これまた戦前の版。
後鳥羽上皇の意志によって編纂された勅撰和歌集。
後鳥羽上皇は本文中にただ「太上天皇」としか書かれてない。
注記もない。佐佐木信綱による解題を読めば後鳥羽上皇存命中にできたことはわかるので、
太上天皇が上皇を意味することを知っていれば、
後鳥羽上皇を差すのであろうということはわからんでもないが、
いかにもわかりにくい。
「上皇」とは「太上天皇」を略したものか。
当時としては上皇とは言わず、正式名称は太上天皇で、通称は院だったかと。
法皇という言い方も、してなかったようだ。
新井白石の読史余論には院政のことを「政出上皇」と書いているから、
少なくとも新井白石の時代には「上皇」という言い方はあった。
しかも、漢文用語だろう。
なるほど、上皇が何人もいるときは、一番最初になった人を「一院」または「一の院」「本院」、
一番後を「新院」、その間の人を「中院」または「中の院」と言っていたわけだな。
まあ、四人以上上皇がいることはなかったようだ。
新古今というのは、幽玄とか唯美とか公家階級のなぐさみものみたいなイメージで、
好きではなかったが、
後鳥羽上皇の激動の人生を知るにつけて、なんかもっと違うふうに読めてくるから不思議なもんだ。
なんか、こう非常に屈折した心理を感じるよね、後鳥羽上皇の歌を読んでいると。
式子内親王もそう。
抵抗なくすっと入ってきて、なんか心のどこかにひっかかってとれない感じよな。
高校教育というか、大学受験というか、この辺のところがまったく伝わって来なかったよな。
ていうか日本史を学ばないと結局新古今はわからんよな。
万葉集や古今集はその点、そのままさくっとわかる部分もあるかと。
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