藤原家隆が土御門院の歌に合点(判定)した珍しい例がある(『歴代御製集2』)。承久3(1221)年というからまさに承久の乱が起きたその年に詠まれている。
春の野の 初子の松の 若葉より さし添ふ千代の 影は見えけり
子の日の歌には一句一字おろかならず候、但さりとては此の中には可爲御地候歟。
一字一句おろそかにしていないのは良いが、他の歌と比べると普通だと言っている。十首などまとめて詠んだ歌のうち優れているものを「文の歌」と言い、劣っているわけではないが引き立て役になっているものを「地の歌」と言うようだ。
伊勢の海の あまのはらなる 朝霞 そらに塩焼く けぶりとぞみる
余勢、姿、心巧みに無申限候歟。
勢いも、姿も、心も巧みで、申し分ありません。
霧にむせぶ 山のうぐひす 出でやらで 麓の春に 迷ふころかな
山のうぐひすの心、尤もよろしく候
「霧にむせぶ」が字余りだが、心がこもっていて良い、ということか。こんな石原裕次郎が歌う歌謡曲みたいなフレーズを土御門院が使っていたとはちょっと意外だ。
しろたへの 袖にまがひて 降る雪の 消えぬ野原に 若菜をぞ摘む
麗しく、一句無難優美に候
麗しく、無難で優美だと言っている。
堂上公家による和歌指南というものは、明治に至るまでこんなようなものだったのだろう。善し悪しは直接言わず、悪いときは地の歌だと言ったり、姿が悪いときは心が良いとだけ指摘したりする。
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