旗本直参

思うに、徳川直参とか旗本八万騎などと言うが、もともと徳川家に仕えていた、正味の幕臣というのは、
徳川氏と松平氏、それから三河時代からの本多、大久保、井伊、酒井くらい。
家康が入府して、関東八州に古くから居た豪族たちは、或る者は所領没収の憂き目にあったり、地方に転封されたりしたが、或る者は関東に居ながらにして、改易・減封されて、
たかだか一万石や二万石の大名に落とされて、町奉行だの寺社奉行だのなんたら奉行だのと、なんだかんだと幕府の実務にこき使われた。
そういう関東の小大名の連中が、旗本直参の主体だったわけだ。
彼らは殿様と呼ばれたが、養わなければならない家臣とか領地とか、幕府に課される職務、窮屈な格式などからして、大して恵まれた身分ではなかったような気もする。
少なくとも彼らは、室町時代までは誰に支配されるというのでもない領主だったのだから、そのころに比べれば奴隷のようなものだ。

彼らは関東在住だから、参勤交代は楽だったかもしれんが、当時は日本中に小さな所領が散らばっていたから、
その年貢の取り立てなどはずいぶん手間がかかっただろう。
殿様は給料をもらうのではなく、自分の知行地からの収入で生計をたてなくてはならないからだ。

となれば、幕末に幕府が瓦解しそうになったからと、徳川を守るために死にものぐるいで働くはずもない。
松平氏や井伊氏、紀伊徳川氏くらいは徳川宗家といっしょに真剣に戦ったかもしれないが、尾張や水戸の徳川家も、幕府を支える側についたわけではない。
これでは、いざ戦となったときに、外様大名の連合軍に勝てるはずもなく、
結局役にたったのはフランス軍仕込みの農民主体の歩兵部隊だった、ということなのだろう。

賃金労働者という奴隷

思うに現代は賃金労働者が多すぎる。
賃金労働者は、給料をもらえないと生きていけないから、彼らに無理にでも給料を払い続ける仕組みが社会に必要になる。
フローとしてのお金が回っていればそれでも良いが、デフレになると、ただ単に、給料がないと生きていけない人たちのために無理矢理仕事を用意したり、
生活保護を与えたりしなくてはならない。

農業生産力は江戸時代などに比べて何百倍も何千倍も進歩した。漁業にしても少ない労働力とコストで大量に収穫できる。
だから、人間は、一年に数日ないし十数日程度労働すれば、生きていくのに困らないはずだ。
先進国だけでなくすべての貧しい国でも、人口の多い国でも事情は同じはずだ。
それなのに、なぜ飢餓がなくならないかと言えば、それは世の中が資本主義で動いているからだろう。

資本主義は、お金という血液をどんどん体の中に回していないと死んでしまう。
お金が回っていれば健康だが、回らなくなると死んでしまう。

工場労働者は技術の進歩でどんどん要らなくなる。しかし、労働者は賃金がもらえないと食べていけないから困る。
ほんとうは、より、労働のない自由な世界へと近づいているはずなのに、なぜか人々はますます労働に縛られてしまう。
おかしな話だ。
即ち今の世の中は労働とお金がイクイバレントであって、お金がフローしてないと社会全体が死んでしまうという仕組みだから、
労働が減ってしまってはいけないのだ。だからいつまでも働き続けなくてはならない。
なんと無駄なことだろうか。

私は、まだ子供の頃だが、そのうち生産性がどんどん高まって、人間は働かなくても生きていけるようになり、
文化的な活動だけに従事していればよくなるのではないか、と思っていたが、二十一世紀になっても、全然そんなふうにはならず、
産業が効率的になればなるほど、労働者たちは貧しくなっていく。
仕事をどんどん減らすそばから仕事をどんどん創造しなくてはならない。
仕事は減るはずなのに逆に増え、人々の負担は減るはずなのに逆に増える。
これを逆説的といわずなんといおうか。
減った仕事を増やし戻すために四苦八苦している。

たぶん今の世の中は、一次産業に従事して、自分の食べる野菜などは自分ちの畑で育てて、
米や小麦などの高カロリーで安い食料はばんばん輸入して、
田舎の二束三文の安い土地に安い家を建てて住んでいれば、
すごく快適に暮らせるはずだ。
そうなってないのは、ほとんどの人が、賃金労働者になってしまい、借金の奴隷になってしまっているからだろう。

江戸時代の農村のような生活に戻れば、多くの人が幸福になるのはたぶん間違いない。

だいたい、食糧自給率ガーなどというのはナンセンスな話だ。
日本の食糧自給率は、カロリーベースで39%。だが、生産額ベースでは69%。つまり、輸出額より輸入額の方が31%多いから、
その分国外に依存している、ということだろう。
国内では野菜など高額な作物を作り、国外から穀物などの安い作物を輸入すれば、
生産額ベースの食料自給率はもっと上がる。
さらに、高品質な作物を高額で輸出するようになれば、自給率が100%を超えて農業国となることだって可能ではなかろうか。
米や小麦など、世界的に見ても生産量が多いわりに値段の安い作物は、国内で生産しない方が良いに決まってる。

ところが今は米は兼業農家が個人で狭い先祖代々の土地で作っている。
先祖伝来の土地を手放したくないから、無理矢理兼業農家を続けている。
しかし採算がとれないから、その個人農家を補助金や高い関税で守っている。
あほかと思う。
零細な兼業農家が土地を放出し、大規模な専業農家に集約すれば、日本の農業はもっと効率的になるはずじゃあないのか。

米や小麦などは備蓄がきくのだから、有事にそなえて備蓄しておけば済む話だ。
穀物を生産する人たちも商品を売らなければ生きていけないし、穀物は世界のどこかで常に余剰しているから、
何年も飢えるということは考えにくい。
場合によっては、ほんとうに穀物が輸入できないときは米や小麦に転作すればすむ話だろう。
普段は付加価値の高い作物を育てていればよい。
実際、第二次世界大戦でも、輸入できなくて困ったのは原油であって食料ではない。
食料はある程度は増産できるが、原油はほとんどまったく自給できないのだから。

[okkyも、だいたい同じことを言っている](http://blog.livedoor.jp/okkydokky/archives/51309846.html)。

喫煙者の巣窟

酒が飲めなくなったので、最近はランチなど、これまで手つかずだった分野を開拓してみたりしているのだが、
私が割と好みの中華料理屋があり、今日はオスメス一匹ずつ、合わせて4000円で上海蟹を食べたりした。
ところがこの店が12時になると一気に混み始めて、来る客みんな喫煙者でたちまち空気が臭くなる。

つまり今時ランチタイムは禁煙という店が多く、オフィスも駅前もどこもかしこも禁煙だから、
うまいまずい関係なく、たばこの吸える、日替わり定食が500円で食えるというだけの理由で、
この店に喫煙者が押しかけているのだと思われる。
店としては、客が大勢来るのが良いのに違いないが、
私のように、安くてうまくて本格的な中華料理屋だからとわざわざ来ている人間にとっては迷惑この上ない。
わざと喫煙可能な店を作ってそちらに喫煙者が集まるような仕掛けを作れないものか。

気になってググってみると、上海蟹の姿蒸は、黒醋をつけて食べる。
一匹2000円から2500円くらい。まあ相場どおりのようだ。
わざわざ中華街まで行ったり、あるいは高級店に行かなくても、近場で食べられたのは良かった、と言えるだろう。
ま、この店はランチが11時からで12時まではがらがらにすいているから、その時間帯に来るしかあるまいね。
オスは黄色いミソが入っていて、メスは赤い卵が入っている。ここの店のはミソも卵もぎっちりつまっていた。
身もうまいがほとんど食べるところはない。

ここらは駅前も歩行禁煙で巡回して注意する人がいるのだが、北口は人手も店も多くて、歩きながらたばこを吸っているとすぐ注意されなどして、
あまり見かけないのだが、南口には歩きたばこの連中がわらわらいる。こちらまでは巡回してこないのだろう。

独裁官

選挙によって民主的に選ばれて、任期が定まっている権力者のことを独裁官 (dictator) と言って何が悪いのだろうか。
どうも、悪口、罵倒として言っているようにしか思えないのだが。

非関税障壁

TPPとか関税とか非関税障壁とか言っているけど、
アメリカが嫌がってるのは、「遺伝子組み換え」と表示しなきゃいけない規制だったり、何百種類の農薬検査しなきゃいけない規制なわけだよな。
しかし、「遺伝子組み換えしてません」とか「国産」とか「無農薬」などという表示は勝手にしていいんだろう。
今までとどこが違うのかわからん。
むしろ政府とか省庁とかにいろんな規制の権限を与えすぎているのではないか。
何も書かれていない安い食品は、どこでどんな作られ方、加工され方してるかわからんから、危険かもしれない、だからそういうの気にする人は買わない、
そういうの気になる人はきちんとスペック調べてから、高い金払って買う、ってので何がいけないのか。
外食でも、気になる人は、きちんとそういうスペックを表記しているところで食べれば良いだけではないのか。

うまい酒を飲むのも、きちんと自分で試して調べる能力がないとできないことであり、
食べ物にしても、当然自分で調べる能力がなければ危険かもしれない、それで何がいけないのか。

逆にじゃあ今何も表記されてない食品はほんとに安全なのか。そんな保証がどこにあるのだろうか。

pixivにも進出したのだが。

pixivにも小説が投稿できて、pixivの方が読者の分母が多いからというので、
pixivにも[スース](http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=592550)をアップしてみたのだが、
PVは全然大したことがない。
ただ、パブーはPVだがpixivの方はユーザ数(?)をカウントしているのだろうから、一概には言えないのかもしれん。

それで、せっかくpixivに載せたのだから、挿絵もばんばん入れようとがんばってみた。
だが、イラスト連続投稿が禁じられていて、5分待たないと次の画像をアップできない。うざい。
pixivは課金もできないので、せめて読者が増えればと思ってやってみたのだが、あまり効果ないようだ。

挿絵はパブーの方の[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)にも入れておいた。
明らかにこちらの方が見やすい。
小説はやはりパブーの方が良いのではなかろうか。
パブーにもいろいろ文句はある。一番大きいのは最近重いことだろうか。
縦書きにも対応してないし、生成されるPDFのクオリティもよろしくない。

売れる本

退院後、職場に復帰するまでの間、つまり自宅療養中に、できるだけ自宅でできる不要不急の仕事を片付けておきたいのだが、
たとえば茂りすぎた鉢植えを整理するとか、自宅サーバのバックアップを取るとか、部屋の模様替えや不要物の整理をするとか。

知り合いで同人作家というのだろうか、イベントとかで同人誌を売って、それで食っている人を同人作家というのであれば、
彼はそうなのだろうが、売るためには中身が面白い必要はなくて、ぱっと見面白そうに思えれば良いのだと言っていたが、
まあ確かに、コミケなどの会場でどのくらい売れるかというのはそういう要素が強いだろうし、実際には書店売りの小説などもみなそうなのだ。
たとえば太宰治の小説の表紙をイケメン俳優の写真入りにするとか。
ただそれだけのことで小説は売れるし、買ったやつも中身を読んでいるとは限らない。
おそらく売れた本の活字の総量に対して実際に読まれた文字数は10%くらいにしかならないのではなかろうか、と言う気もする。

要するに作家として食っていけるかどうかというのは、面白そうだなと思わせて買わせるところまでであり、
中身がほんとうに面白いかどうかはあまり関係ないのだろう。
そうなるとやはり話題性とかプロデュースという要素が大きくなるし、
というより、そもそも、中身がほんとうに面白いかどうか、自分で判断できる人間などほとんど居ないのに違いない。
これは面白いよと言われて、なら読んでみようかと読んでみて、一応頁をめくってみて、字面に目を通すが、ああ、やっぱり面白かったなと考えて、
それでそれ以上判断しない人が圧倒的なのではないか。
完読したからその人が本を読んだとは言えまい。
まじめなやつで自腹で本を買ったやつはそれを全部読むのが当然だと思っているからだ。
出されたご飯を残さず食べる発想と同じ。

だからそれで商売が成り立つ。

禁煙条例

神奈川県には禁煙条例というのがあるのだが、
昨日養老乃瀧にいったら、ほんとに禁煙席があってびっくりした。
この店は割りと広いから条例に引っかかったのだな。
天狗とかならともかく養老乃瀧と禁煙席というのがいかにもミスマッチだ。
禁煙席はガラガラで、しばらくは自分ら一組だけ、その後もう一組来たけど、
当然のことながら、喫煙席の方が繁盛していた。
家族連れなどはわざわざ養老乃瀧にはよらないだろうねえ。
だが良いことを知ったのでこれからは利用させてもらおう。

酒は相変わらず禁じられているので飲むことができない。

自転車

思うに、自転車は当然車道を走るべきだ。
自転車がどんどん車道を走ることによって、自動車は街中では「徐行」するのが当たり前になるだろうが、
そもそも歩行者や自転車乗りが多い町中では自動車は徐行したり、あるいはそういう道を迂回するのが当然だ。
それがそうなっていなかったというのは、社会が自動車に有利にできていたからだろう。
歩行者も自転車乗りも自動車税を払わない。ガソリンも買わない。
道路は自動車税でできてるから、自然と、歩行者の発言権は弱くなる。
歩行者は自分の権利を「政治的」に守らねばならないが、それはなかなか難しい。
だいたいこれまでは普通の市民も「自動車に乗ってる俺様の方が貧乏で車にも乗れない歩行者より偉い」
という発想であり、歩行者に対して冷淡であった。

私も最近ただ普通に歩道を歩いていて自転車にぶつかれたことがある。
運転していたのは若い女性だったようだ。
向こうが100%悪くこちらにはなんの落ち度もないのだが、私は別に平気で、
向こうは転んでしまった。
面倒なので「許してやる」というつもりで無言で通りすぎようとしたら、
小声で「ふざけんなばか」と捨て台詞を吐かれてしまった。
私にどうしろというのだろうか。
「大丈夫ですか」の一言でもかけて欲しかったのか。
それを言うべきは相手のほうだと思うのだが。

歩行者と共用のスロープを自転車を降りずに乗るやつが未だにたくさんいる。
どんどん取り締まって留置所に入れるくらいの嫌がらせはしてもよいのではないか。
免許更新の時に自転車事故の悲惨なビデオも流した方が良い。

アルプスの少女デーテを有料にした。

[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)だが、もはや原作からどんどん離れて、オリジナルの作品になりつつあり、
またこれからかなり加筆する予定なので、今のうちに有料化することにした。

スタンダールの『赤と黒』は、『アルプスの少女ハイジ』の時代に非常に近い。
『赤と黒』はナポレオン第二帝政の始まりの頃にできた。1830年くらい。
『アルプスの少女ハイジ』が成立したのは1880年だが、アルムおじさんが若いころ放蕩息子だったのはちょうど1830年くらいだし、
また、『ハイジ』の原作であると言われるフォン・カンプによる『アルプスの少女アデレード』が成立したのは1830年だ。
ナポレオンとスイスは、アルプス越えやイタリア方面司令官などで非常に関係が深い。
また、フランス革命政府はスイスから領土を割譲したり、のちにナポレオンが調停役になったりしている。
1848年にウィーン体制が崩壊してスイスは連邦政府に移行しているのだが、その辺もなかなか面白い。
この時代のことをもっと詳しく調べると、長編とまではいかないが中編小説くらいに膨らますことは可能な気がする。
それはそれで面白いのではないかと思っている。

『赤と黒』は入院中に一通り読んだ。

ソルフェリーノの戦いは1859年で、おそらくアルムおじさんが参加したという戦争もこの一連の第2次イタリア統一戦争であるのは、
ナポリというキーワードもあるので、時期的に間違いないだろうと思う。
ところがソルフェリーノの戦いとスイス傭兵の関係が調べてもなかなかわからない。
ただあんまりこの部分をふくらませるともはやデーテの物語というよりアルムおじさんの物語になってしまう。
それともデーテの話をそれ以上にふくらませるか。そこが苦しい。

普墺戦争1866年。普仏戦争1870年、ドイツ統一、第二帝政崩壊、第三共和国成立、だよなあ。

なるほど、フランクフルトはドイツ同盟(オーストリアを含む)の中の自由都市だったが、普墺戦争のときにオーストリア側について、プロイセンに負けたときにプロイセンのヘッセン・ナッサウ州の一部として併合されたんだ。ふーん。