北条泰時はすごく地頭がよかったのは確かだが、
ちゃんと子供の頃から勉強してなくては、和歌が詠めたり、御成敗式目を作れたりするようにはならないと思うんだよね。
そうすると、誰が泰時に学問を教えたのか、ということになるのだが、ざっと調べた限りではよくわからない。
泰時は1183年生まれ、源頼家が1182年生まれなので、泰時は頼家の学友だったのではないか。
頼朝はインテリだから、子供の頃から勉強しなきゃいけないってことはわかっていたはずだ。
だから頼家に京都から呼んできた教師を付けて学ばせたはずである。
その教師とは僧侶であったかもしれないし公家だったかもしれない。
しかし、頼家についてはほとんど何も記録が残ってない。
頼朝は泰時をかわいがっていた。
もともとは頼朝から一字もらって頼時という名前だった。
頼朝が死んだ後、泰時という名に変えた。
なぜ変える必要があったのか。これもさっぱりわからない。
いずれにしても頼朝にかわいがられたということは頼朝からも学問を教わったと思われる。
実朝も聡明だったのだから、頼家もある程度頭は良かったはずだ。
頼家は蹴鞠ばかりして泰時が諫めたという話がある。
事実かどうかはともかく、これなども、泰時が頼家と一緒に学問をしていた証拠になるかもしれん。
頼家が遊んでいる間も(学問好きな)泰時は勉強をしていたのではなかったか。
北条泰時をあらためてちゃんと調べなきゃなという気がしてきた。
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