社会運動なんかやっても無駄だという感覚と、社会運動はどんどんやろうという感覚は、表裏一体なわけよね。

私の場合、社会問題にしてもらいたいことってのは、犬の無駄吠えうるさいとか、
ペットショップは虐待だとか、
戦闘機うるさいとか、
新聞配達のバイクうるさいとか、
空調うるさいとか、
喫煙者いなくなれとか、
パチンコなくそうとか、
通勤ラッシュ死ねとか、
自転車二人乗り死ね(アニメによる表現を含む)とか、
マスメディアの偏向報道死ねとか、
そういうことなわけだが、

世の中の社会運動ってだいたいは反原発とか沖縄基地問題とか憲法第九条とかじゃん。

まあやる気なくすわな。
そこでやる気なくさなかった人がむりやりつっぱしった先にあるのが社会運動だわな。

たまたま個人の欲求と社会全体が向いているベクトルが完全一致した人がいて、その人にカリスマみたいなもんがあれば、
その人は意識せずに社会運動できるのかもしれんが、そんな人はまあいない。
一般大衆というものにはベクトルはない。そろわない。

市民の声なんてものはだいたいはばらけているものだが、それが一方向に向かえば市民運動、社会運動になる。
実際には市民の声なんてそろわない。
何かやらせがある。
犬やペットショップが好きな人が多いからその規制には向かわない。
たばこやパチンコが好きな人が多いからなくならない。
エアコンがうるさいくらい平気な人が多いから、エアコンはいつまでたっても静かにはならない。

人がばたばた死んだりしないかぎりふつう自発的な社会運動はおこらない。
でも社会運動はよくおこっている。それはやらせがあるからで、
やらせを専門職とする人がいるからよね。

読者の購買意欲とかも本来はそろわないものだが、
それをそろえちゃう仕事もあって、それはふつうに営業とか広報とかマーケティングなどという。

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