AIによる盗作

ハリウッドでは脚本家が「AIに脚本を書かせるな」と訴えてデモやストライキを起こしているらしい。非常に興味深い話だ。きっとあのプロデューサーなら「AIが勝手に学習したのでしりませーん」とかしらばっくれるに違いない。ということだろう。脚本家は常に自分のネタがパクられることを恐れているのだ。もちろん単に仕事が減るのが嫌なのかもしれないが、ならばAIには決して書けない面白いシナリオを書かないとね。

実を言えば私も『安藤レイ』という小説を書いて某新人賞に応募し、まもなくして『安堂ロイド』というテレビドラマが出たりもしたのだ。
『安藤レイ』だが私が46才で入院してたとき書いたもので、たぶん2010年くらいに応募して一次予選通過後落ちたからpubooに公開したのが2011年11月25日、しかしここにはもはや痕跡しか残っておらず、kindle で公開したのは 2013年、つまり kdp が 2013年から始まったのでそちらに移したというわけ。
今pubooを見ると、私がとっくの昔に出版停止にした『歌詠みに与ふる物語』『濹西綺譚』『セルジューク戦記』『帝都春暦』あるいは『トゥエンティ・トゥエンティ』などがでてきてとても懐かしいというか恥ずかしい気もする。『濹西綺譚』と『潜入捜査官マリナ』は同じ世界観でできていて、『マリナ』に出てくる工藤はもとはといえば『濹西綺譚』の登場人物である。また『エウドキア』『海賊王ロジェール』は『セルジューク戦記』の一部をリメイクした作品なのだ、というような話を今してもしかたないのだが。

『安藤レイ』と『安堂ロイド』に関していえばどちらもアンドロイドが出てくるという以外は似ても似つかぬ内容なのだが、脚本なんてものは似たりよったりで、まねたとかまねないという話はしょっちゅうあるんだと思う。そういうものに巻き込まれないためにはまず新人賞なんかには応募せずいきなり kdp で出すとか(笑)、きちんとブログや出版物などで証拠を残すなどということが大事だと思う。twitter でも(アカウント凍結されたりしない限り)十分証拠にはなると思う。

それで最近思ったのは、良経が式子と兼実の子、兼実は式子を養っていて、定家は九条家の家司であったから、連絡係になっていたという説なのだが、これは私が思いついて『虚構の歌人』に書いたのが2015年。式子が死んだのが1201年、良経が死んだのが1206年、兼実が死んだのが1207年、そして定家が死んだのが1241年。真相を知っているはずの関係者らが全員死んで800年もの間、こういう学説を唱えた人はどうやら一人もいなかったらしい。

式子は父後白河院から大炊御門殿を遺領として受けていたが、すでに兼実が院にこの屋敷を借りて使用していたために、式子は後見人の吉田経房の屋敷にしばらく住んでいたが、兼実が関白を辞めると大炊御門殿に移り住んだとある。
兼実の息子良経が式子に言い訳めいた

> ふるさとの 春を忘れぬ 八重桜 これや見し世に かはらざるらむ

という歌を詠んで贈ったのも兼実が大炊御門殿を横領して式子を住ませなかった時期であるとされる。
定家は九条家の家司であったが、また式子の姉の家司のような仕事もしていたらしい。

思うに、もし良経が式子の子であるとすればそれは決して外に漏らしてはならない話であり、兼実と式子が親しいという噂もあってはならないことだ。むしろ式子が後白河から相続した家を兼実が横取りしたというような、摂家の横暴、悲劇の内親王ともいえる噂が広まるほうが好ましかっただろう。
しかしそれら「兼実と式子が対立する構図」も、兼実が隠し妻式子を内々で養っていたと考えればすべて説明がつくのである。何しろ加茂斎院の懐妊などとは大罪(軽くて斎院号剥奪?)であり大スキャンダルだ。絶対世に知られてはいけなかった。皇族や藤原氏の間でもきつく緘口令が敷かれていただろう。
そもそも伊勢斎宮や賀茂斎院といえ皇女といえど生身の女である。あんなに歴代たくさんの斎宮斎院がいて密通の一つもなかったはずがない。『伊勢物語』はこの際おいといて、実際露見した例もある(済子女王など)。

それでまあ話は戻るのだが、AIがネットに散らかってるブログを学習して自分の学説をこしらえるとしたら、私としては逆に、ブログに自分の説を書いて、それをAIに学習させることによって、この式子が兼実の愛人であり、良経が隠し子であったという説を世の中に広めることができるのではなかろうか。そしてその学説が広まった頃合いで、いやいやその説はもともと2015年に書いた私の著作が初出であって、AIが勝手に学習して使っているのですよ、と言えるのではないか。
私の学説など誰も広めてくれないが(今更そちらの学会に入っても相手にされないだろう)AIならやってくれるかもしれん。
やはり私の仕事は人間ではなく、先入観もないAIが先に評価してくれるのではないかなあ。

AI

やはり昔書いた記事を整理していて、[鯉の餌](/?p=20261)という記事を見つけたのだが、確かに誰も鯉の餌を自分で食べようと思う人はいない。食べたことはないがたぶんすごくまずいだろうと思う。twitter なんかで良く読まれている文章はただ鯉の餌であれば良く、自分で食べたい食べ物である必要はないのだ。

もちろん私は違う。少なくとも自分ではそう思っている。自分で食ってうまいと思えるものだけを自分で作って食うように、自分で読んで面白いと思える文書だけを書いて後で忘れた頃に自分で読んで楽しんでいるのだ。外食に飽きて自分で料理を始めたおじさんみたいなものと同じ。米農家もじぶんちで食う米と人に売る米じゃ違うっていうじゃん。

世の中には鯉に餌を蒔いて鯉がたくさん寄り集まってくるのを喜び楽しんでいる人がたくさんいる。最初は面白いかもしれんが私ならすぐに飽きるだろう。だって鯉だよ。鯉が餌食ってるだけなんだからしょせんは。
テレビで流される映像や twitter でよく読まれている文章なんてのは AI にでも作らせとけば良いと思う。面白がって読むやつがいて、有名になったり儲かったりすりゃそれでいいんならそうすれば良い。死んでしまえば何の価値もない。もともとただの鯉の餌だからだ。

雑文の垂れ流し

2017年9月まではvps借りて立ててたサイト、つまり tanaka0903.net でブログを書いていたようだ。
その後ははてなブログ「不確定申告」に移転して、しばらくはせっせとここでも記事を書いてたようだが、しばらくしてブログには書かないようになり、もっぱら twitter などに雑文を書いていたようだ。
今こうして見てみると、たしかにちまちまと文章を書く時間くらいは確保できるのだろうが、ずいぶん膨大な量の文章を書いたものだと我ながらあきれる。
だがしかし私以外の、文章をあまり書かない普通の人でも、ツイッターだとついつい書いてしまい、いつの間にか膨大な量になっているんだろうなと思う。

今、「不確定申告」で書き足した分もこちらにまとめている。こちらでは過去記事なども復刻しつつあるが、まだまだ手間取るだろう。少しずつやる。あと何年このブログを続けるか知らないが、とりあえずやるだけはやる。
こうして過去のブログを整理していて思うのだが、結局、自分のブログの一番の読者は自分なのだな。ブログが無いと自分が昔何を考えていたのかすぐに忘れてしまう。
「不確定申告」と見比べてみるとやはり自分でwordpressを管理するのとは全然違う。見た目はともかく行間が狂ってたりするのは困る。

ブログ再開

いつ死ぬかわからないから、個人で管理してたサーバーも wordpress や mediawiki なんかも全部止めて、ブログは死んだ後も残ると思われる hatenablog あたりに放置して、普段は twitter あたりで書き散らかしていたのだが、ある人のウェブサイトを手伝うことになったので、リハビリと備忘録を兼ねて、昔のドメインで昔のブログ名で再開することにした。

私の過去の記事はだいたい hatenablog とかあるいはカクヨムなどで読めるので(ほかにもnoteなど)、過去記事をここで復元させることはせず、ただ新しい記事だけを書いていこうと思う。テーマは敢えて、昔懐かしの twenty-ten を使ってみようと思う。

twitter にはつい酔った勢いで過激なことを書き込んでしまいがちで、あまりよろしいことではなかった。今後はできるだけこちらで落ち着いて、まとまった記事を書こうと思う。

昔どおりに、お名前.com の vps を借りたのだけど、昔よりもセキュリティが厳しくなっててまずそれが困った。mac の terminal 向けの ssh 接続の方法が書かれていて、ここを手がかりにやっと WSL の ubuntu から ssh できるようになったのだが、ほっとくとすぐ接続を切られてしまい、実に煩わしい。

https://www.onamae-server.com/guide/vps/p/14

MacOSX の解説を載せるくらいなら、WSL (ubuntu) からログインする方法も解説しておいてほしいところだ。

現時点でお名前.com の標準OS で ubuntu の最新バージョンは 20.04 である。22.04 で事前にテストしてたので、今更 20.04 には戻したくなかったので、22.04 の ISOをアップロードしてインストールしてみたのだが、ssh がうまくいかない。で仕方なく 20.04 でインストールしてみたが、やはり ssh がうまくいかない。ubuntu のバージョンの問題ではなかった。

/etc/ssh/sshd_config のポート番号を 10022 に変えるのを忘れてたのでそれを直したらまあなんとか windows の ubuntu からつなげることができたが、すでに書いたように非常にうざい。すぐに切られてしまう。だが、いちいちお名前.comにログインしてコンソール開くよりはずっとましな気がする。

wordpress のインストール(特に mariadb の設定など)に関してはこちらをかなり参考にした。

https://www.kkaneko.jp/tools/server/ubuntu_wordpress.html

久しぶりにwordpress の css なんかをいじってみるとそれなりに楽しい。

いずれにせよいついきなり死ぬかもしれんという状況は変わらないので、ブログ更新のプライオリティはそんな高くは無いはず。

ウェブサイトのSSL化ではまった。もう二度とやらん(いや、当分やらんというべきか)。なんかいろんなところを知らん間にいろいろぐちゃぐちゃ書き換えられてて、結局うまくいかなくて、元に戻そうにも戻せなくてはまるパターン。

あと、wordpress の permanent link ではまった。なんなのこの仕様。あと、Permanent link をパーマリンクって訳すのなんなの。気持ち悪い。

思ったこと

倍晋三氏は、極めて有能な人ではなかったかもしれない、名宰相、という評価が似つかわしい人でもないと思うが、歴代の総理大臣の中ではかなりまともなほうであり、とりわけ、困難な時期に、長きにわたってよく任務を遂行したと思う。
政治家はマスコミや狂人や大衆、あるいは政敵や大学教授の毒舌に殺されることを含めて、そうした危険を敢えて冒す職務であると思う。金閣寺を燃やした男とか、秋葉原の歩行者天国に車を突っ込ませた男とか、電車の中で切りつける男とか。そういう者が現れるのは世相とかそんなことと関係なしに昔もいたし今も必ずいる。問題はそこではない。
黒幕がいて煽るやつがいて金を出すやつがいたかもしれないしいなかったかもしれないが、そういうおかしなやつが発作的に政治家の暗殺を企てることはあり得るわけで、逆に、プロの殺し屋が政治家を殺そうとする例のほうが少ないのではないか。
何が言いたいかと言えば、マスコミや左翼や狂人に殺されるほどに大衆の関心を集めた人であったわけで、世論の渦中にあってなお活発な活動を罷めなかった人であったから、ついにその犠牲となったということもまた、彼の国士としての仕事の一部であったと私には思える。日本のために良く働いてくださった、老後を楽しむ時間が少なくかわいそうだったと思う。
要人暗殺が日常茶飯事な海外と違って日本ではめったに起きない事件でもあり、警備が手薄だったという批判も酷かもしれないと思う。

追記:テロは民主主義への攻撃、という人が多いのだが、民主主義というもの、或いは、言論の自由というものがマスコミの過激報道を生み、そうした大衆扇動の結果、特定の個人に憎しみが集中してこういう要人暗殺が起きてしまう。民衆は不満のはけ口を求めて悪の政治家という偶像を作り出してしまう。そうした偶像作りは、民主主義の代償というか民主主義に必然的に付随してしまうもののように思うのだが違うか。マスコミとか狂信者などを民主主義から排除することは不可能なので、システムとして、そうした犠牲者を生み出さないような歯止めを民主主義に組み込まないといけない、それ以外方法はないのではないか。民主主義を冒涜するテロとの戦い、という考え方でテロが無くなるのだろうか、非常に疑問だ。特に日本では、オウム事件もそうだが、政治的なものより新興宗教がテロと結びつきやすい。再発を防止するならなぜ日本ではそうしたテロが起きやすいのかということを考えないと。
カルトであろうとなかろうと宗教は宗教であって、信教の自由は守られなくてはならない、センセーショナリズムであろうとなかろうとマスコミはマスコミであって彼らの報道の自由は守られなくてはならない。その原則に如何に弊害があろうとも、原則は原則なのである。

ベレッタ

Audible でドクターノオを聞いて、改めて Blu-ray でドクターノオを見直しているんだが、原作の小説ではベレッタをワルサーに代えさせるシーンだけでものすごく長い記述をしている。
映画ではベレッタは弾詰まり、あるいは不発だったから、ワルサーに代えろと言っているのだがそれではまるでベレッタは弾詰まりを起こすちゃちな銃のような言い方だ。
原作では、ジェームスボンドがベレッタにサイレンサーをつけてそれが服にひっかかって撃つのが遅れた、と言っているのであり、ベレッタの性能のせいだとは言ってない。
女性の護身用に作られた、コンシールド拳銃のベレッタに、サイレンサーをつければ、ポケットの中でひっかかってしまう。そういうこねたをイアンフレミングは長々と描写してて、これはもう映画ではそういうニュアンスはまったく伝わらない。
原作にはマネーペニーも出てこないようだ。映画では007は女たらしな男となっているがイアンフレミングの意図ではなさそうだ。

CATV

CATV (某有線チャンネル)はどうしてこんなに使いにくいのだろうか。特にインターフェイス。端末はすでにアンドロイドで動いているのだが、テレビとリモコンで操作するから、ちょっとたくさん録画するともうまったく検索できなくなる。非常に腹立たしい。企業努力が足りないのではないか。
CATVやめて Amazon Prime や Youtube Premium や Netflix や Disney Plus だけ見るようにすればいいのかもしれん。しかしそれはそれで腹立たしい。なぜスマホアプリで操作できるようにしないのか。やらなきゃならないことは明らかではないか。それとも資金が足りないとかいまさらそんなことをやっても無駄だと思っているのだろうか。

代表作

私が書いたものの中では『関白戦記』が最も完成度が高いと思う。一応出版することを前提に、一気に書き上げた長編で、私以外の人も企画に関わったりして、自分自身それなりに推敲もしてあるので、今後手直しすることはあるとしてもほぼ完成していると言って良い。
これに比べると、たとえば『将軍家の仲人』『西行秘伝』なんかはまだまだ直さなきゃならないと思っているが書いた本人が読み返すことがあまりないので(キンドルで売れると読み直して書き直したりすることが多いが売れない本は基本放置)、どこをどう直すかさえ決まってない。『将軍放浪記』はもう少し話を膨らますべきなのだが、史料がほとんどなくて手出しができない。
『エウメネス』は『1』だけは何度も書き直したのである程度完成しているが『6』は未完成作品と言ってよい。『6』を直すために『5』とか『2』『3』辺りも直さなきゃいけないと思っている。『6』で急に新しいキャラクターを出すのではなくてもっと前から伏線をはったりしなきゃいけないからだ。
ともかく現時点は『関白戦記』が私の代表作なんだが、『エウメネス』を代わりに一番の代表作とするにはかなりの年月がかかる。60才までにはどうにかしたいがあと3年しかない。そもそもテーマが広すぎてどうにもならない。インド辺りは適当に書けばいいがペルシャはそうもいかない。ペルシャは調べれば調べるほどいろんなまだ知らないことが出てくる。中途半端に西洋史観で書いてたところを修正し加筆するには膨大な時間がかかる。最初から、私が一人で書けるようなものではなかった。だからその一部を切り取って、ゲドロシアだけの短編を最初書いたのだが、続編を書くことにして深い沼にはまった。

イヤーマフ

アマゾンでイヤーマフを買った。私の頭には若干小さいようだが、使えなくもなく、安物だったが一応満足している。大きさを確認して買うにはホームセンターなどで買うほうが良いのかもしれない。今度からそうしよう。

アマゾンのレビューを見ると、聴覚過敏で困っている人たちの実際の声が聞けて興味深い。屋外で車のドアが閉まる音が気になるというのは私も同じだった。車のドアというのは一度バタンと音がすると何度もバタバタ繰り返すことが多い。だから、一度聞こえたらイヤーマフをかけてしばらくやり過ごす、という人がいて、すごく共感できた。

イヤーマフとノイズキャンセルイヤホンを組み合わせると、駅や車内のアナウンスなどをほぼ聞かずに済む。周囲の音が聞こえないのは不便だが、仕方ない。注意していれば音が聞こえなくともなんとかなる。悪いのはのべつまくなしにアナウンスするほうだ。あと今の時期、花粉症かしらんがひっきりなしに鼻をすするやつがいて極めて不愉快だが、やはりこれも聞かずに済む。おばちゃんたちがとめどなくどうでも良いことをだべっているのもすごく気になるがそれも聞かずに済む。周囲の音は普通は脳が無意識のうちに取捨選択して、気にならないのがデフォルトだと思うが、聴覚過敏はそうした音のすべてを意識が拾ってしまい気疲れしてしまう。明らかに病気だ。その対策を講じているだけなんだから仕方ない。