江戸の四宿と街道

元禄六年の江戸地図を見ていると、中山道は単に板橋道と書かれている。
板橋道は本郷追分で岩渕道と分かれている。
岩渕道というのは岩槻街道もしくは日光御成道(おなりみち)のことであり、
荒川を挟んで手前が岩渕宿、向こう岸が川口宿。
日光御成道は日光街道の脇街道となっているのだが、これがまた紛らわしい。
日光御成道と日光街道は幸手(さって)追分で合流する。
追分とは街道の分岐点のこと。
本街道と脇街道が分かれたり合流するところなど。

同じ地図で奥州街道は「千種海道」と書かれているがどうやらこれは千住街道という意味らしい。
[こちらの地図](http://onjweb.com/netbakumaz/edomap/Edo101a7.pdf)
では、千住街道は千住大橋を渡った先の千住宿(今の北千住)で日光道と奥州道と水戸道に分かれている。
が、wikipedia では奥州街道と日光街道は宇都宮までは共通だなどと書かれている。
おそらくここで日光道と呼ばれているのは厳密に言えば日光御成道のことなのだろう。

ついでに江戸四宿の内藤新宿、板橋宿、千住宿、品川宿も描き込んでみる。

こうしてみると、どう考えても、日本橋がすべての街道の起点になっている、
などとは言えないのである。
江戸城をぐるりと取り囲む門や見附がそれぞれの街道の起点となっている、
と考える方が自然であるし、
特に江戸城下では中山道や日光街道や水戸街道などという明確な認識はなくて、
岩渕道とか板橋道とか大山道とか甲州街道とか青梅街道などがあっただけなのだろう。
従って、青梅街道や甲州街道の起点は内藤新宿であり、
奥州街道や水戸街道の起点は千住であり、
東海道の起点は品川であり、
中山道や川越街道の起点は板橋である、
と考えるのもわかりやすいと思う。
なんでもかんでも日本橋を出発点にするという考え方はどこから出てきたのだろうかとふと疑問を持つ。

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