岩波書店、新日本古典文学大系『漢詩文集』の中の、『新編成島柳北詩文集』を読んでいる。柳北が書いた漢詩と、朝野新聞に主筆として書いた社説(抜粋?)からなる。
他に、入手しやすいものとしては、同じく新日本古典文学大系の『柳橋新誌』『航西日乗』。
柳北、47歳で胸の病気で早死にしている。嫌な死に方をしやがる。死んだ年にしても病気にしても、今の自分に近い。
朝野新聞は日本ジャーナリズムの黎明期に、柳北を主筆として流行り、柳北の死去によって衰退した。その社説は、なかなか面白い。
主筆自ら社説を書いておかげで牢屋に入れられたり、その話をまた茶化して書いたりしている。実に軽い。
今とは時代が違ったといえばそれまでだが。
柳北の文章で手に入るものは、とりあえず全部読んでみることにする。
[ここ](http://home.b-star.jp/~foresta/1/narushima/)にもややまとまった文章が置いてある。
『硯北日録』の一部、柳北が18歳の時の日記があるが、はてこれはどうだろう。
十八歳の時の漢詩を見るに、ちゃんと偶数句の終わりは押韻していて、感心だ(まあ、それが当たり前なのだろうが)。
古詩とかは、字数も韻も好い加減で、だいたい陶淵明くらいの漢詩。
楽府にいたっては民謡なので、ルールがほとんどない。
頼山陽も最初は韻や字数にこだわった詩を作っていたようだが、だんだん楽府とか古詩とか言い出して適当になっていたったように思われる。
というか、江戸時代の漢詩人の中では頼山陽はかなりいい加減な方に入るようだ。
しかし、この人の名が今日まで残って、新日本古典文学大系に採られているのは、明治初期に大新聞の主筆となったからだろう。
或いは永井荷風の影響か。
『柳橋新誌』や漢詩は面白いが、このくらいの人は当時いくらでもいたに違いない。