私の書いたものの中で、
KENP が一番多いのは明らかに『潜入捜査官マリナ』だ。

売れているのは『エウメネス』シリーズだが、
KENP はそれほどでもない。

『妻が僕を選んだ理由』と『新歌物語』は無料配布なので、
この二冊は、長期的にサブジャンルのランキングに露出するためのものなので、
売れ方というのはよくわからない。

全然まったく読まれても買われてもいないのが
『特務内親王遼子』、『安藤レイ』、『アルプスの少女デーテ』、『司書夢譚』、『巨鐘を撞く者』あたりで、
『スース』、『西行秘伝』、『斎藤さんアラカルト』などもほとんど読まれない。
その他の歴史物はたまに読まれる。

『紫峰軒』もなぜかときどき読まれる。

なぜなのか。

『潜入捜査官マリナ』のKENPが多いというのは途中でやめずにわりと最後まで読んでくれたということなのだろう。
続編を書いてみようかなという気になる。

いろんなことがいわれているが、
ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、
その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、
逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、
どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。

タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、
文芸の「芸」とは異質なものであり、
彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。

でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。
そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。

名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、
証明できないではないか。
私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。
しかし見て死ななくてもいい。
死んだ後に証明されればそれでもいい。
生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。
本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、
そんな本書いても時間の無駄だと思う。
人生はもっと有意義なことに使いたい。

もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。
誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。
だからマーケティングがいかんとは思わない。
三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。

某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、
その証明をしていない。
十分ではない。
メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。

そのためには、一発屋でもありたくない。
私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、
どこが優れているかということを分析した上で認められたい。

私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。
前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。
だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。

今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、
たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。

移植

* Autotransplantation 自己移植。自分自身への移植。火傷したときの皮膚移植、手術にそなえた貯血、自分の骨の一部を他の場所の失われた骨格り利用するなど。
* Syngeneic transplantation 同遺伝子的移植。同じ遺伝子を持つ(或いは、ほとんど同等の遺伝子を持つとみなされる)ものどうしの間の移植。一卵性双生児の間の移植など。
* Allotransplantation 同種移植。種は同じだが異なる個体間の移植。他人への臓器移植、輸血など。allograft、allogeneic transplant、homograft。
* Xenotransplantation 異種移植。異なる種の間の移植。

新宿西口、ヨドバシカメラ、時計専門店。
ここは良い。なかなか良い。
ヨドバシも並行輸入ものとか逆輸入ものの時計をたくさん売ってるってことを初めて知った。
普通の時計屋にはあんまりないよね?

で、これがレディースだとは思えないんだよね。
現物も見たがとてもすばらしい。

セイコー・プレザージュ(プリサージュと読みたいところだが。フランス語読み?)。
まあ、今度買うとしたらこれだな。

メンズとレディースだが、デザインというより、単に大きさで区別してるように思えてしかたない。
これなんてどこがレディースなのかというデザインだ。
敢えて言えば中性的なデザイン。

機械式だど、時計の盤面の直径が 35mm くらいなのがレディース、
40mm くらいなのがメンズ、そう呼ばれているだけのような気がする。

多針アナログにも一時期あこがれたが、これは飽きる。絶対飽きると思う。

スマホを持ち歩けば時計に正確さを求めなくてよい。
むしろ毎日ねじを巻いたり時刻合わせをするわずらわしさのほうが楽しくなってくる。

ソーラーも暗いところにおいとけば止まるし、
電波時計も地球上どこでも動くわけではない。
いろいろ勘案すると、実は、良く出来た機械式の腕時計を所有することには、
それなりの、リスク回避の意味がある。

ロレックスも見た。たしかにロレックスはすばらしい。
しかしセイコーも良い。セイコーの飾りっ気のなさが良い。
でも葬式用の時計なんて買いたくない。
なんかメカニズムの色気は欲しい。でもあまりこてこてしたりわざとらしいのはいやだな。

グランドセイコーである必要はないと感じる。

ルキアは女物だが割と好き。かなり中性的なデザインのものもあって、そっちを選びたくもなる。

スケルトンは背面だけで良いと思えてきた。

プレザージュ、レディースで、皮バンドで、重さが 80g くらいで、厚さは 1mm くらいで、
直径が 34mm くらいのが良いが、ちょうどなやつがない。
軽くて薄くて小さいのが良い。

近親婚

縄文人のセックスを笑うな

うーん。まず、古代には近親婚は普通だったはずだ。

エジプトやペルシャの王族なんて兄弟姉妹で普通に結婚している。

古代日本でも神話なんかみるとそうだったように思われる。

生物学的に見ても、近親婚は普通だ。

でまあ、近親婚の弊害というのは、王族みたいに先祖代々近親婚を続けるような場合に起こる、つまり、家系図のような先祖の記録をもっている家系で起きるのであり、例えばハプスブルク家みたいにもうずーっといとこどうしで結婚しているような場合に起こるのであって、普通の家だと、数代遡ればもう誰が親だからわからなくなるから、血統が近くなりすぎる弊害が実際に起こるとは思えない。

フロイトなんかが考察してるけど、ハーレムを形成する場合、つまり一人の男が多数の女を独占する状況では、女子はハーレムに留まり、男子は強制的に独り立ちさせられる。それがイクソガミー(外婚制)、トーテミズムの起源だとフロイトは言っていて、もしそうだとすれば、イクソガミーはもともと近親婚を前提としているのである。

あと、縄文時代のほうが栄養状態が悪い、というのは明らかに間違った前提だ。縄文人のほうが体格も良いし身長も高い。農業に頼らず、狩猟で肉食メインだった証拠だ。だから、女子は初潮がきたらすぐにセックスして妊娠し子供を産んだはずだ。