センター入試

ま、たぶん入試というのは、少なくとも受験産業というものは、 学力を身につけるとか、学力を測るためにあるのではなく、 ある設定された目標、つまり過去問とかの傾向と対策というものがあって、 それに対してどのくらい自己を最適化できるか、ということが試されているのである。 だから入試の内容自体が学問的重要性からはずれていてもあまり問題にされないのではないか。

で、それではいかんというので、斬新な、傾向と対策から大きく外れた問題を出して、 真の学力・人間力というものを見ようとすると、 今度は傾向と対策という目標に向かって努力するという能力を測れないということになり、 そうするとそれはそれで世の中のニーズから外れてしまう。 学問を身につけるよりも、営業職のような努力目標達成能力が試されているのだろう。 それはそれで実用性がないとは言えない、 というより、当然、世の中のニーズに合わせて現在のセンター試験という形態が成立しているのであろう。 努力と達成度の相関を予測できないことに人々は耐えられないのだ。 逆に、努力すればするほど、その努力の方向はともかく、達成度が上がるならば、人はいくらでも努力できる。 その方向がまったく間違った方向であろうと、そんなことはどうでもよい。 その目標がただ明確であればあるほどよい。学力なんてそんな食えないもんは知らん。 少なくともそういう人種はいる、というより多数派である。というよりそうでなければ教育産業や受験産業に携わる人たちは困る。 だから試験内容がどんどん形骸化空疎化しても誰も文句は言わない。その方が産業的には好ましいからだ。 せいぜい難易度が上がったとか、「難化」したとか(これぞまさに受験産業用語)、 予測が当たったとか外れたとか、 そんなことでギャーギャー騒いでるだけだ。 でなければこんなセンター試験のような異様な入試方式が存在しているわけがない。 まじめに学問したい人間にとってはまさに鬱陶しいだけの存在でしかない。

何十年と積み重なった傾向と対策に子供の頃から何年もかけて万全の対処をし、決められた日の決められた時間に決められた場所にいき、全国一律の決められたタスクをこなすことによってできるだけ高得点を出す、という試験。寒すぎる。こういう問題点は私が指摘するまでもなく進学校の教師や予備校教師などが熟知しているはずなのだが、受験産業批判は彼らの職がかかっているからできないのだ。

これを「亡国の受験産業」と揶揄することもできると思う。 ま、科挙も何十年何百年とそうしているうちにそうなってしまったわけだが、我々も笑えんな。

親王宣下

以仁王と式子内親王は同母姉弟であって一方が内親王、つまり親王宣下されているのに、
他方はされてない。
ふと疑問に思ってとりあえずwikipedia を読んでみると脚注に詳しい解説がある。

[以仁王:版間の差分](http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BB%A5%E4%BB%81%E7%8E%8B&diff=44589367&oldid=44161962)

> 院政期に親王宣下を受けるのは、原則として正妃(女御・中宮・皇后)所生の皇子、または仏門に入った皇子(法親王)のみだった。以仁王の母・成子は女御になれず、幼少の頃には仏門にあったものの12歳のとき還俗した以仁王には親王宣下を行う根拠がなかった。

2012年10月14日に匿名で書き込まれているのだが、
おそらくNHKの大河ドラマ「平清盛」を見た人(歴史研究者?)がふと気付いて書いてくれたのに違いない(ちなみに私はドラマは見てない)。
なるほどつまり、立太子とか男子の親王宣下というのは、
少なくとも後白河上皇の時代にはなかった(天皇は即位直前に立太子された)、ということか。

また、

> 幼くして天台座主・最雲法親王の弟子となるが、応保2年(1162年)に最雲が亡くなり還俗。永万元年(1165年)に人目を忍んで近衛河原の大宮御所で元服したという。

とあるのだが、法親王宣下されてなくても仏弟子となったのであれば、木曾義仲が擁立しようとした北陸宮どうよう、皇位継承権は放棄されたものとみなされて当然だと思う。

実際に還俗し元服し、「以仁」と名乗ったのか、
ほんとに八条院暲子内親王の猶子となったのかも疑おうと思えば疑えるわけで、
以仁王の挙兵時に「令旨」を権威づけるため適当にでっちあげたことかもしれん。
実は法親王宣下すらされず、ずっと僧侶としてほったらかされてただけかもしれん
(勝手に最勝法親王と名乗っていた可能性が高い)。
後白河天皇自体がそもそも天皇の器ではないとほったらかされた人だった。
その内縁の妻の男子なのだから、そんなぞんざいな扱いをうけてもおかしくない。
後白河天皇以外の天皇がどんどん死んでしまい、
いつの間にか以仁王の重要性が高まってしまい、それに頼政が目をつけて、
うまくおだてた、というだけだろう。

> 幼少から英才の誉れが高く、学問や詩歌、特に書や笛に秀でていた。

このへんの Wikipedia の記述もまったく当てにはならない。
詩歌とやらが一つでも残っていればともかく。
姉の式子内親王は歌がうまかったわけだが。

北陸宮は以仁王の子なのだが、以仁王は29歳で死んだわりにはずいぶん妻と子供がいる。
正式に結婚したのではない。手をつけたらできてしまったのだろう。
そっちのほうが割と気になる。
余計なこと考えぬように女性だけはたくさんあてがわれていたか。

松陰中納言物語

ついでに古文の和歌もやっとく

> あひみてののちこそ物はかなしけれ人目をつつむ心ならひに

一見して

> あひみてののちの心にくらぶれば昔はものをおもはざりけり

の本歌取りであろうかと思われる。
意味は自明であろう。
女性があまりに恥ずかしがり屋だから困るなあとかそんな意味。

> かなしさもしのばんこともおもほえずわかれしままの心まどひに

別れたときから気も動転していて、悲しいとか、人目を忍ぼうとか、そんなことまで気が回りません

> 別れつる今朝は心のまどふとも今宵といひしことを忘るな

今朝は気が動転していたかもしれんが、今夜会うと約束したことを忘れるなよ。

うーん。
わかりやすすぎるな。ある意味で。少なくとも和歌は普通。

張耒

ネットで検索してもきちんとセンターの漢文を解説している人がいないので私がやってみようと思う。

新聞の解答見て答え合わせしたが一応全問正解した。

まず、張耒というひとだが、
[維基文庫](http://zh.wikisource.org/wiki/Author:%E5%BC%B5%E8%80%92)
に詩が二つ載ってるだけ。
「張耒集」なるものはどうやって入手すればよいのやら。

だいたいの意味は、
秋に某寺に引っ越して、海棠という木を植えて、翌年春、慈雨に恵まれ海棠はすくすくと育っていた。
花が咲いたらいつも一緒に酒を飲むやつとその木の下で一杯やろうと約束し酒も取り寄せた。
ところが急に左遷されて転居してしまい、海棠のことはそのままになってしまった。
ちょうど一年すぎた頃に寺僧から手紙がきて、去年と同じように花が咲きましたという。
海棠を植えた場所は自分が寝るところから十歩も離れておらなかったが今は千里も離れている。
このように将来を予測するのは極めて困難だが、ならば急に時勢が変わって、
また海棠の花を目の当たりにすることができないとも言い切れない。

「致美酒」の意味はよくわからん。美酒を送り届けたでは意味が通じない。
美酒を取り寄せた、というような意味なのではないか。
いずれにしても「招致」の用法に一番近いと思われる。

「周歳」はこれも知らないがちょうど一年、という意味であろうかなと思われる。
新字源を見てもよくわからんからたぶんよく知られた熟語ではない。
ああ、ネットで検索すると出てくる。丸一年という意味だ。

「欲与隣里親戚一飲而楽之」は明らかに
「隣里親戚と一飲して之を楽しまんと欲す」だが、
「隣里親戚と一飲せんと欲して之を楽しむ」
という選択肢もあってこっちでもいいんじゃないかと思ってしまう。
たぶん文法的にはどちらもありではなかろうか。

ていうかまあ、私もそんなに確信を持って解けたわけでもないのだが、
それでも国語というものは勘や当て推量で満点がとれてしまうから、
余計に難しくしておかないと点差が出にくいんだろうなあ。

ま、ともかく、細かいことはわからんでも、全体の意味はだいたいわかるし面白い文章ではある。

「安知此花不忽然吾目前乎」
これもまあ、そんな難しい文ではない。
「いずくんぞ知らん、此の花の忽然として吾が目前にあらざらんかを」とかそんな感じ。

古典

思うに、江戸時代の儒者や文人にとって、
古文と漢文と日本史というものは、渾然一体としたものであり、
どこかに切れ目があったのではない。
今それらは三つの全く異なる「教科」になった。

日本史の知識がなくて古文が読めるわけもなく、
読んでおもしろいわけもない。
古文をおもしろいと思うのも、それを文芸作品とか歴史小説とかとして読むからである。
センター試験の問題はそういうコンテクストをまったく無視している。
高校生に嫌われるのは当然だ。

日本史の方もそうだ。
日本史なんてものは、古文という古典文芸作品の集成がなければ、
この地球上において単なる極東のローカルな歴史に過ぎない。
おもしろいはずがない。

戦前はまだ日本史と古文は密接に連携していたが、戦後は無残に切り刻まれた。
平家物語や太平記は死んだ。
今更蘇生させるのはほとんど不可能だ。
特に問題なのは太平記を読まなくなって南北朝・室町・応仁の乱までの流れがまるで見えなくなってしまったことだ。ほとんどの日本人は室町音痴だ。
その最たる例は司馬遼太郎。