酒の歌四首:

> にごれるもすみて清きも色濃きも泡立ちたるも酒はみな良き

> 日の本やこまもろこしととりよろふよろづの酒を飲みてしやまむ

> いはしみづ汲みて醸せるうま酒は神のいさむるものならなくに

> たまくしげ箱根の峯の笹原のささ酌みかはし夕餉たのしむ

箱根の駒ヶ岳にロープウェイで登ると山頂付近は高い木が生えず、
箱根山、神山、大湧谷へと向かう方面に、低木と笹原が続くのだが、それを序詞風に使ってみた。

ネットで検索すると画像はいくらでもあるがたとえば
[ここ](http://www.sai-un.com/weblog/?p=82)とか。

会議中

あまりに退屈だったので仕事の後で酒を飲むことばかり考えながら詠んだ歌三首:

> なりはひのつとめ終はりて立ち呑みのどちにつらなる時ぞ待たるる

> たなつもの醸し作れるうまざけにわがゑはばこそけふも終はらめ

> 思はずやあかがね色のむぎざけを樽よりそそぐをみな手ぶりを

あとの二つが「もやしもん」チック(笑)。

最初、「思はめや」としたのだが、和歌データベースの[和歌語句検索](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html/waka/waka_kigo_search.html)で調べると、
「おもはめや」は1件のみ:

> はるやまの-きりにまとへる-うくひすも-われにまさりて-ものおもはめや

しかも万葉集の訓読なので正確かどうかはわからない。
「おもはねや」は0件、「おもはぬや」は43件だが「おもはぬやま」「おもはぬやど」などがほとんど、「おもはずや」は12件なのだが、

> めつらしき-ひかけをみても-おもはすや-しもかれはつる-くさのゆかりを (俊成)

> くれてゆく-はるもあはれと-おもはすや-またこむまても-しらぬわかみを (万代集)

> ふちなみの-はなはさかりに-なりにけり-ならのみやこを-おもはすやきみ (夫木和歌抄)

> おもはすや-たならすゆみに-ふすたけの-ひとよもきみに-はなるへしとは (頼政)

「思はずや手鳴らす弓に伏す竹の一夜も君に離るべしとは」。
「伏竹(ふせたけ)の弓」とは木と竹を貼り合わせた合成弓で、木と竹が合わさって離れない、という意味に使われているらしい。
なんて難しいんだ。

> みのほとは-わかみなからも-しるものを-うきこころとは-おもはすやきみ (寂蓮)

とまあ、こんな感じなので、「思はずや」が一番無難かなと。
だが「思はめや」ももしかしたら間違いじゃないかも。
初句に倒置でもってきた頼政の用法は反語ではないよなこれ。
他はだいたい反語的なのだが。

ついでに:

> 飲みのみて屋根うつ雨の音高し傘はなければ借るべかりける

いやだなこれじゃまるで安い演歌だ。
そうだ、「氷雨」か(笑)。

橘曙覧3

頼山陽を詠んだ歌:

> 外つ文(そとつぶみ)朝廷(みかど)おもひにますらをを励ましたりし功績(いさを)おほかり

いやあ。
こりゃどうかなあ。
あんまり感心しないな。
ていうか無理矢理和歌で詠まなくてもよかったのではないかこれは。
逸脱してるよね。

橘曙覧2

日蓮宗やら頼山陽やら本居宣長の弟子やらいろんなとこに学んでいるのだな。
基本的には裕福な家庭の子ということか。
一瞬、石川啄木風かと見えたが、生活苦からくるものではない。
ある種の屈折した心理からきているのは確かだが、
別に苦労人というのではなく、
どちらかといえば軽率な感じもある。

渾然としてるわな。
有名な連作のあれとか、えびすの太刀は弱い剣とか、
工場の労働者の歌とかは、
あまり感心しないと思った。
妻とともに山に籠もって国学と詠歌の半農半学(?)の生活に移った辺りの歌がいちばんみずみずしくておもしろいようだ。
妻が山の家に蛇が出るとか嵐が怖いとか泥棒に入られたらいやだとかそういったことなどを歌に詠んでいるようなのが良い。
他はまあ普通。
国士風の歌は、ぱっとしない。
この歌人が明治時代に「近代短歌のさきがけ」などと持ち上げられていく過程がなんとなく想像できる。

> 夕けぶり今日はけふのみ立てておけ明日の薪はあす取りてこむ

これはひどい歌。口語調。

> まれに来てすがる小鳥のちからにもひしがれぬべく見ゆる若竹

おもしろい。

> たてがみをとらへまたがり裸馬を吾妻男のあらなづけする

ややおもしろい。五七調が多いよね。

> うつろひて南にかかる日のかげになまがわきする花の上の露

どうということはないが「なまがわき」というのが珍しい。

> すくすくと生ひたつ麦に腹すりて燕飛びくる春の山はた

> とくとくと垂りくる酒のなりひさごうれしき音をさするものかな

> 一人だに我とひとしき心なる人に遇ひ得でこの世すぐらむ

> 賤どちの夜もの語りのありさまを篁(たかむら)ごしに見するともし火

源義家朝臣

> 年を経し糸のみだれも君が手によりて治めしひむがしの国

少しおもしろい。

> すずり石きしろふ音を友にして歌かきつけて今日もひぐらし

少しおもしろい。

> くれなゐに身の染まるまで血吸ふ蚊のはてはおのづと落ちて飛び得ず

ふーむ。

> 小山田や苗代青むうは水に風のまきたる花もまじれり

> うりばたけ一つ見いでしはやなりをよべとられけり守(も)るかひもなく

ひどい歌だなこりゃ。
どうやら山の中に麦やら瓜やらを育てて生計を立てたと思われるな。

> 胸毛おひてむくつけからむをのこにはくはすべしとも思ほえぬかな

これもひどい。

> 黄なる口あく限りあけて鳴く雛に心くるはす親燕かな

ふむ。

橘曙覧

水島直文・橋本政宣編注「橘曙覧全歌集」を読む。
わりとおもしろい。
冒頭に載っている歌:

> あるじはと人もし問はば軒の松あらしといひて吹きかへしてよ

「嵐」と「あらじ」をかけている。愉快な歌。

朝ぎよめのついでに

> かきよせて拾ふもうれし世の中の塵はまじらぬ庭の松の葉

道元の[山居](/?p=1511)の影響を感じるよね。
同じ福井の山の中だし。

閑居雪

> なかなかにふり捨てられてうれしきは柴の網戸をあけがたの雪

これも、「戸を開け」ると「明け方」をかけている。おもしろいなあ。

> あばらなるやどはやどにてすみわたる月は我にもさもにたるかな

「あばら」というのは歌にはあまり使われない言葉なのではないか。
全体にくだけた口語調に見える。

述懐

> なかなかに思へばやすき身なりけり世に拾はれぬみねの落ち栗

いいなあ。この屈折した感じが。

契沖

小林秀雄「本居宣長」(新潮文庫上・下)を相変わらず読んでいるのだが、
これは昭和40年から51年まで「新潮」に連載されたものをそのまま単行本にしたものらしい。
下巻の巻末にさらに補足と、江藤淳との対談というか江藤淳がインタビューする形の記事が載っている。
昭和52年、江藤淳当時44才。
江藤淳が一方的にどんどん語っているのが面白い、というか笑える。

まあだから目次もないし、話の脈絡がない。
11年半も書き続けたわけだからそういうことになる。

契沖について書いている箇所があって、
契沖もまた宣長に似て

> 二人は少年時代から、生涯の終わりに至るまで、中絶することなく、「面白からぬ」歌を詠み続けた点でも良く似ている。

> 契沖ほどの大歌学者にして、この凡庸の歌があるか、と世人は首をひねっている。

と書いているので、小林秀雄もまた、宣長の歌というのは数ばかり多くて面白からぬ凡庸の歌だと思っているわけだ。

> 二人の詠歌は、自在に所感を述べて、苦吟の跡を全くとどめぬところ、まさしく「性なり、癖なり」の風体であるが、
詠歌は、決して風流や消閑の具ではなかったので、「見るところ」あって努めたものでなければ、
あれほど多量の歌が詠めた筈はない。

だいたい同感で、
歌を詠むのが日常生活における習慣というか癖になっており、
わかりやすく言えば親父が親父ギャグを連発するのと同じようにして歌を次々に詠んだということで、
風流な花鳥風月やら或いは何か高尚な詩文をひねろうとして作ったのではない、
そのときそのときの所感を自在に歌に詠んだ、ということだろう。
ある意味では即興詩人、慈円の言う速詠に近いものなのかもしれん。

小林秀雄の文章は読点が多い。

> 歌のよしあしなぞ言って何になろうか

などと言っているところもある。
宣長自身が

> もとより深く心いれてものしたるにはあらず、
みなただ思ひつづけられしままなる中には、
いたくそぞろき、たはぶれたるやうなること、
はたをりをりまじれるを、
をしへ子ども、めづらし、おかし、けうありと思ひて、
ゆめかかるさまを、まねばむとな思ひかけそ、
あなものぐるほし、
これはただ、いねがての、心のちりのつもりつつ、なれるまくらの、やまと言の葉の、霜の下に朽ち残りたるのみぞよ

などと言っているのがまたおかしい。

本居宣長

[本居宣長の結婚離婚結婚](http://mahagi0309.web.infoseek.co.jp/photo/oono06406.html)
など読むと宣長の知られざる一面を見る思いがする。
大野晋氏が発見したことで小林秀雄も知らなかっただろう。
だとしても、宣長の恋の歌を読んでもそんな気配はほとんど感じられないのが不思議、
というか宣長らしい。

小林秀雄の宣長論は、他の著述(実朝とか)と同じだが、面白いことも書いてあるが、
どうでも良いようなこともだらだらたくさん書いてあり、章立てのタイトルもなく、
ひとことで言えば読みにくいのだが、書いてあることが難解かというとそうでもなく、
ときどきすごく鋭いことが書いてある。

本居宣長はまず10代に歌詠みとしての文芸活動から始め、次第に歌学や国学などもやり始めたのであり、
歌は死ぬまで詠んだ。
小林秀雄が指摘するまでもなく宣長のすべての著作研究活動の根幹に宣長自身の歌詠みがあったのは間違いない。
また歌もさほどまずくない。
本居宣長の歌をまずいと言ってしまうとかなりたくさんの人が歌人としての資格を失ってしまうと思う。
だから、本居宣長を歌人と言っても良いと思うのだが、ほとんどすべての人は、
頭っから歌人としての宣長を否定している。
その最大の理由は、賀茂真淵以来、子規・茂吉に連なる万葉調礼讃主義者たちによって徹底的に否定されてきたからだろう。

ある人は言う。
創作活動と研究活動が不可分であるとする宣長の主張はアナクロであり、
それらがほぼ完全に分離している近代的立場からすればおかしいと。
確かにすべての人が和歌を詠むべきだという宣長の主張はやや行き過ぎてはいるが、
しかし、ここで宣長の言い分を否定しようとするのは、
習作程度の歌も詠まず歌論をうんぬんしようとする今日の学者たちに都合の良い考え方であり、
要するに学者たちは宣長を歌人ではなく純粋な学者としてとらえたいのだろう。

小林秀雄は「歌人・宣長」を完全に否定しようとはしないかなり珍しい論者の一人だと思う。
かなり同情的にかつ宣長の歌人としての活動を詳細に紹介している。

宣長は、万葉集研究者の賀茂真淵の弟子となったが、相変わらず新古今風の歌ばかり詠むので、
賀茂真淵を激怒させてほとんど破門されるまでになっている。
また宣長は頓阿の「草庵集」の注釈書を書いたがこれもまた真淵に詰問されている。
頓阿というのはだいたい定家の百年くらい後に出た人で、
私も平家物語に出てくる文覚上人を調べていて、
頓阿が「井蛙抄」という歌論書の中で西行と文覚の関係について書いていたのを読んだことがあるのだが、
要するに井蛙抄というのは定家の本歌取りの方法などを解説したりという、ごく新古今的な本で、
草庵集に出てくる本人の歌というのもだいたいそんな具合のものだっただろう。
ちなみに[wikipediaの井蛙抄](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E8%9B%99%E6%8A%84)は私が起筆したのである。

ここで小林秀雄の指摘は実に鋭い:

> 言うまでもなく、宣長は、頓阿を大歌人だと考えていたわけではない。「中興の祖」として、さわがれてはいるが、
「新古今のころにくらぶれば、同日の談にあらず、おとれる事はるか也」。

> 歌道の「おとろえたる中にて、すぐれたる」頓阿の歌は、おとろえたる現歌壇にとって、
一番手近な、有効な詠歌の手本になる筈だ。

なるほど。ここで小林秀雄は、新古今時代に劣る頓阿の、さらに劣る程度の歌人として、
宣長を暗にとらえていることがわかる。

実際、明治の歌人たちは時代も風俗も違う万葉時代の歌を復活させようとして大失敗している。
斎藤茂吉などがその典型だ。
まさに

> 今の人は、口には、いにしへいにしへと、たけだけしくよばはりながら、古への定まりをえわきまへざるゆゑに、
古へは定まれることはなかりしものと思ふ也

である。

> 詠歌の手本として、「新古今」は危険であるし、「万葉」は「世ものぼりて、末の世の人の耳に遠くして、心に感ずること少なし」、
「上古の歌のさまを見、言葉のよっておこるところを考へなどする、歌学のためには良きものにて、詠み歌のためにはさのみ用なし」

となる。
まったく実用に即した考え方だ。
万人が歌を詠むべきだと主張しつつ、一方で歌学と詠歌をきちんと分けてとらえているわけだ。
ふつう、歌を論じる人は、いきなり新古今を論じたり、万葉集を論じたり、
或いは小倉百人一首を論じたりするわけだが、
しかし当時と今は風俗が違うから、それを参考に歌を詠もうとしてもたちまち詰まってしまう。
誰も、紀貫之の歌は知っていても紀貫之の歌は詠めない。当たり前のことだが。
実際に歌を詠もうとするとそれとまったく別の方法論が必要となるが、
学者たちはしかしそこから先に進もうとはしない。
或いは理屈だけでむちゃくちゃな歌を詠んで恥をかくはめになる。

歌を詠む手本となるのはいきなり万葉や古今や新古今なのではなくて、自分からたかだか百年程度前の歌人が詠んだ歌がちょうど良い具合なのだ。
ただし明治の歌人たちが無理矢理詠んだ万葉調の歌などはまったく参考にはならないし、
幕末の志士たちの歌も、あまり筋がよろしいとは言い難い。
明治や江戸時代の比較的良質な、連綿とした和歌の伝統に則りつつ、近世の風俗も取り入れたような歌人の歌が自分が実際に歌を詠むときに役に立つ。
となると明治天皇、孝明天皇、吉田松陰、本居宣長らの歌がそういう目的にもっとも適していると言えないか。
そういうことを、読み解く意図を持って読めばちゃんと書いている小林秀雄はやはりすごい。

本居宣長続き

> 春の野の岡辺の道のつつじ花手折りて行かなたびのなぐさに

> 里しあらば宿借らましをあしびきの山路まどひて行き暮れにけり

> あまざかるひなのあら野のあら草を枕にまきて旅寝す我は

> あしびきの山松が根に旅寝してあらし吹く夜は家をしぞ思ふ

> 草枕たびと思へど浪の音のとよむ浜べはいねがてぬかも

> ぬばたまの夜は明けぬらし磯の海人のあご整ふる呼び声聞こゆ

「あご」は「網子」(あみこ)。網を引く人。「大宮のうちまで聞こゆ網引(あび)きすと網子ととのふる海人の呼び声」(万葉集238)。

> 我が旅は日長くなりぬあらたまの月日よみつつ妹待たまくに

> 草枕たびの日長み家の妹が縫ひて着せたるきぬ垢つきぬ

> うちなびく草香の山をけふこえて難波の海を見さけつるかも

> 波の上にうき寝我がする明石潟浦吹く風の寒きこの夜を

> 豊国の夕山雪の日長くは家なる妹が待ちやかねまし

> 春の雨の晴れてといはば散りぬべしけふ見に行かな山の桜は

> 近からば吉野の山の桜花きのふもけふも行きて見ましを

> いかならむ吉野の山もこの頃や桜の花の盛りなるらむ

> 朝日かげにほへる山の桜花千代とことはに見ども飽かめや

> 思ふどちいざ見に行かな春山に咲ける桜の花の盛りを

> 立ち出でてふりさけ見ればあしびきの山は桜の花盛りなり

> みやびをの春のかざしと桜花野にも山にも咲きにけるかな

> あらたまの春立ちしよりいつしかと待ちし桜の花咲きにけり

> 山づとに見せむと思ひて桜花道の長手を手折り持ち来ぬ

> おのづから人ぞ訪ひ来る山里も春は桜の花見がてらに

迷い、悟りと言ふことをことごとしく人の言ふに

> 悟るべき事も無き世を悟らむと思ふ心ぞ迷ひなりける

わろす。

述懐

> いたづらに年ぞ六十になりにけるなすべきわざは未だならずて

> 思ひ出づる三十の春も三十とせのかすみ隔たる花のおもかげ

山家水

> 世の中の憂きこと聞かぬ住まひかなただ山水の音ばかりして

> 明け暮れに汲むとはすれど谷水になほすみ果てぬ我が心かな

山家松

> 軒の松むかしの友と言ふばかり我が山住みの年も経にけり

山家

> 厭ひてもものの寂しき夕暮れは憂き世恋しき山の奥かな

> ある時はありのすさびの世の憂さもまたしのばるる山の奥かな

ふみよめば

本居宣長は本が好きという話。

> 書読めば大和もろこし昔今よろづのことを知るぞうれしき

> 書読めば詳しくぞ知る天の下行かぬ国々四方の海山

> 書読めば見ぬもろこしの国までも心のうちのものになりつつ

> 書読めば昔の人はなかりけりみな今もある我が友にして

> 書読めば千里のよそのことまでもただここにして目に見るごとし

> 書読めば花も紅葉も月雪もいつとも分かず見るここちして

> 書読めば心にもののかなはぬも憂き世のさがと思ひ晴るけつ

> 書読めば絶えて寂しきことぞなき人も問ひ来ず酒も飲まねど

ふーむ。

> 酒飲みて歌ひ舞ひつつ遊ぶより書読むこそは世に楽しけれ

ふーむ。

> 書読までなににつれづれなぐさまむ春雨の頃秋の長き夜

> 暑けれど書読むほどは忘られて夏も扇は取らむともせず

ふーむ。

> 埋み火のもとに夜々起きゐつつ寒さ忘れて見る書ぞ良き

ふーむ。

> 跡絶えて深く降り積む冬の日も書見る道は雪もさはらず

おっしゃる通り。

> なづむなよ書見る道に朝霜の解けぬ所はさても過ぎ行け

> 書見るにけはしき道は避きて行けまたき心の馬疲らすな

> 面白き山川見つつ行けばかも書見る道は苦しくもあらず

> もろもろの書見る道は夜昼と千里行けども足も疲れず

> 寝るうちも道行くほども書読まで過ぐるぞ惜しきあたらいとまを

ずいぶんせっかちだな。

> 菅の根の長き春日も短きぞ書読む人の憂ひなりける

> 面白き書読むときは寝ることももの食ふこともげに忘れけり

> 玉の緒の長くもがなや世の中にありとある書を読み尽くすまで

ふーん。