板橋区赤塚

今日は成増周辺を集中的に踏破した.
赤塚というところになかなか良い物件を発見した.
二階建てで二階部分が 2DK になっていて,
すべて込みで 8 万円.
こういう,四方がすべて自分ちの壁,というのはあこがれるかも.
つーか,2DK ならその気になりゃ永住できるかも(するんかい!).
赤塚高台というところにあって,
成増駅から 1km !
ちょっと遠いですね.
でも,このくらいは毎日歩けるのは実証済み.
近くに赤塚図書館がある.
わりと新しい建物.
成増図書館と赤塚図書館の両方が利用できるというのがオイシイ.
というか僕的にはそのような形態が必須条件と言える.

あと,近くにはたけとか緑地多い.
いざ地震火事となると,近くに緑地がないと不安でしょっ.東京の場合.
赤塚植物園というのもある.
東京大仏というのもある(これはあんまり関係ない).
あたりは静かで,ほとんど自動車は入ってこない.
非常によろしい.

下赤塚駅にも近い.
成増駅とほぼ等距離.
他にもなんとなく町の感じがファニーでおもしろそう.
この感じは,埼玉に入ってしまうとなくなってしまうものなのだ.

というわけで,明日さっそく不動産屋に行ってみるかと思ってる.
下手すると明日鍵をもらうかもね.

東上線遍歴

東上線沿いというか,川越街道沿いに,
成増から大山まで歩いた.
これで,
池袋,北池袋,下板橋,大山,中板橋,
常盤台,上板橋,東武練馬(練馬北町),下赤塚,
成増,和光市,朝霞台,志木,ふじみ野,上福岡,川越と,
池袋から成増まで全部と,成増から川越までの急行停車駅には,
すべて足跡を残したことになる.

さて,そこで導き出される結論だが,
板橋は世田谷に比べて,住宅地としては及ぶべくもないということだ.
特に東上線沿線には緑地も少ない.
区画がごちゃごちゃしてて,
老人ばかり住んでいるような気がする.
板橋中央図書館というところに行ってみたが,
世田谷中央図書館とはウンデイの差がある.
むしろ大田区や品川区などと似たところがある.

やはり成増あたりにさくっと引っ越した方が良さそうだ.
成増にはでっかい図書館があるし,
近くに練馬の光が丘公園などあるし.
駅前にはけっこうごちゃごちゃした商店街もある.
成増は家賃もけっこう強気なようだが,このさい仕方ない.

風評の流布

所沢 JA はテレビ朝日を訴えるべく着々と準備を進めているそうである.
頼もしい限りだ.
争点は,事実に反することを報道したことにより,
損失が発生したことの因果関係を示せるかどうかである.
法律用語では「風評の流布」と言うんだそうだ.
被害総額数千万から数億円.
補償額の多少などこの際問題じゃなく,
報道機関が善良な一般市民と法廷で争うということが,
致命的なのである.
久米宏が謝罪しないのも,
裁判での全面対決に備えているためとも見えよう.

テレビ朝日は一度国会に証人喚問されたが,
このときは政治家対報道機関という構図になって,
テレビ朝日に同情が集まった.
しかし今回は,そんなまずいやり方はしないだろう.
テレビ朝日の息の根を止めるために,
もっとも効果的な手を打ってくるはずだ.
他の報道機関も今回は朝日を擁護しないだろう.
楽しみだなあ.

テレビ報道の内容に少しでも正義があれば,
それによって生じた損失は国家が補償しなくてはならないかもしれない.
根本的な原因は,政府や行政の怠慢なのだから,
国が補償すべきだという論理は成り立つ
(国の税金が使われるのだから,
それもやむなしとする国民の合意がとれているという前提で,だ.
僕は今回は明らかに私企業の過ちであって,
税金を使うなど間違ってると思うけどね).
しかし問題はもっと根の深いところにある.
朝日はしょせんタブロイド程度の似非ジャーナリズムなのに,
朝日は正しいと信じこんでる大衆が大勢いることが問題なのである.
子供のころ夏休みの宿題で天声人語を原稿用紙に書き写したり,
感想文を書かされたりした連中が,
そのまま大人になっても朝日を信用していることが問題なのである.
根拠のない反体制主義者というのは十年前ならざらにいたが,
ずいぶん減ってきて,
今では共産党と朝日の周辺に非常に高い濃度で残留するに至った.
当たり前のことを当たり前に報道するってことができない,
永遠の子供(タチの悪いことに高学歴なことが多い)が,
最後のよりどころにしているのである.
それがこれからの裁判によって根本から否定されていくことを期待するね.

凸版印刷

群ようこが,
オフセット印刷よりも凸版印刷の方が活字にキレがあって,
格段にきれいだと言ってたことがある.
宮城谷昌光の本で,
紙をさわると印字の部分がざらざらしてるのとそうでないのがある.
ざらざらしているのが凸版印刷なのだろうか.
インク自体はたいしてざらざらしないだろう.
インクはほとんど紙に染み込んでしまうから,
凸版印刷がでこぼこしてるとしたら,
それは刻印するのと同じで,
版を紙に押しつけたときにへこみができるからだろう.
ついでに裏写りがきついような気がする.
いまでも凸版印刷ってやってるのかなあ.
まさかいまさら電算写植使わないで,
活字拾って組んでるわけじゃないだろうと思うのだが.

オフセット印刷はリトグラフと同じ原理なんだそうで.
リトグラフは親水性のある石の板に油性のマジックとかクレヨンとか,
要するに水をはじくもので絵を描いて,
それに水を張って,
書いた部分だけが水をはじくから,
そこにインクを乗せて印刷するんだね.

ダイオキシン

なんか絶対やばいことになると思ってたよ.

ダイオキシン濃度が高いので,
所沢の農作物は買わないことにしましたとか言ったって,
所沢の農家は野菜が売れなきゃ大損害じゃん.
ちゃんとした統計の裏付けがあって,
国の機関か何かが正式に発表して,
農家に補償をするなり(農家が加害者じゃないのはあたりまえ)
そこまで覚悟を決めて公表に踏み切ったんならともかく,
たかが民放の分際で,いい加減な調査しかしてないで,
不買運動まがいの報道したのかよ.
それじゃ農家が怒るに決まってるじゃん.
何考えてるのかなあテレビ朝日って.

それにしても集まった生産者の人数が 40 人か.
所沢にあんまり農民がいなくて助かったねっ,テレビ朝日.

だからさ,たとえばカイワレ事件のときのことを思い出してみるとさ.
厚生省というか菅直人は,原因となった農園を閉鎖したとしか言わなかったんだよね.
ところがその農園をわざわざ探し出して実名報道したのはマスコミなんだよね.
別に政府が名指ししたわけじゃないんだから.
マスコミは実名報道を自粛するのがまっとうな態度だと思わない?
しかも結局はアメリカから輸入したカイワレの種に O-157 が含まれていたんだろ.
じゃ厚生省が取った措置はきわめて適切だったわけだよね.

ところが,その農園を実名報道するだけじゃ飽きたらずに,
その農園の副社長をわざわざテレビ出演させたのがテレビ朝日だよね.
のこのこテレビに出てきてテレ朝に踊らされるヤツもマヌケだけどね.

ところが,今度の所沢ダイオキシン報道じゃ,
所沢の農民というか,
所沢 JA に加盟してる農家の数がどれほどか知らないけど,
テレ朝は彼らをすべて敵に回してるんだよね.
カイワレのときよりはるかに大きな損失を生産農家に与えてるよね?
カイワレのときの厚生省の対応と比べて明らかに悪質だよね.
というか,あのとき自分らが批判したのとまったく同じことを,
今回自分らでやっているんだよ.
自己矛盾してると思わない?

言論の自由というのは大切だと思うよ.
それでテレ朝が,
自分の信念に基づいて,
一部の利益団体を敵に回したり,
法律ぎりぎりのことをやったりするんなら,
僕だって拍手カッサイするだろう.
しかしテレ朝のやってることは単なるセンセーショナリズム.
時と場合で,一番世の中を騒がせるような報道をしてるだけ.
それで正義の味方ぶってるんだから許せんな.
タチ悪いよ.

ダイオキシン報道というのは,現段階では,
センセーショナリズムとまっとうなジャーナリズムの,
ちょうど境くらいに位置している,と思う.
そこをわざわざねらってきて煽るとこがまたいやらしい.
やってることが少年マガジン的というか,所詮はタブロイドどまり.
まじめにこつこつ取り組んでる人間には迷惑この上ない.

O-157 のときは実際に死人がばたばた出たわけだ.
ところが所沢のダイオキシンは,危ないことは危ないかもしれないが,
基準値にくらべて多いか少ないかとか言ってる段階で,
急に死人が出るというわけじゃない.
どの程度被害が出るかまだ未知数の段階だ.
だから所沢の野菜を食べたくないやつは食べなきゃいいし,
所沢に住みたくなきゃ引っ越せば良いんで,
テレ朝にどうのこうの言われる筋合いじゃないじゃん.

つまり,緊急性とか,調査の方法という意味で,厚生省の対応は正しかったし,
テレ朝のはまったくオソマツというしかない.
テレ朝ってのは,ただもう,セイフとかギョーセイとかジチタイとかには,
条件反射的にかみつくだけだね.

タレント

久しぶりにタモリ倶楽部を見たのだが,
あいかわらず素晴らしい.
タモリはこんなに良い番組を持ってるのに,
どうして笑っていいともなんてつまらない番組にこだわるんだろう.

タレントは番組をおもしろくするが,
タレントに過度に依存した番組はつまらない.
どうしてまあ,民放は,
タレントの個人的な趣味とか打ちあけ話とか,
さいころ振ってだらだら話すような,
そんな番組ばかりになってしまったのか.

宦官が政治を牛耳ってしまうように,
タレント(というか事務所というか)
が放送というものを私物化してる,自己目的化してるよね.

宮城沢昌光

この人の小説は春秋時代から後にはなかなか降りてこない.
夏とか商とか周とか斉とかとにかく古い.
宮城沢昌光の小説を読んだあと,
三国志や水滸伝を読むとまるで現代小説のような錯覚を起こすくらい.
異様に難しい漢字が出てくるので,
きっとワープロは使わず手書き原稿なのだろう.
「平成」という元号の選定にも興味があるようで,
彼は参画したかったに違いない.
しかし,
「美」は犠牲に捧げる大きな羊のことだから,
人の名前に使うのは良くないとか,
おせっかいなところがあるなあ.
山本七平みたいなとこがあるね.

NHKをだらだら見てると,
ときどき「それが知りたかったんだよ」
みたいなことを丁寧にドキュメンタリーにしてたりして,驚く.
初期の江戸前鮨を再現したり.
粕酢という香りも色もきつい酢を使ったり,
シャリの量が今の三倍もあったり,
ネタは全部粕酢や醤油で下味を付けたりする.
それを日雇い労働者に屋台に並べて手づかみで取って食べさせるのである.
こういう番組がブラウザで検索していつでも見れたら素晴らしいのになあ.
平日の昼間に放送されちゃかなわん.

これもNHKのドキュメンタリーだったが,
牛は普通草だけ食べる農耕牛だったので,
もともと固くてステーキには適していなかったのだそうだ.
だからシチューにして食べてたのが,
最近になってアメリカのなんとかという企業が,
牛にトウモロコシを食べさせるようになって,
肉が柔らかくておいしくなったので,
鶏や豚よりも牛の方がよく食べられるようになったという.
そりゃ牛肉が全身スジ肉みたいに固かったら,
なかなか食べられんだろう.
というか,昔はサーロインとかテンダーロインとかいって,
柔らかい部位はとてつもなく高かったのかもしれんし.
ヒンドゥーで牛を食べないのも,
おいしいのを無理に食べないのではなく,
インドの牛はことさらに固いのかもしれんし.
戦後日本では牛は放し飼いで草食べさせてただけなので安かったという話もあるし.

バーガーキングにいくと紀元前のローマから牛肉の直火焼きを食べていて,
それが一番うまい食べ方だ,などと書いてあるのだが,
これは史実と違うのだろうか.
実際ステーキを食べると歯に筋がはさまって困ることがときどきあるしね.

宮城沢昌光の小説に出ていた話だが,
中国で牛を農耕に使い始めたのは,
夏王朝末期の商,湯王の時代で,
外征続きで疲弊した国内の農業を回復するためだったとある.
この富国強兵策で湯王が夏王朝を倒して覇者となったのだそうだ.
ふーん.

いまから思うとあの油粘土というものは,
とても醜くて気持ちの悪いものだったね.
でも油が染み込ませてあるから固まらずに何度も使えるんだね.
だったら色くらいもすこし工夫してほしかったね.
更新日記と更級日記.
一字の違い.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.

脚気と結核

田山花袋の「一兵卒」と梶井基次郎の「のんきな病人」を読んだ.
「一兵卒」は日清戦争か日露戦争の頃に一兵卒が脚気で死ぬ話.
のんきな病人は,結核患者の話.
結核患者が風邪をひいて寝込んでいた.
野良猫が入ってきて,
首から蒲団の中に入り込もうとする.
体が動かないので,入れまいとすると,
反対の首のところから入ろうとする.
それも入れまいとすると,
今度は腹の上に丸くなって毛をなめ始める.
呼吸がすごく苦しいので,
やっとのことであぐらをかいて,
猫を思い切り部屋の隅に投げつけた,などという話.
昨日は薄着をして芋煮会で寝転がっていたら風邪をひいた.

豆乳の凝固過程

大学で豆乳の凝固(ゲル化)過程の研究をしてる人もいるのだ.一度あって話を聞いてみたいものだ.しかし未だになぜ豆乳が凝固するのか,まともな説明を聞いたことがない.もしかしたら誰もほんとうのことは知らないのかもしれない.

凝固剤に塩化マグネシウムを使うと,大豆60kgから420丁の豆腐しか作れないが,硫酸カルシウムだと1500丁,グルコノデルタラクトンだと3000丁作れるという定量的(笑)なデータが提供されている.なんで大豆が60kgなのか. 60kgというのが卸売の単位にでもなっているのだろうか.まあそりゃそうと, 1丁とは何gなのだろうか.まあそれもどうでもよい.

さて,塩化マグネシウム(ニガリ),硫酸カルシウム(石膏),グルコノデルタラクトンの三つは,日本の豆腐の代表的な凝固剤である.こんど豆腐を買ったときには,添加物の表示に注意してみてもらいたい.この凝固剤の固まり易さの比が,420:1500:3000=1:3.6:7.1 だというのである.

固まり易いほど,同じ分量の大豆に対して余計に水分を含ませて固めることができるから,凝固剤に固まりにくい塩化マグネシウムを使った方が,大豆の割合が大きいので,結局おいしい豆腐になるという論法だ.

しかしそれはおかしな話で,水分が多いのはそもそも凝固剤が悪いのではなく,水分を余計に混ぜる製造元が悪い.グルコノデルタラクトンを使っても,大豆成分が多い豆腐は作れるのである.

他説によれば,ニガリは豆乳に混ぜるとただちに凝固を始め,均等に固めるのが難しいので,大量生産には向いてないという.それもまたおかしな話で,スーパーにはニガリ100%の豆腐はたくさんならんでいる.スーパーに置いてあるような豆腐で大量生産でないわけがない.まあそれにしても,ゆっくり均等に固まる方が大量生産には向いているだろう.

それから,中国の内陸部,麻婆豆腐が名物の四川とか,では,塩化マグネシウム(ニガリ)よりも硫酸カルシウム(石膏)を凝固剤に使うことが多いと思われるし,そのように書いた本を読んだことがある.ニガリを使うのは日本人だけかもしれない.

問題は水分の含量や凝固剤の固まり易さとかではない.水分と大豆の比率を一定にするなど,諸条件を同じにしたとき,いったいどの凝固剤を使うと一番豆腐がおいしいか,ということに尽きる.

私の感じでは,石膏とグルコノデルタラクトンはほとんど無味であるから,大豆や豆乳の風味をいかしたいのなら,こういう凝固剤を使うべきだろう.一方,ニガリは微量でも極めて苦いもので,しかも固まりにくいから大量に用いなくてはならない.それを薄めたり,後から抜いたりしても,最終的にはほんのわずかのニガリの風味が残る.ところがこれは苦みというよりも,独特の旨味として知覚されるらしい.現在,上記の三種類の凝固剤を配合して使っている場合は,ニガリを単に味付けに使っているんじゃないかと私は思う.

で,ニガリが効いてて,堅い豆腐の方がうまい,と世間では考えがちなのであるが,私はニガリがまったく効いてなくてふにゃふにゃな豆腐にも,それなりにうまい豆腐はあると思っている.豆腐の堅さと大豆成分の比率についても私は疑問を持っている.大豆成分が多くても絹漉だと柔らかいままじゃないかという気がする.堅ければ堅いほど大豆成分が多くてうまいというのはおかしい.そもそも充填絹漉だからまずいというのもおかしい.充填絹漉でもちゃんと大豆成分を増やせばおいしい豆腐になると思う.水にさらしたいわゆる木綿豆腐よりも,充填絹漉の方が大豆の旨味が封じ込められていてうまいのじゃなかろうか.私はあまり木綿豆腐はうまいと思わない.私が一番うまいと思うのはある種の「ざる豆腐」である.

グルコノデルタラクトンはハムなどにも添加される.ハムの色調を整えるためにはpH調節が必要で,そのためにグルコノデルタラクトンを加えるとのこと.ということは,グルコノデルタラクトンは加水分解してグルコン酸を生じるから, pHを下げるために使われるのかな.すると,グルコノデルタラクトンは多少すっぱいのかもしれん.