はたからみてわかりにくい孤独

創作活動の孤独というものを書いてその続きのようなものだが。

「山月記」を読めなかった男が1年半ぶりにもう一度読む日。非常に良い記事だと思うのだが、隴西の李徴という人は、誰がみてもそれとわかるような、本当に孤独な詩人であったが、こういう天涯孤独な詩人というものは案外少ないのではないかと私は思っている。

実際には、中島敦自身もそうであったかもしれないが、仕事もあり、妻子もいて、友人もいて、一見全然孤独にはみえなくても、自分の作品が理解されなくて、深い孤独を感じている人は多いと思うのである。

つまり何が言いたいかといえば、隴西の李徴という人ははたからみてわかりやすい孤独な人であるが、はたからみてわかりにくい孤独な人もたくさんいると思うのだ。

もちろん世の中には、友人が少なく、結婚もせず、結婚式にも呼ばれない、そういう、人間関係における孤独な人も少なくはないのだろうけど(そうした人たちは家族ができ友人ができれば孤独ではなくなるのだろうか?)、作家が感じる孤独というものは、また別のものではないかと思うのだ。

本居宣長も、『本居宣長』を執筆していた晩年の小林秀雄も、そうした意味の、はたからみてわかりにくい孤独な人だったと思うのだ。宣長にしても小林秀雄にしても、功成り名を遂げた人で、弟子も多く、家族もいた人だから、普通は孤独なはずなどないと人は思うかもしれないし、一方では、いや、彼らの孤独はよく理解できるという人も少なからずいるのではないかと思う。

ともかく、隴西の李徴という人は、私生活においても、仕事においても、そして作家活動においても、何から何まで、極めてわかりやすい孤独な人だったわけであり、そこが逆に、孤独とはなんだろうということをわかりにくくしている気がする。

己は努めて人との交わりを避けた。

李徴は言っているけれども、少なくとも私は、人との交わりを避けようと思ったことはない。多少臆病になって人に見てもらうことを躊躇することはあっても、どちらかといえば、新人賞に応募したりなどして、人に積極的に評価してもらおうとするほうだった。だがあまりにも、自分と同じことを志す人が少なくて、交流することが不可能だった、例えば歌を詠みかわすことすらできなかった、というのが実際だった。そのあたりがやはり李徴に感情移入できないところだ。中島敦自身はどうだったのだろう。李徴に近い性格の人だったとは思えない。誰か李徴に近い性格の人を知っていた、あるいは、自分のなかに若干そうした傾向があることに気付いていた、その部分を切り出し脚色した、くらいだろうか。

私が今度出す本もはたからみてわかりにくい孤独な詩人の話である。思えば私が孤独ということについてここまで熱く語ったのは初めてのことではないか。というのは私自身、孤独ということをあまり気にしない性格であったから。少なくとも孤独そのものを恐れたり避けたりする人間ではなかった。むしろ孤独を楽しむほうだったと思う。年をとってそろそろこの世を去るというときになっていまだにいつまでたっても自分の仕事が理解されることがなくて、それで孤独というか焦りというか迷いを感じ始めたのだろう。だがそれも単に老人の孤独というものとは内容が異なるように思う。

そういえばこの空谷に吼えるというのも私が書いたものであったはずである。「黄色い犬」というのは当時 yellow dog linux という、PowerMac とか初代 PS3 で動いてた Linux のこと。2006年ということは41才くらいかー。

いろいろごちゃごちゃ試す

中学生の頃にオーディオが流行っていて、またあの頃は世の中にシンセサイザーというものが出始めたころで、そうしたものを中年、老年になって、多少金が自由になっていろいろ買ったりもしたのだが、いろいろ試してみた結果わかったことは、オーディオインターフェイスは要らんということであった。パソコンを数台にブルーレイプレイヤーなども追加で使おうというときにオーディオインターフェイスをミキサー代わりに使ったりするのだが、ミキサーを使うくらいなら、入力が3系統くらいあるアクティブスピーカーを使ったほうがましだと思うようになった。

多くのパワードモニタースピーカーには2系統の入力がある。

3系統となるとローランドのCM-30というものがありこれが非常に便利である。タンノイみたいに同軸になってるのもかっこいい。ただしこれは音楽鑑賞用にはちょっと音が派手過ぎるかもしれない。また、ブックシェルフスピーカーとして使うにはできればもう少しコンパクトな方がよいと思ったりする。

アナログミキサーもしくはオーディオミキサーというものを使う手もあるのだが、なんかどれもごちゃごちゃこてこてしていて、スタジオとかライブとかで使うには良いのかもしれないが、普通にパソコン周りで使うには邪魔すぎる。

多系統入力のプリメインアンプとパッシブスピーカーを組み合わせる、という手もあるはずなのだが、あいにくそういうアンプが今のご時世にはあまりみかけない。というより、アンプにはセレクターやスイッチャーの機能はあっても、すべての入力を一度に鳴らせるようにはなってない。なんでこうなってるんだろう。

USB接続のオーディオインターフェイスは案外ノイズに弱い。電子回路が複雑だからなのだろう。最新のドライバーを入れたりすると治ることもあるんだが、うまくいかないこともある。特にPCモニターをHDMI接続して、ここからヘッドホン出力で鳴らそうとするとノイズが乗りやすいような気がする。このPCモニターというものもまったく信用ができない。PCモニターを多入力にしてセレクターみたいにして使うといろんな問題が発生してくる。

結局パソコンとブルーレイは別々のスピーカーで鳴らし別々のモニターで見る、というのが一番無難な解決策になってしまうような気がする。

それはそうと音響系の某通販サイトがいちいち検索にでてきて鬱陶しい。一度痛い目にあったのでもうここからは二度と買わないと決めているのだが、非常に目障りだ。実店舗を持ってる楽器店から買う方がずっと気持ち良い。

仕事に飽きた

楽しみは 死にたるのちに わが歌を なほ忘られぬ 人のあること

近頃終活ばかりしていて死ぬことばかり考えているような気がする。死ぬ時できるだけ苦しまずに死ぬにはどうしたら良いか。全身麻酔で意識がないうちに死んでしまうのが一番良い死に方な気がする。希死念慮とか自殺願望というのではないのだが、なんだろうな、もうこの世でやり残したことがないという人はどうやって生きているのだろうか。仕事が生きがいで、死ぬまで仕事を続けたいという人はけっこういるように思う。功成り名を遂げた人でも、やり残したことがある、というより、何かまだやってみたいという気のある人は死にたいとは思わないのだろう。

とにかく仕事がつまらなくて仕方ない。金が十分あって辞められるなら今すぐでも辞めたい。いろんなことに忖度しながらこつこつ送りバントするみたいな仕事。とてつもなくつまらない仕事。仕事をできるだけしないことが仕事だということを最近ひしひし感じる。結局、私がやりますと言い出したやつが責任を取らされることになるのだから、何もしないのが一番ということになるし、ほんとにやりたければやればいいんだが、それは今の職場には無い。というかいろいろやりつくして飽きた。

定年までは社畜で、定年後に人生を楽しまなくては損だという人もいるかもしれないが、もちろん社畜は辛いのだけど、社畜から解放されたから即楽しいという気持ちにはなれないのだ。

今のところ私には今の職場の肩書しか社会的存在意義がない。私という人間は今働いてる役職でしか評価されていない。それはもちろんある程度満足のできる社会的地位ではあるし、また、これまで自分が努力してきた成果でもあるのだが、しかし、裏を返せば、今私が所属している組織の外では私はほとんど無価値な存在であって、私からその組織の構成員であるという属性を除けば私は単なる一人の一般市民にすぎない。私は自分のことを科学者と称することはできるはずだ。それはよいのだがしかし、一人の作家でもなければ画家でもなければ詩人でもない。このことは私には非常に苦痛だ。一人の独立した意味と価値のある人間として死にたい。

同僚と酒を飲みたいという気持ちはあるがそれは愚痴を言いたいからだ。愚痴を言ってもそのことには何の意味はないし、相手も迷惑だろう。では仕事の愚痴抜きで何か楽しく酒が飲めるかというとそんなことはなくて、たぶん話題もなくて気づまりなだけだろう。となると、仕事と関係ない赤の他人と楽しく飲んだほうがましということになる。

ここに書いていることも愚痴なのだが、ブログに何を書こうが本人の勝手だし、読むか読まないかも勝手だし、つまり、SNSなどで強制的に人に読ませるのではなく、愚痴はこういうブログなどに吐き出すのが一番よろしいということになる。

土蜘蛛

土蜘蛛という能は安土桃山時代に初めて演目に現れたというから能楽の中でそんなに古いものではない。神楽や歌舞伎にもあるから、どうやら、安土桃山から江戸初期にかけて、民衆芸能として、つまり僧侶や公家とは関係のないところから、急に流行り出したもののように見える。

また、手から蜘蛛の糸を投げるという演出はもっと遅くて明治時代になって加わったものであるという。私たちが能楽としてありがたがっている土蜘蛛は、実は案外歴史の浅いものなのだ。そして多くの能楽とは違い、その見た目の派手さで人気があるのだろう。

しかしながら、土蜘蛛とは本来、大和朝廷にまつろわぬ、稲作も行わない山岳民族で、縄文人の子孫、サンカのようなものであるとも考えられていて、もしかするとそうした山伏の山岳信仰やサンカにおいて、伝承されてきたものであったかもしれない。

さらに想像を働かせるならば、もともとは、土蜘蛛が大和朝廷から派遣されてきた武士を返り討ちにする舞曲であったかもしれない。

しかしながら一方で、この土蜘蛛という話は、日本古来の説話というよりも、ギルガメッシュ叙事詩における都市神ギルガメッシュと山岳神フンババの戦いと、ほぼ同じ性格のものであるようにも見える。もっと言えば、土蜘蛛は遠く西アジアから日本に伝わったギルガメッシュ伝説なのかもしれない。桃太郎ももとはと言えば西アジアに由来する英雄流浪譚であるように。桃太郎もまた室町末期に成立したと言われているから、もしかすると日本に渡来したキリシタンから伝わった話なのかもしれない。

鬼坊主の女

私は「鬼平犯科帳」は池波正太郎の原作を、流し読みではあるが一応全巻読んでいて、さいとうたかをのマンガも機会があれば読むようにしているのだが、そのマンガに「鬼坊主の女」というものがあった。原作には見覚えのない話なので(和歌が題材になる話を私が見落とすわけがない)、さいとうたかをのオリジナルかと思ったのだが、調べてみると、もとは「鬼平犯科帳」とは直接関係ない「にっぽん怪盗伝」という、池波正太郎の短編集があり、その中に収録されていたものらしい。「にっぽん怪盗伝」は audible にあったので聞いてみた。

ウィキペディアの鬼坊主清吉によれば、鬼坊主と呼ばれた盗賊は実在していて、獄門にかけられたときに辞世の歌

武蔵野に 名もはびこりし 鬼あざみ 今日の暑さに かくてしをるる

を詠んだという。これは和歌としてみて、まずまずの出来だと思う。意味も明確だ。1805年6月27日のことだというから、長谷川平蔵は既に死に、松平定信も老中を退いている。旧暦文化2年6月27日をグレゴリオ暦に変換すると1805年7月23日となるから、夏の暑い盛りだったことになる。オニアザミが咲くのは6月から9月。

この話は落語『鬼あざみ』になっていて、その中では

武蔵野に はびこるほどの 鬼あざみ 今日の暑さに 枝葉しおるる

となっている。池波正太郎はこの落語を元ネタにして、「鬼坊主の女」を書いたらしい。

盗賊の頭、鬼坊主は捕らえられたが、子分に命じて、先に盗んで隠しておいた金を使って、辞世の歌を代作してもらって、それを獄門のときに詠じて、役人を驚かせたということにしたのである。この「鬼坊主の女」では辞世の歌は

武蔵野に 名ははびこりし 鬼あざみ 今日の暑さに 少し萎れる

となっている。これを鬼平犯科帳ものに最初に仕立て直したのはテレビドラマで、1970年5月19日放送の「鬼坊主の花」であったという。さらに1993年に再度「鬼坊主の女」としてドラマ化され、2003年にはさいとうたかをによってマンガ化されたらしい。

このマンガでは鬼坊主と一緒に磔にされた手下二人も代作の歌を詠み、しかもこの歌を代作したのが長谷川平蔵やら木村忠吾であったことになっている。

武蔵野に 名を轟かせし 鬼太鼓 罰は受けれど 音のさやけき

商売の 悪も左官の 粂なれば 小手は離れぬ 今日の旅立ち

浄瑠璃の 鏡に映る 入れ墨に 吉の噂も 天下いちめん

こうなってくるともう和歌ではない。狂歌としても、あまり良い出来とはいえない。池波正太郎の原作まではなんとか和歌らしい様式と体裁を保っていたが、おそらく和歌というものの良し悪しのわからぬ人の手によって、テレビドラマ化、マンガ化する段階で誰かが適当におもしろおかしく改作したのだろう。

こうして並べてみると、やはり鬼あざみ清吉本人が詠んだ歌が一番優れているように見えるのだが、あまりに出来過ぎているので、人から人に言い伝えられるうちに上品に洗練されていったのではないかと思われる。あるいは、歌の内容からして、本人が詠んだというよりは、獄門にされた清吉を見た誰かが詠んだ歌にも見える。やはり無学文盲な盗賊がいきなりこのレベルの和歌を詠むということはちょっと考えにくい。ちょうど大田南畝が蜀山人の号を使い始めた頃に当たるから、彼が詠んだとしてもおかしくはない。大田南畝はれっきとした幕臣なので、彼が盗賊に同情的ともとれる歌を詠んではまずいので、盗賊本人が辞世で詠んだ、ということにした、としたらなかなかおもしろいかもしれん。

また、しょせんテレビドラマやマンガを見る人、或いは作る人々には、和歌のよしあしなどわからないのだなという気にもなる。盗賊が辞世にまずい狂歌を詠んだという演出にはおあつらえかもしれんが。

面白いブログの見つけ方

kindle unlimited だが、借りてみて、さらっと読んで、読み続けられそうなら最後まで読み、そうでない場合はすぐ返すようにしている。面白くなるまで読んでみようと、借りっぱなしにしていると回転が悪くなる。とにかく気に入らないときはすぐに他の本を借りる。100冊に1冊くらいはぐいぐい読める本がある。どこが面白くどこがつまらないのかいちいち分析しない。面白ければ読んでみて、なぜ面白かったかは後でゆっくり考えれば良い。

エウメネスくらいは KDP で紙の本にしようかとも思うのだが、ざっくり10万字でだいたい1000円くらいの本になってしまう。エウメネスはたぶん50万字かへたすると80万字くらいはある。果たして5000円の本を買うだろうか。kindle電子書籍でエウメネス6巻全部まとめ買いしても1500円くらいかと思う。

エウメネスも読み返すたびに書き換えたくなるので、まだしばらくはこのままにしておこうと思う。

今回ちょっとエウメネス2をいじったのだが、後半がとにかく読みにくい。マケドニア王家の話を延々と書いているのだが、これをほんとうに読んでいる人がどのくらいいるのだろうか。読みにくいところは無理せず飛ばし読みしてくれていることを望む。

昔は面白いブログを書く人はけっこういたように思うが、いまどき面白いブログを探すのはとてもたいへんだ。面白いブログを個人でコツコツ書いている人はたぶん今でもけっこういるんだろうが、探すのが難しい。たとえばブログ村にはいろんなカテゴリーがあったりランキングがあったりするが、自分の読みたいブログを探すのにはほぼ役に立たない。しかも最近強制的に広告を一定時間見させられるのでめんどくさい。

じゃあnoteは面白いかと言えば全然面白くない。テレビとかマスコミとかが面白くないから個人のブログを読んでいるのに、みんなテレビやマスコミみたいな書き方をするから面白くない。はてなダイアリーの機能にはてぶとかおとなりページとかおとなり日記というものがあるんだけど、たぶんこういうものが一番面白いブログを探すのには効果があると思うのだが、過疎っているというか廃墟になってるブログが多くてなかなかみつからない。

手の震え

たぶん加齢のせいだと思うが最近手が震える。

緊張したときには特に震えるのだが、緊張しなくても震えることがある。左手はほとんどまったく震えないが右手が震える。右手も、腕の角度によっては、腕をねじったりすると震えないことがわかった。右手を、ゆったりと自由な状態で、前に差し出した状態にしたときに一番震えやすい。

はんだ付けしていたのだが、右手にはんだごてを持ち、左手に銅線を持っていたりすると右手が震えるから左右持ち替えてもこんどは銅線が震えるから同じこと。両腕を使ってこまかい作業をするときに困る。

右手で箸を持ってものを食べるくらいの雑な動きならほとんど影響はない。

針の穴に糸を通すなどの作業は肘をついたりして腕を固定するから特に問題にはならない。

酒に酔っているときは逆に震えないことが多い。たぶん筋肉(神経)が弛緩しているのだろう。

いろいろ調べるとパーキンソン病とかアルコール依存とかいろいろ怖い病名が出てくるのだが、おそらくは加齢による原因不明の姿勢による震え(姿勢時の振戦)だと思う。若い頃ははんだ付けするときにこんなに苦労することはなかった。

大勢の前でパソコンでプレゼンするときマウスを持つ手が震えることはわりと昔からあった。これは完全に緊張によるもので、大して緊張していないつもりでも、意識すればするほど震える。これについては、慣れでほぼ震えなくなった。

最近のgoogle

検索条件と十分に一致する結果が見つかりません。

探しているページに表示されている可能性がある言葉で検索してみてください。たとえば、「ケーキの作り方」ではなく、「ケーキのレシピ」でお試しください。

お困りの場合は、Google での検索に関するその他のヒントをご覧ください。

最近 google で検索するとこういうふうに返ってくることが多く、少なくともWeb上にある語句で検索しているのだから、googleが把握していないはずはないのだが、googleは最近勝手に検閲をかけて検索結果から落としているようだ。実際、Bingで検索すると結果は一応出る。

「ケーキの作り方」ではなく、「ケーキのレシピ」でお試しください。などというのは、マリーアントワネットがパンがなければケーキを食べればいいのにと言ったという伝説をもじっているかのようで、はぐらかし方が非常に不快だ。

google gemini の答えも非常に不快だし、嘘つきだし、google も最近は microsoft なみに不愉快な会社になったなと思う。

google はたぶんわかってることの1/10くらいしか開示してないんだと思うなあ。諸般の事情で検索結果を開示することができません、と素直に言ってくれればいいのに。ごまかそうとするところが嫌だ。

研究

私も長らく研究者というものをやってきた。

研究といっても、それは論文を何本書くかということであり、論文を1本書くと言うことはつまり、従来研究をサーベイして、その差分を、0.1ミリくらい付け足すということであった。私は、研究というものはもっと面白いものかと思っていた。世の中をガラッと変えてしまうものかと思っていた。しかし私に課せられたタスクというものは、ただ単に、昔の人はこういうことを思いついたが、私は新たにこういうことを思いついた、それは、今まで誰も思いついていないから、新しいことであるに違いない。そう報告するだけであった。

私は研究者として定年まで働くことはできたかもしれないが、30才くらいで、すでに研究というものに飽きてしまっていた。その上、学生ではなくなり、年をとり職位に就くことによって人と共同研究をやったり、助成金や科研費などを獲得しなくてはならなくなった。それは私が本来やりたくもなんともなかった、民間企業がやっているところの、開発という仕事と、本質的に同じものであった。

民間で働きたくないから一生懸命努力したのに結局やってることは民間と同じ。なら最初から民間で働けばよかったじゃん。そうとしか思えなかった。

バブルがはじけ、民間からアカデミックの世界へ、人材がどんどん逆流してきた。外資系の研究所より大学のほうが安定して待遇も良い時代がきた。はっきりいってばかばかしかった。昔は赤貧洗うが如き世界に好き好んで世捨て人をきどっていたものだが、今や人気職種みたいになった。みんなが羨む世界になった。実力の伴わないこんな世界に安住するのが嫌になった。

私はそうした仕事をたぶん我慢して定年までやることもできたのかもしれないが、何か新しい可能性というものを試してみたくなり、転職を二度ほどした。結果わかったことは、どこにいようと、私がやりたいようなことは出来ない、私は、自分と家族を養うために、つまり、給料を稼ぐために働かなくてはならない、自分の専門性とは関係のないことをやって世の中の需要に応えねばならないということだった。

正直もうこんな仕事には飽きた。

私は面白おかしく、無責任に適当にいいかげんに、自分の好きなように勝手に生きて死ぬために、研究者になったはずだったのに、気付いてみればいろんな役職に縛られて、まるで人のため社会のために生きているようなざまとなった。

あと数年働いて定年がくる。それまで我慢するしかない。今の私にできることはただそれだけだ。

私は今も和歌を詠む。それはつまり、なまじ研究をして0.1mm先の仕事をして今の人たちに理解して評価してもらうよりも、30cmくらい先の仕事をしたいと思うからだ。0.1mmとか0.2mm先の仕事をして評価されるかされないかという世の中で30cmも先の仕事をしても誰にもわからない。千年後か1万年後にならなくては私の仕事は理解されるまい。

1km先の仕事をしようなんて、考えているわけじゃない。30cm程度先の仕事だから、理解出来る人が今の世の中にもいるかもしれないが、そういう人を探しているヒマは私にはないから、ただもう、30cmとか31.5cm先の仕事をして、あとは死ぬしかないと思っている。

短歌はけっこう流行ってる

短歌は今わりと流行っているらしい。note にも短歌というジャンルがあって、多くの人が歌を詠んでいる。

文芸春秋は俵万智の新作をしばしば載せているし、彼女は4月からNHK短歌の選者になったらしい。俵万智は40年前からずっと歌壇に影響を与え続けてきた人だ。日曜美術館にも時々出ていたようだ。世の中の短歌というものが現在ほとんどすべて、俵万智の亜流の感があるのは当然だと思う。

俵万智は実際非常に優れた歌人である。現代語を用いて詠んだからだけではない。彼女の歌は、赤裸々な不倫の歌であり、シングルマザーの歌である。尋常な歌ではない。人をぎょっとさせる歌である。自分のプライバシーをさらけ出して詠んでるから迫力が全然違う。また、五七五七七の操り方もうまい。彼女はまさしく歌人である、といえる。和泉式部に近い。たぶんこの二人はよく似たキャラクターであったはずだ。もちろん与謝野晶子とも似ている。

俵万智は、もちろんいろんな歌を詠む人ではあるが、本質的には不倫とシングルマザーの歌人であるといってよい。しかしながらそれだけで流行ったのではない。もうひとつ、一般人に、自分もまねできるのではないか、自分でもああいう歌が詠めるのではないか、と思わせた。多くの模倣者を生んだ。このふたつの相乗効果で流行った(ほかにも、佐々木信綱の孫、佐々木幸綱に早稲田で学んだ、ということも割と重要なことであったかもしれない)。

俵万智の歌の面白味というか凄みは、彼女の独特の体験からにじみ出てきたものであって、たぶん彼女はものすごく奇矯な性格の人であって、それゆえ必然的にああいう経験をしてしまうのであり、だからその歌も、ごく普通の一般的な日常を送っている人には決して詠めない類のものである。それをむりやり似せようとすれば、どぎつい、露骨なエロスを詠んだだけの歌になってしまうのではないか。

今の短歌の中にも、現代語特有の語感を活かしたちょっと独特で面白い歌もあるにはあると思う。それ以外はほとんどが俵万智的な何かだ。新しい歌というものはそう簡単には詠めないもので、これまでも、天才が出てそれの模倣者がでて、という歴史を繰り返してきた。みなが勝手に口語で歌が詠めるのではない。

私は口語で歌を詠まないと決めたから、今の短歌と呼ばれるものがどうなろうとしったこっちゃない(たまに詠むとしてもそれは狂歌のたぐいだ)。そういうものをうっかりみてしまうと、何か乗り物酔いか3D酔いしたような気持ち悪さを感じてしまうから、見ないようにしている。ただ、ときどきこわいものみたさでみてしまったりする。なぜいまそこそこ短歌が流行っているのか私にはよくわからない。今の短歌の価値も私にはよくわからない。今の歌人がどういう気持ちで歌を詠み、人の歌を評価し、また自分の歌の良し悪しを決めているのか。まったく想像もつかない。

自分のことを僕と言ったり私といったり俺といったり自分といってみたり。一人称をころころ変えるのは節操がない。歌とて同じことだ。こういう詠み方をすると決めたらずっとそういう詠み方をし続けなくてはならない。ブレがあってはならない。私はそう思っているけれども、人によっては、どんどん詠み方を、自己表現をとっかえひっかえしている人もいるのかもしれない。SNSではいくつも匿名でアカウントをもち、それぞれことなるキャラクターを演じている人もいるのかもしれない。

俵万智のような恋歌は、与謝野晶子の歌もそうかもしれないが、和歌というよりは、江戸時代の都都逸や常磐津のようなあたりからきたものではないかと、私には思える。都都逸には非常に優れた恋歌がたくさんあって俵万智や与謝野晶子もかすむくらいであろうと思う。ほかにも浄瑠璃とかなんとかかんとかとかいろいろたくさんあって、ちゃんと調べると膨大なものがあってそれらを超えることは容易でないと思うのだ。逆にいえばそうした厚みと下地があるからこそ、あのような恋歌は詠めるのだと思う。恋歌とていきなり詠めるわけではない。

そして、恋歌を詠みたいのであれば都都逸とか今様で詠むほうがずっとすっきり詠めるだろうにと思う。五七五七七という形式は非常に詠みにくい詩形で、それをわかったうえで詠んでいるひとは少ないように思う。あとやはり現代短歌はどこか気持ちが悪くて好きになれない。都々逸だと新作でも江戸の粋というものが感じられて気持ち良いものが多い。個人の感想だが。