青蓮院と知恩院

[青蓮院のサイト](http://www.shorenin.com/temple/)によれば、

> 徳川氏には豊臣氏滅亡後今の知恩院の全域を取り上げられました

とあり、地図を見てみるとたしかに知恩院と青蓮院はどちらも円山町にあって、境内が隣り合っている。
知恩院は浄土宗で青蓮院は天台宗のはずだがおかしいなと思い、良く読んでみると、

> 慈圓は、時代の流れにも積極的な理解と対応を示し、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致しました。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深いのです。浄土真宗の祖親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっています。
[青蓮院の由緒](http://www.shorenin.com/info/)

というわけで、青蓮院門跡が慈円のとき、慈円が当時新興宗教であった浄土宗や浄土真宗を保護して、それが縁で現在の知恩院ができた、
と思われる。
ウィキペディアによれば

> 浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行った。造営は2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。
[知恩院](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E6%81%A9%E9%99%A2)

とあるから、もともと青蓮院の境内に法然が草庵のようなものを構え、
その寺域を家康が青蓮院から分離して、今のような大伽藍を作った、ということなのだろう。

[知恩院のサイト](http://www.chion-in.or.jp/01_honen/hon_chio.html)の記述も参考にするに、
知恩院が浄土宗総本山としての地位を獲得したのは家康以来ということではなかろうか。

法尊、法助

義満の子で義持の弟に[法尊](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%B0%8A)
という人がいて、「仁和寺門跡」とあるが、

> 永助法親王から伝法潅頂を受けて仁和寺門跡を継承する。天皇の子以外で仁和寺門跡になったのは鎌倉時代に摂政関白九条道家の子法助の例があるのみという異例の昇進だったが、その5年後に師に先立って23歳で死去した。このため歴代の御室門跡には数えられていない。

とあり、また
[仁和寺門跡一覧](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%92%8C%E5%AF%BA%E9%96%80%E8%B7%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7)
にもないのだから、門跡じゃないんじゃないのそれは?
としか言いようがない。

三歳年上の兄・義円(義教)より法尊のほうが出世が早かった、
ということになっているが、仁和寺門跡を実際に継いだわけじゃないのだから、
実際に青蓮院の門跡になった義円のほうが出世が早かった、というべきではないのか。

また、
[法助](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%8A%A9)
だが、
仁和寺門跡一覧には「法助法親王」とあるが、親王じゃないんだから、法親王でもないんじゃないの、と思う。
単なる誤記なら修正しようかと思ったが、
[仁和寺のサイト](http://www.ninnaji.or.jp/chronicles.html)
にも同様に書かれているので、
ほっとくことにする。

原作

某マンガが映画化されて原作者に支払われた額が少ないという話なのだが、
あれは明らかに一発ネタで、それをアシスタントいっぱい雇ってだらだら水増しして、
さらにそれを無理矢理映画化しただけのものだと思う。
しかも、最初のアイディアを漫画家が全部思いついたのならともかく、
おそらくは編集会議とかでできあがった、
もしくはアイディアはほとんど編集の側が提供した、というのであれば、
おそらく実際に汗をかいたのは周りのスタッフであり、
原作者にいくお金が少ないのは仕方ないことなんじゃないかなあと思う。
舞台裏を見てない推測だが、むしろ私はスタッフをほめてやりたい、
あんな小ネタをあそこまででかくしたのだから。

日本史は室町と南北朝が面白い、というのが持論になりつつあるのだが、
これからも書いていくとしたら、その部分を実証していく作業になると思う。
川越素描は、完全版を書いたあと、室町がどうのこうのという辺りをさくっと削除した軽い内容のものにして、
その削除した部分で別の小説書こうかと思う。長期戦で。

出版停止

川越素描をドラフトに戻した。
かなり大幅に書き換えたいと思っている。
完成はいつになるかわからん。

足利義教と織田信長が似てるという話があるらしい。
信長は義教の生まれ代わりだとか。
面白い人ではある。

還俗した征夷大将軍には、護良親王(建武)と、その弟の宗良親王(南朝)がいる。
義教が最初では全然ないし、義教も髪を蓄えてから将軍に就任したのだから、
禁忌であったとは思えない。

義満の子らがみな僧侶であるから、という理由だけで、持氏が将軍になれると思い込んだのではないと思う。

そりゃそうと去年、一昨年と、太宰治賞は二月中に一次選考結果が発表されたのだが、
今年はまだだ。
なんなのだろうかー。
割と期待しているのだがー。

銭Kindle版

> KDPじゃなくて、エンターブレインから出ている本なので、何冊売れたのかわかりません(笑)
[銭とSS-4](http://www.misokichi.com/chinge/2013/03/ss-4.html)

とあるので、比較のために買ってみる。
サンプル部分ではよくわからんかったから。
紙の本はたぶん全部買った。もう処分したけど。

文字はそのまんまみたいだな。金払ってあるんだろうな。でもあんまり読みやすくない。
文字はきちんと打ち直した方がいいんじゃなかろうか。
スクリーントーンは明らかにグレーに直してるな。
一手間かけてる感じ。

古い漫画の電子化って実はけっこうめんどくさいんじゃね。

> 架空とは言っても、実は取材してドキュメントで描いている漫画より、本当のことが描けるのがフィクションの強みなんですね。

わかるわかる。
特に鈴木みその場合はそうだなー。

限界集落温泉

鈴木みその「限界集落温泉」は第1、2巻をすでに紙媒体で買っていたのだが、
全4巻Kindle版で買い直す。

> フォントは契約があるので使えないよ。出すなら文字を打ちなおしてね。
[Amazonで漫画を出版01](http://www.misokichi.com/chinge/2012/12/amazon01.html)

などとあるが、特に1巻目の文字組がよろしくない。スペーシングが。
縦が空きすぎていて横がつまりすぎている。
イラストレータやフォトショップなど通常文字を横組みにしかできないソフトでむりやり改行いれて縦組みしたときによくこうなる。GimpやInkscapeでも同じ。
日本語を縦組みにするには専用のソフト使わなきゃダメだよな。
アドビならインデザインとか。
コミスタなら縦組みくらいできるはずだが。
CLIP Studio とか。
でなきゃ一太郎でepub出力するとか。
後書きとか奥付けなどの文字組もなんかもそう。

> 紙からスキャンの方がずっと楽。文字はイラストレーターかインデザで作ったものを添付。途中からコミックスタジオ。ひらがなを明朝、漢字をゴチックに変換。書きだした文字の行間が伸びるバグが発生。一コマずつ手で調整。ああもう。
[Amazonで漫画を出版02](http://www.misokichi.com/chinge/2012/12/amazon02.html)

あー、もう、目に浮かぶようだわ。

伊豆下田が鈴木みその生まれ故郷だというのも初めて知った。
でなければこれだけ方言を完璧に作品に入れるのは難しいよね。

ニコ動ネットアイドル系から途中でAKB路線に切り替わっているのが面白い。
ていうか連載が進むにつれてストーリーが微妙に揺れ動いているのが鈴木みそらしいよね。

スクリーントーンを使っている以上(PC上の擬似トーンを含む)粒状の模様を縮小すると、格子縞の干渉で模様ができる、いわゆるモアレが生じることがあります。
ちなみにモアレというのはフランス語で、「模様が荒れる」模荒れ、ではないですがそんなことはどうでもいいです。

結論から言えば、これはどうしようもありません。「コミックスタジオ」は、粒状のトーンをグレーにして出力することができますから、生データからトーン情報を変えて書き出せばオーケーです。

> スクリーントーンを使っている以上(PC上の擬似トーンを含む)粒状の模様を縮小すると、格子縞の干渉で模様ができる、いわゆるモアレが生じることがあります。
結論から言えば、これはどうしようもありません。「コミックスタジオ」は、粒状のトーンをグレーにして出力することができますから、生データからトーン情報を変えて書き出せばオーケーです。
[Amazonで漫画を出版03](http://www.misokichi.com/chinge/2012/12/amazon03.html)

モアレはでまくってる。
全然ダメ。
だが直すのはめんどくさいだろうから仕方ないのかなあ。

私の場合文字だけの小説なので、役にたったようなたたないような情報だった。




A Sketch of Kawagoe

[kindle版川越素描](http://www.amazon.co.jp/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E7%B4%A0%E6%8F%8F-ebook/dp/B00BLNTYBQ/ref=sr_1_5?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1361926480&sr=1-5)
やっと出た。

ていうか、芥川龍之介の[素描三題](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/157_15212.html)
なんか見ると、ものすごく短い短編。
ショートショートというか、掌編小説というか。

司馬遼太郎の『アメリカ素描』というのは割と長い随筆なんだが、
まあ、素描といったら、
スケッチなわけだから、短編か、短編集みたいなものを言うのだろうが、
この「川越素描」というのは、どちらかと言えばがっつり長編であり、
今更だが素描らしくない。
というより、私が書いたものの中では一番複雑怪奇な構成になっていて、
たぶん今後もこんなへんてこなものは書かないと思う。

しかも川越というよりは関東全域の話になってしまっている。

だけどまあ気分としては、私はこれを
A Sketch of Kawagoe と呼びたいのだ。
ざっくりとラフな記述スタイルの長編、と言えば良いか。

kindle paperwhite は「実機」として、kindle版の見た目の最終確認に使う感じ。
まあ、一応必要だわな。

秩父

新人賞に応募したやつをパブーで公開してそれを今度からはkindleで出そうと思っているのだが、
パブーのやつも順次kindle化していく。
で、「川越素描」kindle版を用意していたのだが、もともと400枚くらいのかなり長い小説なんだが、
そもそも太田とか長尾とか上杉とかなんなんだとか調べ始めたらきりがなくて。

足利成氏とか。結城とか。多賀谷とか。

で、長尾景春はなぜ秩父で挙兵したかとか。
どんな不満があったのか。どんな勝算があったのかとか。秩父面白い。

長尾とか上杉というのは長尾景虎すなわち上杉謙信のイメージでなんか越後の人みたいに思うが、全然違う。
上杉はもと丹波の藤原氏だ。
長尾は頼朝より前から鎌倉に居た。
太田は上杉と一緒に鎌倉に来たらしい。

上杉は越後上野武蔵相模の守護。
本州の一番肉厚なところを縦断している。
だから、鎌倉公方は東関東の下野国古河を拠点とした。
決して、鎌倉を追っ払われて古河に逃げたのではない、たぶん。
その下総には鎌倉公方シンパの結城氏がいる。
上杉ラインの要となるのは武蔵と上野の境、利根川沿いの五十子陣。
景春は秩父に入り込んで長瀞奥の鉢形(今の寄居町)に城を築き、
五十子を背後からヒットアンドアウェイで攻撃した。
秩父は三方を山に囲まれ出口は長瀞渓谷のみ(今は西武秩父線とかいろいろ通ってるが)。
長瀞口に城を築けば敵は容易に攻め込めない。
秩父は水も豊かで土地も肥えている。しかも広い。奥多摩の二倍はある。
五十子が落ちると上杉の越後・上野・武蔵・相模ラインが秩父・五十子・古河ラインで分断されてしまう。
景春すげえ。頭良い!ってことに気付いてしまった。

長尾上杉がなんで越後とか上野に居るかというと、尊氏について新田を討ったからなのだ。
新田がもともと上野・越後に土着した人で、足利が上杉・長尾に新田の旧領を気前よく与えてしまった。

とか調べだしたらもう切りがなくて。

古河公方と上杉の主戦場は上野と下野の間で行われた。
太田氏が守備した川越・江戸ラインに侵入してきたのは主に下総千葉氏だったらしい。

アマゾンの概要のところは本文を一部転載するようにした。
その方が楽だし、どんな雰囲気かわかりやすいと思ったから。

kindle版は紙媒体版と同じくらい改版が難しいのだけど、
もう校正ばっかりやってるとまじ切りがない。
売れ出してもないのに完璧を期するのもあほだと思い、
とりあえず出す。

五十

五十嵐はなぜ「いがらし」と読むのだろうか。
五十子は「いらこ」「いかご」「いかっこ」などいろんな呼び方がある。
五十日を「いそか」といい、「いか」というようになったので五十を「いか」と言うようになったとウィキペディアにはある。
ようわからん。

多賀谷氏家

[多賀谷氏家](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E8%B0%B7%E6%B0%8F%E5%AE%B6)
には、

> 宝徳3年(1451年)、足利成氏の命により関東管領・上杉憲忠の鎌倉西御門館を急襲、氏家・朝経兄弟は憲忠の首を討ち取った(享徳の乱)。

と書かれているが、
[上杉憲忠](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%86%B2%E5%BF%A0)
には、

> 享徳3年12月27日(1455年1月15日)に鎌倉にある成氏の西御門邸に招かれた憲忠は、成氏の命を受けた結城成朝の家臣多賀谷氏家・高経兄弟によって謀殺されてしまった

と書かれている。
どっちなんだよ。