばかり思っていたわ。そりゃあ、よそ様のおうちで、ロッテンマイヤー女史に監督されて、厳しくしつけられたりして、多少は窮屈だったかもしれないけど、まさかそんなくよくよと思い悩んで、ほんとうの病気にまでなってしまうなんて。なんて手間のかかる子なのでしょう。

 ゼーゼマンさんは、ものすごい剣幕で、「今日すぐにも引き取って山に返して欲しい」というのだけど、あまりに急な話で私はどうしていいのかわからなかったわ。だって私は毎日シュミットさんの事務所でニューギニア植民地に最近開設した出張所と連絡をとりあって、東アジアや太平洋の島々の物産を仕入れるのに忙しくって、一日たりとも職場を離れることはできなかったし。それに、いったんハイディをアルムおじさんに押しつけて、それを無理矢理連れ出しておいて、親戚づきあいもこれきりだからもう二度とくるなと言われて、もののはずみとはいえど、おじさんに散々あることないこと悪態ついてけんか別れしておきながら、またしてもこの子をおじさんのところに連れて行くなんて、私の面目も丸つぶれで、どうにもつらくてやりきれないと思いました。

 ああ、こんなことなら親切心をおこしてハイディを世話してあげなければ良かったと思ったわ。ハイディのためを思えばこそ、やってあげたことなのに。

 そこで仕事が忙しくて今は離れられないなどと、とやかく言い訳をしたの、実際私も仕事に何日も穴を空けてハイディを山に返しにいくなんて時間の余裕もなかったのだけど。

 ゼーゼマンさんは、「これはハイディが悪いのではなく、自分の家の不始末でハイディが病気になったから山に返して療養させたいのだ。シュミットさんには私から事情を説明するから、君はともかくも早くハイディを連れていってくれ」と言うのだけど、私の立場にしてみれば、せっかく紹介した姪が、ご奉公先をしくじって、里に出戻りになるのを連れ帰るようじゃないの。

 私のアパートは、狭くて人の出入りの多い騒々しいところだから、私がいったんハイディを身請けして、フランクフルトで一緒に暮らすことは、とうてい無理。ハイディは山に帰りたがっていて、一刻も早く返さないと病気がおもくなるというし。

 ともかく途方にくれてしまったわ。

 それで私が姪を引き取りたくなくてごねているようにみえたのかしら、それともなんとなく私の気持ちを察したのか、ゼーゼマンさんは私をそのまま帰してしまわれたの。だけど、そのあと召使いのセバスチャンという人にハイディをアルムおじさんのところへ送り返させたそうよ。それからハイディが山でどうなかったかなんて恥ずかしくて誰にも聞けないし。うまくやっていればいいけど。

 みんなは私を、紹介料ほしさにゼーゼマンさんにハイディを売り渡したとか、ハイディをやっかいもの扱いしてアルムおじさんに押しつけたとか、まるで私ばかりが悪いように言うけど。私のことを理解したうえでみんな非難しているのかしら。親も兄弟もみんな死んでしまって、身寄りと言えば七十過ぎの変人のじいさんと四才の子供だけ。

 子供の育て方だって誰かに教わったわけでなく、毎日悪戦苦闘しながら覚えていったの。ほんとに、人には言えないようなつらいことがたくさんあったのよ。私は針仕事ができるから一人でならいくらでも生きていけるし、良い人がいれば結婚だってしたいのに、姪っ子のハイディのためにどれだけ自分の人生を犠牲にしてきたかわからないわ。私には、ハイディの保護者としての責任があるのよ。文句があるならハイディを養子にもらってから言ってもらいたいわ。

 ああ、なれるものなら、私がハイディのようなお気楽な身分になりたいものよ。三食昼寝付きの文化的な都会暮らし、高級料理に豪華なお屋敷、一家の主と同じ待遇で召使いにはかしづかれて、その上勉強までさせてもらい、何不自由なく暮らせるけっこうなご身分なのに、わざわざトイレもお風呂もない山小屋の不便な暮らしがしたいなんて、酔狂が過ぎるというものだわ。

 

 

 ずいぶん長い女の問わず語りを聞かされたものだ。俺も仕方なく、夜が明けるまで話に付き合ってしまった。彼女が語って聞かせた、いろんな身内話を、俺は半分も理解できなかったが、普段胸につっかえていたことを洗いざらい吐き出して、彼女も満足だろう。

 朝が来てバーテンダーに店を締めますと言われたときには、彼女も、俺もすっかり酔いが醒めてしまっていた。

 あらもうこんな時間、私の話どう、面白かった、続きはまた今度あったときに話してあげるわ、などと言う。勘定を済ませて、二人連れ立って店を出ようと、地上に出る階段に足をかけると、彼女はさすがに足元をふらつかせ、俺はとっさに彼女の腕を取って助けてやる。二日酔いでつらそうだ。

 外はもう通勤客たちが忙しそうに歩いている。俺たちもこのまま仕事に向かわないと。彼女は一度も振り向かず、まぶしい朝の街路の中に紛れて、どこかへいなくなってしまった。なるほど、お互いフランクフルト住まいだし、デーテという名前も、勤務先も教えてもらったのだから、彼女にはまたいつでも会えるだろう。しかし、次に会ったとき、彼女は俺のことを覚えてくれているだろうか。


後書き

この作品はヨハンナ・シュピリ著『ハイディ』と『フローニの墓に一言』2作を参考に再構成したものです。