亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘読書’ Category

Heimkunft — An die Verwandten

08.09.2017 · Posted in ドイツ語

Drin in den Alpen ists noch helle Nacht und die Wolke,

かしこのアルプスの中はいまなお明るい夜に包まれ、

Freudiges dichtend, sie deckt drinnen das gähnende Tal.

雲が楽しげに吟じながら、眠たげにあくびする谷を覆っている。

Dahin, dorthin toset und stürzt die scherzende Bergluft,

そこにもここにも、轟々とあらくれる山の息吹が吹き荒み、

Schroff durch Tannen herab glänzet und schwindet ein Strahl.

モミの茂みを通して一筋の月光が、ぎらぎら眩しく差し込んでいる。

Langsam eilt und kämpft das freudigschauernde Chaos,

楽しくもゾッとする混沌がたくましき若者の姿で、

Jung an Gestalt, doch stark, feiert es liebenden Streit

ゆっくりと急いで愛すべき闘争の祝祭を執り行い、

Unter den Felsen, es gärt und wankt in den ewigen Schranken,

岩山の麓では、永遠の昔から、ぐらぐら煮え立ち続けるバッカスの宴が、

Denn bacchantischer zieht drinnen der Morgen herauf.

夜明けとともに近づいてくる。

Denn es wächst unendlicher dort das Jahr und die heilgen

終わり無き聖なる時、年月、日々は、

Stunden, die Tage, sie sind kühner geordnet, gemischt.

大胆に混ぜ合わされ、配置され、成長し続ける。

Dennoch merket die Zeit der Gewittervogel und zwischen

しかしながら、嵐の到来を予知する鳥が山々の間の、

Bergen, hoch in der Luft weilt er und rufet den Tag.

空高く留まって、その日が来ることを告げる。

Jetzt auch wachet und schaut in der Tiefe drinnen das Dörflein

ほら、谷底深く、連嶺の下に、

Furchtlos, Hohem vertraut, unter den Gipfeln hinauf.

恐れを知らぬ、良く知られた小さな村が見える。

Wachstum ahnend, denn schon, wie Blitze, fallen die alten

古い泉に落ちた稲光がすでに天候の急変を予感させ、

Wasserquellen, der Grund unter den Stürzenden dampft,

地面はもうもうと湯気を立て、

Echo tönet umher, und die unermeßliche Werkstatt

こだまがあたりに鳴り響き、このなんとも評価しようのない工房において、

Reget bei Tag und Nacht, Gaben versendend, den Arm.

昼と夜となく腕を振るい、贈り物を送りつけてくるのだ。

思うに、ヘルダーリンの詩は、四行でひとまとまりの、普通のドイツの詩であるが、上の例のように、押韻にはあまり気を使ってないようにみえる。

伊東静雄の詩は四行まとまりという原則はなく、 むしろ反復もリズムもなく、ずるずると続いていくのが特徴だと言える。

三島由紀夫がヘルダーリンを愛好したというのは解る気がする。 三島由紀夫はヘルダーリンの狂気を愛したのだろう。 ヘルダーリンに一番似ているのはニーチェだと思う。

伊東静雄はヘルダーリンともニーチェとも似ていない。どちらかといえば常識人、庶民に属する人だ。 詩作のために狂おうとしたことも、また、狂気をことさら詩に表現したこともないはずだし、伊東静雄は三島由紀夫を好きではなかったはずだ。

思うに、ヘルダーリンの詩の従来の和訳はどれもこれもおかしい。 こういうものを読んでヘルダーリンの詩の美しさがわかるはずもない。 そしてそういう変な和訳が何か高級な詩的表現だと勘違いされている。 『ヒュペーリオン』のような小説、散文ならばまだ害は少ないとおもうが、詩だと致命的だと思う。

とにかく一度全部訳し直さなきゃならないレベルだと思うのだが、今更ドイツ語をそんな真面目に学ぼうという人もいないのだろう。

ところで Heimkunft は直訳すれば「故郷の未来」とでもなろうか。しかしなぜか帰郷という意味があるようだ。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Mich verlangt ins ferne Land hinüber

Nach Alcäus und Anakreon,

Und ich schlief’ im engen Hause lieber,

Bei den Heiligen in Marathon;

Ach! es sei die letzte meiner Tränen,

Die dem lieben Griechenlande rann,

Laßt, o Parzen, laßt die Schere tönen,

Denn mein Herz gehört den Toten an!

私は遠い国へ行ってみたい。

詩人のアルカイオスやアナクレオンが住んだ土地に。

そして私はよろこんであばら屋にも寝よう。

マラトンの聖地にならば。

ああ、これが、愛するギリシャの土地に流れる

私の最後の涙となろう。

鳴らせ、おお、運命の女神パルカよ、鋏を鳴らせ、

さあ、私の心はすでに死者たちとともにあるのだから。

試訳。 韻は踏んでない。 意味は一応通ってると思う。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Attika, die Heldin, ist gefallen;

Wo die alten Göttersöhne ruhn,

Im Ruin der schönen Marmorhallen

Steht der Kranich einsam trauernd nun;

Lächelnd kehrt der holde Frühling nieder,

Doch er findet seine Brüder nie

In Ilissus heilgem Tale wieder –

Unter Schutt und Dornen schlummern sie.

アッティカは、かのヒロインは滅んだ。

彼の地に、古代の神々の子孫も眠っている。

美しい白亜の殿堂の廃墟には、

今、鶴が一羽悲しげに立っている;

やさしい春は微笑みながら帰っていく。

しかし彼は自分の兄弟らを見つけることはない。

聖なる谷イリソスの

瓦礫と茨の下に彼らはまどろんでいる。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Ist der Stern der Liebe dir verschwunden?

Und der Jugend holdes Rosenlicht?

Ach! umtanzt von Hellas goldnen Stunden,

Fühltest du die Flucht der Jahre nicht,

Ewig, wie der Vesta Flamme, glühte

Mut und Liebe dort in jeder Brust,

Wie die Frucht der Hesperiden, blühte

Ewig dort der Jugend stolze Lust.

あなたの愛の星は消え失せてしまったのか?

そして愛らしいバラのように輝く若者たちも?

ああ、ギリシャの黄金の時以来、その周りで踊っているから

あなたは時が過ぎ去ったことを知らない。

永遠に、女神ウェスタの炎のように、

それぞれの胸のうちに勇気と愛が輝き続ける。

ヘスペリデスの園に実るくだもののように、

永遠にそこで、誇り高く快活な若者は栄え続ける。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Ach! wie anders hätt’ ich dich umschlungen! –

Marathons Heroën sängst du mir,

Und die schönste der Begeisterungen

Lächelte vom trunknen Auge dir,

Deine Brust verjüngten Siegsgefühle,

Deinen Geist, vom Lorbeerzweig umspielt,

Drückte nicht des Lebens stumpfe Schwüle,

Die so karg der Hauch der Freude kühlt.

ああ!もっとしっかりとあなたを抱きしめたい! –

あなたは私にマラトンの勇者を歌う。

そして熱狂者らの中で最も美しい人が、

陶酔した眼差しであなたに微笑む。

あなたの胸は、勝利の昂揚を若返らせ、

あなたの魂に絡みつく月桂樹の蔦は、

人生を締め上げることなく、その鈍い暑苦しさを、

とても冷たい喜びの吐息で冷やしてくれる。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Wo den Frühling Festgesänge würzten,

Wo die Ströme der Begeisterung

Von Minervens heilgem Berge stürzten –

Der Beschützerin zur Huldigung –

Wo in tausend süßen Dichterstunden,

Wie ein Göttertraum, das Alter schwand,

Hätt’ ich da, Geliebter! dich gefunden,

Wie vor Jahren dieses Herz dich fand,

そこは、祭りの歌が春に味付けし、

そこは、感激の奔流が、

ミネルヴァの聖なる山から

女神たちに敬意を表して流れ落ちる。

そこは、悠久の時間の中で、甘い言葉を紡ぐ詩人たちが、

神々がつかの間の夢を見ている間に、年老いて死んでいった。

私はそこで、愛する人よ、あなたを見つけたい。

何年も前に、この心があなたを見つけたように。

うーん。 ミネルヴァはローマの女神なのだが。 ギリシャの女神に直しようがない。 どうしようもないな。

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07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Hätt’ ich dich im Schatten der Platanen,

Wo durch Blumen der Cephissus rann,

Wo die Jünglinge sich Ruhm ersannen,

Wo die Herzen Sokrates gewann,

Wo Aspasia durch Myrten wallte,

Wo der brüderlichen Freude Ruf

Aus der lärmenden Agora schallte,

Wo mein Plato Paradiese schuf,

私はあなたとプラタナスの木陰に憩いたい

そこは、アテナイの花園の中をケーフィソス川が流れ、

そこは、若者らが名誉を得ようと瞑想し、

そこは、ソクラテスの心が魅了し、

そこは、ペリクレスの愛妾アスパシアがミュルテの木立の中を逍遙し、

そこは、兄弟らの親しげな声が

賑やかなアゴラから響き、

そこは、私のプラトンが地上の楽園を創りあげたところ。

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Griechenland — Friedrich Hölderlin

07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Ach! es hätt’ in jenen bessern Tagen

Nicht umsonst so brüderlich und groß

Für das Volk dein liebend Herz geschlagen,

Dem so gern der Freude Zähre floß! –

Harre nun! sie kommt gewiß, die Stunde,

Die das Göttliche vom Staube trennt –

Stirb! du suchst auf diesem Erdenrunde,

Edler Geist! umsonst dein Element

ああ!かのよりよき日々ならば、

雄々しく大いなることも無意味ではなかった

おまえの愛する心は高鳴る、かの民族のためならば、

歓喜の涙はいくらでも流れ得た –

今はただ待ち焦がれよ!必ず時は巡り来る、

運命が切り離す、土くれから神なるものを –

死ね!おまえはこの地上を探し求める、

気高き魂を!むなしき、おまえの一部を

シュピリを惰性で訳しているうちにふとヘルダーリンを訳したくなった。 シュピリはもう訳してもしょうがないかもしれない。もはやたいしたものは出てこないように思える。 シュピリを訳しているうちにだいぶドイツ語訳にも慣れてきた。 もっと面白いもの、意義のあるものを訳してみたい。

「運命が」は完全な意訳。 「その時が」を繰り返したくなかったのと、韻をちゃんと踏みたかったから。

伊藤静雄はヘルダーリンをドイツ語原文で読んで、あのような初期の詩を作ったという。 それでヘルダーリンの詩の訳というものは、そんなに良いものはないように思う。 例えば川村二郎訳の岩波文庫版で上の箇所は

ああ! あのよりよい日々になら

愛にみちた君の心は 民のために

どれほど大らかに親密を脈うったとしても 空しくはなかった

あの日々ならば 君の心は歓喜の涙を思うさまながしただろうに!――

待つがよい! いずれは刻がおとずれよう

神的な力を 牢から解きはなつ刻が――

死ぬがよい! 高貴な精神よ! この地上では

君の住まう場を求めても 所詮甲斐ないのだ

と訳されているらしいのだが、あまり上手な訳とは思えない。

この「ギリシャ」という詩は1793年、ヘルダーリンが23才のときの作らしい。 比較的きちんと韻を踏んで作られた真面目な詩のように思える。 たとえば die Stunde と Erdenstunde、trennt と Element が韻を踏んでいる。 だから私も少し律儀に訳してみた。 このリズムを訳さなくては面白さは失われるだろうし、 川村二郎訳では、原文の意味が忠実に伝わってくるとはとても思えない。

これはギリシャ独立戦争に熱狂するヨーロッパ人の気持ちを表した詩だ。 「待つがよい! いずれは刻がおとずれよう 神的な力を 牢から解きはなつ刻が」 これは明らかにその時代背景をわかった上で訳しているのだが、あまりにも説明的で結果論的だ。

このように気狂いしたような若者の詩を、 神聖ローマ帝国的な中世の沈滞の中にその青春時代を生きたゲーテやシラーが、好むはずもなかった。 同じ理由でニーチェがヘルダーリンの影響を受けたのは当然だったと言える。

1793年、フランス革命は勃発していたがナポレオンはまだ大尉。イタリア方面司令官にすらなっていない。 ギリシャ独立運動も、まだかげもかたちもなかった。 ヘルダーリンはまさに時代の先駆者だったのである。

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01.23.2017 · Posted in kindle

私の書いたものの中で、 KENP が一番多いのは明らかに『潜入捜査官マリナ』だ。

売れているのは『エウメネス』シリーズだが、 KENP はそれほどでもない。

『妻が僕を選んだ理由』と『新歌物語』は無料配布なので、 この二冊は、長期的にサブジャンルのランキングに露出するためのものなので、 売れ方というのはよくわからない。

全然まったく読まれても買われてもいないのが 『特務内親王遼子』、『安藤レイ』、『アルプスの少女デーテ』、『司書夢譚』、『巨鐘を撞く者』あたりで、 『スース』、『西行秘伝』、『斎藤さんアラカルト』などもほとんど読まれない。 その他の歴史物はたまに読まれる。

『紫峰軒』もなぜかときどき読まれる。

なぜなのか。

『潜入捜査官マリナ』のKENPが多いというのは途中でやめずにわりと最後まで読んでくれたということなのだろう。 続編を書いてみようかなという気になる。

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01.22.2017 · Posted in 読書

いろんなことがいわれているが、 ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、 その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、 逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、 どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。

タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、 文芸の「芸」とは異質なものであり、 彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。

でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。 そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。

名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、 証明できないではないか。 私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。 しかし見て死ななくてもいい。 死んだ後に証明されればそれでもいい。 生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。 本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、 そんな本書いても時間の無駄だと思う。 人生はもっと有意義なことに使いたい。

もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。 誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。 だからマーケティングがいかんとは思わない。 三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。

某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、 その証明をしていない。 十分ではない。 メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。

そのためには、一発屋でもありたくない。 私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、 どこが優れているかということを分析した上で認められたい。

私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。 前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。 だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。

今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、 たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。

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