たまたまテレビ朝日の忠臣蔵を見ていたのだが、これは良いできだ。
テレビドラマの時代劇でこのクオリティはすごい。びっくりした。
ていうか、このドラマの良さ、一般人には理解できないだろ、たぶん。
投稿者: kelvint
ナポレオン打ち切り?
[原稿アップ。ありがとうございます。](http://mekauma.blog89.fc2.com/blog-entry-528.html)
あれっ。
それって今月で連載打ち切りってこと?
雑誌は見てなかったけど、単行本はかかさず買ってた俺様の立場は。
まだ、皇帝にもなってないよね。確かエジプトに遠征したところくらいでは。
あーあ。
まあ、日露戦争物語も日清戦争までで打ち切りになったしなあ(笑)
自分的に今年一番のがっかりニュースです。
はっ。まてよ。こうなることを予想して、最初にアウステルリッツの三帝会戦を描いたのでは。
はうう。
ヴィンランド・サガが終わらないことを祈ります。
麗島夢譚は・・・コメントしづらい。
word2010
word2010を使っているのだが、コピペするとき、貼り付けのオプションを選べるのがとても便利だ。
テキストだけか、書式を保持か。
通常テキストだけで良い。
しかしルビをふったりしているときは書式保持が良い。
あと、原稿用紙換算で何枚か計算してくれると良いのに、と思う。
ページレイアウトでわざわざ原稿用紙設定にするのは面倒だ。
税金
[私たちは何のために政府に税金を支払うのでしょうか ](http://d.hatena.ne.jp/softether/20101130#p1)を読んで思ったのだが、
税金を払う一番の理由は、特権階級や無産階級ではなく、
税収の主たる中産階級を増やすためである。
中産階級の多い社会が一番安定しているからだ。
無産階級が増えても、特権階級が増えても、社会は革命が起きる。安定しない。
もっといえば、低所得者や無産階級を養い、社会を安定させるために税金はある。
社会的インフラがどうこうというのは単なる理由付けに過ぎない。
基本的人権とは、慈善とか博愛のためにあるのではなく、社会を安定させるためにあるのだ。
河越夜戦
頼山陽が日本外史の中で、河越、厳島、桶狭間の戦いを日本三大なんちゃらと呼んだ、といろんなところ、
たとえば wikipedia などで書かれているのだが、
もちろんこれらの三つの戦いについて記述はあるが、三つ比較してどうこうという記述はなさそうなんだな。
ないよなあ。
漢詩か日本政記の方の記述にでもあるのか。
どうも、誰かが勝手に、頼山陽が日本外史の中で、とか言っちゃったのが広まっただけのような気がする。
まったく確証はないが、そんな気がすごくする。
上記の三つの戦いは時間的に比較的狭い時期に起きていて、しかもどれもかなり奇妙な戦いであるのは間違いなく、
まあ、この三つを比較して論じることには意味があるだろう。
温泉の歌
万葉集に出てくる唯一の温泉の歌として、湯河原温泉を歌ったという和歌があるのだが、
> 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子らが言はなくに (よみ人しらず)
> 阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓
ほかにも山部赤人が伊予の温泉(道後温泉)を歌った長歌がある。
> 山部宿禰赤人、伊予温泉(いよのゆ)に至りて作る歌一首 并せて短歌
> 皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯はしも 多(さは)にあれども 島山の 宣(よろ)しき国と 凝々(こご)しかも 伊予の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌思ひ 辞(こと)思ほしし み湯の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸処(いでましところ)
> 反歌 ももしきの大宮人の熟田津(にぎたつ)に船(ふな)乗りしけむ年の知らなく
だから、温泉の歌は万葉集に、唯一ではない。
川中島
鞭声粛々夜渡河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年麿一剣
流星光底逸長蛇
を見るに、「河(ガ)」「牙(ガ)」「蛇(ダ)」が韻を踏んでいるようにも思える。
しかし漢和辞典を見ると、河は he二声、牙は ya二声、蛇は she二声と、見事に全然違う。
はは、細けえことは良いんだよ、てことだよな。
伯父の娘
岩波文庫版『完訳千一夜物語』には「妻」のことを「伯父の娘」と書いていて、アラビア語における婉曲表現だというのだが、
ちと困惑している。もし書くなら「義父の娘」ではなかろうか。
「義父」を「伯父」とも書くというのだが。はて。
クレタ島
クレタはギリシャ語音ではクリーティコとなるので、wordでクレタをクリーティコに置換したら、
「良く来てくれた」まで置換されて「良く来てクリーティコ」になってしまい、思わずワロタ。
アルダ
アルダの父ソロスは[Baldwin I of Jerusalem](http://en.wikipedia.org/wiki/Baldwin_I_of_Jerusalem#Count_of_Edessa)によれば、
> When Thoros was assassinated in March of 1098
とあって、1098年に死んでおり、アルダとボードワンが結婚した1100年にはすでに死んでいることになる。
しかし、[Thoros of Marash](http://en.wikipedia.org/wiki/Thoros_of_Marash)や
[Arda of Armenia](http://en.wikipedia.org/wiki/Arda_of_Armenia)などを読むと、
ボードワンがアルダと離婚した1105年より後も生きていて、マラシュがエデッサに滅ぼされた後はコンスタンティノープルに居て、
アルダは修道院からコンスタンティノープルの父のもとへと逃げたことになっている。
なんじゃそりゃ。
[ボードゥアン1世 (エルサレム王)](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_%28%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%8E%8B%29)や
[エデッサ伯国](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BC%AF%E5%9B%BD)
を読むと、これではボードワンがエデッサ伯ソロスの娘と結婚してソロスの養子になってエデッサ伯を継いだように思える。
いやそのようにしか読めない。
しかし実際にはソロスの領地はマラシュであり、マラシュはエデッサに滅ぼされて、ソロスはそのとき死んだか、
コンスタンティノープルに逃げたことになる。
つまり英語版に従えば、ボードワンは、養子となったからエデッサ伯になったわけではない、ということではないか。