思うに、プラトンやクセノフォン(が書いたとされる著作)は論語とかせいぜい史記くらいのものであり(論語だって孔子が自分で書いたわけじゃない)、
古典ギリシャ語がやっかいだということは置いておいて、書いてあることはシンプルであり、
書いてあるとおりに理解すればよいのだと思う。

ところがプラトンの後、アリストテレスの時代から、ヘレニズムの時代が始まり、ギリシャはペルシャ世界まで膨張する。その西半分はローマに飲み込まれる。
最初はギリシャからローマに一方的に文化が流れ、
ギリシャ語がラテン語に影響を与えたが、次第に融合していき、
ラテン語からギリシャ語にも影響するようになり、
東ローマ時代にはたとえば Eudokia のようにギリシャ語とラテン語の複合語などが使われるようになる。

ローマではラテン語が公用語であり、東ローマではバシレウス2世あたりからギリシャ語が復活した、
などと言われているが、そうではなく、東ローマ、つまりかつてのヘレニズム世界では、
少なくとも民衆の間では、ずっとギリシャ語が使われていたと考えるのが自然ではないか。

それで、東洋では論語の後に孟子が出て、朱子学ができたわけだが、
これは西洋ではギリシャ文芸、特に新約聖書の、ラテン語世界における再解釈に相当する。
宗教改革以降ではこれがさらにドイツ語や英語にとってかわられるのだが、
さらに独自解釈が加えられ、古典ギリシャ文芸のシンプルさが失われ、特に哲学といわれる部分の解釈が、
どうしようもなくゆがんできた。

どうゆがんだかといえばこれも朱子学とだいたい同じであって、
春秋時代の孔子から発祥したいわばボトムアップな儒学の上に道というものを作り、道の上に天というものを作った。
逆に天から道ができ道から儒教ができた、というようにトップダウンに作りかえてしまった。
頭でっかちに抽象的になってしまった。

西欧でも、まずキリスト教神学があって、その下に哲学があって、その下にアリストテレスの百科事典があって、
その下にプラトンらの初期の著作がある、という構図にしてしまった。
だからプラトンがわけのわからないことになってしまったし、
イソクラテスなんてもっとわけがわからない。
西欧は神学が学問の最上位に君臨して支配していた時代があまりにも長いのでどうしてもそうなる。
現代でもだ。

日本の、或いは中国の、近世における古文辞学的手法と、
西洋で起きた聖書から「史的イエス」を文献学的に復元する作業というものは、同時並行して起きた動きだ。
「史的イエス」研究はものすごく発達している。
当然「史的イエス」に対して「キリスト教的イエス」「イスラム教的イエス」「形而上学的イエス」などが副産物として分離され明らかになっている。
本居宣長や契沖の国学、荻生徂徠の古文辞学も相当に高度なものだ。
しかし「史的プラトン」や「史的クセノフォン」「史的アリストテレス」を復元しようという試みはまだまったく不十分としかいいようがない。
一部の研究者はそれに気づいているが、一般にはまったく知られていないようだ。

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