『坑夫』を何年かぶりに再読したのだが、やはりこれはずいぶんへんてこな小説だ。坑道に入ってから出てくるところまでが一番面白いところだが、それまでが異様に長い。で、坑から出てくるとあっという間に終わってしまう。どうでもよさそうなことがくどくどと書いてある。漱石はつまり、わざと小説らしくない小説を書くためにこんな仕掛けにしたのだろうが、どうも迷惑だ。もう少し書きようがあるんじゃなかろうか。
も少し推理してみると、前半の異様に長い前振りはこれは漱石自身の体験を脚色したものだから、異様に詳しい。で、銅山の話は誰かから取材したもので漱石本人は銅山に登ったことさえない。だからさらっと書いてしまっている。
そういういくつかのネタを適当につなげた結果こんな具合になったのではなかろうか。これはまあ自分の体験にも基づくわけだが、自分が実際に経験したこととか実際に取材したことというのは、つい詳しくなるが、そうではない箇所も補完して書かなくちゃならない。そういうところはまあ、つい短くはしょってしまいがちだ。明らかにそんなふうな小説というのは世の中にざらにある。自分の小説も、だいたいそうだといえばそうだ。想像で書いたところ。wikipedia や google earth で適当にすませたところなんかは、正直自信がない。出版社がついてて編集とか担当もいれば、そこちょっと話薄いですね、とかいって、適当に話をもってくれたりカモフラージュしてくれるのだろう。あいにくそんなスタッフのようなものはない。全部自分で考えて自分で書いている。そのかわり儲けを折半する必要も無い。
たぶん銅山の話がなければあまりにつまらない話で、漱石としても、小説として発表するのが憚られたので、当時のキャッチーな話をとってつけたのではないか。だもんだから
自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。
などというおかしな言い訳がついている。漱石らしくない、へんな嘘の付き方だ。