狙いは悪くないらしい。

最初ちょこちょこ間違いを修正しながら加筆したりしてしまうのだが、
出版して1週間ほど経過して
「妻が僕を選んだ理由」
はやっと落ち着いてきた。
すでに読んだ人、買ってもらった人には悪いのだが、私の本はだいたいそんなものだ。

一箇所、「ナターシャ」のはずが「メアリー」と書いたところがあった。
ごめんなさい。
他にもいろいろ間違いがあった。もうだいぶなくなったと思う。

「妻が僕を選んだ理由」「潜入捜査官マリナ」はわざと「大衆小説のようなもの」を書いたのだけど、
狙いは悪くなかったらしい。
というのは、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」
に出てくる本が多くて、しかも今までと全然違うジャンルの本が出てくるからだ。
今までとは全然違う人の目に触れているのは間違いない。

KDP を始めたのはたしか 2013年頃だったはずで、この3年間で知り合いになった人も多くて、
最初から見てくれていた人たちはもちろんありがたいのだが、
私としては、普通の書店に並べるように、あるいは図書館に置いてもらうようにして、不特定多数の人の目に触れてもらいたいのだ。
同人活動のようなことがしたいのでは決してない。
日本の文芸史に果たした同人の力は大きいし、今も脈々と、コミケのような巨大イベントや pixiv のような形に引き継がれている。
しかし、だからこそ、同人活動というものはやり尽くされていて、どんなものかというのはやる前からおよそわかっている。
KDP にはまだ未知の要素があって何が起きるかわからないのが面白い。
もちろん KDP と同人活動という、この異質なものが融合して、なにか新しい化学反応を起こすかも知れない。
しかしもし私が同人活動というものが好きならすでにやっているはずだし、
学会活動というようなものならもうすでにやったし、そしてすでにその限界を見て疲れてしまった。
つまり私は旗振り役にもなれないしかといってただのメンバーでいるくらいなら個人で動こうと考えてしまう。

「妻が僕を選んだ理由」は出たばかりだが、
「潜入捜査官マリナ」が一番関連書籍が多く、
「エウメネス」は「妻」「マリナ」より少なく、
かつ、これらの本の関連書籍は見事なまでにかぶっていない。
書いてる自分も意識して書いていることではあるが、一冊一冊ジャンルがばらけている。
「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」もたぶんジャンルはかぶってない。
つまり私の場合いろんな場所で撒き餌をまいているわけだ。
「エウメネス」は撒き餌のつもりではなかったが、
「妻」と「マリナ」は明らかに魚影の濃いところを狙ってまいている。
そしてもう完全に新人賞は無視することに決めた。アマゾンに乗っかるほうがましだと思い始めた。
kobo は全然売れてないし、カクヨムも全然読まれてない。
私の本がまがりなりにも売れたり読まれたりしているのは明らかにアマゾン様のおかけだ。

「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」に関していえば、まあ、普通に言って無名の中年新人の小説は売れませんよね。
それよりかかっちりした学術書を書いたほうが、私という人間には需要がある、ということでしょう。

なんでこんなことを始めたかといえば、
「特務内親王遼子」がまったく売れなかったせいかもしれない。
ともかくも、世の中が必要とする本を書いて誘導しないことには、
私が世の中に読ませたい本は読まれない。

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