Cyndi Lauper

ミュージックビデオ風のいかにも作られた映像は口パクのようだ。
67才になってあんなに踊りながら声を出せるはずもない。

地味な、スタジオ収録をそのまま撮影したようなやつで、座ってるか、立ったまま歌ってるやつはたぶん生声。

40才くらいまでのコンサートなんかはたぶん全部生声。

シンディ・ローパーのすごさがいまいちわからなかったが、ああやって飛び跳ね走り回りながらあれだけ歌えるのはすごい。普通の歌手、たとえば、ブリトニーとか、ベリンダ・カーライルとか、あのへんだと、何度も何度も取り直してつないで修正してやっとあの声で歌えてるわけで、コンサートの生声で歌えるわけがないのだ。
そうしてみると日本人でシンディ・ローパーに対抗しうる女性歌手には宇多田ヒカルくらいしかいないのではないか。まあ、和田アキ子を入れても良いが。
なんかだから趣味がね。ブリトニーのMVいいなあとか昔は思ってたが今はシンディ・ローパーとか宇多田ヒカルが良いなあと思い始めた。毎回毎回歌い方が少しずつ違うってのはすごいことなんだよね。

いやまあ実は、シンディ・ローパーが audio technica のヘッドホン使ってたから思わず欲しくなってしまったんだ。

バック・トウ・ザ・フューチャーに出てくる日本製品

ビデオカメラはJVC。
ラジコンはfutaba。
カセットテープレコーダーは AIWA。
ラジオ付デジタル時計は Panasonic。
腕時計は CASIO。
ピックアップトラックは TOYOTA。
ストップウォッチは SEIKO と CITIZEN。

Wikipedia > 映画バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の劇中、1955年のドクが「安物を使うからだ。見ろ、Made in Japanと書いてある。」と言ったのに対し、マーティが「なに言ってんのドク。最高のものはみんな日本製だよ。」と返し、「(敗戦国の日本とは)信じられん。」とドクが驚くというシーンがある。

まあ、アメリカ人としては、一種の自虐ネタなんだろうけど。
時代設定としては1985年。私は大学一年生だった。電気電子工学科入学。
あの頃は、バブルへと駆け上がっていく途中。
NHKなんかも電子立国日本って煽ってた。
私も煽られて電気電子の世界へ飛び込んでしまった。
今なら絶対あり得ないと思う。工学部に行くにしてももちょっと違うほうへ行くと思う。
バック・トウ・ザ・フューチャーも、日本が景気が良すぎてアメリカは不況で日本がアメリカを買っちゃうみたいな設定だった。
あの頃の日本の電機産業って今からおもうとほんとすごかったな。

華冑会。三島由紀夫について

私は三島由紀夫の著作をすべて読んだわけでもなくまたこれから読破してみようという気力もおそらくないのだが、今のところのざっくりとした予想を書いてみようと思う。
三島由紀夫の家系というのは平民出身の官僚だ。彼の父、平岡梓は開成中学から旧制一高、東大法学部に進んでいる。平民に与えられたごく普通のエリートコースだ。しかし三島由紀夫はなぜか学習院から東大へ行く道をとった。
彼の最初の長編『盗賊』は副題に「華冑会の一挿話」とあるが、つまり華族社会のことを彼は書きたかったのである。彼は官僚の息子だし学習院にいたから、平民の中でももっとも華族階級に近いところにいて彼らを観察しえた。そのいわば、上流階級のスキャンダラスな暴露話を書きたくて仕方なかったらしい。
この『盗賊』は川端康成に絶賛されたらしいがほとんど反響がなかった。実際長くて退屈な話である。三島由紀夫にとってはしかしこの長く退屈な話を書く必要があったしこの体裁でなければ華族のアンニュイな暮らしは表現できないのだ。またそこを川端康成は高く評価したが同時に世間に受け入れられなさそうなことを惜しみもしたのだろう。
私は、『仮面の告白』ではなくこの『盗賊』にこそ、三島由紀夫のすべてのエッセンスがすでに内包されていると思う。
『仮面の告白』は自分自身を描いた私小説と言える。当時としてはセンセーショナルな内容だったから、たちまち世間に認知されるに至った。しかしながらこれもまた長くて退屈な話には違いない。
『金閣寺』に至っては単に金閣寺を焼いた男というこれまたセンセーショナルな話題を小説にしたというにすぎず、まあ、一般受けはするかもしれないし、外国人にも面白がられるかもしれないが、しかしやはり、退屈で長い話に過ぎない、とも言える。
その他の小説はおおむね売れっ子作家になったあとの頼まれ仕事のようなものだろう。いちいち読むほどの価値があるものがそれほどあろうか。
で、三島由紀夫は死を覚悟した。そこでもう一度、「華冑会」の話を書いてみたくなったのではないか。自分が死ぬ前に、自分が売れる前に書いた小説をもう一度リメイクして、広く読んでみてもらいたくなったのではないか。『豊饒の海』、特にその第一部『春の雪』は『盗賊』に題材が酷似している。そしてこの『春の雪』こそは、私が見た限り、三島由紀夫の作品の中ではとりわけ面白いのである。
作家が最初に書いた長編小説ほど、作家自身がほんとうに書きたかった作品に違いない。その上彼はそれを再び書いて彼の最後の作品にした。よっぽど書きたくて仕方なかった。よっぽど人に読ませたかった。よっぽど後世に残したかったのだ。
三島由紀夫はほんとうは何を書きたかったのか。
三島由紀夫は自決にあたって輪廻転生を信じたくなったのだろう。だから『豊饒の海』はああいう構成になった。しかしながら、彼がほんとに書きたかったのは、彼がほんとうに愛してやまなかったのは、「華冑会」の退廃した世界、もはや二度とよみがえることのない虚構の世界だったのではないか。ああいう世界は奈良時代にも、平安時代にも、鎌倉時代にも、室町時代にも、江戸時代にもなかった。日露戦争の勝利から第二次大戦の敗北まで、わずか40年ばかりしか存在しなかった。彼の文体、彼の文章の美しさというのはその世界を描くときにもっともしっくりとくる。なぜなら三島由紀夫が彼の青春時代に憧れてやまなかった世界だから。彼そのものが作られた世界だから。
この華族というものは明治政府が生んだ虚構社会だ。人工的に作られたフィクションの世界だ。そして彼はもともとその外の世界の人だ。しかしながら、いや、だからこそ、外側から、マジマジと、その世界を客観的に観察し得た。もし彼が最初から華族だったらあんな屈折した小説を書くはずがなかった。中にいた人ならその虚構に最初から気づいてしらけてしまうだろう。だがその「華冑会」の外にいて、いわばセレブに憧れるマニアであったから、あんな小説が書けたのである。
おそらく彼が守りたかったのは天皇ではなく華冑会なのだ。
明治政府が作り上げた戦前の皇室制度というものが華冑会を作った。その制度が失われれば華冑会もまた失われる。だから天皇は人間宣言などしてはならなかったのだ。「華冑会」がよみがえらなければ生きていても意味が無い。そうも思ったかもしれない。
彼にどうして天皇などというものが理解し得ようか。天皇の実態を想像し得ようか。彼に見えていたのは、目の前の現実であったのは華冑会だったのだから。

馬鹿騒ぎ

コロナに限ったことでなくマスクはしないよりはしたほうが良いに決まってるし、遠隔で仕事ができることはしたほうが良いし、通勤電車の混雑なんてものは首都移転でもやってさっさと解消すべきだし、年寄りは風邪引かないように冬は家でじっとしてるべきだし、居酒屋は空いてて広いほうが快適だし、どれもこれも別に全然コロナに限ったことじゃないし、コロナが無くなった後も多分そういう習慣は社会に根付いたまま残るに違いない。
コロナはもはや去年のコロナではない。少しずつ変異しているから。まさに「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」だよ。
今回のこのコロナの馬鹿騒ぎも、人間はプラシーボがなければ生きていけない、もしくは、プラシーボはほんとの薬と同じくらいの効果がある、ことを証明しただけだ。

鯉の餌

audible なんだが、結局、1ヶ月に1冊1500円で audio book を買う、という仕組みなのだが、定価で買えば 3000円とか 4000円するけど欲しい audio book があれば数ヶ月は契約しておいてコツコツ買うのがお得、というサービスなのだと思う。

実を言えば数冊くらいは欲しいのがあるんで、一応契約は続行しようかと思っている。

最近やっと私は気づいたのだが、自分が読んで面白い本、つまり自分に読ませるために書いた本と、人に読ませて売る本とは、自分が食べて旨い料理と、池の鯉にやる餌くらいの違いがある。私が蒔いた餌を鯉が食って旨いかどうかなんてことは考える意味すらない。鯉が食うか食わないか以上のことを考えても無駄だ。ペディグリーチャムやチャウチュールを作っている人が、犬や猫がほんとに旨いと思ってるかなんて考えてるわけがない。ただペットが喜んで食えばそれでよいのだ。飼い主が金を払う気になればそれで良いのだ。

もしものを作って売りたければ自分で食べたいものを作ってはならない。鯉が良く食べるものを作らなくてはならない。当たり前のことだ。気づかなかったわけではないが、まさかほんとうにそうだとは思えなかったのだ。でも今では完全に理解した。しかも、自分が書きたい本、自分で読んで面白い本はもうほぼ書き終えた。これらの本が埋もれるのは惜しいから、売れる本を書いて、そのついでに私がほんとに面白いと思う本も読んでもらえるようにしなくてはならないと思う。

実際もう、自分が書きたい本を書くのには飽きてしまった。すでに書いた本をこつこつ手直しすることはまだ続けている。盆栽をいじるようなものだ。

では私に売れる本が書けるだろうか。わからん。努力はしてみよう。

安藤百福が47歳からインスタントラーメンというまったく新しい事業を始めて、私もまた同じくらいの年で、それまでの人生の延長で生きていくのをやめて、死ぬまでに今まで試したことがない才能を試してみようと思い、小説なんぞを書き始めたのと似てるなと思った。

百福はたまたま自分の事業が破産したから一からやり始めたのだろう。私はもともと飽きっぽい性格だからなのだと思う。飽きてしまうと、まだ自分ややり残していることがあるならこんどはそっちをやろうと思ってしまう。自分にはまだ試してない才能が残っていると思う。それが良いのか悪いのかよくわからん。若い頃からずっと同じことをやってその蓄積で大きく当たったり功績をみとめられればそりゃ面白かろうが、大して注目もされずだらだら続けるのは私には耐えがたい。

audible

いちいち本を読んでいる暇がないので amazon の audible というのを試してみたが、要するにこれは、月額1500円払って1冊、朗読本が読めるだけ、ということではないか。

さすがにこれじゃどうにもならない。たぶん無料期間のうちに解約すると思う。

youtube で english audio book with subtitles で検索すればそれっぽいのはいくらでも出てくるからそれを聞けばよかろう。

評伝 小室直樹

たまたまアマゾンを見ていて、『評伝 小室直樹』という本が2年前に出ていたことを知った。しかるにその上巻はすでに品薄状態で中古でもかなりのプレミアがついている。仕方なく、とりあえず上下巻とも図書館で借りて読むことにした。

著者の村上篤直氏は橋爪大三郎が編んだ『小室直樹の世界』という本に付録された目録を執筆したというから橋爪氏のお弟子さんか何かなのだろう。橋爪氏は当然小室直樹について熟知していた。そしてそれを村上氏にもたびたび語っていただろうし、村上氏も橋爪氏に小室直樹のことについてたびたび質問していただろう。その過程で村上氏は、橋爪氏がどうして小室直樹の本当の姿を書かないのか、小室直樹の評伝を執筆して世に広めないのか、橋爪先生が書かないのなら私が書きますよ、もちろん推薦文くらいは書いてくれますよね、くらいのことは言ったのではないか、と想像されるのである。

私が読みたいと思うのは小室直樹全集であり、その一つ一つの著作に対する解説であり、また校注である。しかしどうも橋爪氏はそのようなものを書く気はまったくないらしい。橋爪大三郎が副島隆彦と共著で書いた『小室直樹の学問と思想』ではただ、小室直樹は偉い学者だったとしか書かれてなく、その著作についてはほとんど触れられていないと言って良い。

で今回『評伝 小室直樹』を読んでその謎が氷解したような気がした。橋爪氏は書きたくなかったのだ。なぜなら小室直樹が出版した著書のほとんどすべては小室直樹が直接執筆したのではなく、出版社のプロデュースとリライトによって書かれたものであり、中にはほとんどゴーストライターが書いたとしか言いようが無いものも含まれているからだ。そのほとんどすべては小室直樹が自分で書きたいと思って書いたものではなく、周りがお膳立てして書かれたものだ。そんな著作群について橋爪氏が言及したくないのは当然であろう。村上氏は橋爪氏が書かないのであれば自分が、という半ば義務感で、この暴露本を書いたのだと私は推察する。

下巻256p、ある日、橋爪、白倉、志田が集まったとき、「小室直樹とは何者か」が話題になった。「最高のティーチャー」との結論で意見は一致した。

教育者として、学問の本質をわかりやすく教えられる能力は抜群のものがある。

では、学者、研究者としてはどうか、小室先生は何か発見はしたのか。ティーチャーとしては最低でも、大発見を一つでもすれば学者、研究者として名前は残る。たった一本でも、学術論文として意義のあるものを書けば、学説史に名を残せる。

では、小室先生はどうか。結論は出なかった。

ここはいろいろ考えさせられるところで、小室直樹がMITのサムエルソンのところへおしかけてPh.Dを取ろうとして失敗し、帰国して東大で学位を取ろうとして指導教官の京極純一になかなか学位審査をしてもらえなかったとか、いろいろ同情するところはあるが、結局、小室直樹が法学博士の学位をとるにはとったが、橋爪にあてがわれた非常勤講師や特任教授などのアカポスしか得られなかったというのは、厳然とした事実だ。客観的に彼が偉大な学者だという証拠は無い、ということになる。

上巻253p、「小室は、何かをするときに、雑駁だ。大づかみなことは正しいんだが、細かいところに目が届かんから、失敗する。」まさにそうなのだろう。

決定的な学術業績もなく、著書もまたマスコミに踊らされて書いたものだとしたら、では小室直樹に残るものとはなんなのだろうか。

それでも彼に残るものとはやはり、人を感化する力、なのかもしれない。

『評伝 小室直樹』下巻p133から『週刊宝石』に掲載された小室直樹と横山やすしの対談が一部掲載されている。私はこれをリアルタイムで読んだはずだから、それは1984年7月。つまり私が駿台予備校京都校で浪人生だった頃読んだことになる。

『週刊プレイボーイ』だったかと思ったが記憶違いだった。

この対談は非常に面白くて、これを読むだけのためにも、『評伝 小室直樹』を読む必要があると思う。再び読めてたいへんうれしい。結局、世間一般の人からみた小室直樹という人は、この横山やすしが見たようなものなのだ。世間一般の人からみた、世間離れした学者というものの姿なのだ。ようするに、結婚して家庭を持ち、妻子をもっていないと人は学者のいうことを信用しないものなのだ。彼らにとってわかりやすいことを学者が言えば、彼らはなるほどその通りだとなっとくしてくれるが、自分たちの常識に反することを言っても理解してはもらえないんだっていう教訓になった。

栗山潜鋒と三島由紀夫と小室直樹

『評伝 小室直樹』下巻p.395

崎門の学に連なる栗山潜鋒。

これは間違っている。たぶん小室直樹もそうは言ってないはず。でもそんなふうに読者は思うだろう。栗山潜鋒は水戸学とも崎門学とも関係ない。独立独歩。

従来、皇位は長氏相続法にしたがって、順に、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇と継承されてきた。

この認識も間違っている。白河院は、天皇家が摂家に対抗するため、院政を発明した。これによってはじめて皇位の直系相続が実現した。藤原氏全盛時代は、さかんに兄弟間で相続している。それは摂家によって皇位をたらい回しにしたから。摂家の影響力を排除するため意図的に白河院は直系相続にした。栗山潜鋒だって当然、長子相続が天皇家の伝統でもなんでもないことは知ってる。問題は鳥羽天皇が白河院がせっかく確立してくれた直系相続を捨て兄弟相続を復活させたことだ。

皇位継承順位は、天倫の序すなわち長子相続法によって定められるべきである。
その根本規範が、ほかならぬ、上皇と関白によって破壊されたのである。
救いがたい急性アノミー(無規範状態)が全日本を覆い尽くすであろう。

この認識もあり得ない。もしそうなら、藤原道長の時代に急性アノミーが生じていなくてはならない。そんなことはなかった。少なくとも表面上は世の中は平和に治まっていた。藤原基経が陽成天皇を廃して光孝天皇を立てたときにもものすごいアノミーが発生しなくてはならない。そんなことは起きてない。

後白河天皇が義朝に父為義の処刑を命じた。つまり天皇が「父殺し」を命じた。そのため天皇政権が終わり武士政権となった。

これはまあどうかなあ。そういう解釈も一応は成り立つかもしれない。

ま、ともかく、小室直樹は、山崎闇斎の崎門学や、山鹿素行の『中朝事実』などを重視する一方で、賀茂真淵や本居宣長の国学を軽んじ、真淵や宣長に濡れ衣を着せようとする。これはおそらくは、小室直樹が影響を受けた平泉澄という人がそういう考えの人だったからなのだろう。国学以前日本では、中国と日本とインドの宗教はすべて混在していた。その上で、神道よりも仏教や儒教のほうが優れている、という舶来主義が主流だった。それを、混交したままひっくり返して、実は日本が本家本元だったんですって言い出したのが垂加神道。日本ルーツ説。

国学と他の学派との本質的違いは、国学は日本古来のものとそれ以外のものを切り分ける古文辞的作業をおこなった、ということだ。そこには当然、日本古来のものを尊ぶ思想が付随してくるわけだが。

宣長はきちんと『古事記』を分析して、日本固有のものを外来のものから分離し、その上で神道と仏教と儒教を比較して、神道のほうが仏教や儒教よりも優れている点がある、ということを主張したにすぎない。儒教には儒教の良いところがあり、仏教には仏教の良いところがある。しかし、ここは日本であって、インドに仏教があり中国に儒教があるように、日本には日本古来の神道がふさわしい、そう言っているのにすぎない。その根本にあるのは相対主義であり、日本が世界で一番優れている、というのが本来の主張ではないし、まして、中国やインドにも神道を押しつけようというものではない。同じように、キリスト教徒はキリストを拝めば良いだけのこと。それは、宣長と上田秋成の論争を注意深く読めばわかることだ。日本が一番良い、絶対的に良い、などと言ってるのは崎門学や中朝事実のほうだ。

小室直樹は、アノミーという理論が先行していて実証が伴っていない。歴史を緻密に検証していけば、その理屈では通らない事例がいくらでもある。それらを一つ一つ潰していかないと理論は実証できない。

栗山は天皇の失政を強く激しく批判しながら、それでもなお天皇システムを肯定する。

違うんだな。それは違う。単に北畠親房の受け売りで天皇を批判するだけの安積澹泊とも違うし、天皇を激しく批判しながら天皇を崇拝する三島由紀夫とも違う。栗山潜鋒が言いたかったことは朝廷に天皇を補弼し武威を示し天下に敷き行う臣下がいないので、その大権が武家に委任されているのであり、それは太古から連綿として変わらない、ということを言いたかったのである。それはつまり幕府が三度交代してはじめて、栗山潜鋒がその日本固有の歴史を観察して発見した知見だ。つまり、天皇システムを肯定しているのではなく、日本固有の歴史的法則性を発見したのだ。それは北畠親房の時代にはまだ判然としていなかったから、親房には見いだせなかった。易姓革命の原理による儒学でも説明が付かなかった。中国にはない日本固有の必然的歴史的法則が作動した結果、徳川幕府が成立した。潜鋒が言いたかったことはまさにそれ。すなわち栗山潜鋒の理論は佐幕理論なのであり、倒幕理論ではない。あり得ない。天皇は絶対だから天皇は不徳でも良い、なんて言ってない。

さらに本居宣長は潜鋒の理論をいたく気に入って、これを「みよさし論」として完成させて、幕府の最高権力者である老中松平定信が追認し採用する形でオーソライズしたから、大政委任論が成立したのである。そしてそこから自然に幕末の大政奉還論が生まれてくる。何段階ものステップを経て、徳川の250年間にわたる治世の中で徐々に熟成されてできたものだ。国学は決して天然自然が良いとか神様のあるがままが良いなんてことは言ってない。少なくとも宣長はそんな脳天気なことは言ってない。宣長は彼の歌論において、古い時代には古い歌、新しい時代には新しい歌がふさわしい、歌は時代時代で異なる、混同してはならないと明確に言っている。みんな宣長がいかに政治に関心をもち関わっていたかをしらんのだ。宣長の門下にはだんだんと武士が集まってきた。その中には尾張や紀州で幕政に責任ある地位にいる者もいた。彼らは宣長に政論を求め、宣長も応えた。宣長は国学を政治に応用しようとして紀州藩や尾張藩に働きかけ、松平定信ともコンタクトを取ろうとしていた。松平定信は宣長を表面上無視したが、賀茂真淵を師と仰いだ田安宗武の子である松平定信が国学を知らぬはずもない。実は深く宣長の影響を受けて政治に生かしていたのだ。

決して三島由紀夫と栗山潜鋒は同型(アイソモーフィック)ではない。

もっと他にも間違いがある。『禁中並公家諸法度』は摂家が天皇家や公家を支配して公家社会の頂点に立つために家康にお願いして幕府の権威で認めさせたものだ。その張本人は近衛信尹。決して家康が天皇に押しつけたものではない。紫衣事件も、摂家と幕府が結託して寺社を管理しようとしておきたものであり、天皇とは直接関係ない。確かに後水尾天皇は幕府を恨んでるような歌を詠んだりもしている。しかし、後水尾は近衛信尹の甥であり、また後水尾の同母弟は近衛家を継いで信尹の養子になったりしている。じつは天皇と摂家はツーカーなのであり、公家支配は摂家が考えたものであり、公家支配のコツを家康に伝授したのも実は摂家なのである。

鬼滅の刃

以前、少年ジャンプみたいな小説を書いてもらいたいと言われたことがあった。少年ジャンプみたいな熱血もので、映画やNHKの大河ドラマの原作になりそうなもの、ということだ。最初は書けると思った。書き始めてもみた。一通り書き終えてもみたが、それはまったく少年ジャンプみたいにはならなかった。いろいろアドバイスももらって直してみたが、どうしても少年ジャンプにはならない。

結局私には熱血小説というものは書けないということがわかった。

ワンピースのような、進撃の巨人のような、寄生獣のような作品は、私には書けないのだということがわかった。もし自分を殺して、ただ与えられた企画書の通りに書くことならできるかもしれないし、一度はそういうこともやってみたいが、しかし、自分が企画も考えて文章も書くとなるとほぼ不可能。また、企画をいろいろと出してみて後は誰かが書くというのであれば企画を出しもしようが、要するに、私にもちかけられた仕事はそれらのどれでもなかった。

もちろん、すごく面白い企画があって、自分もそれを小説にしたい、というシチュエーションがあれば幸せだと思う。しかしその企画が熱血ものとか、売れ筋とか、映画の原作みたいなもの、というようなふわっとしたもので、かつ、なんとなくすでにどこかでみたことあるようなネタふりだったりすると、やる気がでるわけない。そもそも私が好きでもなんでもない作品を例に挙げてそういうものを作ってくれと言われてやる気が起きるはずもない。そもそも私はNHKのドラマは朝ドラにしろ大河にしろまったく好きではない。

まあ世の中の企画会議というものはだいたいそんなものなのだろう。たぶん私はそういう世界では生きていけないのだ。もちろん私も自分の小説が映画やドラマになってもらいたいと思ってはいる。なればなったで面白いつもりで書いているのだが、まったくお呼びがかかる気配もない。

鬼滅の刃をざくっと見た感じでは、プロットとしてはアイ・アム・ア・ヒーローに似てると思った。アイ・アム・ア・ヒーローの連載開始は2009年らしいが、その頃はまだ私も惰性で漫画雑誌を買って読んでいた。アイ・アム・ア・ヒーローはやはりその中で私が惰性で読んでいた作品の一つで途中で読むのをやめてしまった。

鬼滅の刃の連載開始は2016年ということで、おそらくアイ・アム・ア・ヒーローの影響は受けていよう。舞台を現代ではなく大正時代に置き換えて、武器もショットガンではなく刀にして、美術にも凝っている。その辺りが受ける要素だろうか。

要するにゾンビものの一種だが、おおもとのプロットは1982年に出た遊星からの物体Xだろう。人から人へ感染してゾンビ化していくというもの。

鬼滅の刃に関して言えば、美術は優れているし、世界観や登場人物に感情移入できれば見続けることもできるかもしれないが、プロットとしてはそれほど目新しいしものではない。こういう作品は近頃たくさんあって鬼滅はその中から頭一つ抜け出した存在なのだろう。こういう連載物はなんでもそうだが最初の数話が当たるとそれをいつまでも引き延ばすだけのことだから、最初だけ見れば十分に思える。劇場版がみたいかといわれれば、まあそこで新しい展開があるなら確認はするかもしれないが、ともかくがっつり見ようという気にはなるまいと思う。

主人公の額に傷だか痣があるのはレディ・プレイヤー・ワンのヒロインを思わせるし、北斗の拳もまたそうだ。

結局、こういう前例があってこういう企画で売れるように書けばこうなった、という作品以上のものではないように思うし、何かそこから逸脱する要素があってそこで受けているとも思えない。こういう作品を自分で書くかといわれれば、他の人にも書けるじゃんと思うからたぶん書かない。大正時代に特有な、たとえば江戸川乱歩的な要素は感じるが、そういう世界観が特別珍しいわけでもない。

ほかの、源流となった作品を何度も見返すことはあるかもしれないが、一通り見たらそれ以上見ることはないと思う。ま、要するに幕の内弁当的な作品、ということになろうか。ツイッターでは旨味調味料などと書いてしまったが。

もっと言えば、私としては、誰かの解説をいくつか読んでからざっと確認するだけで十分な作品に思える。それは進撃の巨人もそうだ。別にその世界の中に入り込みたいわけではなく、単に、世の中で流行ってるから確認作業をするというだけのことだ。

ネタバレ無しでガチに見たい作品はほかにもっとある。

犬の散歩

普通に考えて朝8時から10時の間に犬を散歩させるべきではない。

通勤通学の歩行者、自転車、自動車、みんな殺気立っていて、この時間帯、道を歩くのは非常に不快だ。常日頃できるだけ避けようと思っている。

特に危険だと私が思うのは、というより個人的に憎んでいるのは、電動アシストの自転車、会社のロゴも入ってない白いバン、そして黒づくめの宅配自転車ドライバー。

敢えて8時に犬の散歩に行く人はその時間帯しかできないからなのだろう。犬を引っ張るのに精一杯で、犬が私を威嚇していても、私に謝ろうというそぶりも無い。この犬にしても子供や夫などが勝手に飼い始めたものを妻が面倒見させられているだけなのかももしれない。などということを単に道で犬に吠えられただけでひとしきり考えたりする。

きちんとわきまえている人はだいたい朝6時くらいに散歩させる。そのほうが飼い主にも犬にもストレスが少ないに違いない。

他の人たちも別に8時から10時の間に通勤通学する必要は無いのだ。社会がそうだからそうするのだというのは言い訳に過ぎず、社会の大多数がそれでかまわないと考えているからそういう状況になっている。

コロナが流行る前から首都移転しようとか混雑を解消しようなどとかけ声だけはあったが一向に進まなかった。不可能なのではない。みんなそれほど関心が無いのだ。

私が働いているところでは今年四月になってもまだ屋外に喫煙所が残っている。そこは大勢の社員にとっては社屋の端っこに過ぎないかもしれないが、私の居る場所の真下にあって非常にたばこ臭い。廊下やエレベーターの中まで臭い。ところがこの喫煙所は保健所が来てここなら喫煙所にしてもかまわないという許可を得ているのだという。会社と保健所のお墨付きが出てしまった喫煙所を私の苦情でどかすことはほぼ不可能だ。

結局、どうでも良いことでも大勢の人が苦情を言えば世の中は動くし、どうでも良くないことでも私一人が文句を言っても何も動かないのだ。

10人の組織であろうと1000人の組織であろうと3000万人の組織であろうと1億2千万人の組織であろうと、私の不満など何も影響しないのだ。