中国で研究者になるというのが流行りらしいが、ケースバイケースではなかろうか。研究者というのは本来は渡り職人みたいなもので、中国だろうがアメリカだろうがヨーロッパだろうが世界中、あるいは日本国内でも、渡り歩くので良いと思う。
しかしながら年を取ってくるとそういつまでも転がる石みたいなことは(生涯年収的に)できないからどこかに落ち着くとなると、自分にとってそれなりに住みやすいところに住むしかなかろう。
中国に数年腰掛けるだけなら行けばいいんだろうが、そんな簡単に縁を切ることができるのだろうか。いろいろリスクがありそうだ。研究者が渡り職人であるためには労働市場の流動性が必要なわけだが(日本にはそもそもそれが無い)、中国に行って簡単に転職したり帰国したりできるんだろうか。
小説もブログも同じだが、何年も書きためてみなくてはわからんことは多い。長期的にみたときにふらっと中国に行ってそれで大丈夫なのだろうか。とは思わないのだろうか。
あとわざわざ中国が引き抜きにくるにはいろんな理由があるはずで、それをわかった上で引き抜かれようというのは、いろいろモラル的にはどうかと思う。
いずれにしてもマジで必要とされている人ならどこへでも行けるはず。もっと露骨に言えば、日本だけじゃない、アメリカでもヨーロッパでも相手にされなかったから中国に拾ってもらったんでしょ、としか思えない。
もひとつ。中国のアカデミズムは今やすでに世界最高水準だ、という評価には疑問を感じる。論文数や特許件数なんてのは、あれは商売と同じでマーケティングさえすればいくらでも水増しできるものだ。正味ははたしてどれほどだろうか。
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ヘッドホン聴き比べ
在宅勤務が増えたせいで最近ちょっとヘッドホンに凝ってるのだが、ロジクールのヘッドセット(1万円くらい)、マランツ(8千円くらい)、オーディオテクニカ(2万円くらい)を聴き比べてみた。
オーディオテクニカの ATH-M50x だが、こいつが一番音が細く聞こえ、ロジクールが一番音が良く聞こえる。
ところが、よくよく聴き比べてみると、オーディオテクニカが一番高音が聞こえやすくて、だから音が細く弱く聞こえるのだった。
同じ音量で聴くと明らかにオーディオテクニカが一番ゲインが高い。
オーディオテクニカの後にロジクールを聴くと音がモコモコして聞き取りにくい感じがする。
オーディオテクニカとマランツ MPH-2 の差はわずかだが、やはりオーディオテクニカのほうが高音が聞き取りやすいように思える。
あと、オーディオテクニカは側圧が強くて、ノイズキャンセリングではないのにものすごく密閉されている感じで、周りの音が聞こえなくなる。その代わりさすがに付けていて疲れる。密閉すればするほど高音が聞き取りやすくなる、ということもあるのかもしれない。
なので、よほど音質を気にするような作業をするときはオーディオテクニカだが、ふだん音楽を楽しむときはマランツで良いのではなかろうか、と思った。
あと、思ったのだが、冨田勲の昔のシンセサイザーのアルバムなどを今聴いてみるととても音が悪い。おそらく冨田勲自身が自分でオープンリールのテープレコーダーかなんかで多重録音しているのだろうが、そりゃまあ昔の機材だとこの程度の録音しかできなかったのか。
音がこもっているというか割れているというか。ダイナミックレンジも狭いし、まあふつうにLPにカッティングするんだから仕方ないんだろうけど、『宇宙幻想』とか、せっかく迫力ある盛り上がる曲なのに、もったいないと思う。今録音してたら全然違ったんだろうが、逆に、今だとシンセサイザーなんて珍しくもないからね。
ヘッドホンじゃなくて、BoseのPCスピーカーなんかでボコボコ鳴らすと逆に迫力があってよろしい。
Cyndi Lauper
ミュージックビデオ風のいかにも作られた映像は口パクのようだ。
67才になってあんなに踊りながら声を出せるはずもない。
地味な、スタジオ収録をそのまま撮影したようなやつで、座ってるか、立ったまま歌ってるやつはたぶん生声。
40才くらいまでのコンサートなんかはたぶん全部生声。
シンディ・ローパーのすごさがいまいちわからなかったが、ああやって飛び跳ね走り回りながらあれだけ歌えるのはすごい。普通の歌手、たとえば、ブリトニーとか、ベリンダ・カーライルとか、あのへんだと、何度も何度も取り直してつないで修正してやっとあの声で歌えてるわけで、コンサートの生声で歌えるわけがないのだ。
そうしてみると日本人でシンディ・ローパーに対抗しうる女性歌手には宇多田ヒカルくらいしかいないのではないか。まあ、和田アキ子を入れても良いが。
なんかだから趣味がね。ブリトニーのMVいいなあとか昔は思ってたが今はシンディ・ローパーとか宇多田ヒカルが良いなあと思い始めた。毎回毎回歌い方が少しずつ違うってのはすごいことなんだよね。
いやまあ実は、シンディ・ローパーが audio technica のヘッドホン使ってたから思わず欲しくなってしまったんだ。
バック・トウ・ザ・フューチャーに出てくる日本製品
ビデオカメラはJVC。
ラジコンはfutaba。
カセットテープレコーダーは AIWA。
ラジオ付デジタル時計は Panasonic。
腕時計は CASIO。
ピックアップトラックは TOYOTA。
ストップウォッチは SEIKO と CITIZEN。
Wikipedia > 映画バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3の劇中、1955年のドクが「安物を使うからだ。見ろ、Made in Japanと書いてある。」と言ったのに対し、マーティが「なに言ってんのドク。最高のものはみんな日本製だよ。」と返し、「(敗戦国の日本とは)信じられん。」とドクが驚くというシーンがある。
まあ、アメリカ人としては、一種の自虐ネタなんだろうけど。
時代設定としては1985年。私は大学一年生だった。電気電子工学科入学。
あの頃は、バブルへと駆け上がっていく途中。
NHKなんかも電子立国日本って煽ってた。
私も煽られて電気電子の世界へ飛び込んでしまった。
今なら絶対あり得ないと思う。工学部に行くにしてももちょっと違うほうへ行くと思う。
バック・トウ・ザ・フューチャーも、日本が景気が良すぎてアメリカは不況で日本がアメリカを買っちゃうみたいな設定だった。
あの頃の日本の電機産業って今からおもうとほんとすごかったな。
馬鹿騒ぎ
コロナに限ったことでなくマスクはしないよりはしたほうが良いに決まってるし、遠隔で仕事ができることはしたほうが良いし、通勤電車の混雑なんてものは首都移転でもやってさっさと解消すべきだし、年寄りは風邪引かないように冬は家でじっとしてるべきだし、居酒屋は空いてて広いほうが快適だし、どれもこれも別に全然コロナに限ったことじゃないし、コロナが無くなった後も多分そういう習慣は社会に根付いたまま残るに違いない。
コロナはもはや去年のコロナではない。少しずつ変異しているから。まさに「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」だよ。
今回のこのコロナの馬鹿騒ぎも、人間はプラシーボがなければ生きていけない、もしくは、プラシーボはほんとの薬と同じくらいの効果がある、ことを証明しただけだ。
鯉の餌
audible なんだが、結局、1ヶ月に1冊1500円で audio book を買う、という仕組みなのだが、定価で買えば 3000円とか 4000円するけど欲しい audio book があれば数ヶ月は契約しておいてコツコツ買うのがお得、というサービスなのだと思う。
実を言えば数冊くらいは欲しいのがあるんで、一応契約は続行しようかと思っている。
最近やっと私は気づいたのだが、自分が読んで面白い本、つまり自分に読ませるために書いた本と、人に読ませて売る本とは、自分が食べて旨い料理と、池の鯉にやる餌くらいの違いがある。私が蒔いた餌を鯉が食って旨いかどうかなんてことは考える意味すらない。鯉が食うか食わないか以上のことを考えても無駄だ。ペディグリーチャムやチャウチュールを作っている人が、犬や猫がほんとに旨いと思ってるかなんて考えてるわけがない。ただペットが喜んで食えばそれでよいのだ。飼い主が金を払う気になればそれで良いのだ。
もしものを作って売りたければ自分で食べたいものを作ってはならない。鯉が良く食べるものを作らなくてはならない。当たり前のことだ。気づかなかったわけではないが、まさかほんとうにそうだとは思えなかったのだ。でも今では完全に理解した。しかも、自分が書きたい本、自分で読んで面白い本はもうほぼ書き終えた。これらの本が埋もれるのは惜しいから、売れる本を書いて、そのついでに私がほんとに面白いと思う本も読んでもらえるようにしなくてはならないと思う。
実際もう、自分が書きたい本を書くのには飽きてしまった。すでに書いた本をこつこつ手直しすることはまだ続けている。盆栽をいじるようなものだ。
では私に売れる本が書けるだろうか。わからん。努力はしてみよう。
安藤百福が47歳からインスタントラーメンというまったく新しい事業を始めて、私もまた同じくらいの年で、それまでの人生の延長で生きていくのをやめて、死ぬまでに今まで試したことがない才能を試してみようと思い、小説なんぞを書き始めたのと似てるなと思った。
百福はたまたま自分の事業が破産したから一からやり始めたのだろう。私はもともと飽きっぽい性格だからなのだと思う。飽きてしまうと、まだ自分ややり残していることがあるならこんどはそっちをやろうと思ってしまう。自分にはまだ試してない才能が残っていると思う。それが良いのか悪いのかよくわからん。若い頃からずっと同じことをやってその蓄積で大きく当たったり功績をみとめられればそりゃ面白かろうが、大して注目もされずだらだら続けるのは私には耐えがたい。
audible
いちいち本を読んでいる暇がないので amazon の audible というのを試してみたが、要するにこれは、月額1500円払って1冊、朗読本が読めるだけ、ということではないか。
さすがにこれじゃどうにもならない。たぶん無料期間のうちに解約すると思う。
youtube で english audio book with subtitles で検索すればそれっぽいのはいくらでも出てくるからそれを聞けばよかろう。
犬の散歩
普通に考えて朝8時から10時の間に犬を散歩させるべきではない。
通勤通学の歩行者、自転車、自動車、みんな殺気立っていて、この時間帯、道を歩くのは非常に不快だ。常日頃できるだけ避けようと思っている。
特に危険だと私が思うのは、というより個人的に憎んでいるのは、電動アシストの自転車、会社のロゴも入ってない白いバン、そして黒づくめの宅配自転車ドライバー。
敢えて8時に犬の散歩に行く人はその時間帯しかできないからなのだろう。犬を引っ張るのに精一杯で、犬が私を威嚇していても、私に謝ろうというそぶりも無い。この犬にしても子供や夫などが勝手に飼い始めたものを妻が面倒見させられているだけなのかももしれない。などということを単に道で犬に吠えられただけでひとしきり考えたりする。
きちんとわきまえている人はだいたい朝6時くらいに散歩させる。そのほうが飼い主にも犬にもストレスが少ないに違いない。
他の人たちも別に8時から10時の間に通勤通学する必要は無いのだ。社会がそうだからそうするのだというのは言い訳に過ぎず、社会の大多数がそれでかまわないと考えているからそういう状況になっている。
コロナが流行る前から首都移転しようとか混雑を解消しようなどとかけ声だけはあったが一向に進まなかった。不可能なのではない。みんなそれほど関心が無いのだ。
私が働いているところでは今年四月になってもまだ屋外に喫煙所が残っている。そこは大勢の社員にとっては社屋の端っこに過ぎないかもしれないが、私の居る場所の真下にあって非常にたばこ臭い。廊下やエレベーターの中まで臭い。ところがこの喫煙所は保健所が来てここなら喫煙所にしてもかまわないという許可を得ているのだという。会社と保健所のお墨付きが出てしまった喫煙所を私の苦情でどかすことはほぼ不可能だ。
結局、どうでも良いことでも大勢の人が苦情を言えば世の中は動くし、どうでも良くないことでも私一人が文句を言っても何も動かないのだ。
10人の組織であろうと1000人の組織であろうと3000万人の組織であろうと1億2千万人の組織であろうと、私の不満など何も影響しないのだ。
宅配業者
最近は宅配業者がいろいろ気になる。
かつては郵便局か黒猫か佐川くらいだったが、今は得たいの知れないやつが運んでくる。特にアマゾンから来る荷物が得たいがしれない。
こないだなどは某超優良宅配業者を名乗る謎の男がアマゾンの荷物を運んできた。出てみるとその会社の制服を着てないし、車もただの白いバンだ。レシートもアマゾンのものしかない。ますますあやしい。
某業者が、人手が足りなくて個人に外注したということだろうか?
それとも謎の個人業者が、某業者の名を出せばあやしまれないとでも思ったのか。
なんだか嫌な時代になったものだ。
郵便局だからといって不正をやらないわけではないことはいろんな不祥事でわかるんだが、しかし、目に見える組織がちゃんと責任を負っている。
わけのわからん個人に委託してほしくない。
鬼平犯科帳
別に『鬼平犯科帳』の悪口を言いたいわけではないが、あれは結局、江戸時代を舞台に今の刑事ドラマを作り替えただけのものであり、だから一般受けするのだ。
元は同じで、そのアレンジ次第で時代劇にもなり、『相棒』にもなる。ただそれだけのことだ。結局人はいろんなものを見ているようでごく狭い限られたものを見ているに過ぎない。
別の言い方をすれば刑事ドラマにしても、今の現実の刑事やら警察官をきちんと取材すれば、全然違う作り方をすることができるはずで、全然違う『亀有交番前』ができるはずだ。だがそのためには一からネタを仕込み、まったく新しいプロットを考えねばならない。そんな売れるかどうか当たるかどうかもわからぬことに労力を費やす人などいないのだ。