亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘読書’ Category

01.23.2017 · Posted in kindle

私の書いたものの中で、 KENP が一番多いのは明らかに『潜入捜査官マリナ』だ。

売れているのは『エウメネス』シリーズだが、 KENP はそれほどでもない。

『妻が僕を選んだ理由』と『新歌物語』は無料配布なので、 この二冊は、長期的にサブジャンルのランキングに露出するためのものなので、 売れ方というのはよくわからない。

全然まったく読まれても買われてもいないのが 『特務内親王遼子』、『安藤レイ』、『アルプスの少女デーテ』、『司書夢譚』、『巨鐘を撞く者』あたりで、 『スース』、『西行秘伝』、『斎藤さんアラカルト』などもほとんど読まれない。 その他の歴史物はたまに読まれる。

『紫峰軒』もなぜかときどき読まれる。

なぜなのか。

『潜入捜査官マリナ』のKENPが多いというのは途中でやめずにわりと最後まで読んでくれたということなのだろう。 続編を書いてみようかなという気になる。

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01.22.2017 · Posted in 読書

いろんなことがいわれているが、 ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、 その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、 逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、 どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。

タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、 文芸の「芸」とは異質なものであり、 彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。

でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。 そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。

名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、 証明できないではないか。 私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。 しかし見て死ななくてもいい。 死んだ後に証明されればそれでもいい。 生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。 本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、 そんな本書いても時間の無駄だと思う。 人生はもっと有意義なことに使いたい。

もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。 誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。 だからマーケティングがいかんとは思わない。 三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。

某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、 その証明をしていない。 十分ではない。 メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。

そのためには、一発屋でもありたくない。 私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、 どこが優れているかということを分析した上で認められたい。

私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。 前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。 だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。

今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、 たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。

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01.10.2017 · Posted in 読書

某G社だが、普通の作家の本も出しているが自費出版に力を入れている。 普通の作家の普通の作品は呼び水だとみて良い。 で、G社が某タレント本をだしたが、その作家は自費で1万部買い取って自分で売ったという。 で、そのやり方をもてはやしているメディアもあるのだが、

これでG社としてみたら、自費出版して1万部も買い取ってもらえれば大喜びなわけである。

で、タレントも一種の炎上商法を兼ねている。 だいたいタレント本ほどどのくらい売れるか読みやすい本はあるまい。 普通に売るよりも、すこし話題性を持たせる広報をうっただけだろ。

どうみても100%やらせとしか思えない事例だ。

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01.08.2017 · Posted in kindle

kindle のプライスマッチだが、 2016年以降でも、 してもらえなかったとか、途中で切られたという人もいて、だんだん不安になってくる。 で、そういう人の作品を kobo や bw で探してみるとすでにもう存在しないようだ。 いったいどうなってるのだろうか。

私はだいぶ精神的にうたれ弱くなった。 酔っ払って変な歌をtwitterで呟き始めた頃からもうダメだったのだが、 ますますダメになっていく。 昔から他人とのもめ事はあったのだ。 しかし今は、人に責められたり、人に怒られたりすることに耐えられなくなった。 人は怒ったり怒られたりして生きていくものだろう。 それを平気でいられなくなったら、他人との交流を極限まで切断して生きていくしかない。

責められたり怒られたり、それがたまりにたまって、ある限度を超えてしまい、 それ以上責められることに耐えられなくなるのだと思う。 つまり、人に責められることに、アレルギー反応を起こしているのだと思う。 一度アレルギーを発症するともうダメだ。どんなささいなことでも気にしてしまう。

私の場合そういうことが多い。 犬がうるさいと感じるようになったのも、ある一線を超えてからだ。それまでは別にどうということもなかった。 タバコも似たようなものかもしれない。

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01.06.2017 · Posted in kindle

kwl も bwi も無料販売はじまった。 年末年始はさんだせいで時間かかった。 bwi では『妻が僕を選んだ理由』のジャンルが「画集」になっていたため(つまりジャンル指定を忘れたため)、 出版できなかった。 ジャンル変更して再出版となったが、1週間延びてしまった。 なんか変更すると基本1週間延ばしになる。 kdp はジャンルが結構いい加減であとから直してもらったりするのだが、 bwi は出版拒否の理由になるとか、なんかなあ。

kdp だと修正して 12時間ぐらいで新しい版を出版できて、 年末年始も特に変わりない。 アップし損ねたり設定間違っててもすぐリカバーできる。 kdp がいかに便利かを痛感した。 まあ、kwl も bwi も頑張ってるんだろうが。サポート態勢が全然違う。 どうも怖くて kwl と bwi は修正できないよ。 当面、kdp だけ常に最新版にしとく。

これで kdp でプライスマッチして無料になってくれれば、とりあえずOK。 もう無料はとうぶんこの2冊だけでいい。

そんでまあ、 『西京極家の秘仏』の続編を書こうかと思っているんですよ。 しかも同時に『潜入捜査官マリナ』の続編にもなっている。 よくあるパターンだよね。キャラとストーリー使い回すやつ。 続編だから読者を誘導しやすいというのがあるし、キャラを一から説明しなくて済むから楽。 同じワールドでどんどん続編を量産する。 そしてとにかくひたすら読みやすく読まれやすく書く。 ストーリーはだいたい決まってる。秘仏は実は贋作でしかも密輸入されたものだった。 万世警察署に配属されたマリナは神保町の榎本書舗に聞き込みに訪れる、というものだ。 ベタだなあ。我ながらベタだとおもうよ。でもべたべたくらいがちょうど良いんじゃないかな。

その代わりといってはなんだが『エウメネス』シリーズはどんどん難しくしていこうとおもっている。 もともと難しいんだけどね。 こっちはとにかくたくさん知識を詰め込むのが快感な人向けに書く。 ハルパロスを動かすのがおもしろかったので、それを今度はアリストテレスかディオゲネスでやってみようと思う。 オリュンピアスとアルトニスもぐりぐりいじる。 しかしそれには入念な準備が必要だ。

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東ローマの後裔

01.06.2017 · Posted in 歴史, 読書

東ローマ帝国が滅びる直前一番近かったのはキエフ公国だった。血筋が一番近いのはグルジアとかアルメニアだったかもしれないが、 近隣諸国で一番でかいのはキエフだったし、 その後継のハールィチ・ヴォルィーニ公国とかモスクワ公国とか。 ともかく東ローマが滅んだ後にその血統と文化を継承したのは、いまおおざっぱにいうところのロシアの中にみんな入ってる。 なんでそうなったかといえば、キリスト教がカトリックとギリシャ正教に分かれたせいで、 両者の間ではほとんど通婚がなかったわけだ。 西ヨーロッパは、のちに宗教改革があるけど、要するに、王侯はみんな親戚どうしだから、 いざとなれば外敵には団結してあたるけど、 東ローマは血縁関係が薄いから見捨てられてしまった。 おなじようにギリシャも。

だけどまあ、近代になって、西ヨーロッパが対外進出し始めると、 一度は見捨てて見殺しにしたギリシャ世界、というか、ヘレニズム世界に食指を伸ばし始める。 オックスフォード辺りの学者が一生懸命ギリシャ語の勉強をやる。 その背景にはやはり、新約聖書がもともとはギリシャ語で書かれていたからでもある。

それで東ローマが滅んで400年近くたってから、 やっぱギリシャは俺等のもんなんじゃね、という機運が西ヨーロッパで盛んになる。 イギリス人もドイツ人も夢中になる。 一方、ロシアを含めたギリシャ正教の国々は旧態依然としてたわけよね。 というより、ロシアもペテルブルクなんか作ってドイツとかの西ヨーロッパの文化文明に憧れて、 もうギリシャとかどうでも良いと思ってた。

まあそれが今ちょっと話題になってる「社会問題」化しちゃったわけで、 ヨーロッパの若者がフィーバーして、ギリシャ独立戦争とかにつながる。 ギリシャは最初独立して王国になったが、その王様がなんとバイエルン王国の王子。 その理由が、東ローマ皇帝の血を引いているからってものなんだが、ものすごいこじつけだ。 ドイツ人のヘルダーリンも『ヒュペーリオン』とかいうおかしな小説書くし。 ゲーテもヨハンナ・シュピリもギリシャ大好きだった。 冷静に観察するとかなり頭おかしい。 しかも頭おかしいってことに自覚症状が無い。 自分たちがギリシャ人の子孫だって本気でおもってる。 ギリシャ人の子孫は今のトルコ人だよな。明らかに。 ついでにイタリアもオーストリアもイギリスもフランスもロシアもどんどんオスマントルコに進出して、 領土を切りとりはじめた。

でまあ、オックスフォードで始まった古代ギリシャ研究というのはすごいものではあるのだが、 もともとはなんの根っこもないもので、 特に初期の研究はけっこうおかしなものもあり、 それをいままじめな学者は一生懸命修正しようとしているのだが、 いったん定着したステレオタイプはなかなか消せない。 キリスト教とか19世紀のヨーロッパの哲学なんかとすごく深い教義の部分で絡み合ってしまっているので、 分離できなくなっている。

で、日本なんかはただのヨーロッパの受け売りだから、よけい始末に負えない状態に今ある。

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naturalist と natural history

01.03.2017 · Posted in 読書

実におかしな感じである。

『種の起源』にわざわざ名前を挙げて出てくる naturalist はほぼみな間違いなくプロの学者であり、 学会に属し、論文を書き、研究をしている。 これに対していちいち名前は挙げていないが「飼育家(raiser)」「(家畜の)育種家(breeder)」「愛好家(fancier)」 「園芸家(gardener)」「(栽培植物の)育種家(cultivator)」 などについても多く言及していて、彼らは明らかに naturalist とは異なる立場の、別の世界に生きている人間として描写されている。 つまり研究のプロ対アマチュアという構図である。 多くの naturalist は飼育や栽培というものを研究の対象に値しない、無視している、 だがこれもまた絶好の研究対象であるというのが私の信念などと言っている。 つまり私(ダーウィン)はあえて、これまで素人がやってきた品種改良のための「選択」というものを研究対象とします、と宣言しているのだ。 またたとえば、

May not those naturalists who, knowing far less of the laws of inheritance than does the breeder, and knowing no more than he does of the intermediate links in the long lines of descent, yet admit that many of our domestic races are descended from the same parents…

breeder よりも遺伝の法則についてほとんどわずかしか知らず、また、 品種の長い連鎖についてはなおさら知らない naturalist たちでさえ、 多くの家畜品種が単一の親に由来することを認めるのではないか。

つまり素人の愛好家や飼育家たちは、どちらかと言えば、 遺伝現象について極めて博識であるがゆえに、 たくさん亜種が一つの親から派生したとは容易に信じない。 むしろそうした家畜や園芸種の繁殖の知識に乏しい naturalist のほうが、 たくさんの亜種が一つの種に属すると考えているのである。

したがって、訳者が言うように、

ダーウィンがナチュラリストと呼んでいる人物の多くは在野の自然観察者や昆虫マニア、園芸家であったりすることが多く、いわゆる「学者」のイメージにそぐわない。

というふうには私にはとても読めないのである。

そもそもダーウィンはアメリカ海軍の艦長の許可を得てわざわざ南米、オセアニアを探検して回ったプロの研究者であるし、 本文中に言及されているウォレスなどもマレー諸島を探検しているプロだ。 マルサスも、 チャールズ・ライエルも、ジョセフ・ダルトン・フッカーも、イジドール・ジョフロワ・サン=ティレールも、 フリッツ・ミューラーも、プロスパー・ルーカスも、その他もろもろの人たちもみんなその道のプロの学者だ。

いったいどこから「ナチュラリスト」が「昆虫マニア」のたぐいだという発想が出てくるのか。不思議だ。

というより今日「ナチュラリスト」と言うと、どちらかと言えば、少なくとも日本語においては、 「自然保護主義者」とか「自然回帰主義者」とか、動物愛護団体とかベジタリアンとかヒッピーとかアナーキストのようなものを連想すると思う。 naturalist を「博物学者」と訳してきた歴史は長く、訳語としては非常に安心して使える。 わざと新しい訳を試みてちと勇み足したのではないのか。

しかし私にとってもっと奇異に感じるのは man’s selection を「人為選抜」と訳し、 natural selection を「自然淘汰」と訳しているところだ。 ダーウィンは明確に、man’s selection を拡張解釈した先に natural selection というものがあるに違いない、 という論理展開をしている。 ダーウィンの人為選択説はそのまま優生学や家畜や作物の品種改良の理論に通じるものである。 ダーウィンはそれまでの品種改良に用いられてきた経験則的選択(methodical and unconscious selection)を、 人為選択という概念でまとめ直して、博物学的に扱えるようにし、さらに近代科学へと橋渡ししたのである。 ダーウィンはきちんと自分で多くの鳩の品種を飼って交雑させて、鳩が単一の種であることを確かめた。 彼の鳩に関する実験と研究と考察は今日にも通用するまっとうなものである。 いっておくがダーウィンは鳩の愛好家の一人ではない。鳩を学術研究の対象にした学者である。

ところが彼がそこから類推した自然選択というものは、彼の空想に過ぎず、何の根拠もない。

私は、「人為選択」を確立し、「自然選択」という新しい概念をこしらえて、 「人為選択」と「自然選択」を対比させて、「自然選択」の存在を予言したのがダーウィンの仕事だと思う。 しかるに、「人為選抜」「自然淘汰」と訳してしまっては、その対比関係がまったくわからなくなってしまうではないか。

どうも日本人に「自然淘汰」と訳したがる一群の人たちがいるらしい。 それを「自然選択」に直そうと努力する人たちもいるのだが、なぜかまぜっかえされる。 しかも「選抜」という進化論ではあまりなじみのない訳語を引っ張り出してきたのはどういうつもりなのだろう。 選抜というのは高校選抜野球みたいに、なんだか個体間や集団間の闘争や競争のようなものをイメージしてしまうのだが。 無色透明な「選択」という言葉でなぜいけないのか。 単純に「選択」という訳語を使っておいてあとは読者に判断させればよい。 それをときに「選抜」と訳しときに「淘汰」と訳すのは訳者の恣意であり、おそらくは何らかの思想への誘導であり、 或いは単なる奇をてらった訳であって、読者を混乱させる。

また、natural history を「自然史」と訳すのもおかしな感じがする。 natural history はもはや時代遅れな用語であって、 「自然史」などと科学用語(自然科学?社会科学?それとも人文科学?)のような訳し方をするのは奇異である。 natural history はやはり「博物学」とでも訳しておいたほうが無難ではなかろうか。 そうすればこれが19世紀に流行った、近代科学よりも少しだけ前の時代の、 それこそ手塚治虫や荒俣宏が描く牧歌的な世界であることがわかるだろうと思う。

私にはどうも、natural history という言葉には、キリスト教的創造説のニュアンスを感じる。 人間に歴史があるように、神が創造した自然にも歴史があるのだ、という考え方。 これは東洋の、中国の史学とはまったく相容れないものだ。 歴史とは人が後世に書き遺すものだからだ。

私はたとえば Gesang を「賛美歌」と訳すのが嫌いだ。単に「歌」と訳す。 Gesang には「賛美」なんて意味はどこにもないから。 そういうもとの言語にない日本語固有の色を付けるのは嫌だ。

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Indie Author News top 10 indie books

01.01.2017 · Posted in kindle

TOP 50 (1-10) INDIE BOOKS Readers’ Choice Top 50 – September 2016

ちまちまやっても仕方ない。ざくっといこうざくっと。

1位。Last Chance: A Second Chances by L. P. Dover

Women’s fiction。Romance。 ようするにロマンス。

作者 L. P. Dover は女性。New York Times と USA Today のベストセラー作家。

編集はCrimson Tide Editorial。なんぞそれ。

2位。Rush: The Season by Nicole Edwards

作者の Nicole さんは女性。 テキサス州オースチンに夫と三人の子と四匹の犬と暮らしている。 ジャンルはロマンス。 編集者は?わからん。

3位。In the Dark by Chris Patchell

ジャンルは Criminal Fiction。なんて訳すんだ。推理サスペンスとでも訳すか。 子供の誘拐。連続殺人。 作者は女性。

4位。Her Sister’s Shoes by Ashley Farley

ジャンルは、なんちゅうのかなこれは。 ある一族の年代記みたいなものかこれは。 作者はやはり女性。

5位。A Shade of Vampire by Bella Forrest

超常現象、吸血鬼もの。作者はまたまた女性。

6位。Bishop’s War by Rafael Hines

テロリズム。戦争。政治。著者は男性。

7位。Cold-Blooded by Lisa Regan

私立探偵。女性刑事もの。作者は女性。

8位。The Atlantis World by A.G. Riddle

これはあれです。前に書いた The Atlantis Gene と同じシリーズ。

9位。Meanwhile, Back in Deadwood by Ann Charles

幽霊もの。女性作家。

10位。Sleep Tight by Rachel Abbott

子供の誘拐。殺人。サスペンス。作者は女性。

作家は、女性8人に対して男性2人。

まあこうしてみるとアメリカのテレビドラマとなんの違いもない。 というか、明らかにテレビドラマの原作みたいなの狙って書こうとしてるよね。 インディー出版は普通の伝統的な出版とすでに完全に競合していて特に区別がない状態だよな。

タイトルはどれも抽象的。 表紙の絵も描き込まれているが、何がいいたいのかよくわからないものが多いなあ。

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インディー作品を調べてみる 5

01.01.2017 · Posted in kindle

アトランティスの遺伝子、スリラー。 読まなくてもタイトルだけで中身がわかりそうな。 200万部が売れて、映画化進行中、らしい。

作家の A. G. Riddle は10年間ネットビジネスの会社で働いて退職、 2013年から(つまりKDPだわな)小説家になった。

これ、kindle unlimited だから読んでみようかな。

まどれもこれも大衆娯楽作品だわな。

7万年前、人類は絶滅に瀕した。 我々は生き残った。しかしなぜ生き残れたか、いままで誰もしらない。 人類の次の進化は始まっているが、人類は今度は生き残れない。

Andy Weir の The Martian もある意味インディーだしな。

夏目漱石の「こころ」は自殺の話だし、 太宰治は作家自身が自殺しちゃったし。 まあ自殺の話みんな好きだよね。 私は書かないけどね。書かないよ。

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インディー作品を調べてみる 4

01.01.2017 · Posted in kindle

ジャンルはロマンスらしい。 シングルマザーがボーイフレンドか夫を求める話らしい。

アマゾン以外特に出版社が見当たらない。 アマゾンがペーパーバックまで出してくれたということだろうか。

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