人斬り鉤月斎なんだけれども、ほぼ忘れてたので非常に新鮮な気持ちで読めた。これはこれでKDPで出版しておこうと思ったが、このままでは出だしがいかにも読みにくいので、できるだけすっと入っていけるようにかなり加筆したり、順序を入れ替えたりした。こういう加筆が良いのかどうかよくわからんのだが、小説などというものは、身が大きくて衣が薄いエビフライよりは、クリームがみっちりでシューが薄いシュークリームよりは、むしろ中身がすくなくてガワが多いほうがさらりと読みやすいと思う。落語も枕から始める。私の場合いきなり本論から始めたりするが、それじゃだめなんだなと、人に言われてもピンとこないが、自分の旧作を忘れたころに読み返すとそれを実感する。
世の中には逆に中身はないけどさらりと読めて面白い文章を書く人もいるのだろう。それもまた美徳ではあるので見習えるところは見習わなくては。
ついでに初めてKDPのペーパーバックというものに挑戦してみた。手元に置いておいて人に見せるにはちょうど良い媒体かもしれない。750円で売ると450円が印刷代、300円がアマゾンの取り分で、著者には1円も入らないが、別にそれでもよい。751円くらいにしておこうか。
戦後民主主義的テレビドラマ的時代小説を破壊したくて書いたなどと言っていて、ははあ当時はそんなつもりで書いたんだなあと改めて思った。戦前の菊池寛とか、山本周五郎とか、あるいは子母澤寛あたりまでは好きなんだが、吉川英治あたりまでくると、強烈な戦後臭がして嫌なんだよね。それはNHK大河ドラマにも言えることなんだが。戦後のサラリーマン社会から電柱なんかを消してちょんまげのヅラをかぶった感じが嫌だな。そういう現代臭を消し去らなくてはならないと思うんだよね。でも結局彼らは現代のほうが過去より良いと思ってるから、逆に過去へ現代をばんばん投影させて、過去を自分好みに改変してくる。過去がもっとこうなら良かったのにとか、過去はこうだからいけない、今の時代に生きている俺らは幸せだ、戦後民主主義は最高だとか、そんな価値観ばんばんぶっこんでくる。それが嫌味だよな。そう。お説教臭い。何もかもが。
そりゃまあ医療とか福祉なんかは現代のほうが優れているに決まってるんだろうけどさ。
たぶんこれ、KDPが始まる前に新人賞に応募するように書いたものだな。KDPがでてきた頃には忘れててそのまんま放置されてたってことだな。